家庭教育学級 今井さんの講演会「唐橋の歴史について」 h25/6/11
- 公開日
- 2013/06/11
- 更新日
- 2013/06/11
校長室から
唐橋の歴史について,もっともよく研究しておられる方が今井さんです。
今井さんは唐橋小創立30周年のときのPTA会長でもありました。
今回の講演会にあたって,以下のようなことを今井さんにお尋ねしました。
(1)唐橋校区には川がありません。しかし,地名は唐橋とついています。なぜ,川がないのに,橋のつく地名になっているのでしょうか。
(2)なぜ,唐橋という地名になったのでしょうか。
(3)東寺と西寺はほぼ同じ時期に建てられたそうですが,東寺が今も残っているのに,西寺はなぜなくなってしまったのでしょうか。
(4)唐橋の校区と松尾大社はずいぶん離れていますが,どうして松尾大社の氏子なのでしょうか。
お尋ねした内容は,文献や資料が残っていないものがあり,回答には困ったとおっしゃられながらも,講演ではそれらの内容を含めてお話いただきました。
以下は今井さんの講演をもとに宮畑がまとめたものです。(講演そのものの要約ではありません)
(1)唐橋校区はもともと 湿地帯でした。したがっていくつも川があったのです。もちろん明治時代にもありました。地名に橋がついても不思議ではありません。
(2)平安京を作った時に,入り口にあたるところに羅城門ができました。その門の前に川が流れており,橋がありました。羅城門同様,赤い色の橋があったと思われます。それが中国風だったところから,唐橋という地名ができたのではないかと考えられます。
(3)東寺も西寺も平安時代の国家の衰えと共に危機に至ります。鎌倉時代,東寺は復興する出資者(源頼朝)があらわれたのに対して,西寺にはあらわれませんでした。それが二つのお寺の運命を変えたようです。
(4)松尾大社のお祭りは、平安時代から続けられています。還幸祭「おかえり」では、各御旅所(西七条/三宮社/衣手社)から、旭日の杜(西寺跡)/朱雀御旅所を経て、松尾大社に橋を渡って戻っていきます。松尾大社の氏子の範囲はとても広いものです。唐橋校区含む東側に加えて,松尾大社の南北にも大きく広がっています。西寺を失った唐橋一帯の地域には,松尾大社の神を受け入れる素地があったようです。その結果,西寺跡を旭の社とすることができたのではないかと思われます。
家庭教育学級にはおよそ70名の参加がありました。唐橋小学校区に住んでおられる保護者の皆さんがわが子と唐橋の地域についてお話いただく機会になれば,家庭教育学級をおこなったかいがあると思います。