最新更新日:2024/04/01 | |
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洛陽メモリアル 自治会則の策定
昭和23年(1948年)暮れから昭和24年初めにかけては、自治会規約草案作成に時間が費やされました。自治会会則の作成は日本国憲法を下敷きに進められ、最終的に社会科学研究部や新聞部を中心にした生徒案、教諭案、校長案の三案をもとに討議してできあがったようです。自治会則は昭和24年1月17日の生徒大会で審議され修正可決、さらに22日の会則合同審議会で最後の調整を経てひとまず規約らしい形が整いました。
生徒自治会の第一回会長選挙は1月22日に体育館で行われました。受付で選挙人名簿にあたるクラス名簿に印をつけて投票用紙を受け取り奥に設置された投票箱に入れるといった国会、府・市会の選挙と同じような仕組みでした。 のちにクラスごとの投票率を発表し100パーセントの投票率を達成したクラスには賞品としてソフトボールが贈られたと記録されています。 同時期に市内の各高校にはそれぞれ自治会が発足しましたが、当時の軍政部の指示で昭和24年4月からは「生徒会」と名称が改められました。(洛陽工高百年史より引用) 洛陽メモリアル 新時代を開いた生徒会
終戦直後から新制高校になるまですでに旧制中学校には自治会がありました。京一工でも生徒委員会という名称で自治制度が組織されていました。この委員会には委員長1名、副委員長1名を置き、自正・週番・美化・企画・渉外・安全の6つの係を持って中央委員会を構成していました。
昭和23年(1948年)新制高校発足、洛陽工高となるに伴い、自治制度を改め同年6月からは風紀・美化・文化の3つに大別し、各部委員から7名ずつ委員を互選して代表委員会を構成するようになりました。(洛陽工高百年史より引用) 洛陽メモリアル 軽音楽部
前回洛陽高校の軽音楽部発足当時について触れましたが、当時の部員の一人は、「アメリカから次々と新しいリズムや曲が入ってくるという時代背景もあって、古典的なタンゴ・バンドからハワイアン、ウエスタン、ポピュラー、ジャズなどに移行していき、熱心にこれを追った。当時は楽譜もなく楽器にもこと欠く状態だったが、みんなで研究し選曲や編曲に工夫を重ねた。」と振り返っています。
全盛期のメンバーは約20名でタンゴ・バンドのほかコンボバンド、ハワイアン・バンドなども編成されました。昭和28年以降の軽音楽部は停滞、3年あまり休部状態に陥りましたが、昭和32年(1957年)音楽好きの生徒4名によってウエスタン・バンドが結成され、昭和38年(1963年)単独性移行時まで続いたと記録されています。(洛陽工高百年史より引用) 京都工芸繊維大学との高大連携事業 「おもしろサイエンス教室」を開催
洛陽工高エレクトロニクス部、京都工学院高校サイエンス部と京都工芸繊維大学”KyoTechLab”との高大連携事業で下記の通り「おもしろサイエンス教室」を開催しますので、興味のある方はぜひお越しください。
1. 場所 ゼスト御池 寺町広場 2. 日時 8月12日(土) 11時〜15時 3. 内容 (1)「光るファイバークリスマスツリーを作ろう!」 *光ファイバーケーブルを用いて、自分だけのクリスマスツリー を作っちゃおう! (2)「とうろうを作ろう!」 *木材と和紙を組み合わせてかわいいとうろうを作ります。 できあがったとうろうは、カラフルな炎の炎色反応ロウソクと ともにお持帰りできます。 4. 主催 ゼスト御池 京都市青少年科学センター ※ゼスト御池のHPはこちらをクリックしてください。 洛陽メモリアル 軽音楽部の発足
軽音楽部は、昭和23年(1948年)10月の洛陽高校スタートと同時に「洛陽の軽音楽団」として発足しました。経緯は同年4月の学制改革で旧二中(洛南高)の中に名トランペッターと言われた生徒がいて、その生徒から刺激を受けた元一高のメンバーが猛練習を開始したと記されています。
創部されて間もなくの昭和24年(1949年)2月にはタンゴバンドを結成、早くも市内全京都高校軽音楽コンクールに出場して「夕刊京都賞」を受けています。洛陽の「スーベニア・アンサンブル」は京都高校軽音楽界のトップクラスの実力を誇っていたと記録されています。(洛陽工高百年史より引用) |
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