京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/05/01
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学校教育目標「心豊かに、自ら学び 自ら考える子」の育成

校長室から 10月号

校長室から   〜小学校3年生で「友情」を感じた出来事〜
 私の小学校時代の出来事です。
 小学校に入学してから2年の間,私は引っ込み思案で自分から進んで人と関わることなどほとんどありませんでした。休み時間になっても,誰と遊ぶこともなく教室の隅に「ぽつん」と座っている目立たない子でした。
 ある時,友達のT君が僕の家に遊びに来て「このビー玉大きくてかっこいい。僕にちょうだい。」と言いました。ところが,その次に「僕にそれをくれへんかったら一緒に遊んだらへんで。」と言われました。その時,心の中で「断ったら遊んでもらえへん・・。ここで断って,冷たい仕打ち受けんのもいややなあ。」と思い,その大切なビー玉をあげてしまったことがありました。
 そんな僕が3年生になった時に,組替えがあり,新しい仲間との関わりがスタートしました。このクラスは,教室の隅に一人ぼっちでいることを許さない元気なクラスでした。「お前も仲間に入れ」と誘われます。特にその中心にいたのが,O君でした。O君たちと小雨の降る中で一緒にサッカーをしたり,鬼ごっこをしたりしていました。だんだん気が合って,私の家で遊んだ後,O君が僕の家に泊まっていくこともありました。
 ある日の掃除時間のことです。「服の後ろにうんこついているで。」とある女の子に言われました。「どれどれ,見せて。」とどんどん人が寄ってきます。その時です。O君がやってきて,「これちがうで。絵の具がついているんや。心配するな。」と言いました。確かに,1・2時間目は,図工科の時間で絵の具を使ったのです。それで茶色の絵具がついていたということで,その場はおさまりました。
 しかし,家に帰って母と祖母から同じことを言われました。そこについていたのは,絵の具ではありませんでした。
 後で考えると,O君はきっとあの場で,もしそれを認めてしまうと「吉川が窮地に陥る。」と思い,救いの手を差し伸べてくれたのでしょう。そのことがわかり,より一層,O君との友情は深まりました。そして僕も,自分の気持ちが少しずつ出せるようになってきました。
 「いじめ」はする側とされる側の問題だけでなく,見て見ぬふりをする周りにも問題があるといわれます。僕はこの時O君に窮地を救われたけど「うんこをつけた○○クン」とからかわれていたかもしれません。周りの存在が,温かいまなざしをもっているかが大切です。
 「善意のある第三者のまなざし」をもった集団を育てていくことが大切だと思います。そのためには,一人一人を大切に思う温かい学級風土を,一歩一歩つくることが重要に思います。  
 私たちは一人では生きていけません。人と人とのつながりの中で暮らしています。人間関係の中で暮らしていれば,たとえどんなに相手ともめたとしても,結局,最後は相手とコミュニケーションを図り修復するしかありません。それは大人の世界であっても,子どもの世界であっても一緒です。「口にすれば、たった一秒で終わる『ありがとう。』『ごめんなさい。』を大切にして欲しいです。」たった一言が人を傷つけ,たった一言が人の心を温める。
 子どもたちは,成長の過程での様々な経験を通して,表現の仕方を学んでいきます。
その前提として,人とのつながりを大切に,感謝の気持ちや素直な気持ちを感じることができる子どもたちになって欲しいと思います。

校長室から〜9月号〜

校長室より・・・雲中水,土中金,石中火,木中花
 今年の夏も、暑い日が続き、猛暑・酷暑の夏休みでした。
 「夏休みにしかできないような体験をしてくださいね」と子どもたちを送り出しましたが、それぞれどんな体験をしてきたのでしょうか。たくましく日焼けをして、笑顔輝く子どもたちから「夏の思い出」をたくさん聞かせてほしいと思っています。
 夏休み中,学校でも,水泳学習やサマースクールにたくさんの子ども達が参加しました。部活動や高学年の朝のマラソン,委員会活動等の仕事で学校へ来て頑張る姿もありました。
 また,「夏祭り」や少年補導委員会主催の「校庭キャンプ」で,多くの子ども達の元気な姿がみられました。保護者の皆様や地域の方々には「ラジオ体操」や「パトロール」等でもお世話になり,本当にありがとうございました。
 さて,今年の夏の大きなイベントは,何と言っても「リオオリンピック2016」です。日本選手の頑張りは本当に目を見張るものがありました。41個のメダル獲得に象徴されるように「あきらめずに頑張れば,夢が叶うことがある。」ということを証明してくれました。 そして多くの人々に,感動と勇気を与えてくれました。
オリンピックを見ていて私がいつも思い浮かべるのは,メダルを取った時に,喜びを分かちあっている,選手とコーチや監督の「出会いの場面」です。そして,この「ことば」を思い出すのです。
  貧女が家中の秘蔵を忘れ 
  竜の身内の玉を宝珠と悟らざるがごとし
  衆生の仏性とは
  雲中水,土中金,石中火,木中花のごとく
  隠れて見えずとも
  我ら衆生の身内におさまれり・・・・(当体蓮華抄 より)
 (人は,家の中にある宝を忘れてそれを外に探そうとする。それはまるで竜が身の内に玉を抱いているのに,それを忘れて空をかけめぐるようなものである。人々の輝きとは,ちょうど,雲の中に含まれている水,土の中に隠れている金,また石の中に潜んでいる火,さらに木の中に眠っている花のごとくであって,外からは見えなくても,確かに一人一人の中に抱かれているものである。)
 雲の中にある水が現れるには,温度を急激に下げるなどの条件の変化が必要です。土の中に隠れている金を発見するには不純物をえりわける高度な精錬が必要です。石の中にある火を生じさせるには勢いよく石と石をぶつけなくてはなりません。木の中にある花を咲かせるには,花が咲くことを信じて時を待たねばなりません。
 内在された一人一人の輝きは,本当に適切な引き出し方と出会ったときに,外に現れ実体となってくる。オリンピックに参加した選手の可能性を信じて関わった監督やコーチと選手たちとの出会いの中に共通する話に思えます。監督やコーチは,選手に内在された素晴らしい力を引き出した。選手たちもそれに応えて一生懸命努力していった。一つ一つの出来事の中に,語りつくせぬ「試練と感動の物語」があったことと思います。
 運動能力の差はあれ,一人一人の中にある可能性を信じて引き出していく監督やコーチ。そして,一生懸命努力することによって素晴らしい結果が出せる選手。この「ことば」が示しているのは,一人一人の中に眠り隠れている,今はまだ見えない可能性があるこということです。そして,雲の中に水を想像し,土の中に金の存在を感じ,石の姿に火の力を予感し,木の花のいのちを信じるまなざしがあってこそ,実現へとつながるということです。
 いよいよ夏休み明けの学習が今日から始まりました。
 子ども達と出会っているものとして,「一人一人の可能性を引き出す関わり」を,この「ことば」を忘れずに続けていきたいと思います。そして,子ども達の好奇心を引き出し、めあてをもって主体的に学ぶことのできる学校づくりを目指していきたいと思います。

校長室から 夏休み号

 いよいよ夏休みが始まります。約1ヶ月の時間を,どのように過ごすのか・・・。それは一人一人にゆだねられています。
 普段の学習はとても大切ですが,夏休みだからこそ自分の頭でしっかり考えて,具体的に体を動かして得られる体験をしてほしいものです。
 自由研究の宿題も,インターネットで調べていくとたくさんの知識が一時に得られます。
 しかし,実際自分が体験して足で稼いで一歩一歩調べると,すごく時間はかかるけれども,その分「わかった!」と思える「驚き」や「発見」もきっと違ってくると思います・・・。是非,自分の足で歩いて,自分の体で感じる体験を,子どもたちと共にしていただけたらと思っております。
 例えば,頭上を通り過ぎる「雲」を眺めて原っぱに一人で寝そべってみる。そこで20分間じっと空を眺めていると,本当に「雲」が動いていく様子や変化していく様子が感じられて楽しいものです。そのようにゆったりとした時間もこの機会を除くとなかなかもてません。このような時間を過ごすことも大切なことと思います。
 また,学校でも水泳学習やサマースクール,部活動等があります。是非参加して,苦手なことにも挑戦していってください。
 お忙しいご家庭が多いとは思いますが,夏休みだからこそできる体験をして,子どもたちが成長してくれることを願っております。
 そして,一人一人にゆだねられた夏休みを,是非有意義な1ヶ月にしていってください。

校長室より〜7月号〜

校長室から 
「感動できる子」「感謝できる子」 に
◆期待する子ども像 ・・・・・・池田東小学校では4つの「カン」と呼んでいます。
 「感動できる子」「感謝できる子」「時間を大切にできる子」「関係を大切にできる子」
 この4つの「カン」のうち,前の2つ「感動」「感謝」は,教えることはなかなか難しいことです。例えば,教師が音楽の授業の中で,美しいクラッシック音楽を聞かせて,「感動しましたか?」と聞いても,どの子も同じように「感動」するものではありません。
 また,家で「こんなに周りの人にやってもらったのだから,感謝しないといけないよ。」とわが子に言っても,すぐに親の言うことを理解して「感謝」できるものではありません。これら「感動」や「感謝」は人間の持つ素朴で自然な感情ですが,周りの人から言われたからと言って,すぐに身につくものではありません。
 では,どうすれば「感動」や「感謝」ができる子に育てられるのか? とても悩んでしまいます。
 「感動」について,かつてこんな体験がありました。そこからお話したいと思います。 私の大学生のころのお話です。
 大学に入学してすぐの頃,音楽的なものには全く無縁な私でしたが,ひょんなことから,全くやってみたこともない「男声合唱団」に入団して合唱をすることになったのです。
 入団して,けっこうハードな練習が毎日のように続きました。全体練習が終わってからも,パートリーダー(トップテナー・セカンドテナー・バリトン・ベースの4つのパートに分かれています。)に呼び出され,特訓に次ぐ特訓を受けて,いやになる程練習させられました。そして,何か月も発声練習と男性合唱組曲の練習を積んで,やっと先輩と肩を並べて歌うことができるようになったのです。
 入団して8か月近くたった12月,合唱団の定期演奏会に出演することになったのです。定期演奏会で1回生が立つステージは,多田武彦作曲の「雪明りの道」という男声合唱組曲でした。やがて,本番の日を迎えました。京都会館第1ホール(当時)で,70名ほどのメンバーとステージに立ち,「雪明りの道」を歌い終わって緞帳が降りた時に,不思議なことが起きたのです。それは,ステージが終わって緞帳が降りた途端に,それまで一緒に歌っていた4回生の先輩たちが嗚咽をおさえながら泣きだしたのです。中には立っていられなくて,ひざを丸めて泣きくずれている姿もあったのです。
 当時の私には,何が起こったのか理解できませんでした。やがて,冷静に戻ってわかったことは,4回生の先輩たちは歌い終わって,喜びと感動が心の内から湧き上がり泣いているのでした。しかし,私は合唱曲を歌うことで先輩のように,感動することはできませんでした。歌い終わった満足感はあったけれども・・・。きっと,卒業を控えて,最後のステージに臨んで,歌い終わった感慨もひとしおだったのかもしれません。
 ところが,練習を積んで3年目,私にも似たような体験が起こったのです。ある男声合唱組曲の練習中のことです。その中で4つのパートが順番に歌いだす場面があり,歌声を聴きながら,私も歌い出したときに,突然,自分の心の中から突き上げてくるものがありました。それを言葉で言うと,「歌うことってとっても楽しい。」もっと言えば,「今,生きているのだ。」という喜びがマグマのように湧き上がってきたのです。それは,突然やってきました。心の奥底から,喜びがあふれ,曲を歌う最中に「感動」が訪れたのです。その時のことは,今もすごく鮮明に覚えていて,忘れることができません。
 「感動」は,見えないですが,人間の心の奥深くにあるものです。
 しかし,鍛錬することにより音楽性も磨かれていくように,引き出されてくるものでもあります。
 私も3年かけて初めて美しい音楽の曲を歌って,心が揺さぶられ感動することができたのです。それから,男性合唱の猛練習が苦痛でなくなり,むしろ楽しみに代わっていったのです。自分では気づかなかったけどこんな私の心にも美しい音楽に響く心が眠っていたのです。
 「感謝」も同じことが言えると思います。人に「やってもらえて当たり前」と思っていたら,感謝することはできません。「自分はできる」「自分さえよければそれでよい。」という気持ちでは,おそらく「感謝」は起きないと思います。「人と人とのつながりを実感して,互いに生かされている。」という謙虚な気持ちが育たないと「感謝」することは難しいように思うのです。「当たり前のことがすごく大切」と思えた時,周りの人の温かさや人のありがたみがわかるようになり,自然に,「感謝」の気持ちが芽生えてくるのだと思います。人は誰も一人で生きていくことはできません。多くの助力によって誰もが共に人生を歩んでいるのです。
 「感動」「感謝」できる心は,どの子の心にも眠っている「輝くダイヤモンド」のようなものであり,たとえ,今は原石のような状態であっても,少しずつ磨かれて引き出されてくるものだと思います。
 子どものうちに眠る「輝くダイヤモンド」の原石が,少しずつ磨かれるためにも,忙しい毎日ですが,わだかまりやこだわりから離れて,私たち大人が,日々の生活の中で「感動」「感謝」できる心を,少しずつ大切に育てていければと思います。

校長室より 6月号

校長室より・・・・・ついに日本へ 「鑑真」の志に学ぶ
 5月22日の日曜参観には,多くの保護者の皆様に参観していただき,本当にありがとうございました。子ども達の学習の様子を見ていただけたでしょうか。
 6月は,プールでの学習が始まります。「水慣れ・水遊び」や「水泳」の学習を,安全対策に万全を期し,進めてまいりたいと思います。
 さて,今回の「校長室より」は,6年生の社会科の授業のお話です。
 日本の歴史を学ぶ6年生社会科の教材に,中国の僧「鑑真」のお話が載っています。

<鑑真の来日>
 聖武天皇は,中国へ使者を派遣し,鑑真に弟子の中から日本へ渡ってくれる僧を推薦してほしいとたのみました。日本への航海が危険なことを知っている弟子たちは,引き受けようとはしませんでした。それを知った鑑真は,自分が弟子を連れて日本に渡る決心をしましたが,何回も失敗しました。それでも,鑑真は日本への渡航をあきらめず,6回目についに成功しました。こうした苦労がもとになって,両目の視力を失うことになったといわれていますが,鑑真は仏教だけでなく,薬草の知識を広めるなど,日本でも大いに活やくしました。    教科書(東京書籍)6年社会科上 P37より 

 6年生の担任と共に,この「鑑真」の授業に,私も参加させていただきました。
 社会の教科書ではたったこれだけの文章ですので,さらにわかりやすいように,道徳資料集「夢いっぱい」の中にある「鑑真和上」を補助資料として使いました。そこには鑑真が,日本への渡航を志してから成功するまで10年の歳月を費やしたことが載っています。
 授業後の子ども達の感想を聞くと「鑑真は両目の視力を失うまでして,日本へ来たのがすごい。」とか「昔の人が,いのちがけで中国まで行って中国の文化を学んだことに驚いた。」などの感想が出てきました。その中でも,子ども達の心を一番打つのは「鑑真の志」のすごさです。
 鑑真が日本へ渡航を決めたのには,以下のような出来事があったのです。
 日本から唐(1300年くらい昔の中国の国名)にやっとのことで渡った二人の僧「栄叡(ようえい)・普照(ふしょう)」が,日本に仏教の戒律を正式に伝えてくれるりっぱな僧の派遣を,鑑真に頼みます。それに応えるため,鑑真のもとに招集された弟子たちを前にして,鑑真が弟子たちに言います。
 「日本から来た僧の願いに応えて,だれか日本へ渡る者はいないか。仏法を広めるために。」
 しかし,渡航の危険を知っている弟子たちは黙ったままです。「日本への渡航という非常に危険を冒す挑戦をするより,ここで仏法を学んだ方がよい。」とある弟子が話します。
 それを聞いた鑑真は「その危険を冒してまでこの二人の僧はここに来ているではないか。」と返します。しばらく沈黙が続いた後,「皆がいかないなら私が日本へ赴こう。」と,鑑真は語り,自ら渡航への決意を述べます。渡航をためらった弟子たちは,安心安全なこの場所で,師匠である「鑑真」から仏法を学びたかったのでしょう。自分のお寺もあったことでしょう。また,大切な人々との関わりもあったはずです。だから,渡航をためらうのは,当然のことだと思います。
 しかし,鑑真の大切にしていたものは弟子たちと違っていました。仏法の伝承と衆生済度のために,いのちをかけてやって来た日本の僧の願いに真心で応える。それが,鑑真の思いであり,高い「志」へと繋がるものであったのです。
 子ども達は,上手に言葉で表すことはできなくても,鑑真という一人の人間の「志」のすごさを感じたようです。
 一度決めたことは,絶対に最後までやりとおす。何度失敗しても,たとえ視力を失っても,最後まであきらめない姿。私自身も,この姿にとっても感動しました。

 歴史学習を通して,単に知識を覚えることだけでなく,その時代に生きた人間の生き方や姿を,自分自身の姿に当てはめながら考えてくれたらと願っています。
 何度失敗しても決してあきらめなかった鑑真の生き方,一度自分が決めたことは最後までやり通す鑑真の強い志にならって,最後までやり通す強い意志をもって,様々なことに取り組んでくれたらと思います。

校長室から〜5月号〜

校長室から〜4月号〜

校長室から〜どうぞよろしくお願いいたします〜
 校庭の桜も咲き誇り,春爛漫の季節となりました。校長の吉川(よしかわ)孝(たかし)です。今年度,6名の教職員を迎えて出発いたします。どうかよろしくお願い申し上げます。
 さて,池田東小学校の「学校教育目標」,「期待する子ども像」,「めざす子どもの姿」を,以下のようにしました。

◆学校教育目標
「心豊かに,自ら学び 自ら考える子」の育成〜よりよい自分を求めつづける子どもたち〜

◆期待する子ども像 ・・・・ (4つの「カン」でそろえています)
「感動できる子」「感謝できる子」「時間を大切にできる子」「関係を大切にできる子」

◆めざす子どもの姿
 ・いのちを大切にして,よりよい自分を求めつづける子
 ・しっかり話を聴き,しっかり話せる子
 ・整理整頓ができ,自律的で健康な生活がおくれる子
 ・時と場所,場合(TPO)に応じた挨拶や話し方ができる子
 ・社会(学校)のきまりを考え,守れる子
 ・生活面や学習面において,自らをふり返る子
 ・粘り強く取り組み,困った時にどうすればよいかを考え,実践できる子

 目標をもち,それを達成する過程で,「自らを問う」(自問する)力をはぐくみたいと考えています。特に,「何をしたからうまくいったのか」「何ができていなかったのか」「今,どうしたらよいのか」など,自分で自分の心や行為を見つめ,振り返る力を身に付けて欲しいと考えています。
 成長の過程では,うまくいかないことも当然あります。そのようなとき,どうすればよいかをしっかり考え,問題解決に向けて頑張る子になって欲しいと思っています。
たった一つの自分のいのちを使って,自分の人生を大切に生きる子に育ってほしいと願っています。
 学校では,教育活動を通して,目標をもつことの大切さ,自分を振り返ることの大切さを実感できる取組をしていきたいと考えています。ご家庭でも,会話を通して,目標を決めたり,自分のしたことを振り返ったりする機会をつくっていただければ幸いです。
 教職員一同,力を合わせて子ども達のために頑張っていきたいと思います。どうか,池田東小学校の大応援団として,ご支援,ご協力をお願い申し上げます。

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学校行事
10/13 検尿
10/14 検尿予備日
10/15 運動会
10/17 代休
10/19 運動会予備日
京都市立池田東小学校
〒601-1355
京都市伏見区醍醐多近田町2-2
TEL:075-572-4505
FAX:075-572-4506
E-mail: ikedahigashi-s@edu.city.kyoto.jp