最新更新日:2024/05/29 | |
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日文研の出前授業(6)
1月21日(金)今日は5年1組に講義をしていただきました。「万国博覧会と日本人」というテーマでした。
昨年開催された「上海万博」は189カ国が参加し,入場者数も最高を記録した事は記憶に新しいです。S准教授も上海を訪れ,その時の写真も見せていただきました。各国の個性的な建物そのものが,その国の文化を表しているといいます。人気のあったイタリア館は,「おしゃれの国」をアピールすべくスーツを作る職人やまたオーケストラをイメージする楽器が壁いっぱいに展示されていたそうです。 日本館では,お正月や七夕などの行事の模型が展示されたり,ヴァイオリンを弾くロボットが待ち受けていたり,長い時には5時間待ちの列ができるほどの人気ぶりだったといいます。 ところで,この万博はいつごろ,どこで開催されたのでしょうか。 1851年 イギリス ロンドン万国博覧会 1853年 アメリカ ニューヨーク万国博覧会 1855年 フランス パリ万国博覧会 1862年 イギリス ロンドン第2回万国博覧会 1851年頃のイギリスは,当時「大英帝国」と名乗り,世界で最も技術や文明が発達していた国でした。インドやアフリカやオーストラリア等を植民地支配していたのです。その頃の日本は,江戸時代。鎖国をしていた頃です。もちろん世界の国々との行き来はありません。(一部の国を除いて)その2年後,1853年に開国をせまった黒船が来航します。国内で大論争が起こります。日本はまだ世界の外にいたのです。もちろん,人々は万国博覧会なんて知るよしもありません。 日本が初めて万博に参加したのが,2回目のロンドン博1862年でした。この様子が絵に描かれています。当時は写真という技術はありませんでしたが,画家が詳細に描写してるものが残されています。着物の侍の姿(写真 中)が見えます。30名が1ヶ月もの航海を経てロンドンに渡ったのです。その中に福澤諭吉もいました。日本の展示物は小物でした。「JAPAN」の文字が見えます。(写真 右) そのロンドン万博を見聞きした人が後に日記を綴っています。その多くが,「日本のコーナーは他の国と比べると,みすぼらしかった」と。しかし,市川 渡氏(若い侍)だけは,このように綴りました。 「只 漆器ノ精巧ナルノミハ 万国貨物中ニ於テモ 亦 類ヒナク見エタリ」と。 漢字とカタカナ混じりの文章に時代を想起させます。「漆器の器の美しさ, すばらしさは,万国の出品の中でも,それに匹敵するものはない」と自国の文化に自信を持った文章が綴られていました。その自信が後世,世界から褒め称えられる作品となっていくのです。 万国博覧会と聞けば,日本で開催された大阪万博や淡路博や愛知博を思い出します。今までお祭りのムードでパビリオンを廻っていましたが,ただの品評会だけでなくそれぞれの国のよさを見つけ,よりよい国際関係を築くものでなくてはならないのおもいを強く持ちました。 専門的に研究されている日文研の先生のお話を伺うことはとても興味深いです。楽しみながら参加させていただいた講義も,後1回を残すのみとなりました。次回は来週26日(水)です。またみなさんに紹介したいと思います。 備えありば憂いなし 地震避難訓練!!
忘れもしない平成7年(1995年)1月17日午前5時46分。在籍の児童はまだ生まれていません。6300人以上の犠牲者を出した「阪神淡路大震災」マグニチュード7.3とういう大地震から16年。直下型ということばをその時知りました。
「災害は忘れた頃にやってくる」と言います。いつ・どこで・どんな時に起こっても,パニックにならずに落ち着いて行動できるように,日頃の訓練が必要です。訓練はいつも真剣にするように指導しています。今日の訓練も,ほとんどの児童が真剣にできましたが,一部話し声が聞こえていたのが残念でした。 「お・は・し・も・てや」を常に頭に入れて,行動したいです。ご家庭でもこの機会に万一の災害に備えて約束事や確認をしておいてください。 写真左:集いの広場にいる児童 座って揺れがおさまるのを待っています。 写真中:避難場所に急ぐ子どもたち 写真左:全校児童が体育館に避難 先生の話を聞く児童 *運動場がぬかるみの為,体育館が避難場所となりました。 桂坂の冬景色雪の白さと青空とのコントラスト。寒さも忘れてしばらく眺めていました。 ♪雪やこんこ♪
雪は年末からよく降っているものの,これだけの積雪はこの冬一番。雪合戦に興じる学年や,雪だるまづくりに汗を流す子ども達。冷たさも何のその。大きな雪だるまを友達と協力しあって作る1年生。よく見ると,耳があるよ。「うさぎの雪だるま」だそうです。楽しい雪の造形遊び。この季節ならではの学習です。
日文研の出前授業(5)
1月13日(木)6回目の出前授業です。今日は,5年2組の教室で,「かるたで学ぶ日本の歴史」と題した講義が開かれました。
平安時代の遣唐使が大陸のものを学んできました。大阪〜(瀬戸内海)〜九州を通って朝鮮半島沿いに渡りました。航海術が発達してくると,東シナ海を横切って中国へ渡りました。その頃の中国は「寧波(ニンポー)」が港でした。上海の南にあります。その当時のハブ港として栄えました。 中国から日本に渡ってきた僧もいます。6度めの航海でようやく日本にたどりついた「鑑真」がそうです。何度も遭難して,ベトナムの方まで行ったといいます。その為,目が見えなくなったとされています。その頃の日本はすでに仏教は伝わっていましたが,さらに広めた僧です。中国の寺(鑑真が住んでいた寺)を真似て造ったのが,「唐招提寺」です。鑑真の等身大の像も造られました。昔のお坊さんは,医者であったり学者であったりしたのです。 そういう大陸文化をI教授のグループの先生達は,親しみやすく「かるた」に示しました。写真中が「絵札」写真右が「読み札」絵札は画家の方が,カエルを主人公に描いています。読み札を少し紹介しましょう。 「にんぷろかるた」 「あ」・・・あさきゆめみし 留学生 「い」・・・伊賀忍者 使った火薬は 中国製 「う」・・・海の道 ジャンク船で かけめぐる ・ ・ 「ん」・・・禅にまなぶ 和の心 5セットほどいただいたので,これから大切に使わせていただきます。 桂坂消防分団出初め式
1月10日(月)朝から雪が散らつく日になりました。場所を体育館に決め,11時から始まりました。消防分団のきりっとした態度に,思わず見ている者の背筋も伸びました。
日常点検や表彰式,あいさつと進行していきました。 昨年は桂学区において,2件の火災が発生したこと,2年間連続の無火災がとぎれたこと。非常に残念なことです。無火災をめざして,消防分団の方がリーダーとなって働いてくださっていることに感謝しながら,私たちも日々の生活に注意して火事のない街を築いていきたいです。 西京消防署,西京消防分団,桂坂分団のみなさまご苦労さまでした。 冬将軍がやってきた!!体育館は冷凍庫?
休み明けの朝会で,体育館に全校が集いました。屋内といえど,凍り付くほどの寒さでしたが,子どもたちは真剣に話を聴くことができました。
〈校長先生の話より〉 今日は「七草」の日。「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ これぞ七草」 7日に七草粥を食べる習慣は,お正月にもちなどを食べ過ぎた胃を,青いものを食べて休める意味があったのです。ごぎょう=ははこぐさ すずな=かぶ すずしろ=大根の事です。一度,みなさんも調べてみてください。 12月のある日,トイレに入った時です。先に入った子どもたちが出てきた後,はきものを脱ぎ散らしていきました。その後の子どもが,きれいにそろえていきました。はきものをそろえるということは,行儀がよいという事だけではありません。次の人が使いやすいようにという「思いやりの心」です。 「却下照顧(きゃっかしょうこ)」という仏教のことばがあります。足元を見て自分自身を顧みるという意味です。このことばを是非覚えておいてほしいです。 初登校は 雪景色
大きな荷物を抱えて子どもたちが登校してきました。楽しい冬休みを過ごした様子が子どもたちの表情からうかがえます。今日は冷え込み,道路もてかてかに凍っています。子どもたちのはく息も白く,冬本番を迎えました。
来週の金曜日まで,PTA主催の「朝の声かけ運動」が行われます。「おはようございます。」の声に,「新年おめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。」と丁寧に応えてくれた子どももいました。 朝早くから,「山の手倶楽部」「女性会」「PTAの委員」のみなさん,ありがとうございました。 FOUNTAIN(校長室だより)No.10
京都市立桂坂小学校 山本 泉
明けましておめでとうございます。 今年も,桂坂小学校の子ども達のために,教職員が一丸となって取り組んでいく所存です。 保護者の皆様,地域の皆様には温かいご支援を賜りますようお願いいたします。 さて前回の[FOUNTAIN]で描き始めました「子育てと体育」についての続きです。子どもの運動能力の向上について話を進めましょう。 昔から「努力に勝る天才なし。」などとよく言われます。一生懸命努力すれば,やがて天賦の才能を持った人をも凌駕するという意味ですが,これが口で言うほど容易ではありません。前回の「校長室だより」で,努力を積み重ねて,できなかったことができるようになることも「学習」の一つであり,このことは運動能力についても同じであると述べました。 ところが,この「努力」という言葉は「苦しい・辛い・しんどい」というイメージがあり,そのことが私たちの敬遠する最も大きな理由になります。しかし,本来「体育」というものはむしろ「苦しい」ではなく「楽しい」イメージのものでなくてはなりません。言い換えれば,この「楽しい」営みを通じてこそ子どもの身体能力を高めることができるということです。 それでは,具体的に何をすればよいのでしょうか?答えは簡単です。まずは遊ぶことです。子どもにとって勉強より何より,体を動かして遊ぶことが大切なのです。私たちが子どもの頃を思い出してみてください。毎日,学校から帰ったら,カバンを放ったらかして遊びに行きませんでしたか? 遊びを通して思いっきり体を動かし,頭を使って遊びが楽しくなる工夫をする。この繰り返しで,子どもは頭も体も成長していくものです。え!あなたは子どもの頃から,家に帰ってもずっと勉強ばかりしていたんですか?… だから,そんなふうになってしまったんです。(失礼) 冗談はさておき,発達年齢に応じた遊びこそ,運動能力の向上につながるものです。また,遊びもスポーツもすべて競争が基本です。この競争を直視することは,子どもの時代にも必要なものです。何故なら,競争に勝つことが「努力する」ためのモチベーションを高めることのひとつには違いないからです。 ただし,教科としての「体育」では,「他の子より足が遅い」とか「友達は泳げるのにウチの子は」などと,他人と比較するような競争は基本的にはしません。1ヶ月前,半年前,1年前と比較して,つまり「自分と競争」して「速くなった」「泳げるようになった」「できるようになった」というように,子ども自身の運動能力の改善を自覚すること,そしてそのことを周りの人間が高く評価することこそが大切なこととされています。 さて,遊びも,昔と今とでは随分変わってきました。コンピューターゲームなどに興じ,外へ出て体を動かす遊びをすることが少なくなってきています。(コンピューターゲームも頭を使うものですから,全面的に否定するものではありませんが…。)環境の変化により,子ども達の遊ぶ場所がなくなってきているのも事実でしょう。 従って,子どもの運動能力を高めるために,月謝を払っても体育の家庭教師を付けるということも,決して間違ったことではないと思います。しかし,できることなら,まずは親が子どもと一緒に遊ぶことを通して,子どもの運動能力を引き出してやることが望ましいと思います。(自分はできていなかったと反省していますが…。) 当然,子ども同士がやるような遊びを,親子でやろうということではありません。目的は,子どもの運動能力を高めることですから,遊びの内容も自ずとスポーツに関連したことになります。○○歳の子だとどんなスポーツ関連の遊びがいいのか?などと難しく考える必要はありません。遊びの感覚でスポーツを楽しむこと,スポーツ感覚で遊びを楽しむことが,運動能力を高めることになるのですから…。 何よりも,親子でやってみて一緒に楽しめることが大事です。そんな遊びを,そんなスポーツを探してみてはいかがでしょうか。楽しいから続けられるし,続けていれば上手くなる,上手くなってうれしければ苦しい練習すら苦にならない。遊びで始めたことがいつのまにかスポーツにつながっていた…。こうした好循環をつくることです。親が子どもと一緒に遊ぶ感覚で体を動かし,運動として,スポーツとして自分自身が楽しむ。その姿を「言葉ではなく自らの姿勢で子どもに伝える」ことが子どもの運動能力の向上につながっていくと思います。 |
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