京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/01
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洛陽工業高等学校は、平成29年度末をもって閉校し、 創立132年の歴史と伝統を京都工学院高等学校へ引き継ぎます。

洛陽メモリアル 図書館・コンピュータ室の新設

 昭和54年(1979年)は、図書館とコンピュータ実習室の建設が進められた年でした。コンピュータ実習室は図書館を新設して、その建物内部に設置されることになりました。建物は3階建てで1階が図書館、2・3階がコンピュータ実習室にあてられることになりました。
 図書館の移転は昭和53年1月から始まりましたが、それに伴い旧図書館の撤去は昭和54年1月から開始されたものの敷地から古代遺物が発見されました。京都市埋蔵文化財研究所の調査の結果、古墳時代中期の住居跡が確認され竪穴、かまど跡、甕(かめ)など多数の出土品が発見され、慎重な発掘作業が続けられる間、工事は中断されました。
(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル 新食堂の建設

 昭和50年(1975年)当時、洛陽工高の校内食堂は昭和30年(1955年)に建設されて20年が経ち、老朽化がはげしく下水・排水なども非衛生でした。学校では昭和49年(1974年)夏から全日制・定時制合同の建設委員会も組織され市教委とともに検討が始まりました。さまざまな議論の末、新食堂は総工費4,500万円で昭和52年(1977年)1月に着工、6月に竣工しました。
 建物は鉄筋1階建て、総面積は約350平方メートル、食堂ホールは約200平方メートル、売店25平方メートル、和室48平方メートルでした。設備器具も新しいものとなり、一人一脚の回転椅子を使用、食堂ホールも収容人員200人と従来よりも拡充されました。(洛陽工高百年史より引用)
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洛陽メモリアル 化学工業科の設置

 昭和40年代の技術革新のめまぐるしい変遷、産業構造の高度化および高学歴化の到来という社会風潮の中で職業教育のあり方が問われてきました。
 昭和50年9月、京都市教育委員会は高校教育研究協議会に「市立高校の職業教育の改善について」を諮問、同協議会は昭和52年2月に『京都市における高等学校の職業教育の改善について』の報告書をまとめました。
 報告書には、施設・設備の整備と拡充、学科の制度等の改善、教育課程の弾力化、学校規模と生徒定員の適正化、進路の確立など職業教育改善策が提言されていました。この中で洛陽工高は科の統廃合による1クラス減が具体的に要請されました。その結果、工業化学科と化学工学科を統合、新しく1学級定員40名の化学工業科の設置が行われました。
(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル 全クラの様子

 昭和48年(1973年)から実施された生徒全員がクラブ活動を必修科目として履修する「全クラ」ですが、週当たり1時間の時間割内クラブ活動は月曜の第6時限と決められました。文化部はともかく、運動部においてはグラウンドや体育館に多数のクラブが集結、講堂を使用しても満足な活動ができない状況でした。そこでクラブごとの情勢を見て他の曜日の時間帯のクラブ活動1時間分を時間内活動とみなすよう認めざるをえない状況となりました。従来のクラブ員との関係にも苦慮したようで、体育館などでは部員がそろって練習を始めても全クラで参加する生徒は1時間で帰ってしまい、チームプレーを身上とするスポーツでは違和感が残り、またその1時間のみ人数が多すぎて練習ができないという事態も発生しました。
 全クラはさまざまな問題をかかえながら手探りでスタートしましたが、2年目以降は運用面で創意工夫をこらして少しずつ定着化に向かいました。コンピュータクラブや図書同好会などその後に新設されたクラブもあります。(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル 全クラ始まる

 昭和48年(1973年)から実施される改訂学習指導要領では、高等学校の生徒全員がクラブ活動を必修科目として履修することが決められました。いわゆる「全クラ」です。全クラは週当たり1時間を時間割内クラブ活動にあてるというものです。
 洛陽工高では校務分掌に「クラブ委員会」を新設、クラブ活動に関する基本事項を決定する機関とし、日常的な実務は生徒部を中心に進められることになりました。始めるにあたって既存のクラブ、同好会のほかに生徒の希望や教職員の意見を加えて新しいクラブが設立され、このうちハンドボール、スケート、フォークソング、模型の4クラブが定着したと記録されています。
(洛陽工高100年史より引用)

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洛陽メモリアル 6時間授業へ改訂

 昭和48年(1973年)、学習指導要領の改訂によって教育課程が改訂されました。改訂の大きな特徴は6時間授業の実施と時間内クラブ活動が始まったことです。
 洛陽工高では、昭和38年(1963年)発足当時から7時間授業が問題になっていて昭和45年(1970年)4月から自主改訂して6単位減らして負担軽減を図りましたが、48年度改訂でさらに6単位を減らし完全に6時間授業(土曜日は4時間)となりました。
 新しい課程により卒業までの総履修単位は102単位となりました。
(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル 新プールの建設

 昭和45年(1970年)に新しいプールの建設が始まっています。当時、洛陽工高のプールは昭和15年(1940年)に建設されたものが戦後も使用されていました。竹筋コンクリートのプールで水漏れなど老朽化がはげしく昭和44年の夏に解体され昭和45年に新設されることになりました。設置場所は体育館南側の空地が充てられることになり、昭和45年10月に着工、翌46年(1971年)春に完成、竣工式は6月12日に行われています。
 当時の総工費で2,000万円を超えるプールは京都市全体を見渡してもあまり例はなく、市立高校の中でも最も大規模な施設でした。(洛陽工高百年史より引用)
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洛陽メモリアル コンピュータ教育の始まり

 昭和40年代から始まる情報化社会の進展によって各企業のコンピュータ導入が盛んになり、その結果工業・商業など学校教育でのコンピュータ教育が促進されました。京都市教育委員会は昭和46年(1971年)西京商業高校敷地に「京都市コンピュータ教育センター」を設置しました。同センターは、各学校がコンピュータ教育に利用できるよう開設された実習施設でした。
 洛陽工高では昭和47年(1972年)4月から各科とも同センターを利用して本格的にコンピュータ教育を展開、センターにはチャーターした送迎バスを利用していました。(洛陽工高百年史より引用)
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洛陽メモリアル 履修単位の削減

 昭和44年(1969年)当時、洛陽工高は昭和38年から卒業までの履修単位を各科とも114単位としており、各学年の1週間あたりの授業時間数は38時間で普通科高校よりも4時間多いという状況でした。
 昭和39年(1964年)の全国工業高校の平均が105単位でこの比較からも6単位多く、全国でもまれに見る最多授業時間数の学校でした。単位減の問題は昭和39年11月ごろから校内で議論されており、生徒の負担が大きすぎる、生徒、教員とも疲労度が高い、クラブ活動や自主活動ができないなどの問題が挙げられていました。とくに自主活動が停滞することにより、人間形成面が希薄になるという懸念があり議論の結果、見直しがなされました。
 この結果、全国の工業高校の実態を参考にしながら単位数削減がなされ6単位減となり、新教育課程は昭和45年の新入生から学年進行で実施されました。(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル 電子科の誕生

 昭和44年(1969年)度、それまでの電子工業科と電気通信科を合わせて新しく電子科が発足することになりました。背景にはエレクトロニクス時代を迎え、電子工学の生産技術への応用が急速に発展したことや文部省も昭和38年(1963年)から電子科学教育を重視するようになったことがあります。
 洛陽工高の両科も「電子科」に準ずる学科となり、教育課程・施設・設備の共用などにより科の運営面を通じて連携を密にしてきましたが、より一層の教育効果の向上を目指して両科を併合したものです。教育課程は学習指導要領によって作成され普通教科は電気通信・電子工業科と同じもの、電子科としての専門教科は最小限必要な基礎事項の習得に重点を置くように配慮されていました。(洛陽工高百年史より引用)

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行事予定
1/19 実用英語技能検定,情報技術検定(放課後)
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