京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/06/14
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学校教育目標 すすんでかかわり その手で未来を創りあげる 桂坂の子〜あらゆる“であい”を自分ごとに〜

FOUNTAIN(校長室だより)No.3

                        京都市立桂坂小学校 山本 泉
 
 この校長室だよりは,教育に携わってきたものとしてだけではなく,自分も3人の子を持つ親であるという両方の立場で勝手なことを書かせていただいています。人にはそれぞれ個性があるように,考え方も十人十色ですので「私の子育てについての考え」が必ずしも正しいわけではないと思っています。ただ,少しでも共感していただける方があればうれしいと思います。今回は,(少し大胆ですが)昔から私を悩ませている教育面に関する親と教員の意識(?)の違いについて書いてみたいと思います。
 学校の教員は言うまでもなく教育のプロフェッショナルですが,自分の子どもに対しても教育者としての目で見られるかというと,必ずしもそうではないと思っています。なぜならば,我が子に関しては親としていろいろな意味で特別感情が入ってしまうからです。
 しかし,学校では教育者として子ども達に対して平等に目が届くよう心がけます。もちろん,子どもの一人ひとりの個性に違いがありますから,子どもによって支援を必要とする分野や内容が違います。ですから,それをしっかり把握して,適切な指導を行おうとしています。それがプロとしての教員の仕事です。
ところが,親の我が子に対する思いは決して他の子どもと平等ではありません。我が子が不利益を被らないところでは,他の子どもの事でも親身になれる方はたくさんいらっしゃいます。しかし,我が子をそっちのけで他の子どものために尽くすということは,まずありません。
 けれども,それは当り前のことで,それが親の愛情であり,だからこそわが身に替えてでも我が子を守ろうとし,子どももそれを感じて愛情につつまれて健全に成長するのだと思います。しかし,時にはその我が子に対する愛情が,教育の目を曇らせてしまうことがあります。(ここからは私自身の経験ですが…)
 子どもに対する期待感から,必要以上に我が子に高レベルの課題を与えてしまったり,それが達成できないことを強く非難したりすることがあります。
 また,単なる個人差にすぎないのに,他の子どもと比べてできないことがあれば落胆したりすることもあります。つまり,冷静に「教育」ができないことがあるということです。教員という仕事をしていても,こと我が子に関しては同じだと思うのは私だけではないと思います。
 それなら,他人の子どもを受け持つ教員の方が,親よりしっかり子どもを見られるのかというと,残念ながら決してそうともいえません。教員は,集団の中で子どもを育てていこうとしています。ですから子ども一人ひとりに関しては,必ずしも十分に見ることができているとはいえない場合があります。また,子どもとの付き合いもそれほど長いわけではありません。(もとろん,できるだけ子ども一人ひとりをよく知ろうと努力しますが…)やはり,間違いなく親の方が我が子のことをよく知っています。ただ,我が子といえども,家で見ている姿が全てではなく,友達や教職員の前では親の知らない面も見せているだろうということを,頭の中に置いておくことも大事なことだと思います。
 つまり,子育てにとって大切なことは,子どもを挟んで親と教員ができるだけ情報交換をおこない,子どもについての情報を共有すること,そして,何よりも子育てについて同じ方向を向いているということだというのが今の私の結論です。

FOUNTAIN(校長室だより)No.2

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                       京都市立桂坂小学校  山本 泉
「頭のいい子に育ってほしい。」
 わが子に対して多くの親が持つ願いではないかと思います。もちろん,他にも「優しい子に育ってほしい。」とか「健康な子であってほしい。」など,いろいろな願いがあるでしょう。そしてそのために「良い子育て」をしようと思うのが親心だと思います。それらの願いの中で,「頭のいい子に育ってほしい」という願いの奥底には,これから先わが子が不利益を被ることなく生きていくために必要な知恵を身につけてほしい,そして将来幸せな生活を送ってほしいという,親としての大きな願いがあるのではないでしょうか。
 そしておそらくその願いは,「良い子育て」をしようという漠然とした目標から,勉強がよくできて,いい学校(社会的に評価の高い学校)へ進学して,安定した仕事について,などといった現実的で具体的な目標に置き変わっていきます。
 けれども実際には,初めは高かった目標が現実と直面して徐々に修正され,「妥協」できるところに落ち着いて「やはりカエルの子はカエルだ。」と,親自身が自分を納得させながら進んでいくというのが一般的な子育ての慣わしです。(決めつけてはいけませんが,私自身の子育てもそうでしたので…)
 しかし,だからといって「良い子育て」が無意味なことだと言っているわけではもちろんありません。例えば,世の中に役立つすばらしい人間に育つためには,間違いなく良い子育て(≒良い教育)が必要だと思います。
申し上げたかったことは,例えば競争社会の中にあって人の上に立とうとしても,そうそう上手く思い通りにはいくものではないということと,にもかかわらず多くの親はわが子に人の上に立てるようになることを望むものであるということです。(人の上に立つことを望むというのではなく,立てる人間になることを望むという意味ですが…)
 子育てにとって大事なことは,私は子ども自身に自分の将来を見つけさせることではないかと思います。そのためには過干渉であってもならないし,かといっても放任でもいけないということです。子どもが選択に迷ったら,間違った方へ進まないよう親が正しいと思うことを教えるというのも大事ですが,たとえ間違っているかもしれないと思っても,子どもが選択したならできる限り思い通りやらせてみて,うまくいくよう支援してやるというのも一つのやり方ではないでしょうか。
 優れた組織のリーダーが部下を育てるときのセオリーがあります。それは,「今までどおりの無難な道を選んで失敗したら徹底的に叱れ,新しいことを実践しようとして失敗したらむしろ褒めよ。」というものです。わが子がつまずかないように願うのも親として当然のことですが,私はたとえつまずいても,そこから何度でも立ち上がる力をつけてやるのがより良い子育てではないかと思っています。

FOUNTAIN(校長室だより)No.1


                                            
京都市立桂坂小学校  山本 泉

真新しいランドセルの1年生がまぶしく見える今日この頃,保護者の皆様には益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。平素は,本校教育推進に深いご理解とご協力を賜り,厚くお礼申し上げます。
 さて,私が桂坂小学校へ赴任して1年が経過しました。この1年を振り返って改めて,いかに保護者の皆様・地域の皆様に学校教育を支えていただいているかということを実感しています。校長として,より一層桂坂教育を高めていかなければならないと思っていますが,学校教育を進める中で,子ども達の様子や教職員の様子を見ながら私自身も自分を振り返り,いろいろなことを考える機会をいただいていると思っています。今年度は,「子育てや教育に関わること」について思うところを「校長室だより」として書かせていただきたいと思います。どれだけ書けるかわかりませんが,「校長の独り言」と思ってお付き合いいただければ幸いです。

 『校長先生,人にものを教えるということは,難しいことですねえ…。』
 たまに,教員からこのような言葉を聞くことがあります。理由はいろいろあるでしょうが,きっとまた「教える」ということの新たな壁にぶつかって悩んでいるに違いありません。どうすればよいかという答えはなかなか見つからないでしょうが,「難しい」と感じること自体が大切なことだと思っています。なぜなら,そのことにより悩み,考え,そして多分,自分が学んだところから新たに,教えるための工夫を取り入れてくれるに違いないからです。
 教えるということは,自分の持っているものを相手に移植することだという言い方をする人があります。しかし,これが容易なことではなく,『どうして理解してもらえないのだろう。』『なぜ,分からないのだろう。』と感じた経験は,教育に携わる者ならずとも大なり小なりあるのではないでしょうか。
 例えば子育てを通して,同じようなことを感じることがあると思います。「親の心,子知らず」ではありませんが,子どもはなかなか親の思い通りに育ってはくれません。つまり,自分の子どもにでさえ「教える」ということは容易ではないということです。
 しかも,教えたいことが自分自身も苦労してやっと理解したり,時間をかけて身につけたものであったりする場合は,なおさら容易には学んでくれません。ところが,人間というものは,自分が身につけたときの苦労を忘れ,相手が即座に理解したり,できるようになったりすることを期待してしまうことが多いようです。確かに人間には(特に子どもには)すばらしい学習能力がありますから,教える側が上手く教えられなくてもそれなりに学んではいきます。しかし,それでは,正しい教育,良い学習が行われたとはいえません。
 私は職業柄,人に『どうすれば,うまく教えることができるでしょうか?』と尋ねられることがあります。難しい質問だとは思いますが,その問いに対して「教えながら自分も学ぶことだと思います。」と答えるようにしています。教えることと学ぶことは表裏一体だと思います。ただそれは,教える側がいれば学ぶ側がいて当たり前,という意味とは異なります。「教うるは学ぶの半ば」ということわざがありますが,教える側の人が,同時に学んでいなければ本当の意味で「教える」とは言えないということです。
 それでは,「教える人が学ぶ」とは,何を学ぶことなのでしょうか。
 一つは言うまでもなく,人に教える内容が正しいものであることを確かめるために,もう一度自分自身が勉強するということです。間違ったこと,いい加減なことを人に教えるべきではないので,これは当然のことです。
 二つ目に,どう教えれば相手に上手く伝わるか,教える方法・手段(例えば話し方)などを学ぶということです。
 三つ目に(これが一番大切だと思うのですが)相手に教えている最中に,自分も新たなことに気づいたり,或いは相手の反応や動き・言葉などから,自分が今まで気づかなかったことを発見したりすることです。
 教えるということの中に,これらのことが同時にできていなければ,本当の教育とはいえないといわれます。
 子育ての大部分を占める「教育」ですから,私たちは大人としても親としても,自分自身も学ばなければならないと思っています。 そして,子どもが今,何を学んでいるかを知り,共感しながら子どもと対話できることが,正しい教育・よい子育てにつながるのではないでしょうか。 

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学校行事
3/8 小中連絡会(大枝中学校と)フッ化物洗口(低・や)
3/9 学校保健委員会15:00 フッ化物洗口(高)
3/10 なかよしの日 やまゆりお別れ会
3/11 町別集会(6校時)集団下校
3/14 ALT5年 6年生を送る会3,4校時

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