京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/01
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洛陽工業高等学校は、平成29年度末をもって閉校し、 創立132年の歴史と伝統を京都工学院高等学校へ引き継ぎます。

洛陽高校 商業課程

 商業課程は、昭和27年ごろから設備の充実と共に年ごとに生徒数も増え、6クラス300名、教員5名となり、簿記教室も設置されて軌道に乗り始めました。志望者数は他校よりも多く、収容できない生徒は西京高校に振り分けた年もあったと記録されています。
 就職希望者のために、商業科と珠算部共催で珠算講習会も実施され、毎年夏休みを利用して10日間、日本商工会議所珠算検定1〜3級の合格を目標にして、初級から上級までの指導が行われ好評だったようです。さらに、就職に向けて校内珠算検定試験を実施、日商1級〜3級に準じた検定を行ったところ、受験者は250名を超えたと記録されています。
 この結果、洛陽高校商業課程は、各種専門科目の府下大会でも常に優位を占め、卒業生の就職状況も他校に比べ勝っていました。
(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽高校 商業課程

 洛陽高校の商業課程は昭和23年(1948年)10月、高校三原則により新設され、洛陽高校通学区域の商業科生徒が10月から洛陽高校に来るようになりました。定員は各学年1クラス40名で合計120名でしたが、発足当初は1年生36名、2年生20名、3年生30名の合計86名でした。
 元々工業学校だったため、商業教育の施設・設備はなく、再編成に伴い商業学校のタイプライターなどは、一旦西京高校に集約されたのち各校に分配されました。しかし、洛陽高校には5〜6台しか分配されず実習には不十分で、商業教育研究会を中心に施設・設備の充実のため陳情・請願が続けられました。
 この結果、昭和27年(1952年)ごろから備品も産業教育予算により少しずつ充実し始めたと記録されています。(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽高校 総合制高校カリキュラム

 洛陽高が普通科・商業科・工業課程(5科)を持つ総合制高校として発足した頃は、カリキュラムの構成がきわめて困難で、また総合制ゆえの一長一短がありました。
 良い面は工業コースがあるために普通・商業の両コースの生徒でも工業教科を自由に選択して、職業能力が習得できるという点でした。
 一方、悪い面は工業コースでは実習が重視され3〜4時間の連続授業が必要でしたが、総合制ゆえに設備が制限され、実習場の収容能力に対して生徒数がはるかにオーバーしていました。
 さまざまな制約の中で、生徒の選択教科の幅を広げ新時代の教育方針に沿ったカリキュラム編成が検討され、単位履修の形が定まったのが昭和25〜26年ごろで、新しい高校教育の基礎が明確になりました。
 (洛陽工高百年史より引用)

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洛陽高校 生徒集会

 生徒集会のために、生徒会には集会部が設置され、行事の企画と運営に当たっていました。しかし、このユニークな生徒集会の時間も年を追うごとに新しい企画が少なくなり、昭和26年には実施されなくなり、昭和30年にはカリキュラムからも姿を消しました。
 図書の時間は、図書館を利用しての読書の促進でしたが、図書館の設備の関係から各ホームルームの教室で家から持参した本を読むという自習というのが実態でした。
 クラブ活動については、第1類(土曜日4時限)と第2類(放課後)に分け、第1類はカリキュラムに組み入れ、全生徒がいずれかのクラブに入らなければならないこととしました。しかし、昭和26年以降、第1類は廃止されました。(洛陽高校百年史より引用)

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洛陽高校  コース・クラスとホーム・クラス

 洛陽高校が発足して翌年の昭和24年ごろ、科別のコース・クラスとホーム・クラスとに分かれていました。1年ではむしろホーム・クラスで過ごす時間のほうが長く、所属の科を離れて学ぶ機会が多かったようです。2年生でも国語や英語などの授業はホーム・クラスに入っていました。生徒集会の時間は、広く生徒の社会性や見識を高めることが目的で、週1回これに充てられ原則的に各学年単位で行事が実施されていました。
 講演会、文化映画鑑賞、クラブ発表会(能・仕舞・狂言・日本舞踊・演劇・軽音楽)などがあり、講演会には立命館大学総長の末川博氏やプロ野球選手の中谷信夫氏(昭和13年機械科卒で南海ホークス投手)なども招かれたと記録されています。(洛陽高校百年史より引用)
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洛陽高校 ホームルーム制の実施

 京都市立洛陽高校として発足2年目の昭和24年4月頃になると、学校の指導体制もようやく軌道に乗り、生徒部の立案で科をミックスしたホームルーム制の実施、生徒集会の時間・図書の時間の新設、クラブ活動のカリキュラム組入れなどが実施されました。
 ホームルーム制の実施は、普通科・商業科・工業5科(色染・紡織・工業化学・電気・機械)と細分化された生徒が科の枠を超え、交流する機会を設けようという趣旨でスタートしました。
 ホームルームには、ペアレンツの性格を持つホームルーム・ティチャ―がおかれ、各学年に応じた学習・進学・就職のアドバイスに当たっていたと記録されています。
(洛陽高校百年史より引用)

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洛陽高校 図書館の運営

 図書館の設置後、『利用しやすい図書館』、『能率的な図書館』、『特色ある図書館』づくりが進められ、昭和25年からは、全国学校図書館協議会に加入するなど運営の研究にも積極的でした。京都新聞社主催の第4回(昭和33年)優秀図書館表彰では、高校の部で府立桂高校、私立家政学園とともに表彰を受けています。図書館の校内行事の一つには毎年、読書週間に感想文コンクールが実施され、当選作は『洛陽新聞』に掲載されました。
(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽高校 図書館の設置

 洛陽高校では、昭和23年(1948年)から図書館の設置が企画され翌24年に具体化、3月に着工し、その年の8月に完成、9月に開館しました。図書は京一工時代の図書をベースに伏見女子商業、二条高女などの図書を受入れました。
 発足当初は貸出し中心の閉架式で生徒が自由に書庫に出入りできませんでしたが、昭和32年4月から全開架式となりました。

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洛陽高校 校内施設の整備

 新制高校として洛陽高校は昭和24年から校内施設の整備も急速に進められ、夏期休暇には図書館・放送室・ホームルーム二教室・裁縫室が完成、庭園やグラウンドも整備されていきました。校内の施設整備は美化作業として生徒の有志で行われ、庭園の整備、壁塗りなど午前9時から午後5時まで40日間、延べ300名を動員して行われたと記録されています。(洛陽工高百年史より引用)
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洛陽高校 建築科の伏見移籍

 昭和24年(1949年)3月、洛陽高校の工業課程建築科は伏見高校へ移籍されることになります。建築科は色染科と共に京一工時代の昭和19年(1944年)に、昭和23年(1948年)3月限りで廃止するよう決められていました。
 洛陽、伏見の工業科についての方針は、・同一の科は両校に置かない・洛陽は伝統ある色染・紡織と近代工業の化学、電気、機械系で固める・伏見は工芸的なものと建設土木関係でまとめるというものでした。
 この方針に沿って昭和23年3月に廃止され、4月からは教職員・生徒ともども伏見高校に移りました。逆に伏見からは機械科廃止に伴い、新2年生59名、新1年生58名の合計117名が洛陽に受入れられたのでした。(洛陽工高百年史より引用)

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行事予定
3/2 午前中授業1256限
3/3 2年学年末考査(〜9)
3/6 2年学年末考査(〜9)
3/7 2年学年末考査(〜9)
3/8 2年学年末考査(〜9)

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教育課程表

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京都市立洛陽工業高等学校
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