最新更新日:2024/06/03 | |
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ちょっといいはなし
ちょっといいはなし
あるテーマパークのお話です 〜父が残したかったもの〜 父は私が中2のときに亡くなりました。 昔、手術を受けたときに行った輸血によってC型肝炎に感染し、そのまま肝硬変になったのです。 父が危篤になったとき、母は泣きながら言っていました。 「あなたのお父さんは、他のお父さんより早くいなくなってしまうかもしれない。けれどそれは、ただ一緒にいる時間が短いだけなの。あなたのことが大好きだから、あなたといろんな思い出を残そうとしているのよ」 うちの家族がなぜ旅行ばかりするのか、そのとき初めて知ったような気がしました。 旅行先の中で父が特に気に入っていたのがDでした。 あるとき「なんでうちはいつもいつも旅行っていうとDになるの?」とたずねたことがあります。 すると父は笑いながら言いました。 「嫌なことを全部忘れられるからだ」 私には当時、その言葉の意味がわかりませんでした。それよりも父と久々に一日中過ごせることがうれしくて、ただはしゃぎ回っていました。 でも帰る頃になると、私の心は真っ暗になりました。嫌なことがあったわけではありません。むしろ楽しすぎて、急に不安になったのです。父とこれから一体、どれくらい旅行にこれるのだろう。同じ時間を過ごせるのだろう。 「どうしたの?」 急に泣き出した私に、母が聞いてきました。 お父さんが死ぬのが怖い、という言葉は引っ込めました。言えばすぐに現実になりそうだったからです。 「おとうさんがまた病院に帰ってしまうのがさびしい」とだけ答えました。 あるときから、父は体力を失いはじめました。 病状が悪化したときのことを考え、旅行も病院から2時間以内のところに限られました。残念ながらもうDには行けません。 母は病院に泊まり込むようになり、私は親戚の家に預けられました。 そんな中、父は3度も危篤状態になり、3度とも奇跡的に回復しました。 しかし、4度目の奇跡はありませんでした。 1年間の喪が明けたとき、私は母とDへ行きました。 父が一緒にいないDは初めてです。父がいないのに、楽しい気持ちになれるかな・・・・・。そんな不安はゲートをくぐったとたんすぐになくなりました。 Dは父がいた頃となんにも変わらなかった。いつものように私たちを温かく迎え入れてくれました。 景色に匂い、音楽や流れる空気、いたるところに父との思い出が染みついていました。これおとうさんと一緒に乗ったかな。お父さん、これ好きだったな。おとうさんここであんな話をしてくれたな。ふだんは思い出せなかった、父の笑顔や声が鮮やかによみがえりました。 Dの中では、まだ父のぬくもりがしっかり存在しているのです。 私はそのことに感謝をしながら、「またここに来ようね」と母と約束をしました。 |
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