学校日記

本年もどうぞよろしくお願いいたします

公開日
2017/01/08
更新日
2017/01/08

小中一貫教育

「啐啄同時(そったくどうじ)」

 明けましておめでとうございます。今年は酉年(とり)ですね。酉年というと,私が師として仰ぎ尊敬してきた先輩の先生から教えていただいた「啐啄同時」という言葉が浮かんできます。
 啐啄同時とは「禅」の言葉です。
「啐(そつ)」は鶏のひなが生まれ出ようとするとき殻の内側から卵の殻をつつくこと,「啄(たく)」は親鳥が卵の外側から殻をつつくことを言います。
 ひなは自分のくちばしでたまごの殻をコツコツとつつき,自分で自分の殻を割ろうとする。親鳥はその音に合わせて,それを応援する意味で,外からコツコツと殻をつつく。この「啐」と「啄」が同時であってはじめて,殻が破れてひなが生まれるわけです。これを「啐啄同時」と言います。
 親鳥の「啄」が一瞬でもそのタイミングをあやまると,中のひな鳥の命があぶない,早くてもいけない,遅くてもいけない,親鳥とひなのタイミングが合ってはじめて,スムーズに生まれる(たまごから出てこられる)という意味なのです。
 その先生からは,これは鶏に限らず,親と子や師匠と弟子などの関係にとっても学ぶべき大切な言葉であると教えていただきました。例えば,迷っている人が答えを出すときに,機を見計らって,賢者がヒントを与えるというようなことにも通じるということです。
 心の準備が整っていない子どもたちに学びや成長のためのヒントを教えてもなかなかスンナリとは心に入っていきません。また逆に機が熟していると教えたことやその後ろにある考え方や生き方が砂に吸い込まれる水の如く吸収されるのがわかります。
 一例を紹介いたします。これは,友達に暴力を振るうことで,自分の思いを伝えようとしてしまった子どもに指導されていた本校の松本教頭先生の言葉です。なぜ暴力を振るってはいけないのか,まだ,納得のいっていない表情の子どもに,教頭先生は静かに語りかけられました。「君のこの手は,人をたたくための手か?・・・そうではないな。君が一生懸命に頑張っている野球で活躍するための手ではないのか。先生は君がいつも一生懸命に練習していることを知っている。この手を,人を傷つけるために使ってはいけない。君の価値を下げてしまうことになる。」
 この言葉は,うまく言葉で伝えられずに思わず暴力を振るってしまった子どもの心にスッと浸み込みストンと落ちました。本当に相手や自分のことを大切にするとはどういうことかが,この子どもに通じた瞬間・・・すなわち卵が割れた瞬間だと私は思いました。その後の晴れ晴れとした素直な表情や,次の日からの行動がこのことを物語っています。
 子どもたちの日常のトラブルも一つの「啐」だととらえることができます。大切なサインであり機会です。どのような「啄」を行うことができるのか,そのこともとても大切だと思います。そして,学びというのは教える側がただ単に知識を流せばよいというものではなく,学ぶものの状況,心の段階に合わせた内容の提供と時期(機)が大切です。
 先日,出かけた公園にガラスの茶室があり,ちょうど出てきた太陽の光に照らされて美しく輝きました。それに気づいた男の子が大きな声で,「お母さん,見て見て,すごいね。とってもきれいだよ」と指さして言いましたが,母親はメールをしていてずっと画面を見ています。そして,メールが終わるとさっと子どもの手を引っ張って帰って行かれました。私は,子どもと共に感動するせっかくのチャンスを失ってしまわれたように感じ,残念に思いました。こう考えると,身近にもたくさんの「啐啄同時」がありそうです。
 学校では,一人一人の個性や成長をしっかりと見つめ,「啐啄同時」を心がけながら教育活動に取り組んでいきたいと思います。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
                        校長 山崎 弥生