最新更新日:2024/10/08 | |
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洛陽メモリアル 映画研究部
昭和23年(1948年)創部の映画研究部は、当時人気のあるクラブのひとつでした。昭和26年(1951年)5月当時の部員は117名、校内クラブでは最大の部員をかかえていました。映画研究部の具体的な活動内容は、過去・現在の映画を総合的に研究して、すぐれた映画を選択、生徒鑑賞にひとつの指針を与えようとするものでした。芸術作品については、校内にポスターなどを掲示、PRにつとめ学生割引券なども配布したと記録されています。こうした活動の結果「破戒」の映画鑑賞会を企画し、全校行事として昭和23年12月に開催を実現させました。(洛陽工高百年史より引用)
洛陽メモリアル 文芸部文芸誌「木窓」
洛陽高文芸部の文芸誌「木窓」ですが、昭和24年(1949年)7月に創刊されたのち、第2号は昭和25年(1950年)1月15日に発行、総64頁と質・量ともに充実したものとなりました。昭和25年10月発行の第3号からは「青桐」と誌名を変更して年2回刊行で継続されることになり、傍系クラブの短歌部、俳句部の作品も掲載され洛陽の総合文芸誌となりました。発行部数150〜200部、校内のほか他校にも配布して交流を図る一方、作品の合評会も活発に行われました。同誌は昭和30年代の前半、第20号まで続きました。
(洛陽工高百年史より引用) 洛陽メモリアル 文芸部の発足
文芸部も洛陽高のスタートと同時に始まっています。洛陽工高と洛南高が同居していた二部授業時代、両校ともに文芸部がありました。洛陽工高は詩・短歌、洛南は詩・創作が中心でした。それぞれ性格を異にしていたため再編成によって洛陽高校が誕生しても、文芸部が一本化するには紆余曲折がありましたが、洛陽顧問が洛南高の部員に働きかけて新しい文芸部が生まれたようです。
昭和24年(1949年)4月から本格的な活動を開始したころの部員は15、6名でした。作品発表の場として文芸誌が発行されることになり、誌名は「木窓」と名づけられました。「木窓」は当時の学校そのものを象徴するもので、当時は物資不足で教室の窓ガラスの修復も思うにまかせず、木の板が打ち付けられておりこうした戦後の状況をとらえて命名されたと記されています。 「木窓」創刊号は昭和24年7月1日に刊行され、謄写版印刷41ページ、発行部数は約50部でした。 (洛陽高校百年史より引用) 軽音楽部 京都府高等学校軽音楽コンテストに出場
7月23日(日)に京都光華高校光風館にて京都府高等学校軽音楽連盟主催の第二回京都府高等学校軽音楽コンテストが行われ、本校軽音楽部の生徒が3名出場しました。この大会は、全国大会につながる大会で、生徒はこの大会での発表に向け3か月前から楽曲を作っていました。作詞作曲から行うのは初めてで、多くの苦労がありましたが、本番では練習の成果を十分に発揮することができました。惜しくも入賞には至りませんでしたが、3年間の集大成として満足のいく演奏ができたと思います。
洛陽メモリアル 演劇部
昭和23年10月、総合制の洛陽高校が誕生するとその年の11月に演劇部が誕生しました。発足当時の部員は20数名でしたが、創部後まもなく旗揚げ公演として「京都市内高校演劇コンクール」(高等学校演劇連盟主催)に参加しています。部員は中庭の日本家屋2階の和室広間で練習に励み発声練習、身振り表情練習、効果器具や照明器具の製作に余念がなかったと記されています。
演劇部は旺盛な創造精神で洛陽高時代の文化活動をリードし高校演劇コンクールには毎年参加、昭和26年(1951年)「カスリン・ニ・フウリハン」、昭和28年(1953年)「蟻部隊」、昭和30年(1955年)「おふくろ」で優秀校に選ばれています。部員の中には卒業後映画・演劇に進んだ人も多く映画監督になった大島渚氏もその一人です。(洛陽工高百年史より引用) 普通救命講習会
7月20日、伏見消防署救急隊員の方々を講師にお招きし、プロジェクト・ラボにて普通救命講習会を開催しました。講義および実技・実習を3時間にわたって実施、心肺蘇生法ができる知識や技能を身につけるとともにAEDも実技を通して操作方法を学びました。救急隊が到着するまでに周りの人が心肺蘇生を実施すると、しない場合に比べて助かる率が約2倍になるというデータも講義で示されました。
部活動およびそれ以外の場面でも人が目の前で倒れるなどの緊急時に落ち着いて心肺蘇生法を実施したり、正しくAEDを操作できるよう生徒たちは真剣に取り組んでいました。 1学期終業式 3校合同終業式
本日7月20日、終業式を執り行いました。3校の校歌斉唱の後、学校長から今後10年から20年で人工知能AIに置き換わることで社会がどのように変化していくかという始業式での話を振り返りました。
『女子サッカーなでしこJAPAN』の佐々木前監督の講話から『成功の反対は失敗ではなく、チャレンジしないことである』、『結果自然処(けっかじねんじょう):結果は自然の流れで決まっている。自分はその中でどれだけ頑張ったか、今やらなければいけないことをしたのか』を引用、『努力しても報われないことも多いが、その中でどのような努力をどれだけ行ったかが大切である』ということの話がありました。『どうせ無理』ではなく『だったらこうしてみたら』と常に考えて、『正解だけを覚えるのではなく、多様な人たちの中で自分の意見を持ち議論できる人』になってほしい。そして決断できる人になってほしいとの訓示がありました。 明日から長い夏休みに入りますが、しっかりと進路を見据えて目標を定めて頑張ってください。終業式に併せて表彰式があり、洛陽工高では以下の生徒が表彰されました。 【表彰】 ● 技能検定3級 電気機器組立て(シーケンス制御作業)合格 3年3組 中村 亮太 3年3組 林 和樹 3年3組 米田 和生 ● 日本ホビー大賞 奨励賞 作品名「3Dプリンタで作ったロボットたち」 ロボットクラフト部 部長 3年3組 山岸 晃 3年1組 堀口 嵩人 3年2組 古谷 聡 3年3組 林 雄壱朗 3年3組 松中 誉生 ● 第70回 全国高等学校 陸上競技部 選手権大会 京都府予選 陸上競技部 男子ハンマー投 第4位入賞 記録50m44cm 3年1組 早田 光 ● ワールドサバキチャレンジ2017空手大会 高校生の部 準優勝 3年4組 高橋 朋也 土用(どよう) 7/19
雑節のひとつ土用とは,土旺用事(どおうようじ)の略で,立春,立夏,立秋,立冬の前の18日間をいい,季節が移り変わりゆく調整期を意味します。明日は終業式,夏休みが2学期の躍進に向けた調整期となります。
■土用波(どようなみ) 夏土用の時季に穏やかな海に突発的に発生する大波のこと。はるか沖合にある台風の影響で起こります。 ■土用雨(どようあめ) 梅雨の終わりごろ,夏土用の時季に降る大雨のこと。 ■喜雨(きう) 夏土用の頃,日照り続きのときに降る雨のこと。農作にとっては,恵みの雨となります。 【硬式野球部】全国高校野球選手権京都大会 2回戦 7/15開催
7月15日(土),わかさスタジアム京都にて我が三校『洛陽工業・伏見工業・京都工学院高校』の硬式野球部は,立命館宇治高校に4対5で惜敗しましたが,皆さんの大きなご声援をおかげで,両校『洛陽工業・伏見工業』球史の最終ページを飾るにふさわしい好ゲームが展開されました。
猛暑の中,球場まで駆けつけていただきました多くの両校OBや保護者の皆さまに厚くお礼申し上げます。誠にありがとうございました。 【京都新聞朝刊・平成29年7月16日付】 洛陽メモリアル 洛陽高発足当時のクラブ
旧制京一工時代のクラブは、校友会のなかに位置付けられていましたが、新制の洛陽高になってからは生徒会に所属し文化部と体育部が設けられました。洛陽高時代のクラブの発祥については、さまざまな系譜がありました。
文芸部のように旧洛陽工高と旧洛南高とが合体して1つになったもの、社会科学研究会のように洛陽工高時代のクラブが発展的に拡大されたもの、バレーボール部や歌舞伎部のように旧洛南高のクラブが基礎となったものなどさまざまです。 洛陽高発足当時にどれほどのクラブがあったかは資料不足で判然としませんが、『洛陽新聞』によると、昭和26年(1951年)5月現在で文化部39、体育部18の合計57クラブがあったと記録されています。(洛陽工高百年史より引用) |
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