京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/01
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洛陽工業高等学校は、平成29年度末をもって閉校し、 創立132年の歴史と伝統を京都工学院高等学校へ引き継ぎます。

染織学校 授業風景

 当初、染織学校は入学志願者が少なかったと先日述べましたが、利点になっていたこともあります。記録によると、「ともかくも染織学校は入学志願者が少なく、校長自ら人力車に乗って生徒募集に戸別訪問したというが、そのことが逆に利点ともなっていた。生徒と教師が直に触れあう機会が多いほど、学校は豊かな人間教育の場として機能する。皮肉にも生徒数が定員に満たないことによって、当時の染織学校はいい意味で教師と生徒の関係、さらには上級生と下級生の関係がきわめて密接であった。予科1年の生徒も本科4年の生徒も、たがいに顔見知りでまるで兄弟のように親密であったという。」とあります。
 当時の卒業生の話として大正初年ごろの学園風景は、「(前略)4人くらいのクラスですと、先生と生徒が向かい合わせになって、冬ともなればストーブの周りに集まって講義を聴く。(中略)学校の先生と各学年が別れましても、生徒間のおつきあいといいますか、交際というものは非常に親密でありまして、学校内が融和されていたように思われます。」と記されており、授業含め学校全体がのどかな雰囲気だったようです。
(洛陽工高百年史より引用)

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染織学校 学校行事と校友会

 染織学校の校内行事は、すべて校友会によって企画、運営されていました。記録によれば、「校友会には学芸部、体育部、会計部があり部長は教員、幹事、理事の各委員は生徒たちの互選で選出されていた。学芸部は、(中略)年1回以上の雑誌『錦友』の発行、染織競技会の開催、懸賞図案募集、懸賞作文募集、年2回の講談大会の開催を内容としていた。
 体育部は、『各自の健康を保全し且気力を養成する』のが目的で、野球部、庭球部、蹴球部のクラブ活動、秋季陸上運動会の開催、遠足、旅行などの運営にあたった。」と記載されています。下記は当時の野球部、庭球部の貴重な写真です。
(洛陽工高百年史より引用)

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染織学校 初期の試練

 当時の記録によると初期の試練と題して「初期の染織学校の深刻な悩みは慢性的な入学志願者不足だった。」と記されています。
 その詳細は、「明治27年(1894年)度から明治44年(1911年)までの卒業、終了生数と、その中に占める市内の人数について、表より19年間の推移は、生徒数は学年60人の定員を大幅に割り込んでいるばかりか、市内の生徒は相変わらず少ない。(中略)とくに機織科の生徒は西陣からの入学者が少なく、京都の染織工業の発展をめざして染織工業は創設されたのだが、実際の当業者は工業教育に大きな期待を持ってはいなかったらしい。学校教育に対する無理解と職人気質ゆえの視野の狭さが、生徒不足の原因となっていた。」と記されています。
 さらに「生徒数の不足に加えて他府県の生徒が市内の生徒数を上回っていた」ことが問題視されていたのでした。
 この対応として「校長をはじめとする教職員と京都染物同業組合理事が生徒募集に奔走」、こうした努力の結果、明治39年(1906年)ごろから効果が現れてきたと記録されています。

(洛陽工高百年史より引用)

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染織学校に皇太子殿下ご来校

 烏丸校舎に移転して2年後の大正2年(1913年)4月2日、二条離宮にご滞在中の皇太子殿下と淳宮さま、光宮さまが染織学校観覧のためご来校されました。9時15分ごろ馬の蹄の音がかすかに聞こえてきて、やがて護衛の警官を先頭にお車がゆっくりと校門にさしかかり、生徒たちが敬礼するなかを、皇太子殿下と宮さまがたは9時30分に校内にお入りになりました。
 校長の案内で2階の控室に入られ、実習工場から順次校内をご覧になり、機織実習工場では機織部の4年生が繻珍織機を運転するとともに、手織機によるリボンの製織をご覧にいれたそうです。また、色染実習工場では浸染実習、型染実習、引染実習を行い、色染の機械を運転してご覧にいれ、聯隊旗と国旗を染めてのちに校長を通じて献納したとあります。
 皇太子と宮さまがたは、それぞれを興味深くご観覧になったあと、再び控室に落ち着かれたのち、午前10時に学校を出発されました。染織学校としては光栄なことで関係者は大いに励みにしたと記録されています。
(洛陽工高百年史より引用)

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期末考査始まる

 本日7月6日、1学期の期末考査が始まりました。5日間に亘り今週末まで行われます。生徒たちは試験直前まで、ノートやプリントを見て準備に余念がありませんでした。
 どの学年にとってもたいへん重要な試験です。台風が近づく可能性もあり不安定な天気が続きますが、体調管理に気をつけて日頃の成果を出し切ってほしいと思います。

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ハイパー2年生 課題研究でロケット打ち上げ

 昨日7月2日、ハイパーステージ2年生の課題研究で小型ロケットの製作と打ち上げ実験を行いました。ロケットは火薬式のエンジンを搭載するタイプで、2名で1機を製作、ロケット本体、パラシュート、尾翼の形状、重りなど工夫を凝らしながら作りました。
 思惑通りにうまく飛行した機体もあれば本体が重くなり、十分な高度まで上がらなかったものなどそれぞれでしたが、自分たちが製作したロケットを打ち上げることができ、生徒たちは達成感が得られた様子でした。
 これをステップにして、今後は来年3月の打ち上げを目指してハイブリッドロケットの製作を始めます。
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山岳部 比叡山への山行

 6月28日、山岳部は部員4名で比叡山(標高838m)に定例山行を行いました。叡山電鉄修学院駅に集合し、メジャールートであるきらら坂登山口を目指します。山岳部恒例の雨が降り始めましたが、京都市内が一望できる水飲対陣跡に着く頃には小雨となりました。
 尾根を進み、ロープウェイをくぐり山頂近くにあるガーデンミュージアムを過ぎた奥に、四明岳三角点(838m)があります。その後つつじヶ丘に戻り、昼食を取りました。天候がよければ、大原や岩倉等京都北部の景色が見えるのですが…。
 横高山を経由し大原へ下りる予定でしたが、天候不良のため南に引き返す事にしました。歩行距離を同じにするため、京都一周トレイルの東山コースに入り、修学院駅に戻りました。

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染織学校 開校20周年の様子

 染織学校は大正3年(1914年)開校20周年を迎えました。その当時の様子が以下のように記されています。
「染織学校として開校20周年を迎えた京都市染織学校は、その年の10月27日、午前9時より記念式典を挙行した。校長の式辞に始まり、(中略)祝辞があった。当日の来賓は市会議員、学校評議員、商議員、市内の小、中学校長、報道関係者などを含めておよそ70名だった。校内では染物、織物工場の実習、別室では生徒の製作品を展示し、学校あげて染織学校の喧伝に努めた。
 その日の午後2時から翌日にかけては、校内は一般公開され、各工場の見学会、展示製品の即売が行われた。とくに28日は、記念陸上大運動会が開催されたので、校内は、記念の日にふさわしい賑わいぶりだった。」
 これを示す当時の写真は見当たりませんが、文面からかなり盛大なものだったことがうかがえます。
(洛陽工高百年史より引用)

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染織学校当時の修学旅行

 明治後半から大正初期にかけて染織学校当時の修学旅行の様子を記録から紹介します。
「毎年、春季、秋季の2回行われ、生徒のすべてが参加する全校行事だった。行き先は関西近郊で姫路、和歌山、名古屋、伊勢、宇治石山方面で、一泊二日、あるいは二泊三日の日程であった。修学旅行は校外学習として重要な役割を果たすものと位置づけられたのは、やはり情報の少なかった当時ならではのことだったのだろう。各地の工場見学や博覧会などの見学に重点がおかれていた。」とあります。

 目的地に関しては、「明治42年(1909年)の姫路・大阪旅行では日本毛織会社のほか神戸税関、花筳試験場、造幣局。
 明治43年(1910年)の名古屋旅行では第一回製産品共進会。
 大正元年(1912年)の大阪・箕面旅行では、大阪職工学校、毛斯綸紡績会社。
 同2年(1913年)の和歌山旅行では和歌山第一綿ネル会社、和歌山紡績会社。
 同3年(1914年)の大阪・神戸旅行では第二回発明博覧会、大阪市立工業学校、貿易製産品共進会、大阪府立工業試験所などを見学している。
 修学旅行は娯楽の少ない当時とあって、生徒たちには何よりの楽しみだった。」と記されており、交通手段含め時代背景が異なる現在と違って、修学旅行が貴重な工場見学の場だったことが伺い知れます。
なお、写真は平安神宮での遠足の写真です。
(洛陽工高百年史より引用)

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2年生 旋盤実習の様子

 京都ものづくりコース2年生の実習で取り組んでいる旋盤実習の一コマです。引張り試験片という強度試験に用いる試験サンプルを製作しており、鋼材から削り出して仕上げていきます。今回製作する試験片は、3年生になったときに実習で引張り試験機にかけて強度や材料の伸びなどを測定するので、加工精度が要求されます。
 みんな図面通りの寸法に仕上がるよう慎重に加工を進めているところです。
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