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最新更新日:2025/06/24 |
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FOUNTAIN(校長室だより)No.3
京都市立桂坂小学校 山本 泉
この校長室だよりは,教育に携わってきたものとしてだけではなく,自分も3人の子を持つ親であるという両方の立場で勝手なことを書かせていただいています。人にはそれぞれ個性があるように,考え方も十人十色ですので「私の子育てについての考え」が必ずしも正しいわけではないと思っています。ただ,少しでも共感していただける方があればうれしいと思います。今回は,(少し大胆ですが)昔から私を悩ませている教育面に関する親と教員の意識(?)の違いについて書いてみたいと思います。 学校の教員は言うまでもなく教育のプロフェッショナルですが,自分の子どもに対しても教育者としての目で見られるかというと,必ずしもそうではないと思っています。なぜならば,我が子に関しては親としていろいろな意味で特別感情が入ってしまうからです。 しかし,学校では教育者として子ども達に対して平等に目が届くよう心がけます。もちろん,子どもの一人ひとりの個性に違いがありますから,子どもによって支援を必要とする分野や内容が違います。ですから,それをしっかり把握して,適切な指導を行おうとしています。それがプロとしての教員の仕事です。 ところが,親の我が子に対する思いは決して他の子どもと平等ではありません。我が子が不利益を被らないところでは,他の子どもの事でも親身になれる方はたくさんいらっしゃいます。しかし,我が子をそっちのけで他の子どものために尽くすということは,まずありません。 けれども,それは当り前のことで,それが親の愛情であり,だからこそわが身に替えてでも我が子を守ろうとし,子どももそれを感じて愛情につつまれて健全に成長するのだと思います。しかし,時にはその我が子に対する愛情が,教育の目を曇らせてしまうことがあります。(ここからは私自身の経験ですが…) 子どもに対する期待感から,必要以上に我が子に高レベルの課題を与えてしまったり,それが達成できないことを強く非難したりすることがあります。 また,単なる個人差にすぎないのに,他の子どもと比べてできないことがあれば落胆したりすることもあります。つまり,冷静に「教育」ができないことがあるということです。教員という仕事をしていても,こと我が子に関しては同じだと思うのは私だけではないと思います。 それなら,他人の子どもを受け持つ教員の方が,親よりしっかり子どもを見られるのかというと,残念ながら決してそうともいえません。教員は,集団の中で子どもを育てていこうとしています。ですから子ども一人ひとりに関しては,必ずしも十分に見ることができているとはいえない場合があります。また,子どもとの付き合いもそれほど長いわけではありません。(もとろん,できるだけ子ども一人ひとりをよく知ろうと努力しますが…)やはり,間違いなく親の方が我が子のことをよく知っています。ただ,我が子といえども,家で見ている姿が全てではなく,友達や教職員の前では親の知らない面も見せているだろうということを,頭の中に置いておくことも大事なことだと思います。 つまり,子育てにとって大切なことは,子どもを挟んで親と教員ができるだけ情報交換をおこない,子どもについての情報を共有すること,そして,何よりも子育てについて同じ方向を向いているということだというのが今の私の結論です。 |
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