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最新更新日:2025/07/15 |
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「太秦中だより」1月号
「太秦中だより」1月号を配布いたしました。HPの配布文書にも掲載しておりますので,ご覧ください。
「触れ合う活動」を行いました
実際に幼児とふれあいことで,家庭科「家族・家庭と子どもの成長」での学習を深めるため,3年生では「触れ合う活動」を行いました。
太秦保育園の子どもたちが中学校の運動場で凧あげにやってくるのをお迎えして,授業で制作したカレンダーのプレゼントや運動場への道案内をした3年生の顔にはかわいい子どもたちと触れ合い,ついつい笑顔がこぼれていました。 その後,広い運動場で保育園の子どもたちが元気いっぱいに走り回っていました…うまく凧はあがったでしょうか?また,中学校に遊びに来てくださいね。 ![]() ![]() 新しい年がスタートしました![]() ![]() 保護者・地域の皆様,本年も変わらず太秦中学校の教育活動にご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。 以下は集会での学校長よりの新年のお話です。 皆さん 明けましておめでとうございます。ところで,なぜお正月になると「おめでとうございます」と言うのでしょうか。先生は昔,年が変わっても前の日とどこも変わっていないのに何でおめでたいのだろう,とずっと考えていました。その後,いろいろな体験をして,たくさんのことを学び,物の見方や考え方が変わり,やっと最近その意味がわかってきたように思います。その体験の一つに,身近な人の死があります。人の死に接するたびに,いつも悲しい思いをしますし,同時に人の命や人生について考えさせられます。「どんなに大切な人でも永遠に生きることはできない」ということなど,ごく当たり前のことに改めて気づかされます。と同時に「人の命や人生は,いつどうなるのかは誰にも分からない」という,これもごくごく当たり前のことに気づかされたのです。ですから,「今日も,昨日と同じようにあなたと顔を合わせる」ということは当たり前のように思えますが,実は必ずしも当たり前とは言えないのです。そのように考えると,新しい年が明けた今日また皆さんとこのように顔を合わせることができるということは,当たり前のことではなく「幸運なことで喜ぶべきことなのだ」と言えると思います。新しい年を迎えて,再び元気に顔を合わすことができた。幸運だからおめでたい,だから「おめでとう」と言うのだと,私は思います。お互いの大切な命,もっと大切にしあいましょう。 さて,話は変わりますが,毎年のように私たちは,年末に過ぎた一年を振り返り,新しい年を迎えて次の一年の目標を立て,決意を新たにしています。目標を立てることは大切なのですが,夢や目標には責任が伴うということも忘れてはならないと思います。夢や目標を達成するために,「努力する」という責任が伴うということです。努力を伴わない夢や目標は,ただ単に「絵に書いた餅」に過ぎません。「絵に書いた餅」は食べることができませんし,もちろんお腹がふくれることもありません。決して喜びや満足感を味わうことはできないのです。目標を立てるだけで努力もせずに一日を過ごす人より,目標を立てその目標に向かって努力する人の方が,間違いなく毎日の生活に「張り合い」とか「充実感」があります。また,目標を達成したときの満足感は,努力しない人には決して味わえないものだと思います。私は,アメリカ大リーグのイチローやサッカーの本田が,現状に満足しないで高い目標を掲げ,大きな夢や目標の達成に向けて努力し,一つ一つ達成していく姿にいつも勇気をもらっていました。彼らは決して努力している姿を人に見せませんから,天才のように言われますが,決してそうではないと思っています。皆さんが想像もできないような努力を積み重ねていることは間違いありません。2人が小学校を卒業する時の文集に書いた作文がある本に載っていたので,紹介したいと思います。まず,イチロー選手です。「ぼくの夢は,一流のプロ野球選手になることです。365日中,360日は激しい練習をやっています。だから一週間のうち,友達と遊べる時間は5時間〜6時間の間です。そんなに練習をやっているんだから,必ずプロ野球の選手になれると思います。」次に,本田選手です。「ぼくは大人になったら,世界一のサッカー選手になりたい,というよりなる。世界一になるには,世界一練習しないとダメだから,今ぼくはガンバッている。今はヘタだけれど,ガンバッて必ず世界一になる。そして世界一になったら,大金持ちになって親孝行する。」どうでしょうか。 目標もなく,ただ時間をつぶすだけのつまらない人生ではなく,例え苦しくても目標に向かって努力する,すばらしい生き方を目指す,そんな今年にしてください。 |
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