最新更新日:2024/10/08 | |
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洛陽メモリアル ボート部の躍進
昭和23年(1948年)の創部以来、ボート部はその後も輝かしい躍進を遂げました。昭和29年(1954年)は男女とも強力なクルーとなり、4月の第7回朝日レガッタ(尾花川コース)で男子はついに初優勝、OBの洛陽ボートクラブも優勝しました。
6月の名古屋レガッタ(中川運河1000メートルコース)では、男女ともに2位に入賞、実力的にも全国レベルに達していました。国体予選の京都大会では、男女とも優勝、OBの洛陽ボートクラブも一般の部で優勝、洛陽のナックル3クルーがそろって北海道国体に出場しました。 女子ボート部はまもなく廃部となりましたが、男子はその後も活躍、昭和37年(1962年)までたびたび全国大会にも出場しています。(洛陽工高百年史より引用) ハイパー課題研究の様子
写真は、ハイパー課題研究で取組んでいるテーマの一つ「携帯型ホログラムディスプイの開発」の様子です。対象物を立体的に見せるディスプレイで、折りたたんで持運びができることを考慮したものです。このテーマは2人で取り組んでおり、3DCADを使って部品の設計をしています。CADデータから主にレーザー加工機や3Dプリンタを用いて部品を加工しようと取り組んでいます。
機械コース課題研究
写真は、機械コースで取り組んでいるテーマの一つ『オルゴールの製作』の取組み風景です。オルゴールのパーツから組立ててシャーシを製作し、オルゴールの回転軸と連動する小ねじのピンでピアノの鍵盤を叩き音楽を奏でる仕組みです。メンバーは5名で、旋盤でオルゴールの部品製作、およびシャーシへの組立てを行っています。どんな音楽が聴けるのか完成が楽しみです。
洛陽メモリアル ボート部の創設
ボート部は昭和23年(1948年)10月、洛陽工高ボート部を主体に創部されています。京都府立医大のボート(フィックス)を使用して練習、昭和24年(1949年)8月の滋賀県民大会招待レースで第一位となり、昭和24年夏からは女子クルーも誕生しています。
翌昭和25年(1950年)春、朝日レガッタには、男子、女子そろって出場、女子クルーは初優勝、さらに7月の近畿高校選手権大会でも女子クルーは優勝しています。(洛陽工高百年史より引用) 課題研究の取組み
京都ものづくりコースの課題研究で取組んでいるテーマの一つ、『エコ電カーの製作』の一コマです。エコ電カーとは人が乗れる自動車で、バッテリーでモータを駆動します。写真はアルミのフレームを製作し底板の取付けをしているところです。このチームは2名で取り組んでおりコミュニケーションよく作業を進めています。
課題研究の取組み
京都ものづくりコースの課題研究で取組んでいるテーマの一つ、『水陸両用車の製作』の一コマです。3DCADで部品を設計し、3Dプリンタやレーザ加工機を用いて部品も加工しつつあります。初めは戸惑いの多かったCADですが、操作にも慣れてきていろいろな形状の部品も設計できるようになりました。10月の工学祭に向けて完成度を高めていきたいと取組みにも熱を帯びてきました。
ハイパー課題研究の様子
写真はハイパー課題研究で取り組んでいるテーマのひとつ「飲料容器の分別機の開発」の一コマです。このテーマは4人で取り組んでおり、飲料容器の材質を金属・非金属かを識別しさらに金属であればアルミなのか鉄かを識別するとともに一つずつ繰出して搬送部に落下してベルトで搬送し材質別の容器に回収する装置です。現在、CADで部品図を設計しつつ機構の詳細を詰めていることころです
ロボットクラフト部 パテントコンテストに向けてラストスパート
ロボットクラフト部では、今年もパテントコンテストへの応募を進めて出願に向けた準備をしています。発明の内容は電子工作などで用いるユニバーサル基板に関するもので、部員の一人が作業で行っている基板の配線の作業が煩雑で効率が悪いと感じていたことから、改善策をみんなで考えて今回の出願に結びつけたものです。
特許庁のホームページから過去に特許が出願されていないかをチェック、抵触しないことを確認して出願書類提出に向けて取り組んでいます。 洛陽メモリアル 昭和30年代のバレーボール部
昭和23年(1948年)の創部後も躍進が続いたバレーボール部ですが、昭和37年(1962年)は9人制から6人制へ移行する過渡期で、インターハイまでは9人制、秋の国体からは6人制が採用されています。この年、洛陽高は新人戦、春のリーグ戦に優勝したものの、インターハイ予選では紫野に決勝で敗れました。それが6人制への切り替えを促進する幸運な結果になったと当時のメンバーの一人は語っています。
6人制最初の大会、国体予選では紫野に雪辱、近畿総体でも姫路南についで準優勝(この年の国体優勝校)の成績で、岡山国体に出場しました。 予選トーナメントでは有力校を連破し、藤沢、姫路南、直方とともに決勝リーグに挑みましたが3敗となり結果は4位に終わりました。しかし、予選2回戦でインターハイ優勝の崇徳をフルセットの末に逆転で下した健闘ぶりは周囲の眼をみはらせました。昭和30年代の洛陽高バレーボール部は全国制覇も夢ではないほどのハイレベルだったと記されています。(洛陽工高百年史より引用) 洛陽メモリアル バレーボール部の躍進
昭和23年に創設されたバレーボール部ですが、その後も躍進が続きます。昭和26年(1951年)は、全国上位進出をめざしてチーム力のレベルアップを図りました。春季リーグ戦から負け知らずで、5月に洛陽高で開催された近畿大会でも姫工大付を2-0で退けて優勝、インターハイ(松江)でも3回戦まで進みました。秋の近畿総体でも優勝し近畿No.1の地位を確かなものにしましたが、残念ながら第6回国体(広島)では2回戦で敗退しました。(洛陽工高百年史より引用)
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