京都市立学校・幼稚園
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10月20日オープンキャンパスの申し込みは、「カテゴリ」の中の「オープンキャンパス」からしていただけます。

卒業式予行

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 本日1限に、明日の卒業式本番をひかえ、3年生諸君は予行に臨みました。

 写真からもうかがえるように、真剣な態度でしっかりと執り行うことができました。明日にはさらに気持ちも入り、すばらしい式になることと思います。

 予行の後、大変ありがたいことに少しお話をする時間をいただけましたので、以下の3点について述べました。

 まず、この3年間本当によく頑張ってきたこと。立派だと思います。3年前に私が本校に着任してから、ここまで3年生と共に歩んできたこともあり、深い感慨があります

 つぎに高校入学後について、内進生、外進生とした垣根はありませんが、3年生諸君には大きな期待を寄せていることを伝えました。高校での中核として、存分に活躍して欲しいとお願いしました。

 そしてこれからの人生において、自分の生き方・役割(キャリア形成)を考える際に、自分の「ものさし」を持って欲しいことを述べました。誰彼と比べることなく、自らの道を歩む「気概」を示して欲しいと思います。またそれこそが、本校の校是「進取・敢為・独創」の目指すところだと考えます。

 最後に、日本哲学の泰斗、西田幾多郎博士の言葉を餞(はなむけ)に贈りました。

  人は人 吾は吾なり とにかくに
      吾が行く道を 吾は行くなり

「無垢」な心に触れて 1年生 性教育学習

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 昨日6限に、本校メモリアルホールにて1年生全員が標記学習をおこないました。
 以下はその報告です。

 3月11日6限目に、1年生の性教育学活の第3時が行われました。
 今回は、毎年ゲストティチャーとしてお越しいただいている高橋助産院(右京区)の高橋佐代子先生と、そこで出産経験がある方、現在妊娠中の方、ご夫妻などお子さん連れでたくさんの方がいらしてくださいました。
 始めは高橋先生から、パワーポイントを使って、助産師の仕事や助産院の様子、出産された直後のご家族の様子などお話をしていただきました。
 次に、6グループに分かれて、それぞれのゲストティチャーのお話を聞きました。子どもを授かった時の気持ちや、妊娠中の様子、出産の喜び、子育ての苦労や喜びなど、生の声を聞かせていただきました。出産直前のお腹を触らせてもらったり、赤ちゃんを抱かせてもらったり、お子さんが遊びまわる様子を見たり、普段ではなかなか体験することのできない時間でした。生徒たちの笑顔と笑い声と、赤ちゃんの泣き声とあたたかい空気に包まれた時間でした。
 最後に高橋先生から、「いくつになっても家族のスキンシップは大切である。」というお話がありました。
 ゲストのお話を聞かせていただいた時間は、丁度3年前に震災が起こった時間でした。
尊い命がたくさん奪われた時間に、命の誕生のお話を聞かせていただいたのは、何か意味があるような気がしました。
 自分がいろんな人に愛され、支えられて成長してきたことを知ることで、ここまで成長出来たことに感謝し、自分の命も周りの人の命も大切にしていってほしいと願っています。
【生徒の感想】
*お母さんの「子ども大好き」の気持ちがとてもよく伝わってほほえましかった半面、自分の反抗ぶりが頭に浮かんでいたたまれなかったです。母親が大変な思いで出産したのもわかったし、自分が中学生をやれているのをありがたく感じました。
*親の気持ちがわかりました。親ってこんなに子どものことを大事にしているんだと、ゲストティーチャーさんの話を聞いてわかりました。

 以下は私の感想です。

「幸福や不幸の大部分は自分自身にかかっており、まわりの環境にかかっているわけではない。」
 マーサ・ワシントン(元アメリカ大統領夫人)の言葉です。確かにそうだなぁ、と納得しつつも、昨日出会ったあどけない幼子達を見ていると、彼らの行く末に対する大人としての「責任」を感じざるを得ません。彼らが将来成人した際に、自らの幸福、さらに家族や隣人の幸せや社会的な充足感を得るために、今の私たちに何ができるのだろうか、と考えてしまします。

 個別のご家庭での価値観や経済的な条件など(まわりの環境)に因るものだけではなく、子ども達が自らの生き方をしっかりと定めるための支援(キャリア教育)には何が求められているのか、大切な問いだと思います。フランスの思想家、ジャン・ジャック・ルソーの箴言にその答えがあるのかもしれません。

「ある真実を教えることよりも、いつも真実を見出すにはどうしなければならないかを教えることが問題なのだ。」

 「真実」は一つかもしれませんが、「答え」はもしかするとその時の状況や背景によって無数にあるのかもしれません。子ども達が「自分の答え」を見いだすための「力」を育むことが、本校の大切なミッション(使命)だと考えております。

3年生 スポーツ大会

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 昨日午後より、快晴のもと本校グランドで標記行事がおこなわれました。

 男子はフリスビーをつかった「アルティメット (ultimate) 」という競技です。これは、バスケットボールとアメリカンフットボールを合わせた様な競技で、敵、味方に分かれて一枚のディスクを投げ、パスをつないでエンドゾーンを目指し、エンドゾーン内でディスクをキャッチすれば得点が記録されます。見た目とは違いかなりハードな運動量で、アルティメット(究極)の名に恥じません。

 女子はハンドボール。さすがに3年生ともなるとパスもよく通りますし、シュートも迫力満点!ゴール裏で観戦していると、思わずボールの勢いに身をすくめてしまうくらいです。なかなかのものです。

 結果は、A組が総合優勝!おめでとうございます。ただ、勝ち負けよりも中学校最後のスポーツ行事を存分に楽しんでいる様子がうかがえ、こちらも愉快な気分になる、そんな大会でした。3年生諸君、お疲れ様でした。 

語る会

 本日1限に、メモリアルホールに全校生徒が集まり、標記の会を催しました。

 この時期地域の中学校では、3年生を送り出す行事として、生徒達が中心となり「送る会」がおこなわれることが多いように思います。本校では、中高一貫校として卒業後も同じ敷地内の高校へ進学をすることになりますので、会の主旨が少々異なります。

 「語る会」。初めてその名称を聞いたときは、正直言ってあまりイメージがわきませんでした。実際、内容もこれまで見てきた「送る会」とその違いが感じられませんでした。そこで、開校以来おられる先生方にお話を伺い、その本来のねらいを再確認し、今年新たに内容を見直すこととしました。

 「語る会」。本校におけるその会は、卒業を前に3年生諸君が下級生に対し、これまでの生活を振り返り、同じ中学生の目線でエールを送り、高校進学に向けての決意を自ら「語る会」なのです。今回、取り組みまでの時間が短く十分な時間が取れなかったことが悔やまれますが、本来の目的に沿った活動をするができました。僅かな時間でしたが、本当によく語っていたと思います。

 涙はなく、笑顔いっぱいの会でした。それもまた「西京らしい」と思います。中高6年間の折り返しです。3年生諸君!後半も充実した時間が過ごせることを願っていますよ!

(写真上 1年生・2年生の発表です) 
(写真中 生徒会の発表です)
(写真下 3年生と「語る」様子です)
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3年生 最後の平常授業

 3年生は本日までが平常授業、明日からは卒業に向けての特別時間割となります。下の写真は、本校グラウンドで体育授業をおこなっている様子です。小雪がちらつく中、寒さをものともせず躍動している彼らを見ていると、つくづく「若い」ってすばらしいなあ、と感じます。

 少し話が変わりますが、本校の人権教育担当の先生から、教職員向けに「HUMAN RIGHTS」という「便り」をお配りいただいています。その中に、3年前の東日本大震災の際に卒業式を中止した立教新座中学・高等学校の渡辺憲司校長先生が、高校3年生向けに贈られたメッセージが掲載されていました。(ご関心のある方は以下のリンク先をご覧になってみてください http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/) 

 長い文章ですので全文を掲載することはできませんが、その一節に強く心を打たれた箇所がありました。(以下引用)
「時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。」

 本校高校3年生も、今大学への進学をひかえて日々研鑽しています。附属中学校の生徒諸君も数年後には高校を卒業し「大海」へと船をこぎ出します。「何のために学ぶのか。何のために大学へ進むのか。」その本質的な「問い」なしに、これからの長い航海へと旅立つことはできないと考えます。
 彼らが、多くの方々のおかげで「あたり前」に学校で学べているこの「時」を、明日の3月11日を迎えるに当たってもう一度見つめ直し、考えてみることが大変大切なことだと心から思います。
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ソチ・パラリンピックによせて

 明日より標記パラリンピックが開催されます。先のオリンピックに勝るとも劣らない熱戦が繰り広げられることと思います。5競技72種目に日本代表20人が参加されます。アルペンスキーやクロスカントリー、バイアスロンなどで、世界に挑む選手の活躍が心から期待されます。
 
 私はパラリンピックの開催に際し、いつも思い起こす言葉があります

「貴方の進歩を妨げているのは、貴方が何であるかではなく、貴方が自分を何だと思っているかである。」

 この言葉は、アメリカの人間行動学の権威、デニス・ウェイトリー博士のものです。
 様々な障害と対峙しながら、残された能力を最大限に活かして自己の極限に挑むパラリンピック選手の皆さんは、おそらく自分の可能性に対して自ら「枠組み」を設けたりはしないのではないでしょうか。

 それに比して自分はどうであろうか、と自問します。
「私は与えられた自己の能力を最大限に活かしているだろうか、いや、活かそうとしているだろうか…」
 難しい問いです。でも、できればそうありたい、そうであった方が幸せではないか、と多くの皆様が思われるのではないかと考えます。

 博士はこうも述べています。
 「まったく同じ風が吹いていても、
 東に進む船もあれば、西に進む船もある。
 進路を決めるのは、風向きではない。
 帆の張り方なのである。」


 子ども達には、本校での「学び」を通じて、自らの「限界」を安易に定めない「タフさ」を育んで欲しいと願っています。そのためにも、われわれ大人達がしっかりと「行き先」を示しつつ、試行錯誤を繰り返すであろう彼らを、遠くから見守る「灯台」のような役割を果たすことが大切なのだろうと考えます。皆様はいかがでしょうか。
 
 ヨーロッパの国際情勢が気になるところですが、選手の皆さんのご活躍とご無事を心からお祈りいたします!ガンバッてください!!

1年生「演劇フェスティバル」

 本日午後より、本校7階メモリアルホールにて標記発表会がおこなわれました。

 この取り組みは、1年生EP-A(総合的な学習の時間)の集大成として、生徒達が主体的に監督・演出などの準備を進めてきました。演目は全部で8つです。詳細はお知らせのプリントにてお伝えしていますが、どの舞台もとてもよく頑張っていたと思います。

 その上で、敢えて課題をあげれば「声」でしょうか。音量、発声など「演劇独特の言い回し」に今後の頑張りを期待します。まだ1年生でもあり、身体的にも発達途上の生徒諸君には少々酷な要求かもしれませんが、是非「高み」を目指して、さらに上のステージへとステップアップしてくださいね。

 私たちにとって、生徒たちの発表はいつでも「満点」です。しかし、その出来映えに「よかった、よかった」の声かけだけでは「育ち」が望めません。それに、そのことを一番感じているのも実は演じている生徒達自身です。彼らを侮るわけにはいきません。彼らの成長を信じ、これからの飛躍を導くためにも「鉄は熱いうちに打て!」だと考えます。

 保護者の皆様。本日は足下の悪い中、多数ご参観いただき本当にありがとうございました。どのお子さんも一生懸命で素敵でした。ご家庭での話題としてください。
 そして、私たちがお子たちに期待し求めている力を育むために、小学校での「発表会」とは、また違った「視点」でお子たちの頑張りを見ていることもお含み置きいただき、共に導いていきたいと存じます。よろしくお願いいたします。
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「時雨殿杯2014〜中学生かるた大会〜」準優勝!

【日本の伝統部顧問からの報告です】

日本の伝統部

3月2日(日)  嵯峨嵐山の時雨殿にて
伝統産業の日2014「時雨殿杯2014〜中学生かるた大会〜」に出場

西京附属中Bチーム  2回戦で開晴中学校に1−2で善戦でしたが惜敗

西京附属中Aチーム  決勝戦に進出  月輪中学校に1−2で惜敗 準優勝でした。             

 競技かるたの試合は、わずかな音でも集中している選手にとっては大きな雑音になります。ビデオカメラの操作する音やビニール袋のこすれる音でさえ会場では立てることができません。札を読む声がきこえ始めると、動きかけた人の動作が、静止画のように一瞬でストップするそんな緊迫感がただよいます。選手たちは、そんな緊張感とたたかいながら、この大会で自分の力を発揮してくれました。        

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「大嫌い!」…でも

 本日4限、3年生最後の道徳の授業を参観してきました。

 教室で配られたプリントの冒頭には「大嫌い!」の文字が。思わずなんだろうとのぞき込むと、そこにはおうちの人への率直な想い(愚痴?)を書き込む欄があります。そこは思春期の子ども達のこと、普段の鬱憤(保護者の皆様、ごめんなさい)が記されていきます。
 ひとしきり自分たちの思いを語った後に、明治生命のCMでも取り上げられた「秋雪くん」(ダウン症のお子さんで6年あまりを精一杯に生き、1999年に天に召されました)に対するお母様の手記を読みました。
 そしてサプライズ!あらかじめお願いしていた、保護者の皆様から生徒諸君への「手紙」を手渡します。各々が自分への手紙を手に取り、教室が水を打ったように静まりかえります。しばらくすると、どこからともなく、あちこちで嗚咽が…

 担任の先生からはこのような言葉が投げかけられました。
「どこにいても、いくつになっても、おうちの人はあなた方を見守っているよ。そのことを忘れないで。この手紙は一生の宝物だね。」

 私からも言葉を贈りたいと思います。
「愛されていることを忘れてはいけませんよ。そのためには、あなた自身が大切な人を愛することです。愛することを恐れてはいけません。それは生きていく上で最も大切な営みなのですから。」

 保護者の皆様。生徒諸君はとてもとても素敵なお子たちですよ。
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「上巳の節句」にちなんで

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 手元の辞書を紐解いてみると、本日3月3日は上巳(じょうし/じょうみ)の節句、五節句の一つとなります。旧暦の3月3日は桃の花が咲く季節であることから、「桃の節句」とも呼ばれます。

 さらに調べてみると、その起源は平安時代以前で、京の貴族階級の子女が天皇の御所を模した御殿や飾り付けで遊んで健康と厄除を願ったことが始まりとされ、元々は5月5日の端午の節句とともに男女の別なく行われていたのですが、江戸時代ごろから豪華な「雛人形」は女の子に属するものとされ、端午の節句(菖蒲の節句)は「尚武」にかけて男の子の節句とされるようになった、とあります。

 さて、雛人形の「雛」は「ひな」とも読みますが、「ひよこ」の意でも使われ,まだ大人にならない小さな「こども」のイメージがありますね。私は「雛」の字を見ると、かわいらしい幼子を思い浮かべますが、保護者の皆様はいかがでしょうか。お子たちがまだ就学される前の、もしかすれば「ハイハイ」をしている頃の、あどけない様子を思い出されるかもしれません。

 そのお子たちも、いつしか成長して自らの意思で「立つ(=自立)」ことを模索し出します。子ども側の視点で言えば必然の営みですが、親御さんの目には「思い通りにならない」困った状態に写ることもあります 。
 「昔は言うことを聞いたのに…」、「勝手なことばかり言って…」と、つい愚痴を口にすることもあるかもしれません(私もご多分に漏れずですが)。
 誤解の無いように申し上げますが、お子たちがいくつになっても、親御さんや年長者の言葉に耳を傾けることは必要だと思います。しかし、最終的に自分の生き方は自分しか決めることはできません。われわれ大人達は、そのサポートをするしかできないのです。もどかしいのですが、彼らの人生を彼らの代わりに生きることはできないのです。

 男女を問わず、お子たちが生まれたその日から、われわれはその健やかな成長を願ってきました。だがそれは、子ども達に自分の夢を「投影」することでもなく、彼らに自分と「同化」することを求めるものではないはずですね。純粋に、彼らの「成長(=自立)」を望んできたのです。したがって、その節目節目(=節句)に、お子たちが少しずつ手元から離れ、巣立っていくことを(とても寂しいことですが)私たち大人も受け入れつつ、その歩みを祝うことが大切なのではないでしょうか。

 「自立」、その日が来ることを望みつつ、恐れつつ…。子どもを育てることの難しさを心底感じながら、われわれは「教育」という営みをおこなっているのだ、と改めて「上巳の節句」の意味合いを考えてみた、私にはそんな今日一日でした。
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学校行事
3/13 放・・・卒業式準備
3/14 卒業式
3/17 5,6限 3年生研修旅行報告会(2年生対象)
3/18 5,6限 1,2年スポーツ大会 <2年雨天順延 午後水56>
3/19 午前中授業 SC午前中
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