最新更新日:2024/10/18 | |
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平成24年度 退職者・離任者の紹介
お世話になった退職、離任の先生方の連絡を致します。また離任式は以前にも連絡いたしましたが、下記の通りになっています。転勤先については3月29日の離任式のときに口頭で伝えます。また4月1日の朝刊で発表されますので、そちらでご確認下さい。
醍醐中・平成24年度転任・退職者のお知らせ転出・退職者一覧 今年度、下記の先生方が退職・転任されますのでお知らせします。 ○教 頭 下垣 健治 先生(ご退職) ○社会科 山本 強 先生(ご退職) ○美術科 石坂 知夏 先生 ○家庭科 三木 沙織 先生 ○国語科 吉仲 聖沙 先生 ○SC 久原由佳子 先生(スクールカウンセラー) 以上です。 本日午前に辞令を校長室にて恭しく、お渡ししました。特に退職された下垣教頭先生は37年にわたって教育界に尽力いただきました。一つの仕事を勤め上げるということは、同じ仕事をしている者にとって敬服に値するものです。並大抵のことではありません。健康であり続け、また情熱と共に幸運でもあったこともあります。山本 強先生は再任用教諭として人権主任、今年は進路指導主事の仕事をお願いし、一人一人の進路を確かなものにしていただき2年間お世話になりました。 自分にそんなときまで頑張れるのだろうかという不安もよぎります。先輩方の意志をしっかり継いでいこうと思います。ご苦労様でしたと共にありがとうございました。 離任の先生方は醍醐中学校の先生として、子どもたちを支えていただき、笑顔のために尽くしてもらいました。授業だけでなく、部活動や、おそらく私の知らないところでたくさんの汗を流されたことと思います。自分のポジションに関係なく、できることをできる者がする。「こうなったらもっとよくなるなと思うことはどしどしやって下さい。」とお願いしていることをやっていただきました。新しい学校でもその精神でご活躍されることを願っています。ありがとうございました。 ※河上 謹三郎先生は平成24年度、再任用として育ててこられた学年を学年主任、さらに担任として、りっぱに卒業までご指導いただきました。1年任期で、形式的には一旦、退職にはなるのですが、平成25年度も引き続き、お世話になりますので、上記の退職者等の名簿には載せておりません。 尚、離任式は、3月29日(金)体育館にて 9時15分 生徒集合 (体育館に旧クラスで整列して下さい。) 9時30分 離任式開始ですので遅れないように登校して下さい。 いい修了式であった!
3年生のいない体育館で、修了式を行った。1,2年生全員の進級を認め、それぞれの学年を修了した。3年生がいないと何となく寂しい思いもするが、ほのかにたくましくなったような在校生を感じる。
静かに真剣に話しを聞いてくれるので、うれしい。話し甲斐がある。 集まったら必ず話す2つの話しを確認する。すると1年生から「あいさつ」と「人の話は目で聞く」と返ってきた。正確に言えば「あいさつが自然にできる人になる」。人の話は目で聞くは毎回言っていることなのに、こちらが忘れていた。人は時々目で話すので、目で聞くのである。そして心で聞こうとする。 もう一つは2年生より「時間!」と返ってきた。正確に言えば「時間がしっかり守れる人になる」。昨日、3年生が来て、私が話してきた6つの話しをしてくれた。言い続けるものである。継続は力成りである。 あと今回のテーマとして「パーソナルスペース」の話をし、ちょっとした実験をした。内容はお子さんに聞いて下さい。 明日より子供たちは春休みになる。いいなあと思う。こちらは新年度に向けて頭の痛い時を過ごすことになる。春は穏やかな天候ではあるが、複雑な心境になる季節でもある。おそらく保護者の方もそうであろう。なるようになる!成らぬものはどうでもいいことと聞いたこともある。そうかもしれない。互いに自愛しましょう。 ブログ化し書き続けたHPが4年間で498記事になった。今年度中に500になるかもしれない。その時は過去を振り返って一人、乾杯しよう。 1年間、ご理解、ご協力頂き、またこのHPをご覧いただき、ありがとうございました。 つづく 祭りの後の淋しさが・・・
いい卒業式だった。昨日の願いを叶えていただいたと天に感謝した。
卒業式は寒いものという定番は今年もそうだった。雪が降った年もある。しかし今日の日差しは祝福するようにという穏やかな天気になった。 式辞を読んでいるうちに担任のような気持ちになり、ぐっと唇を噛んで感情を抑える場面もあった。 巣立っていった教室を覗くと、一時的ではあるが主を失った淋しさで「ジーン」と切ない思いになる。 ここまで育てられた保護者の方と教育に情熱を注いできた教職員のみんなと 素直に育ってくれた子供たちに感謝である。 保護者の方々や子供たちの涙と笑顔を見ると、式がいいものであったことが伺える。 ご臨席いただいた、ご来賓の皆様方、ありがとうございました。 今日の日は、そっと余韻に浸っていたい気分である。 静かで厳粛な式場を見ながら・・・
一日が本当に長く思えるときもあるのだが、過ぎてしまえば、まさに「光陰矢のごとし」である。「少年老い易く学成り難し」は私のことである。
静まりかえった体育館に行ってみた。長いすが整然と並べられて、紅白の垂れ幕が温かく包んでいる。準備をしてくれた生徒や教職員の姿が見えるようであった。 式場は静かに明日を待っている。あの子が、この子が巣立っていくと思うとうれしいような、悲しいような、やはり淋しい感情がよぎる。 笑顔溢れる、いい旅立ちの日になるよう祈りを捧げよう! 3年生を送る会
3年生にとっては「送られる会」なのだが、3,4限目を使って行われた。黒い暗幕の貼られた体育館にテープの飾りやくす玉、模造紙に描かれた絵であったり、文字であったり。これだけの準備をするのは大変であったろうが、生徒会の先生、1,2年の先生方の事前指導が伺える。
ビデオで部活動から後輩部員の、転任された先生方からのメッセージがあった。入学当初のあどけない表情であったり、沸かせてくれた。 1,2年生の合唱は聞き応えがあった。何という歌だろう。校歌と共に学校の歌として歌っていい。3年生は「旅立ちの日に」を返してくれた。 教職員からは「15歳の手紙」「ふるさと」をプレゼントした。卒業式には全員が出席できるわけではないので、今日が最後の全校での取り組みになった。 絵の中に、時々私も描く蚊取り線香が描いてあって、なぜこの場所にと思ったが、そのコメントが可笑しかった。「がんばれ 蚊取りせんこう。」「負けるな蚊」 一つ一つ行事も終わっていき、いよいよ明日は予行練習、15日は卒業式本番である。受付は9時20分から、入場は9時45分までに体育館へお入り下さい。 缶踏み! ひとつ、ふたつ、・・・
放課後の校長室横でガチャガチャと缶踏みが始まった。体育館前の空き缶箱がいっぱいになったのだろう。こちらに運んで缶踏みになった。
音につられて、クツを履いて私も踏みに出かけた。MDR係の生徒が一生懸命に踏んでつぶしている。アルミは簡単につぶれるのだが量がある。 ペアを組んで「一個ずつ数えて入れよう。」と言ってビニール袋を広げて「いち」「に」「さん」と交互に入れて100個までいったら、また「いち」から始める。200個入れて完了となる。生徒とやるこの作業が単純ではあるが面白い。楽しくやらないと続かない。こんな取組から次の盲導犬へと繋がっていく。教師でいることのいい時間である。 明日は「3年生を送る会」だ。生徒会のたよりに「3年の先生と先輩を(感動で)泣かせる。」と書いてあった。いいなあと思う。楽しみだ! 東日本大震災から2年 祈りを捧ぐ!あの日から2年が過ぎた。テレビでも新しい映像や話しを聞くことがある。まだまだ分かっていないことも多々ある。 阪神淡路大震災のあった日には避難訓練をする。3月11日のこの日には御霊を慰めようと何かしたいと教職員に尋ねたら、「朝一番に体育館に集めて黙祷を捧げましょう。」と言ってくれた。そこで今日は8時30分から40分まで体育館に集め、下記のような話しをした。 「今日は3月11日です。東日本大震災から丁度2年になります。 いまなお、31万5千人の方が仮設住宅にて避難生活をしておられます。 無くなった方も2万人おられて、今なお遺体さえも見つかっていない人もいます。 遺族の方は毎日、遺体を探しておられると聞きます。 亡くなった方々の魂が安らかでありますように、心より、祈りを捧げたいと思います。 姿勢を正して、「黙祷!」 」 あの日もいい天気でした。午後2時46分です。もう少し正確にいうと午後2時46分18秒でした。 職員室で地震に気づき、体育館へ走っていくと、外でバレー部の子が練習をしていました。地震に気がついた人はいなかったようですが、北校舎の3階から吹奏楽部の練習が聞こえてきたので、放送で「大きな地震があったので、次にあったら机の下に隠れなさい」と入れました。大げさなという感じもありましたが、あんなに大きな震災になるとは思ってもいませんでした。 あの日は金曜日で次の日の土曜日はさらにいい天気で、何事もなかったような天気が恨めしく思ったことです。 君たちと同級生の子どもたちもたくさんいました。 昨日は京都マラソンで出野先生と中村先生が参加しました。あれも復興を願っての取組です。なかなかこれはだれでも参加できませんが、テレビを見て、ああだった。こうだったと話しをすることは大切で、それも支援になります。大切なことは何かと言えば「忘れない」ということです。 阪神淡路大震災にしても、京都と神戸は離れているように思うけど 地球儀を想像してごらん、小さな日本があって、京都と神戸は点のようなものだ。あれが京都であっても何も不思議はない。次に起こるのは明日かもしれない。10年後かもしれない。 福島の原発のことは、君たちが先生の年になっても、まだ続いているだろう。 生かされている僕達は彼らの分まで国のため、自分のために頑張らなくてはならない。 子どもたちが、とても静かに真摯に受け止めてくれたのでうれしく思った。 シェイクアウト訓練というのがある。「地震から逃げろ」という造語であるが、携帯で登録しておくとマナーモードでも危険を知らせるブザーが鳴り、メッセージが届くという。 地震が来たら、姿勢を低くして、机、テーブルの下に頭を入れ、1分間じっとしておきなさいという避難方法である。 配布文書コーナーに載せましたので、参考までに! 改めて皆さんと、鎮魂の祈りを捧げたいと思います。 投げたボールに見合ったボールが・・・
卒業式のシーズンである。私立高校の早いところは2月中旬に、公立高校は3月1日に中学校は3月15日、小学校は3月21日、大学は3月20日頃、保育園は3月23日頃と別れの時が来る。
毎年、高校の卒業式と入学式にはお祝いのメッセージを醍醐中学校の卒業生、入学生のいる高校には贈っている。目に留める子どもは少ないかもしれないが、見つけて喜んでいる子どもの顔を想像しながら書いている。 すると、高校からお礼の言葉が返ってくる。中には校長と教職員と同じ文面ではあるが分けて返ってくる学校もある。さらに学校長の達筆な直筆で、解読に苦労する学校もあるが気持ちが伝わり、うれしくなる。 子育ても一緒です。投げた愛情のボールに見合ったボールが返ってくるものです。しかし返ってくるのに時間がかかります。子どもにいいボールを投げて下さい。 今日は3年生は思い出作りとして球技大会をやっている。グランドで男子がサッカー、体育館で女子はバスケットボールをやっていた。いい表情だった。この一週間で更に3年生は成長するものだ。いい締めくくりをしてほしいと願う。 公立一般入試 実施さる!
■京都市、乙訓地区において、この制度最後の公立入試が始まった。来年は「中期選抜」という呼び名で実施される。
昨日、事前指導を行った。話の内容は「ここまできたら実力がというよりも、天を味方に付けることだ。その方法として2つあると私は思う。一つは「感謝」の気持ちである。もう一つは「一所懸命さ」である。」 「朝はにっこり笑って家を出るように」と言ったが、どうだっただろう。「試験が始まったらゆっくり3回深呼吸をしなさい。」と、できているだろうか。もう試験が始まる頃である。私学を受けずに、この試験にかけている子どもが2名いる。祈るような気持ちでいるが、人の出会いと同じように、学校にも出会いがある。これも縁というものである。 「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があるが、昔も今も心境は同じである。その子にとって一番幸せになる道へ導かれることだろう。今日は最後までがんばれよ! ■昨日、端山保育園の生活発表会の様子を紹介したが、礼状が届いた。また子どもの字で「ひごさま みにきていただいてありがとうございました。」とあった。この子たちが入学してくるまではいないが、楽しみな子どもたちである。 ■写真は美術科の石坂先生が例年指導してくれている、1年生の漢字を使ったイメージ絵である。いつも楽しみにしている。彼女の指導力には感心する。心理学でバウムテストというのがあるが、内面が投影されるところもあるかもしれない。いつでも保護者の方々、来ていただいてご覧下さい。 ■明日より2年2組の生徒が登校してくる。焦らぬように、健康第一である。 子どもは心の洗剤さて、2日(土)に招待状をもらっていた端山保育園の生活発表会に行ってきた。微々たるものかもしれないが保幼小中高のつながりは大切にしたいと思っている。以前、乳児保育所、幼児保育所、小学校、中学校、役所、教育委員会の週一回の四校園という会議を担当していたことが大きいかもしれない。 東部文化センターで行われたのであるが、まるで入場料を取ってもいいようなショータイムのようであった。満員の席に来賓席が設けてあった。 メインは卒園を迎えた子どもたちの今まで育んできたことの発表であり、保護者への感謝であり、思い出作りでもあるのだろうが、全員が熱演していた。 歌有り、踊り有り、演奏あり、オペレッタあり、朗唱あり、飽きさせない。保育園は人の成長段階が目で見て取れる。「英語であそぼう」では1月から12月まで歌の中で上手に発音していた。中学生諸君よ、大丈夫か! 2歳児のオペレッタでみんなと一緒におれない子どもがいた。とことこと歩いて行って保育士の膝の上にちょこんと座った。「どうするかな」と思ってみていると、自分のあるべき場所に戻すでもなく、膝の上に乗せたまま、ぐっと抱きしめて、その子の手を持っていっしょに踊り出した。感動した。「ここは、あなたのいるところじゃないでしょ」と校種が上がる毎に指導が入っていくのだが、「秩序」と「許容範囲」、「おおらかさ」と言ってもいいかもしれないが、発達段階に応じた、それも個人的な発達段階もある中で「とてもいい対応をされたな」と目頭が熱くなった。普段の生活でくすんだ心が洗われて行くような思いに浸っていた。 バックの背景画から、大道具、小道具、衣装、大変なことである。演奏にはクラシックの「カノン」、歌には「旅立ちの日に」が入っていた。とくに「旅立ちの日に」の歌詞に私の好きなフレーズの「意味のないいさかいに泣いたあの時 心かよったうれしさに抱き合った日よ」とある。中学生、高校生ぐらいでちょうどいい詞である。ことばはリズム、音なのだろう。朗唱には昭憲皇太后の「金剛石」、宮沢賢治の「雨にもまけず」、清少納言の「枕草子」二宮尊徳の「報徳訓」などがあった。「報徳訓」などあとで調べて「ふーん」と思った。百人一首もそうであるが、子どもは意味が分からなくても覚えられるものだ。一つの道徳教育である。地獄、極楽の話しをしなくなって久しいが、今またその話しが出てきているとも聞く。いいことだ。NHK大河ドラマの「八重の桜」でまた脚光をあびている会津の「什」も。昔に学べと言うことは多い。いいものを見せてもらった。感謝! ■二宮尊徳 「報徳訓」 http://www.ninomiya.or.jp/sontoku/houtokukun/ http://www.toyokoro.jp/07life/074education/file... ■会津の什の掟 http://aizumonogatari.com/yae/material/367.html http://www.nisshinkan.jp/about/juu |
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