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最新更新日:2025/07/28 |
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学級討議
今日の1時間目に生徒総会に向けて学級討議を行いました。まず、各委員会から今年度の活動目標と活動計画が報告され、質問や意見を受け付けました。その後、生徒会予算の昨年度の決算と今年度の予算案が提案されました。最後に、学校改善計画作成に向けて、学校生活で困っていることを出し合い討論しました。各学級から提出された学校改善作成計画を生徒会本部で集約し、次回の学級討議で返していきます。
6月14日の生徒総会を成功させるためには、活発な学級討議をすすめることが大きな鍵になります。 ![]() ![]() ![]() アイデンティティ![]() ところで,自己紹介というか,あなたは誰かと問われれば,どのようにこたえるだろうか。「私は,○○△子です」と言う人もいるかと思えば,「私は,□◇中学校3年の○○です」というようにこたえる人もいるでしょう。自分のことを少しでも知ってもらうためには,学校名を多くの人は言うことと思います。大人の世界では,自分の所属する集団の名称を入れ,肩書まで入れた名刺を渡します。自分の所属する集団名が学校名であり,肩書が学年,さらにはクラス名に当たる。ところで,自分は何なのかや自分自身のことをどう思うかという意識を「アイデンティティ」と言いますが,その「アイデンティティ」の重要な位置を占めるのが,どこに所属するかという点なのです。 とりわけ,幼稚園や保育園から小学校,中学校,高等学校,そして,大学や専門学校などと児童・生徒という期間が長ければ,中学生,高校生などと,学校内外に関わらず,所属する学生の区分分けで,生徒の基準と見られることが大半を占めます。そうなると,次にどこに所属する生徒かということが,大変大きなウエイトとしてそれぞれにかかってくるのです。 そこを詰めていくと,○◎部でどこを守っているとか,何番を打つとかや校則を守っているかといった細かな点まで含めて,学校外でも自分というものの評価と結び付きやすいものとなっていきます。ゆえに,その根本である「大宅中学校」という大きな視点を総括する名称は,対外的にも大きなウエイトとなって君たちに降りてくるのです。校外に出るとき,先生方はよく大宅中学校の看板を背負ってという言い方をするのは,まさにそのことなのです。 ということで,学校改善計画は大宅中学校に属する君たち一人一人に関わる大変大切なことで,それぞれがしっかりと考えることに意義があるのです。というのも,そのことを一人一人が考えるということは,その一人一人が改善しなければならないと点と考えることであり,つまり,自分自身の問題でもあるからです。それが重なり合って大宅中学校を支えることとなるからです。99%成功していても,わずか1%でどんでん返しになる場合はあるのです。1%の人のとった行動で大宅中学校の評価となることは往々にしてあるのです。評価のために……という言葉をよく聞きますが,それで評価を受けることはあるのです。「信用」「信頼」という言葉はそれだけ大きな言葉なのです。学校改善計画,ここは一つ真摯に考え下さい。 知ること![]() 人権講座では,本音で話されるゆえに,大変その思いが伝わり,わかりやすく,納得できた思いがあったが,今回も何をなすべきかをはっきりと話されるので,なるほどという思いで,改めて考えさせられた。 松永さんは,網膜色素変性症のために,40歳を前に全盲になられたということで,我々が今,そのような状況になればという思いを的確に代弁していただいたようにも思えた。例えば,本当に正直で,障害を乗り越えてといったようなかっこいい自分ではなく,ウジウジとした自分であったと話されていた。ふさぎ込む自分ではあるが,そこは人間,あきらめも出て,それを受け止めると,自然と力も湧いてきて,もう一度外を歩いてみたいと考えたとき,今までの自分が吹っ飛んだという,人間のもつ素晴らしさといっていいような思いに変化したとも言っておられた。 ただ,年を取る,怪我をする,病気になるといった誰しも起こることの中で,たまたま視覚障害に見舞われるだけのことで,だれでも起こりうることとして,捉えていくことの重要性を訴えられた。でも,自分は,まだ視覚障害者になる前に,白い杖を持った人に積極的な声かけも出ていなかったことに対して,知る機会がなかったということを話されていた。ということは,やはり学校教育の重要性を訴えられたのだと思う。 さて,こうした人権問題などを考えるとき,最も大切なことは,事実を知るということであり,無関心でいるということが大変な問題なのだということだ。古代ギリシャの哲学者,ソクラテスは「無知の知」,「『真の知(真の理解)』というのは,自分の『無知』を自覚することから始まる」と言った。「知っているつもり」「分かっているつもり」という中途半端な思いが,「知ること」「「理解すること」をどれだけ妨げているかということである。 「知っているつもり」「分かっているつもり」からは,本当に知ろう,分かりたいという意識は生まれずに,知るための,分かるための行動に至らないのである。「無知の知」を自覚することは,ある意味,自己否定であり,なかなか受け入れ難いことではあるが,そのことを知ることが人として向上という点で大切なことのように思える。 ところで,これは友人関係に当てはまらないだろうか。例えば,友だちを見るとき,○○君は〜なやつだ,と今までの染み付いた思いで見ていないだろうか。改めて,今一度真っ白にして,見てみれば,新しい○○君が見えてくるはずだ。常に友だちのいろいろなことを知る努力を,分かったつもりでなく,見て欲しい。きっと新たな友だちとなるはずだ。 給食試食会
今日も快晴です。気温は、30度手前まで上がっていますが、空気が乾燥しているので気持ちよいです。1年の中でも1番過ごしやすい時期です。
今日は、PTA主催の給食試食会が行われました。1年生の保護者を中心に多くの保護者に参加していただきました。まず、教育委員会から栄養士の先生をお迎えして学校給食について話をしていただきました。その中で脳を活性化させるためにも朝食を食べることの大切さを言われていたのも印象深かったです。 その後、実際に給食を試食してもらいました。和気あいあいの中での試食で保護者の方々の交流にもなりました。試食後、保護者の方々からは「思っていたよりおいしかった」「今日のレシピがほしい」などの声が寄せられました。 ![]() ![]() 花の植えかえ
今日の放課後、評議会・各種委員会の時間に美化委員の皆さんは、花の植えかえをしてくれました。強い日射しの下、汗を流しながらの作業でした。いやな顔をせずに続けてくれたおかげで短い時間で終了しました。校内が華やかになりました。ありがとう。感謝です。
![]() ![]() ![]() 早苗の季節へ
今日もすばらしい快晴。まさに「日本晴れ」です。
校門前の水田に水が入り始めました。田植えが近いうちにありそうです。早苗の季節に移っていきます。毎晩、かえるの合唱も始まります。今年も豊作になりますように… 「たくほう第4号」と平成25年度の学校評価年間計画を右下の配布文書の欄にアップしました。ご覧ください。 ![]() ![]() ![]() 集団づくり![]() 中高接続などという言葉がある。中学校を卒業した生徒すべてが高等学校へ行くわけではない。99%の進学率といったところで,1%の生徒はそこには入らないのである。とどのつまり,中学校の視点として,小中一貫の9年間の義務教育が終わるということを忘れてはならない。つまり,義務教育卒業時にふさわしい力が付けられたかということを問わなければならない。積み残しは高等学校でというわけにいかないのである。このことを新採時の学校長から言われたことを今も思い出す。 義務教育について,良く間違えられていることがある。義務教育の「義務」とは,子どもは学校に行く義務があるという言い方である。子どもにあるのは,「教育を受ける権利」であり,ちょっと行政的な言い方になるが,子どもは,学校に行っている,行っていないに関わらず,教育を受ける機会を与える義務があるということだ。そこを学校に行く義務があると捉えると,保護者は「学校に行くことが当然」,学校側からすれば「学校に来ることが当然」ということになってしまう。そして,「学校に行かなあかん」,「学校に来なあかん」という言葉が飛び交うのがその点だと思う。 さて,その義務は差し置いて,「来なあかん」という思いを私たちはどのように考えているだろうか。つまり,学校が来るに足るものかという視点で考えなければならない。その最大の条件は,学校自体が明るく,楽しい場所かどうかということだと思う。子どもも教職員も楽しくなければならない。それが学校へ足を向かわせる条件だと思う。そのためには,とりわけ教職員が仲良くなければならない。笑顔あふれる集団でなければならない。それは子どもも感じるところである。昔,子どもから,先生と○○先生は仲悪いんかと言われたことがある。子どもにはそんな風に映ったんだろう。子どもは正直で,敏感なのである。とにかく子どもが学校へ来たくなるような教職員の集団づくりが必要である。そこをもう一つ掘り下げると,学年集団づくりであり,学級集団づくりなのである。そして,自分の居場所のある学級か否かが問われるのである。 学力をつける,規範意識を育むといっても子ども自体が学校に楽しく来れなければそのようなことはできない。それは家庭や地域でも同じことである。 放課後の部活動
放課後の部活動。続きです。写真は野球部・サッカー部・漫画研究部です。
![]() ![]() ![]() 強い日射し
夏のような強い日射しです。気温も30度をこえ、暑い1日になりました。
明日から1期中間テスト1週間前になり部活動が停止になります。今日の放課後まで見られた風景は明日からは変わります。部活動から学習会へと風景が変わります。 写真は、部活動停止を前にした柔道部、剣道部、家庭科部の活動の様子です。 ![]() ![]() ![]() 挨拶![]() 私は常々,教職員は子どものモデルであると考えているし,教職員の方々にもそう言っている。子どもたちが日常的に接する大人は,家族と教職員,そして,地域の方々である。とりわけ,多くの時間を生徒と一緒に暮らす教職員は,よいモデルとならねばならない。挨拶が返せない生徒がそれでいいと思っているはずはないだろうし,また,多くの生徒はそれはダメだろうということくらいはほぼわかっているはずだ。しかし,その一声が出ないのである。理由はいろいろあるだろう。その理由を詮索してもしょうがいない。挨拶をしなければならないときは,挨拶をしなければならないからである。挨拶に関していえば,先にも言ったように,誰しも挨拶など不要だと思う子どもはほぼいないだろう。ならば,根負けせずに,挨拶をし続けることが大切なのである。 ところで,こうした指導をするとき,私たちが慎まなければならないことは,くどくどとした説明である。今さら挨拶の必要性など説くこともないし,説いたところで,少しは心改める子どももいるかも知れないが,そんなものでもないだろう。ある意味「ダメなものはダメ」方式でいえば,「必要なものは必要」と言い換えられるかもしれない。そして,モデルたる私たち教職員がしっかりと子どもたちに向かって挨拶をし続けることが大切なのである。これは保護者の方々にも同じようにお願いしたい。 ところで,挨拶を考えるとき,何も朝の校門だけでない。授業規律と言われている授業の最初と最後にきっちりと挨拶をしているかということや,委員会では,部活動では,下校時ではといった点にまで目を配り,ありとあらゆるところできっちり挨拶がなされているかということも問わなければならない。あらゆる場面を含めての挨拶を繰り返すことが,生活の中での挨拶につながっていっていくからである。単なる「おはよう」ではあるが,それが大げさにいえば,生活改善につながっていくように思えてならない。 |
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