学校日記

11月2日朝会「古典の日」

公開日
2015/11/02
更新日
2015/11/02

道徳の窓

11月1日は,「古典の日」でした。それにちなんで,11月2日(月)の朝会では,学校長より,「古典の日」というテーマの話がありました。朝会の学校長の話では,道徳的価値に触れたり,子どもたちが,将来役に立ててほしいと願ったり,子どもたちの興味関心を広げたりしてほしいと願ったりしたことを話しています。今回は,以下のような意図で,子どもたち向けに,わかりやすくかみ砕いて,話をしました。

学校長は昔,この(後に載せています)「塞翁が馬」に感動しました。
最初,高校生の時,居眠りしながら,授業でこの話を聞いた時,
「ケガをされたり,なくなった方には,同情する。
でも,古典としては,何とつまらない話。
誰がケガしようと,馬を得しようと,損しようと,
そんな大昔の話は,自分に関係がない。この受験勉強の忙しい時に,
こんな退屈な話を読ませられることが,不幸だ。」
と思いました。

ところが,十数年後のある時,親しい先生と話していた時に,
「不幸があるから,幸せがある。幸せがあるから,不幸がある。」
一歩進めて,「不幸の原因が幸せで,幸せの原因が不幸だ。」
「塞翁が馬」はこれが言いたかったんだ。
と気づいたのです。

だから,不幸に思えることが身に降りかかった時,
「次どんな幸福につながるんだろう。」
「どんな幸福の糧となるように,我が身に降りかからせてもらったのだろう。」
と考えると不幸が軽くなりました。

また,幸せが訪れた時に,
「これは,どんな不幸の原因となるだろう。」
「気をつけなくてはいけないのは,どんなことだろう。」
と考えることで,浮かれた気分にならないように気をつけるようになりました。

この「塞翁が馬」は,不幸な気分を和らげ,幸福で浮かれる気分を沈め,
不幸を未然に防ぐための知恵の詰まった寓話なのだと気づきました。

それ以来,学校長の大切な話となりました。

『塞翁馬(塞翁が馬)』

砦の近くに住んでいる人で、占いに精通している人がいました。飼っていた馬が、理由もなく(となりの国の)胡に入っていってしまいました。人々はこれをなぐさめてくれたのですが、その老人は

これがどうして幸福にならないと言えようか。

と言っていました。数ヶ月たったあとに、その馬が胡から駿馬を連れて帰ってきました。周りの人はお祝いをしてくれたのですが、その老人は

これがどうして不幸とならないだろうか。

と言っています。老人の家は、多くの良馬に恵まれました。その老人の息子は乗馬をたしなむようになったのですが、(乗馬の練習中に)落馬して太ももの骨を折ってしまいました。人々はこれを見舞ったのですが、その老人は

これがどうして幸福にならないと言えようか。

と言っています。
それから1年が経ち、胡が砦に攻めてきました。体の丈夫な若者は弓矢をもって戦いましたが、砦の近くの者は10人中9人が亡くなってしまいました。この老人の息子だけは、足が不自由だったので親子ともに無事でした。

こうしたことから福は不幸となり、不幸が福となることの変化や、その奥深さを見極めることはできないものです。