京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2020/03/27
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やっぱり大人が範を示さないと

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 まだまだ朝夕の冷え込みは厳しく,雪の積もることもあります。しかし,昼間の時間は確実に長くなり,春の訪れを感じています。
 今日から3月,学校においては卒業の季節です。本校では,昨日保護者のご参観の中,「6年生を送る会」を行いました。5年生が中心となって,会の企画・運営・進行などを分担し,会を進めました。5年生はこの会を成功させた成就感・満足感が次のステップ,つまり,最高学年になるここと,6年生からのバトンを受け継ぐことという自覚を芽生えさせます。大きな意欲付けができたと思います。
 さて,子どもたちに確かな学力,豊かな心,健やかな体の調和を大切にして「生きる力」を育むことの重要性はどの学校においても取り組まれていますし,本校においても同様です。そして,その力を習得するために,コミュニケーション能力を育てることにほとんどの学校が力を入れています。
 ひとり一人が自分のおもいや考えをわかりやすく相手に伝える,聞き手も相手を意識して本意を聞き取り,理解できないこと・納得できないことは聞き合う。このような中で互いを信頼し,向上を目指す。このことについては,だれもが異論はないと思います。ただ,そのコミュニケーションには基礎・基本があると思います。私見になりますが,私は,この基礎・基本があいさつであり,「ありがとう」という感謝や「ごめんなさい」という反省の言葉だと思っています。人と人が出会い,関係作りを進める中で,あいさつができないと始まりません。それも相手意識を持って,相手に通じるあいさつが必要です。自分の言っているあいさつが,相手に通じているか,どうか,の見極めが必要なのです。声の大きさ,言い回し,相手の目を見て,表情・・・など,で相手は判断します。自分本意ではだめなのです。同じように,感謝や反省の言葉も相手に届かないと意味がないのです。

 心から,相手に通じるあいさつができているかを二人の先生は点検しなければなりません。あいさつしているつもり,「ありがとう」「ごめんなさい」を言っているつもりでは,コミュニケーション能力は育たないと思うのです。
 子どもたちはあいさつの大切さ,あいさつすることの大事さを頭ではわかっています。しかし,心から相手に通じることの「できる」子は少ないかも知れません。大人と同様です。
 だから,二人の先生が範を示すことが必要です。

頭ではわかっているのですが・・・

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 冬本番,一年中で寒さが一番厳しい時期となって参りました。皆様いかがお過ごしですか。インフルエンザの流行も耳にします。くれぐれも健康にご留意ください。
 さて,私は,常に「二人の先生」の信頼と理解・協力がないと子どものよりよい教育はできにくいことをお話してきました。「二人の先生」つまり担任と保護者が,子どもたちの学びと育ちに責任を持つのです。担任も保護者も子どもたちが賢くなってほしい,思いやりのある優しい子になってほしい,など,目指すものは同じです。しかし,残念ながら共通理解できないときがあるようです。ちょっとしたいきちがいがあったのかも知れません。その解決は・・・。やっぱり話し合うことしかありません。顔と顔を交えて,子どもにとってどうすることがよりよいかを話し合うのです。残念ながら,大人の方が,子どもより先入観や思い込みが強いことがあります。前はこうだった,こっちの方がよかった,そういう感覚でものを言ってしまうとことがあります。しかし,それでは進歩はありません。まず,今をどうするか,これからこうしてみようか,と話し合うことを願います。
 学校は,子どもたちにとって安心・安全な場所でなければなりません。子どもたちがほっとできる場づくりを担任はしなければなりません。そして,学力をつけなければなりません。また,家庭も子どもたちにとって安心・安全な場所でなければなりません。そして,学力をつける土台づくり(早寝・早起き・朝ごはんなど),これをするのは保護者の仕事です。
 「二人の先生」は,子どものためにそれぞれの分担の責任を担わないといけないのです。

 先日,とても気になる投書を目にしました。「二人の先生」へ,参考になればという気持ちで紹介します。

 一日に数本しかバスの来ないところでバスを待つ親子がいた。しばらく来なかったバスがようやく停留所に着いた時,小さな子どもが,
 「お父さん,おしっこ」と言った。父親はどうするかと見ていると,子どもに
 「お父さんごめんネ,バスに乗る前におしっこしておきなさいと言うのを忘れていた」と言って,近くの道端に手を引いて行った。もちろん,その親子はまたしばらく来ないバスを待つことになってしまったのだが・・・。
 忙しさに追われる毎日,その親子のやりとりを見ていて,ほのぼのとした光景に出会い,得難い一日であった。

 「子どものせいにしない」二人の先生でありたいです。
   

新年明けましておめでとうございます

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  旧年中は,本校教育進展のため,何かとご理解・ご協力を賜り,ありがとうございました。どうぞ今年も学校をご支援いただきますようよろしくお願いしたします。
 平成25年が始まりました。皆様はどんなお正月をお迎えになりましたか。それぞれのご家庭で,地域で温かな雰囲気に包まれた年明けを味わっておられたことをお察しいたします。子どもたちも「こんな一年にしよう」「こんなことに挑戦しよう」と気持ちを新たにしていることと思います。がんばりを言葉で表すことによって,自分自身がだれかと約束したようになるのです。不言実行という言葉はありますが,私は,あえて「有言実行」であってほしいと思います。
 さて,12月20日,関西盲導犬協会 中谷 久美子様をお招きして,人権についてのお話を聞く機会を持ちました。盲導犬 ダッシュ君もお連れいただき,子ども達・保護者の方に,目の不自由な方への接し方や配慮,盲導犬の役割などをお教えいただきました。
子ども達は,盲導犬の可愛さとしぐさがとても気になっているようでしたが,盲導犬 ダッシュ君は自分の課せられた仕事を確実に実行していました。
 その中で,子育てと共通していたり,我々が学ばないといけないと思ったりした内容がありました。いくつか紹介したいと思います。(もちろん子育てと盲導犬を育てるのとはちがいます。ご参考になればと考えます。)
 一つ目は,「ほめて育てる」ということです。盲導犬は,人間が大好き,いつも人間のそばにいたい,というしつけをします。そのためには,まずは「ほめる」ことです。よくやった,がんばったことに,「グッド,グッド」の声かけとスキンシップです。人間と犬の信頼関係づくりからです。
 二つ目は,「えさでつらない」ということです。盲導犬はいろいろなところに出掛けます。いろいろな人にも出会います。犬が大好きという人もいます。さわったり,えさをやろうとしたりする人もいます。普段から,褒美としてえさをもらっていたら,知らない人からえさをもらったり,拾い食いしたりするのです。仕事を確実にするための厳しさも必要です。
 最後は,とてもドッキとした言葉でしたが,「飼い主がなまけると,犬もなまける」ということです。犬もなまけていく,とはしなければならない仕事をしなくなる,さぼるということでした。
 人権についてのお話が中心でしたが,子育てにも当てはまるようなこともたくさんありました。いろいろな示唆に富んだお話が聞けたことをうれしく思いました。
子育てに当てはまるところは,子育てへの助言として,謙虚に受け止めたいものです。

子どもはたたかれないとわからないの?

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 今年もあとわずかとなり,あわただしい感じがします。地域・保護者の皆様にはお変わりなくお過ごしのこととお喜び申し上げます。日頃は,本校教育進展に向けて,ご理解・ご協力を賜り,誠にありがとうございます。
 去る11月23日に行いました「学習発表会」には,お休みの日に関わりませず多数ご来校いただいたことに,心よりお礼申し上げます。
 さて,12月は「人権月間」です。互いの人権を認め,よりよく生きようとする気持ちを育てます。このことは,大人にも子どもにもあてはまることです。しかし,一般的に子どもたちは大人に見守られ,育てられています。だから,大人がその模範を示さないといけないのです。
 私は,いつも「二人の先生」という言葉を出して,保護者と担任が信頼し,協力して子育てをすることで,子どもたちが安心して学習や生活ができるということをお話してきました。
 「二人の先生」の仕事は,子どもたちを教え,育てることです。「しつけ」することです。そのために,時には「ほめ」,時には「しかる」のです。そのほめ方,しかり方が大切なのです。子どもの次へのやる気につながったり,同じ失敗はくりかえさないという反省につながったりしなければならないのです。だから,「ほめること」,「しかること」は一時の大人の気分で行われるのではなく,子どもの個性や成長を見据えたものでないといけないのです。特に,「しかること」は「しかられた」子どもの態度やあとの行動が,その評価となるのです。以前の学校便りで,「たたいてしかる」ことについてお話しました。残念ながら,今も言葉で諭さずに,手を挙げてしまわれることもある,と聞いています。しかし,「たたかれた」子どもは本当に反省するでしょうか,次から,同じ失敗をしなくなるでしょうか。私の経験から「たたかれて」育った子は,「たたかれる」「たたかれない」ことが判断の基準となり,自分の非を見つめて次に生かすことは少ないようです。
 子どもたちにとって,二人の先生は,「温かく見守ってくれる,厳しくしかってくれる。」存在です。これこそ,子どもたちの人権を守る第一歩です。
 子どもはいつまでも子どもではありません。「たたかれて」しつけられた子は,その矛先を誰かに向けるかもしれません。

                  校 長  藤田 弘明

時には発想の転換を

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 11月を迎え,少しずつ冬の準備が始まります。本校では,11月23日(金)に行われる「学習発表会」に向けての活動が始まります。
 先日,ある学年の子どもたちと学習する機会があり,その中で次のような会話をしました。「学校は何をするところ?」「勉強するところ」,「どうして勉強するの?」「賢くなるため」「大人になって困らないように」,それでは,「勉強する時にどんなことが大事なの?」「先生の話をしっかり聞く」「ふざけない」「友だちに迷惑をかけない」「何でもていねいにする」など,です。
 この会話は,子どもたちが小さいときからずっと言われていることで,何もまちがいはありません。しかし,これでよいのかと考えてしまいました。
 従来から,授業は子どもたちが作り出すもの,子どもたちの自由でのびのびとした発想を大切にして授業が組み立てられるもの,子どもが主体で指導者はあくまでもそれを支援するもの,と言われてきましたが,実際にはまだまだ「こうあるべき」「こうしてきた」という流れが中心です。過去の経験と,先入観にとらわれてなかなか子ども主導の学習になり得ないのです。大人も,先生が前に立って授業を進め,子どもたちが静かに授業を受ける,机の並びもみんな前(先生の方)を向いているのが当たり前である,と思いがちです。この今までの慣習(あえて慣習という言葉を使いますが)からの脱却が必要なのです。
 9月の運動会で3・4年生がトラックの中を使った障がいぶつ競争を計画しました。以前からの障がいぶつ競争は,トラックを使い,それぞれの障がいぶつも子どもの数だけ用意され,観る方も見やすいものでした。しかし,担当者は障がいぶつ競争を通して子どもたちに場に応じた判断力を付けさせたかったのです。個がより速くゴールするために,障がいぶつの順番を考え,そのまわり方を工夫します。たったそれだけですが,子どもたちが自分で考えて競技しました。ある学校評議員の方からこの障がいぶつ競争を観て,「同じことを同じように走り競うのではなく,その時の状況をみて自分のコースを決める,今後の人生にもよい教えであるのではと感動しました」というおことばをいただきました。
 また,今年の学習発表会は,本来のねらいとする「学習の成果や学習のまとめの発表」として取り組んでいます。今年は学習発表会イコール劇ということにはならないと思います。学習のまとめを劇という方法で発表することもありますが,すべて劇というのもどうかな,と感じていました。地域・保護者の皆様には,「劇を観たい」というおもいもおありかと思いますが,子どもたちの学習のあしあとをどんな方法で表現するかをお楽しみください。
 子どもたちが,先生の支援を受けて,子どもたちの手で作り上げた作品(発表)に大きな拍手をお送りください。多くのご来校をお待ちしております。

 「今までこうだったから」,と大人はつい思いがちです。しかし,そのことで子どもたちの柔軟で独創的な発想を妨げることになってしまっては教育とはいえません。「従来通り大切に守っていくこと」と,「新しく工夫する・変えること」のバランスを考えたいものです。
                        校 長  藤田 弘明


二人の先生が教えたいこと

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 5年生の「総合的な学習」で育てた稲も実りの秋を迎えました。9月下旬には,鎌を使って稲刈りを体験しました。5月に田植えをしてから約5ヶ月,稲はすくすくと成長し,実を結びました。しかし,これまでの過程は決して楽なものではありませんでした。水の調整,雑草抜き,鳥からの防御など,いろいろな苦労がありました。
 自分たちの育てているほんのわずかな水田においても,これだけの手間や苦労があります。それが,あの広い水田になると・・・。
 京北地域ではまだまだ身近に水田があります。米作りが行われています。今まであまり自分のこととして考えなかった「米作り」がこの学習を通して身近なものになりました。
 私はこの「米作り」学習が,単に米の作り方を学ぶ,できた米を食する,米作りの苦労の一端に触れる,などの活動だけに終わってほしくありません。
 一粒の米を得るためにどれだけの努力があるのか,自分で食を得るということはどれだけ大変なことか,ということまで踏み込んで考えてほしいと思います。
 今の世の中はお金があれば欲しいものは手に入ると言われています。子どもたちの中にも「お金」が大切で,一番ほしいと答える子も多いでしょう。しかし,本当にそうでしょうか。「お金」は大切ですし,「お金」がないと生活していけないかもしれませんが,「お金」だけがすべてにはなってほしくないです。
 なぜ,「お金」のことを取り上げたかというと,近頃子どもたちの間で,「買い食い」「おごり合い」「カードを買占め」などを耳にします。おうちの方が汗水を流して働いて得た「お金」を自分で得たものと勘違いして,「おごってあげる」「お金を持っているだけ使う」ことがあったのです。
 二人の先生は,「お金」の使い方や「お金」を得るための苦労や努力を伝えなければなりません。米作りの収穫と同じように,こつこつと働いた結果が「お金」なのです。
 子どもたちにとって,魔法の道具である「お金」を,自分自身を高めるために使わせることも二人の先生の支援です。

                          校 長  藤田 弘明

「ありがとう」ということば

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 残暑お見舞い申し上げます。
 日中はまだまだ厳しい暑さで,気温は30度をこえています。しかし,時より吹くさわやかな風に秋の訪れを感じます。
 8月27日(月)から前期後半が始まりました。106名全員が元気に登校出来ました。うれしい限りです。
 学校に,教室に子どもたちの元気な歓声があふれていました。早速、夏休みの報告会を持ったり,運動会の事前活動に入ったり,子どもたちは昨日までとはちがう活動を進めています。
 この何気なく当たり前のような行動も,子どもたちを支えてくださる多くの方の力添えで成り立っています。本当に有難いことです。心から感謝致します。
 さて,夏休み明けに際して,「ありがとう」ということばを取り上げてみました。以前,人権の学習で,「自分が言われて一番うれしい言葉は?」,という調査の中で最も多かったのが「ありがとう」でした。また,「自分が一番言いたい言葉は?」も「ありがとう」でした。そして,「自分が一番好きな言葉?」もやっぱり「ありがとう」でした。
 このことは,多分大人にとっても同様と思われます。
 そこで,この「ありがとう」を常に意識し,心をこめて使っているか,というとはなはだ疑問です。それは,どうしてでしょう。
 一昔前は,「人からものをもらったら,「ありがとう」と言いなさい。」「人に優しくしてもらったら,「ありがとう」です。」ということをよく耳にしました。そして,自分自身もそのようにして育てられました。しかし,近頃はどうでしょう。人から何かしてもらったり,ものをもらったりしても,自分が気に入らなければ「ありがとう」となりませんし,「ありがとう」と言いません。もっと言うなら,人から何かしてもらっても,「別に」とか,「わざわざしてくれなくても・・・」という傾向があるのかも知れません。そして,「ありがとう」が心をこめて使われなくなっているのです
 このことは,とても残念で,さびしいことです。近頃言われる,人間関係が希薄になってきたことにもつながっています。
 人は,誰もが自分一人では生きられないことはよく知っています。誰かにお世話になって生きていることも分かっています。しかし,それは「頭」だけかも知れません。心から「ありがとう」と発したいです。そのために,まず,大人がお手本を示したいです。
 二人の先生(担任と保護者)の「ありがとう」が,子どもの優しさとやる気に働きかけます。
 素敵な笑顔とともに,心のこもった「ありがとう」が言える子どもに育てることが,二人の先生の宿題です。

                          校 長  藤田 弘明 

夏に鍛える

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 暑中お見舞い申し上げます。
 厳しい暑さが続いていますが,皆様いかがお過ごしですか。平素は,学校教育進展に,ご理解・ご支援を賜り誠にありがとうございます。
 さて,子どもたちは7月下旬より夏休みを迎え,普段の学校生活とはちがった時間を過ごしています。ご家庭や・地域での生活・活動が中心となり,いかに自分を律して毎日を過ごすかが,大切になります。
 そのような中で,6年生は「サイクリングキャンプ」「全市水泳記録会」,5・6年生対象の「京都市内めぐり」,4年生は「みさきの家 野外活動」を経験しました。「サイクリングキャンプ」「みさきの家 野外活動」については,全員参加することができました。また,希望者を対象とする「京都市内めぐり」については,ほとんどの5・6年生が,「全市水泳記録会」においても6年生の半数以上が参加しました。
 それぞれの夏休み中の行事の参加につきましては,保護者の皆様のご理解・ご協力なしには実施することはできません。活動における物品の準備,学校までの子たちの送迎等,いろいろご支援・ご協力いただきましたことに心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。
 これらの活動の中で,特に4年生の「みさきの家 野外活動」を取り上げて,子どもたちの様子をお伝えしたいと思います。
 今年は,昨年の「みさきの家」野外活動の反省を生かし,三校の子どもたちがのびのび活動することを一番に考え,内容等を見直しました。まず,事前に児童の打ち合わせ会を行いました。7月20日に,みさきの家に参加する4年生全員が京北第一小に集合し,班の顔合わせ,役割分担などを決めました。この日から,みさきの家の活動が始まるという意識付けをしました。この結果,自分たちが考えて行動すること,班長を中心にいろいろな活動を進めるなどの意識が育ちました。近鉄の中での班行動も,とてもスムーズに進行しました。
 みさきの家に着いてからの活動も,それぞれの学校の枠にこだわらない,京北連合小学校は一つという場面がいろいろなところで見られました。このことは事前の打ち合わせが有効だったことの証です。それに加えて,子どもたちはとても素直に指導者の指示や注意を聞き行動しました,また,班長を中心とした班活動も充実していました。集団から外れて,勝手な行動をしたり,周りに迷惑をかけたりすることもほとんど無かったです。
 海辺の生き物を真剣に探した磯観察, 天をこがす火に,みんながまとまったキャンプファイヤーなど,それぞれの活動はとても充実していました。
 その中で,気になったことがあります。これは,4年生だけではなく,子どもたちの課題として考えたいです。
 その一つ,今年度は他校とみさきの家の利用が重なりました。(昨年は京北三小学校の単独利用でした)そのため,学校紹介・活動の調整・他校児童・先生への関わりなどが生じました。そのことから,他校の4年生に「物おじ」する様子が見られました。人の数に圧倒されてしまいました。「あいさつをしよう」というみさきの家の約束がありますが,他校の友だちや先生にはほとんどできなかったようです。
 次に,気づいたことは,「子どもたちにとって,みさきの家の生活が普段とずいぶんからかけ離れていて,ぐちや文句が出てしまった」ということです。「もっと冷たいお茶はないのですか。」「エアコンや扇風機はありませんか。」「お弁当の味が・・・。」などの声が聞こえてきました。きっと,それぞれのご家庭で何不自由なく過ごしているのでしょう。でも,キャンプや野外活動とは,そのようなものです。
 これらの子どもの姿や言動をダメだとか,よくないというために,ここに書いたのではありません。この実態をこれからどのように改善するかが,二人の先生の課題となります。素直で,やさしい京北の子どもたちにたくましさや多少の困難に打ち勝つ力をつけるのも二人の先生の仕事です。
 「ちょっと頑張ったらできる」「自分の置かれている環境で最高の力を発揮する」ということを少しでも多く経験させたいです。どうかご理解・ご協力をお願いします。
                           校 長  藤田 弘明

やる気を支える

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 7月に入り,京都の街は祇園祭の季節を迎えます。皆様ご承知のように,祇園祭は日本三大祭の一つであり,勇壮な山鉾巡行をクライマックスに約1月間行われます。連綿と続く町衆の祭へのおもいがそれを支えています。
 祭の規模の大小はともかく,それぞれの地域の祭へのおもいも,大きくかわることはないと思います。
 しかし,近年,祭などの地域行事のみならず,いろいろな行事や催しがごく一部の方の努力や労力に委ねられている現実を耳にします。「できるだけ多くの方に参加してほしい」「参加によってきっと何か新しい発見や喜びが見つかります」など,人から人へ誘いの輪は広がりますが,なかなか「自分からやろう」「参加しよう」ということにはなりません。
 どうしてでしょうか。私は,このようなことから子どもたちの様子を考えてみました。
 子どもたちは本来活動的で,何事に対しても挑戦的です。やりたがりです。私たちが,「〜をやってみないか」というと,「がんばってみます」「できるか,どうかわかりませんがやってみます」など,前向きな姿勢で対応します。しかし,そのようなことがこの頃,しにくくなったり,消極的になったりしているように感じます。
 その理由をいくつか考えてみました。子どもたちの近頃の傾向かもしれません。
 1 無関心で,自分の興味や関心のないことを自分からさけよう,やめようとする傾向から。
 2 実際にやってみたけれど,うまくいかなかったり,失敗したりして,やる気をなくす経験があったから。
 3 せっかくがんばったのに,正当な評価を受けなかったり,頑張りを認めてもらえないことがあったりしたから。
 4 自分からすすんでやることが価値のあることと思えないし,自分でする自信もないから。
 など,です。もちろん,このほかにもいろいろな理由が考えられると思います。
子どもたちの傾向や現状には必ず理由があります。二人の先生が,影響しています。二人の先生がそうさせているのです。子どもたちの姿から,自分たちの言動を振り返らないといけません。
 次代を担う子どもたちに「やる気」や「頑張り」を伝え,その支援をするのが二人の先生の仕事です。子どものやる気を支える二人の先生でありたいです。
                          校長  藤田 弘明

バランス感覚

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 間もなく紫陽花が雨に似合う季節になります。一年生も地域班のリーダーに先導され,雨の中を安全に登校します。
 京都市には,ご承知のように「子どもを共に育む京都市民憲章」が制定され,子どもを社会の宝として愛し,慈(いつく)しみ,将来を託してきた,人づくりの伝統があります。その中で,家庭,地域,学校,企業,行政など社会のあらゆる場で,連携し,健やかな育ちを願い実現させようというおもいが込められています。
 私は,直接子どもたちを教育する立場にあり,学校こそがその中心というおもいを持ってきましたし,そのおもいは今も変わりません。しかし,「学校だけが・・・という」時代ではないということも痛感しています。「先生に任すよ」「先生がこの子を好きなようにして」「いかんことしたら,厳しく叱って」と,保護者から言われて,この子のすべてをひっかかえようとしていたこともありました。
 このことをすべて否定するつもりはありませんが,果たして一人の子どもの教育を一人の教師だけに託していいのでしょうか。
 また,「学校はこの子をどうしてくれるの」「担任の先生になつかないのは先生の責任とちがうの」という声を聞いて,これでいいのかなと考えてしまいます。
 学校・保護者・地域は,子どもたちが健やかに育ってほしい,というおもいは同じです。目指していることは同じです。それなのに,どうして子どもを中心に据えることができないのでしょうか。
 その解決の一つの方法として,バランス感覚を育てることが大切だと思います。学校・家庭・地域のそれぞれができることをしていく。特に,学校のすること・家庭ですることをはっきりさせ,それぞれがその責任を果たすように努力することが大切ではないでしょうか。
 もちろん,学校にしかできないこと,家庭・地域にしかできないことはあります。そのことは,必ずやり切らないといけません。
 また,学校も家庭も一方的なお願いでは,問題が解決しないこともあります。お互いの立場で何が協力できるか,何が頑張れるかを考えていきたいです。だから,二人の先生の助け合い,励まし合いそして,話し合いが必要になります。
 子どもを想い,厳しく,やさしく育てる二人の先生のバランス感覚が必要となります。
                        校 長  藤田 弘明

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学校行事
3/8 地域班会 6年お弁当作り
3/11 朝会 ほっとデー クラブ 地域班長交代 安全の日
3/12 ALT

学校だより

学校評価

研究発表会

給食だより

学校経営計画

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