京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/01
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洛陽工業高等学校は、平成29年度末をもって閉校し、 創立132年の歴史と伝統を京都工学院高等学校へ引き継ぎます。

洛陽メモリアル 昭和30年代のバレーボール部

 昭和23年(1948年)の創部後も躍進が続いたバレーボール部ですが、昭和37年(1962年)は9人制から6人制へ移行する過渡期で、インターハイまでは9人制、秋の国体からは6人制が採用されています。この年、洛陽高は新人戦、春のリーグ戦に優勝したものの、インターハイ予選では紫野に決勝で敗れました。それが6人制への切り替えを促進する幸運な結果になったと当時のメンバーの一人は語っています。
 6人制最初の大会、国体予選では紫野に雪辱、近畿総体でも姫路南についで準優勝(この年の国体優勝校)の成績で、岡山国体に出場しました。
 予選トーナメントでは有力校を連破し、藤沢、姫路南、直方とともに決勝リーグに挑みましたが3敗となり結果は4位に終わりました。しかし、予選2回戦でインターハイ優勝の崇徳をフルセットの末に逆転で下した健闘ぶりは周囲の眼をみはらせました。昭和30年代の洛陽高バレーボール部は全国制覇も夢ではないほどのハイレベルだったと記されています。(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル バレーボール部の躍進

 昭和23年に創設されたバレーボール部ですが、その後も躍進が続きます。昭和26年(1951年)は、全国上位進出をめざしてチーム力のレベルアップを図りました。春季リーグ戦から負け知らずで、5月に洛陽高で開催された近畿大会でも姫工大付を2-0で退けて優勝、インターハイ(松江)でも3回戦まで進みました。秋の近畿総体でも優勝し近畿No.1の地位を確かなものにしましたが、残念ながら第6回国体(広島)では2回戦で敗退しました。(洛陽工高百年史より引用)
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昭和10年 第一工業学校創立50周年 記念消印が押印された葉書

 金沢市在住の方が、御祖父様の遺品の中から「京都市立第一工業学校創立五十周年記念」の昭和10年11月2日付消印が押印された葉書が出てきたとのことで、寄贈して下さいました。
 沿革史によると、本校は昭和10年4月に唐橋大宮尻町に校舎を新築して移転し、同年11月に50周年式典を行っています。その記念としての消印が押されていたことになります。当時の校章、新築された本館校舎の図柄が描かれており、貴重な資料であります。
 ご寄贈いただきました金沢市の方に、感謝申し上げます。

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行事予定
9/14 就職試験壮行会
9/16 就職選考試験開始
京都市立洛陽工業高等学校
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