京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2025/06/18
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合唱コンクールリハーサル(3年)

今日は、蒸し暑く、文字通り「残暑」の1日です。

9月19日(木)に行われる合唱コンクールまで残すところ1週間になりました。今日の6時間目に、3年生のリハーサルが行われました。3年生にとって中学校最後の合唱コンクール。どのクラスも意気込みを感じさせるリハーサルでした。本番までさらにクラスの団結力を高めて、練習を続けてください。そして、すばらしいハーモニーを響かせてくれることを願っています。
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今しか

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 朝,教室を回っていると,あるクラスの合唱コンクールの楽譜の表紙に,写真のように「あとじゃできねんだよなあ いまのことはいましかできぬ」と書かれていた。机に置かれていたのは一部だけゆえに,外がどうかはわかない。
 人は弱いものである。試験勉強をしなければと思うと,そのためにはということで,急に部屋を片付けなければと掃除をしだしたり,本が気になりだしたりして,ついつい読んでしまったりと,そこから逃れたいと思うのか,逃避的な部分があるように思う。今やらねばならないことに向き合えるのは,本当に芯の強い人だと思う。
 でも,そんなことをいっていても始まらない。やらなければならないことはやらなければならない。その気持ちをどう持てるかである。ここでは「あとじゃできねんだよなあ」がそれに当たるだろう。
 言い換えれば,「今しかない」である。合唱コンクールでいえば,1,2年生なら,来年もあり,3年生なら,来年はないと考えられるが,1,2年生とて,コンクールそのものが100%あるとは限らないし,それより何より,今のメンバーでの合唱はない。極端にいえば,クラス替えがなければあると思うかもしれないが,それとて,1年生ではない2年生という年齢になっているし,2年生は3年生になっている。単に学年が違うだけではない。1年間の間に,考え方や思いも変わってくるものであるとするならば,やはり「今しかない」のである。
 このことを別の表現で表すならば,「一期一会」ということだろうか。茶道に由来する言葉であるが,これからも何度も会うことはあったとしても,その時の人とは変わってしまっていて,今の人とは,二度と会えないというくらいだろう。ゆえに,一生に一度だけの機会,生涯に一度限りであること,という意味で表されている。つまり,一生に一度しかないと考えて,そのことに集中する、専念するということなのである。
 合唱はクラスの皆でつくる創造的な営みである。そのことを以て,クラスそのものであるともいえるだろう。ゆえに,「あとじゃできねんだよなあ いまのことはいましかできぬ」が生きてくるように思う。ゆえに,皆でつくる創造的な営みを,皆で楽しんで欲しいとも願っている。

インターンシップ

昨日から、大学3回生の学生さんがインターンシップで来校しています。インターンシップは、教職員の仕事を観察したり、体験したりして将来の職業選択の参考にします。教職員の仕事には授業以外にもいろいろな仕事があることを見てほしいと思います。大学では柔道部で活動されているので、放課後は柔道部の練習にも参加してもらっています。インターンシップは、20日(金)までの2週間です。有意義なインターンシップにしてほしいです。
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ものの見方

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 ものの見方は正面からばかりではない。横から,斜めから,真上から,いろいろな方向から見ることで,数々の情報が入ってくる。多角的に,多方面から見るということである。
 以前,ある校長先生のお話を聞いて,なるほどと思ったことがある。それは,小中一貫教育のある視点の話である。中学校では,鉢植えを廊下に置かないという話であった。それは生徒指導上というか,それが壊されれば,投げられれば大変だということで置かないという理由づけであるが,小学校には置かれている。一般社会でも会社の廊下などにも置かれている。中学校だけが置かないのは,社会から見れば,おかしいという主旨の話であった。
 小中一貫という視点からいえば,同じ視点で見ていこう,同じ流れの中で育てようという思いからは,社会でそのようになっているならば,どうせ社会に出ていくことを考えれば,同じように進めることも必要なように思う。
 例えば,写真に挙げたように,中学校では,だいだいどこでも,「廊下は走らない」といったものが目に着くが,小学校では「廊下は歩こう」と表されている。否定的なものの見方から,肯定的なものの見方の違いである。そんな目で見てみれば,いろいろなことが目に留まる。例えば,〜ソックスは履かない,〜は持ちこまない,などといったことを,肯定的に書けば,雰囲気も変わるというか,発想も変わるかもしれない。
 人の見方でも,よくしゃべる人を,しゃべりといわずに,社交的だといえば,随分印象は変わる。そんな逆向きの発想をすることで,とりわけ,生徒の見方など大きく変わるように思う。
 小中一貫という視点,改めて小学校の視点を中学校で,中学校の視点を小学校でと見直すことで,より良い方向性を見つけることが一つの視点のように思う。文化の違いなどよく言われたが,具体的にその違いをより良き方向にしていくのが大切なことであるように思う。見方を変える,視点を変えると口ではよく言うが,具体的に中学校の廊下を歩きながら,そんなことを考えていた。

文化祭のお知らせ

今日もさわやかな晴天です。

9月19日(木)・20日(金)に予定しています文化祭のご案内を右下の配布文書の欄にアップしました。お忙しいとは存じますが、生徒の日頃の学習の成果をぜひご参観いただきますようご案内いたします。

堂々と

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 今日,9月9日は重陽の節句である。旧暦では菊の季節であり,菊の節句ともいい,長寿を祝う。3月3日の桃の節句,5月5日の端午の節句,7月7日の七夕の節句などは有名だが,9月9日は陽(奇数)の最高の数字9が重なることで,重陽といい,最高のいい日なのである。
 さて,昨日,山城総合運動公園の体育館で第26回のマーチングコンテストが行われた。本校の吹奏楽部が初参加であった。銀賞という堂々としたもので,何よりだった。
 前にも書いたが,なぜ出場しようとしたのかは聞いていないが,出ようとする意欲は素晴らしい。出場する学校はどこも同じだが,8月の吹奏楽コンクールの大会から1か月足らずである。8月10日過ぎの厚い体育館の中で,裏庭で,汗を流しながらの練習のことを思い出す。
 何でもそうであるが,どこでどう踏ん張るかであると思う。それができるかできないかの違いであると思う。チャレンジする気持ちは,他に影響する。やれるという自信につながる。きっと吹奏楽部の生徒には,その自信が持てたものと思う。
 3年生も今,劇の取組を行っている。20日のステージ発表に向けて,それぞれの役割で頑張っていてくれる。その発表での自信を持ち,あとの半年の進路実現に向けてにつなげて欲しい。
 ところで,自信がもてないとはどういうことなのかを考えてみると,初めからダメだと思って,何もしない,自分の良いところが認められずに,頑張っても劣等感がぬぐえない,何をしても不安で,他人からのちょっとしたことを言われて落ち込んでしまうなど,いろいろな原因が挙げられる。誰しも不安で,だれしも劣等感を持ち,誰しも他人が気になるものである。その思いをどこでどう断ち切るかであるように思う。それは,今までにない自分を見つけ,その努力を認め,やりきったすがすがしさを感じることだと思う。やり切ること,このことこそが何よりの自信となることだ。そのためにはちょっとした努力が必要なだけである。
 10分間しか本を読み通せなかったが,11分め,12分めと少しずつでいいから増やせていけばいい。30分しか机に座っていられなかったが,31分座れていた,となればいいのである。今までの自分ではない自分が認められればいいだけである。その積み重ねが継続であり,その継続が自信なのである。
 3年生にとっては,これからが大事な半年である。今までにない自分をどこで見つけられるかである。きっと今までにない自分は進路に向かおうという気持ちがあれば,そこで今までにない自分がいる。勉強しなければと思う自分がいるなら,そこは今までにない自分である。そんなことを一つ一つクリアーし,実際に行動化していけばいいのであって,特別なことではない。日常の中で,そんな自分を見つけて欲しい。その最初の自信は,やはり3年生としてのステージ発表であるように思う。あと10日である。

吹奏楽部 マーチングコンテスト

吹奏楽部は、9月8日(日)に太陽が丘体育館で行われたマーチングコンテストに初めて出場しました。吹奏楽部は、8月の吹奏楽コンクールの後、マーチングコンテストに向けて猛練習をしてきました。慣れないマーチングでしたが、暑さが厳しい中でも弱音をはかず懸命に努力しました。先週は、朝練習もしていました。

他校に比べて少人数でしたが、体育館の中にしっかり音が響いてすばらしいマーチングでした。結果は見事、銀賞。努力が実を結びました。おめでとう。
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秋季新人大会が始まる

今朝は、さわやかな晴天で気持ちがよいです。

部活動の秋季新人大会がいよいよ始まりました。練習の成果を発揮してくれることを願っています。結果をお知らせします。
(男子バスケットボール部)
予選リーグ  大宅 42−32 岡崎  見事、初戦を勝利で飾りました。

(女子バスケットボール部)
予選リーグ  大宅 80−20 龍谷大付属平安  初戦は、圧勝でした。

(野球部)
野球部は、部員が9人に足りないので単独チームが組めません。秋季新人大会は、洛水中、凌風中、大宅中が合同チームを組んで戦います。
予選リーグ  合同 9−0 久世  チームワークよく初戦を突破しました。

授業の様子(2年総合)

今日は、気温が上がりましたが、空気が乾燥していてすがすがしい天気です。

2年生の総合的な学習の時間では、11月11日(月)から始まるチャレンジ体験に向けて準備を進めています。今日は、「働くとはどういうこと?」というテーマで話し合いをしいました。準備をしっかりして、チャレンジ体験を実りあるものにしてください。
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さりげなく

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 朝,校内を回っていると,あるクラスの黒板に,担任の先生がクラスに当てたことが書かれてあった。いいところや課題となるところ,日々の思いから合唱コンクールの練習等々である。前日の放課後,いろいろな思いを担任が言葉にしながら書いている姿を,生徒たちが想像してくれればなと思いながら読んでいた。
 なかなかのアイディアであると思う。というのも,そのようなことを続けていくには,何よりもクラスへのするどい観察眼が必要であるとともに,その意義づけもしなければならない。私はただその黒板を見ているだけなので,担任がその話を朝にしているのか,していないのかどうかもわからないし,生徒たちにその反応を尋ねもしていないので伝えられない。しかし,話として伝えられないことでも,黒板に書くことで伝えられることもあるし,いろいろな手を駆使して,生徒に伝えようとすることは大切なことである。
 以前の学校でも,よく忘れ物をする生徒がいるとき,どんな伝え方をしているのかと尋ねたことがある。終わりの会できっちりと言っていますと,胸を張って言う担任がいた。それは,担任がしっかりと言っただけで,生徒がしっかりと聞けたと勘違いしているのである。忘れ物をするということは,担任の責任なのである。よく忘れ物をする生徒がいるならば,言ったことを,その生徒の再度言わせるとか,メモを取らせるとか,端の人が聞こえてないかもわからなので,再度言ってあげてとか,生徒に見合った取組が必要なのである。それがきっちりと伝えるということなのである。
 きっちりとではあるものの,さりげなくというのがいいように思う。生徒の心に染み込ませる指導こそが,大切な指導であると思っている。やいやい言わないが,ちゃんと自分たちのことを見ていてくれる担任ほど,心強い担任はいないだろうと思う。担任は,どんな担任になろうとするのか。今までの現場で見てこられた先輩方や,現在校での同僚からとか,本で読んでとか,いろいろなものが合わさって,理想とする担任の姿ができてくる。そして,そのために,どのような指導を積み重ねていくことが必要なことかを考え,進めていくのだろう。すんなりとはいかないが,思考錯誤しながら,実践を積み上げていくものである。
 マイブームの大村はま先生の『灯し続けることば』の中に,つぎのような言葉ある。「伸びようという気持ちを持たない人は,子どもとは無縁の人です」
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学校行事
9/14 大宅土曜塾(10:00〜12:00)
9/16 敬老の日
9/17 交通安全指導日
京都市立大宅中学校
〒607-8175
京都市山科区大宅山田113
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