最新更新日:2024/10/08 | |
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洛陽メモリアル 校外実地実習始まる
昭和39年(1964年)から、校外実施実習が始まっています。これは従来の「委託実習」に代わる校外学習制度でした。委託実習は戦後実施されたもので、生徒を一定期間各企業の工場現場に委託して実作業を体験させることを目的としたもので、もともとは学校の実習施設・設備が満足でない終戦直後の状況からやむなく実施されたものでした。
昭和30年代後半になると、学校の施設・設備も急速に整備されるなかで委託実習のあり方が再検討され校外実地学習と形を変えて、会社・工場を1日見学して作業状態を観察、生徒の学習の参考にすることを目的として新しく制度化されました。 洛陽工高では昭和39年度から各科別に実施され、生徒たちは見学先の資料プリントによって事前指導を受け、見学先に出向きました。校外実地学習は各科別に見学先を決めて毎年実施され、昭和54年(1979年)まで続きました。(洛陽工高百年史より引用) 考査時間の変更
京都市地域に昨日(10/22)から発令されていた暴風警報は解除されましたが、交通機関のダイヤが乱れている関係で本日(10/23)の中間考査は次の通り実施します。
■考査時間を1時間繰り下げ 1限目考査 → 2限目実施 2限目考査 → 3限目実施 3限目考査 → 4限目実施 十分注意して登校してください。 洛陽メモリアル 志願者の減少
昭和40年代の産業構造の変化を背景に普通科志向の高まりと職業学科への減少の結果、洛陽工高も単独制実施当時から増募してきた定員の見直しに着手せざるを得ない状況になりました。
昭和40年度には、色染・紡織とも1クラス減、定員は70人から40人へと変更されています。昭和41年(1966年)度は、全般的に志願者が激減、電子工業・電気・化学工学の3科が定員割れとなりました。なかでも電子工業科は定員45人に対して志願者は28人という状況でした。そこで初めて2次募集を行い、ほぼ定員数に近い生徒数を確保しました。 昭和42年(1967年)からは、クラス編成を40人にするとともに、化学工学科を1クラスに戻すなど定員の改訂が行われています。これにより総定員は495人から400人と大幅減となりました。(色染・紡織・工業化学・化学工学・電気通信・電子工業は、それぞれ40人、電気・機械は80人) 洛陽工高ではこのように定員の改訂を実施したり、各中学校に工業教育の理解を求める諸活動を展開しましたが、その後も年によっては定員割れの科が出現しました。(洛陽工高百年史より引用) 洛陽メモリアル 工業高校の変貌
洛陽工高は高度成長下の産業教育振興を目指してスタートしましたが、昭和40年頃から始まる急激な産業構造の変化で早くも転機が訪れました。電子工学の導入が始まり重化学工業の時代からエレクトロニクスの時代へと質的な転換期に突入し、生産技術の側面でもただ技術的なものだけではなく、より高度な技術が求められるようになってきました。
ハイテクの時代になって企業側の学校教育への要請に変化が現れ、よりハイレベルの技術者を求めるようになってきました。加えて国民生活の向上によって、進学人口が増大し高学歴社会の時代を迎え高校進学時点で普通科志向が強くなり職業学科への志願者が相対的に減少しました。洛陽工高でも昭和40年度から具体的に影響が現れ対応として単独制実施当時から増募してきた定員の見直しが必要となりました。(洛陽工高百年史より引用) 2学期中間考査始まる
本日10月18日(水)から週末を挟んで23日(月)まで4日間の日程で中間考査が行われます。天候も不順で肌寒い日も多いこの頃ですが、体調管理に気をつけて試験に集中し日頃の成果を出してください。
京都ものづくりコース 電気実習
京都ものづくりコースで行っている電気実習風景です。6週間かけてゲルマニウムラジオの製作をしており、今週は同調回路の製作でコイル巻きを行いました。次週は、この同調回路を使ってソーラーパネルを用いたトランジスタラジオを製作します。どんな音が聴こえるか楽しみです。
バスケットボール部ウインターカップ1回戦報告
10月15日(日)南丹高校で行われたバスケットボールウインターカップ市部代表決定戦1回戦の報告です。この大会は3年生で出場できる最後の大会です。
男子は洛陽工業・伏見工業・京都工学院高校の3校合同チームで、女子は伏見工業・京都工学院高校の2校合同チームで出場しました。男子は京都朝鮮中高級学校と対戦し、96対74で勝利し21日(土)に山城高校で行われる2回戦で京産大附属高校と対戦します。応援よろしくお願いいたします。 女子は伏見工業・京都工学院高校の合同チームで出場しました。本校はベンチメンバー6人で京産大附属高校と対戦しました。惜しくも40対57で敗れはしたものの、今までの練習成果を存分に発揮したすばらしいゲーム展開となりました。 応援に来て声援を送ってくださった保護者の皆様、関係者の皆様、本当にありがとうございました。 洛陽メモリアル 全国最多の7時間授業
昭和38年(1963年)に単独制として新たに発足した洛陽工高ですが、同年新しい教育課程が第一学年から実施されています。決定された教育課程は、週当たり授業時間は38時間、卒業までの総単位数114単位と全国的に見てもハイレベルで京都府下の普通科高校と比較しても12単位も多かったと記されています。
この結果、土曜を除く毎日の授業時間は7時間が標準で曜日によっては8時間の日もありました。予鈴は8:30で1時限は8:40開始、8時限終了は17:00という時間割でした。この教育課程は昭和38年度から学年進行で実施され昭和40年度に完全実施になりました。(洛陽工高百年史より引用) 唐橋校舎での写真撮影
本日(10/12)3年生が唐橋校舎で卒業アルバム用の写真撮影を行いました。普段は閉鎖されている旧校舎に高校生の活気あふれる声が響きわたり、校舎が生き返ったようでありました。
生徒諸君も2年生まで学んだ久しぶりの校舎に感慨深く懐かしんでいました。グランドでの全体写真撮影ののち、各クラスごとに集合写真を撮影しました。 洛陽メモリアル 市立洛陽工業高校の発足
昭和23年(1948年)に普通・商業・工業の3課程を設置して改称された洛陽高等学校ですが、工業科社会への進展や施設の集中的充実など時代の変化とともに、昭和38年(1963年)4月、単独制工業高校に再編成され、市立洛陽工業高等学校として新しく生まれ変わりました。昭和38年度の募集定員は、色染70名、紡織70名、工業化学45名、化学工学90名、電気90名、電気通信45名、電子工業45名、機械90名となり規模の拡充が図られました。当時の高校生急増問題に対応しながら工業教育の振興を目指そうとしたのです。(洛陽工高百年史より引用)
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