最新更新日:2024/10/20 | |
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児童集会から一日がスタート!
今日は全校が体育館につどい,児童集会が開かれました。
給食委員会は,牛乳パックがよく整頓されていたクラスの表彰を行い,広報委員会は,タイピング大会の表彰を行いました。 続いて,メロディー委員会が中心となり,「ビリーブ」を全校児童が体育館いっぱいに響かせました。ピアノ伴奏もメロディ委員の児童が担い,暗譜してしっかり伴奏ができていました。その後,メロディー委員会による三択クイズや集会委員会による○×クイズで楽しみました。 ♪美しい音色にうっとり♪ カザラッカコンサート
9月18日(土)第18回カザラッカコンサートが盛大に開催されました。
山の手倶楽部コーラス同好会のみなさんによるゆったりした優しい歌声に癒された後,桂坂小学校PTAコーラス部の素敵な溌剌とした歌声が披露されました。桂坂小学校教職員も「BELIEVE」の歌で参加させていただきました。PTAコーラスのみなさんのリードで,音をはずすことなく自信をもって歌えたことはとてもよかったです。 いよいよ,京都市芸術大学音楽部有志のみなさんのオーケストラ演奏の開始です。昨年までは,堀川音楽高校のみなさんの演奏でしたが,移転されたため,今年は芸術大学のみなさんが引き受けていただきました。一音一音,さすがに研ぎ澄まされていて,時間の経つのもすっかり忘れ,演奏に吸い込まれてしまいました。 最後に本校6年生との共演。合唱「COSMOS」をオーケストラの演奏で歌い上げました。ピアノ伴奏では味わえないオーケストラの生の演奏をバックにした合唱は,果てしない壮大な銀河に身をおいたような感覚でした。6年生にとってもよき思い出となったことでしょう。 PTAのみなさん,事前の準備からいろいろお世話いただきありがとうございました。今から,来年度のカザラッカコンサートが楽しみです。 みさきの家に到着
予定より少し遅れての到着となったようですが,全員元気です。
あずま屋での食事(左),入所式の様子(中),広場での自由遊び(右) の様子 みさきの家へ元気に出発
本日(10日),4年生は「みさきの家宿泊学習」(伊勢志摩)に全員元気に出発しました。
楽しい思い出をいっぱい作り,自然の中で集団生活での協力や助け合いなどの大切さや素晴らしさを,感じ取ってきてほしいものです。 現在(11:00)は,最初の休憩場所を出て,伊勢までは30キロほどのところです。 掲示板も季節と共に
階段を上り,正門をくぐった右手の掲示板も秋の装いになりました。
学校目標,桂坂だよりに加え,コスモスと赤とんぼをアレンジしました。 登下校,また目を向けてくださいね。 猛暑の中にも秋の気配が・・・カツラの木は,高さは30mほど,樹木の直径は2mほどにもなる大木です。学校にあるカツラの木はそんなに高くはありませんが。葉は,ハート型に似た円形をしています。落葉は甘い香り(醤油の良いにおいとかメープルシロップに似ているとか)を放つそうなので,観察を続けようと思います。 カツラの木の用途とは,街路樹として植えられるほか,木材は香りがよく耐久性があるので,建築や家具や鉛筆,また,碁盤,将棋盤にもなどの材料に使われるそうです。 FOUNTAIN(校長室だより)No.6
京都市立桂坂小学校 山本 泉
夏休みが終わり,学校が始まりました。 今年は,例年になく猛暑日が続き,本来ならまだ夏休みが続いていてしかるべきかもしれませんが,全市で授業日数が決められている以上いつまでも夏休みというわけにもいかず,本校も始業しました。子ども達の体調管理に留意しながら進めてまいりたいと思います。 ―――・・―――・・―――・・―――・・―――・・―――・・―――・・――― 近頃よく,「今の学校の先生は大変やね,子どもが悪いことをしたり逆らったりしても,うっかり叩いたりしたら『体罰だ!』とか言うて,すぐに怒ってくる親がいて…。自分らが子どもの頃はしょっちゅう先生に叩かれたもんや。けど,親は『悪いことしたら叩かれて当たり前や。』と言うし,自分らも先生いうのは怖いもんやと思うてた。」などとおっしゃる年配の方がおられます。 確かにそういう時代がありましたし,教師もある意味やりやすかったかも知れません。しかし今,学校の教師は子どもを叩いたりしません。たとえ子どもが間違ったことをしても,じっくり話を聞いて本人が納得できるまで言葉で指導します。確かに現代では,叩いたりすると『体罰』として問題になるかも知れません。しかし,今の教師が子どもを叩いたりしないのは,保護者の方から文句を言われるからとか社会的に糾弾を受けるから,とかいう理由からだけではありません。叩いたりすることが教育的効果が非常に薄いどころか,むしろマイナスであるということが分かってきたからです。 確かに,『叩かれる』という自分にとって嫌な経験を思い出すことで,同じ過ちを繰り返さないようストップをかけることができる場合もあります。しかし,それは『叩く人』がその場にいて,同じことを繰り返すとまた叩かれるということが条件で,そうでなければほとんど効果がないといいます。 「いや,そんなことはない。自分には叩かれたことで身に付いたこともある。」と思われる方もあるかも知れません。でもそれは,ほとんどが思いこみであって,実はほとんどの場合そのことについて言葉で理由を聞き,自分が納得をしたから身に付いたことであって,決して叩かれて痛かったから身に付いたわけではないはずなのです。 子どもは自尊感情を持つことによって健全に成長します。叩かれたり怒鳴られたりすることが多い環境では自尊感情が育ちにくく,卑屈になったり投げやりになったりして,場合によっては成長してからの非社会的・反社会的な行為につながったりします。 勿論,このことは学校だけのことではありません。家庭でも,友達同士の関係の中でも叩いたり蹴ったり怒鳴ったりする場面は,できるだけ無くしていかなければなりません。認められ,褒められ,自分の存在価値を高く感じられる環境を,子ども達のまわりにつくっていくことが大切であると思っています。 元気にあいさつ 声かけ運動始まる!!
8月26日(木)夏休みが明け,今日から学校が始まりました。空は真っ青,元気に階段をかけのぼる子どもたち。学校も本来の姿を取り戻しました。
9月1日(水)まで,PTAのみなさん,山の手倶楽部や女性会のみなさんのご協力を得て,朝の声かけ運動を実施します。 今日は初日,夏休みの作品の包みを大事そうに抱えて登校する子,学校までの道のりで汗びっしょりかいている子などさまざまでしたが,瞳は輝き,元気に「おはようございます」のあいさつをしていました。 朝の気持ちのよいあいさつをこれからも続けていきたいです。 日焼けした笑顔がそろった!!
さあ,今日から学校が始まりました。体育館に全校児童が集い,校長先生の話を聞きました。夏休み前に約束した「目的を決めてやり遂げましたか?」の問いにうなずく子どもたち。大きな怪我や病気もなく夏休みが過ごせた事をうれしく思います。
校長先生の話の中に「立腰(りつよう)」ということばがありました。「姿勢を正しくしてまっすぐのばすこと」の意です。禅のことばだそうです。ぐにゃっと姿勢がくずれる子どもも多いです。姿勢をよくする事は,脳に信号を送り活発に働きます。このことばを頭に入れて過ごしていきたいです。 FOUNTAIN(校長室だより)No.5
京都市立桂坂小学校 山本 泉
夏休みに入りました。連日,猛暑日が続き熱中症で亡くなる方も出ています。私自身もですが,保護者の皆様も健康にはくれぐれもご留意ください。 さて,今回は少しブレークタイムをいただき,京都市教育委員会生涯学習部から発行されていた読み物から引用したものを掲載したいと思います。 ―――・・―――・・―――・・―――・・―――・・―――・・―――・・――― 『先日,大変暑い日でしたが,人と待ち合わせをしていて公園のベンチに座っていると,ふと目の前の親子に目がとまりました。4,5歳くらいの男の子とお母さんが何だかとても楽しそうなのです。何気なく二人の会話に耳を傾けていると,どうやら,アリの行列を見つけた男の子がそのことをお母さんに報告しているようです。 「お母ちゃん!ほら見て,見て!アリがいっぱい並んでいくで…,どこ行くのかなぁ?」 と不思議そうに言ったので,一緒になってアリの行列の行く先を追っかけていったようです。向こうの方で 「あれあれぇ,こんなところに入っていくで…。」 「きっと,アリのおうちがあるのやね。」 「中はどんなになっているんかなぁ?」 とお母さんとの会話がはずんでいました。とても,ほほえましい光景でした。 そして,以前に出会った親子のことを思い出しました。ある日,歩道を歩いていると私の前を,同じく4,5歳くらいの女の子と,お母さんらしき女の人が歩いていました。そこへ,灌木の茂みから出てきた1匹の子ネコが,その親子に寄っていきました。 「ママ,このネコどこのネコかなぁ。お家はないのかなぁ。かわいそうやなぁ。」 と立ち止まろうとする女の子の手をひっぱり, 「そんなことどうでもええの!行くで!」 と見向きもしないお母さん。その女の子は何度も子ネコをふり返りながら,お母さんに手を引かれて行ってしまいました。 用事があって,急いでおられたのかも知れません。あるいは,お母さんはネコが好きではなかったのかも知れません。私も,そのときはあまり気に止めませんでした。でも,今回出会った親子を見て,改めて思いました。 アリの行列のことや子ネコのことなんて,大人にはどうでもいいことかも知れません。そんなひまはないと言えばそれまでです。しかし,子どもの成長には,その時期にこそ必要なことがあるはずです。育つべきときに,育つべきものを,時期を失せず育んでいくことの大切さを考えると。一見どうでもいいように見えることについて,親子でたわいもない会話を弾ませたり,目を輝かせて夢中になって親子でのひとときを過ごしたりすることも子育ての大切な部分ではないでしょうか。こうした何気ない親子のふれあいこそ,子どもの豊かな心を育むことに繋がるのではないかと改めて思いました。』 |
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