最新更新日:2024/09/24 | |
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☆前期 終業式!!☆
4月の入学式,始業式から103日。10月8日(金)前期の終業式がありました。全校児童のきらきらした笑顔が輝いていました。
〜校長先生の話より〜 ノーベル化学賞を受賞された鈴木 章さん,根岸 英一さんの話から始まりました。日本人で受賞した人は18人にもなります。そのうち,10人が京都出身の方です。 社会に認められることはとてもすばらしいですね。ここにいるみなさんも将来,ノーベル賞を受賞する人がいるかもしれません。みなさんは無限の可能性を秘めています。夢を持ち続けて挑戦していってください。でも,ただ夢を持っているだけではいけません。そのためには,今,自分のできることから一生懸命努力することが大切です。 前期を振り返って,後期がんばることを見つけましょう。 全校児童の話を聞く姿勢が,とてもよくなってきました。校長先生の話をしっかり胸に留めて,一人一人のがんばる姿を見せてほしいと思います。 秋の実 〜ムラサキシキブ〜
クマツヅラ科の植物です。花よりも実をつけている姿が目につきます。深い紫の実は優美な美しさを感じます。花期は6月〜7月で,小さな淡紫の花を多数咲かせてほんのりとした香りをつけ,秋に5〜6ミリの実をつけます。白い実のシロシキブもあるそうです。
よく栽培されているのはムラサキシキブとコムラサキシキブで,一般的に見られるのは,庭木や公園などに植えられている後者の栽培品種で,学校にあるのもコムラサキです。 この気品ある実を,平安時代の源氏物語の作者である「紫式部」にたとえて,ムラサキシキブと名づけられました。この植物にこの名が付けられたのはもともと「ムラサキシキミ」と呼ばれていたためと言われます。「シキミ」とは重る実=実がたくさんなるという意味の「シキミ」が「シキブ」となったようです。 学名はカルリカルパ属ヤポニカ種。カルリカルパはギリシャ語の「callicarpa(美しい果実)」で,やはりこの実の美しさにちなみます。 花言葉は,「聡明」「上品」です。 シイタケが にょきにょき・・・収穫したシイタケを並べるとご覧の通り(写真 下) フジの種子 さやがたわわに・・・
春に美しいかんざしの様な藤色の花をつけた藤の木。ふと見ると,たくさんのさやができていました。さやの中の種子は,ポリフェノールを含んでいて,花の後の剪定をすると実がならないので,今では見ることが珍しいそうです。江戸時代では,貴重な糖質と重宝されていたと言われています。
高学年の授業参観
6日はやまゆり学級の授業参観が5校時に,4,5,6年の授業参観が6校時にありました。挙手をしてはりきって学習している姿がどのクラスにも見られました。懇談会の後,5年生は長期宿泊学習「花背山の家」の説明会が開かれました。本校にとっては4泊5日の野外活動は初めての経験です。保護者のみなさんも何かとご心配だと思いますが,計画&準備をしっかりして臨みたいと思います。
この季節はこの香りが・・・遠くからでもこの香りが漂ってきて,キンモクセイはどこかと探し当てます。小さいオレンジ色の花を無数につけて芳香を放つキンモクセイ。本校は,体育館校舎の間や,運動場を見渡すところにも低い木があります。 春の沈丁花(ジンチョウゲ)や夏の梔子(クチナシ)と並ぶ三大芳香花です。しかし,可憐な花も雨が降れば一度に落ちていきます。今年のキンモクセイは長く楽しめるといいですね。 3年生の授業参観
3年生の学習は火曜日は6校時まであるので,今日の参観日も6校時です。3クラスは算数「何倍でしょう」いろいろな解き方を考えようということで,自力解決したものを大型デジタルテレビに映し出し,全体の交流へと学習していました。
1クラスは,総合的な学習での「イズミヤ カナート」への見学のまとめをグループごとに発表していました。大型テレビを使う班や,画用紙にまとめていた班や,ペープサートを作ってインタビューを再現していた班などいろいろな工夫が見られました。 さて,保護者の方は子どもたちの様子を参観されてどのような感想を持たれたでしょうか。参観のたびに,お子達の成長を見つけ,ほめ励ましてほしいです。 1,2年生の授業参観
1年生は,国語「くじらぐも」や「じどう車くらべ」の学習でした。2年生は算数の「図をかいてなんばん目のもんだいを考えよう」の学習で,一人一人がノートに○印で表していました。1,2年生の国語や算数は,特に基礎になる学習です。この時期にしっかりと身につくようにしていきたいです。
保護者のみなさんも教室に入れないくらいあふれかえっていました。半年のお子たちの成長ぶりはいかがだったでしょうか。 避難訓練 〜防犯訓練〜
9月30日(木)防犯訓練が行われました。あってはならない事ですが,「備えあれば憂いなし」もしもの時を想定しての訓練でした。800数名が,静かに素早く避難場所の体育館に集まることができました。校長先生からもお褒めのことばをいただきました。「風・林・火・山」が合言葉です。
FOUNTAIN(校長室だより)No.7
京都市立桂坂小学校 山本 泉
子育て,あるいは教育の場においては,子どもを「しかる」「ほめる」はつきものです。子育てに関する書籍などによく,「しかる」ことと「ほめる」こと,どちらが教育にとってよいのかというような内容の記載があります。このことについては諸説があり,そのうちのどの理論が正しいのかということは一概にはいえないようです。 従って,これから述べる内容も,一つの考え方として受け止めていただければと思います。以前,ある研修会で「しかる教育とほめる教育」というテーマで研修が進められたことを思い出しました。その内容について少しお話したいと思います。 −しかる教育とほめる教育− 最近の教育現場では,「しかる」ことより「ほめる」ことのほうが,子どもを伸ばす良い教育だとされるのが主流なようです。確かに我々は,子どもに限らず人から良く言われたい(ほめられたい)もので,そのことが励みになり,さらに努力して長所を伸ばすようなことが多々あります。 しかし,ほめられてばかりいては間違ったことを直したり,欠点を克服したりすることはできないようにも思えます。つまり,しかることとほめることはどちらも教育にとって必要なことであって,如何にうまく「しかる」か,如何にうまく「ほめる」かが大事だということになります。 なんだ,そんなの当たり前じゃないか!とは思われるかもしれません。しかし,実際には多くの人はこの両方をうまく使いこなせるほど器用ではないようです。うまく「しかる」,うまく「ほめる」という両方に精通するということは結構むずかしいことだといえます。そこで,せめてどちらかだけでも…,という消極的な考えからではありませんが,「しかる教育」か「ほめる教育」どちらか一方でも,うまく使いこなせれば十分に教育効果が得られるはずだということで,それぞれのあり方について研究が進められています。 【しかる教育】−子どもを伸ばす心くばり,とは− ・どちらが「しかる」でしょうか? ア.声をあらだてて欠点をとがめる。とがめ,いましめる。 イ.いかる。腹を立てる。 広辞苑ではアが「しかる」で,イは「怒る」の意味だそうですが,イにも「しかる」という意訳が載っていて,実は言葉の意味の上では,「しかる」も「怒る」も共通するところがあるということです。(関西弁では,子どもは「叱られた」ことを「怒られた」と言いますね)つまり,どちらも相手に対して,自分の感情をぶつけていく行為には違いがないわけです。(一般に,感情的な行為が「怒る」で,冷静な行為が「しかる」という考え方もありますが,必ずしも当てはまらないそうです。) さて,「しかる」ということを教育用語として一般に定義すると,「子どもの行為や考えをより望ましいものへと改める大人による評価活動,支援活動」ということになるそうですが,端的に言えば「子どもをより良い方向に導く方法・手段」ということですから,そのねらいは「ほめる」ということと同じだということになります。「しかる教育」とは,つまるところやはりその「しかり方」が大切だということです。では,私たち大人はどんなことに注意して,どんな風に「しかる」とよいのでしょうか…。 [ここに注意して] ア.しかったら必ずフォローし,決してしかりっぱなしにしない。 イ.子どもの心をしかるのではなく,行為をしかる。人格を否定するようなしかり方は絶対にしない。 ウ.ついでのようなしかり方はせず,そのことにのみ本気でしかる。 エ.さわやかにしかる。いつまでも長々としからない。 オ.あれこれとまとめてしかったりせず,一つの事だけしかる。また,過去のことを持ち出してしかったり しない。 カ.自分が目撃した行為以外のことでしかる場合は,事実を確認してからしかる。 以上の通りですが,これはあくまでも原則的なことですから,どんな場面でも,また誰に対しても通用するということではありません。しかし,できるだけ上記のことに注意しつつ,個に応じてしかること,そして,しかられた子が納得することは大切だと思います。また,いつも声を荒げてしかるのではなく,時には黙って子どもの目を見つめるだけで「しかる」効果があることもあります。 それでは次に,何をしかるべきなのかを考えてみましょう。何でもかんでもしかるのではなく,これにもいくつか注意しておくことがあると思います。 [これをしかる] ア.自分や他人の身に危険があるような行為をしたとき。 イ.人の体の欠陥をばかにしたり,人を差別するような言動をとったりしたとき。 ウ.自分より弱者に対して暴力をふるったとき。 エ.人の邪魔をしたり,自分のわがままを相手に押しつけたりするなど,自己中心的な言動をとったとき。 オ.自分の行為をごまかしたり,人をおとしいれたりするような嘘をついたとき。 これらもやはり一例に過ぎませんが,学校では同じことをしたのにある先生にはしかられてある先生にはしかられなかった,ということができるだけ起こらないよう努めています。(そうなっていないことがあれば,お詫びしなければなりませんが…。)それぞれのご家庭でも,親として,あるいは家族として「これだけは絶対に許さない」ということを前もって決めておき,子どもにもそのことを話しておくことが大切だと思います。また,同じことをしているのに,日によってしかられたりしかられなかったり,その時の気分でしかられたりでは子どもが不信感を持ち,そのうちまともに受け止めなくなります。兄弟・姉妹と比較するような言葉もしかるときには禁句です。 しかられたことを,子どもが素直に受け入れることができるような,そして,今度からしないように気をつけようと思うような,そんなしかり方ができればいいですね。 次回は,「ほめる教育」について考えてみたいと思います。 |
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