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最新更新日:2025/06/11 |
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1年生 科学センター学習
1年生は、午後から科学センター学習に出かけました。「切ってもきれない!電気と磁石!」「水と油の不思議な世界」「植物は工場」「花こう岩にアタック」をテーマにして物理・化学・生物・地学の4分野に分かれて学習しました。「植物は工場」では、学習の最後に「心太(ところてん)」づくりに取り組んでいました。設備が整った実験室で楽しく、有意義に学習できました。
![]() ![]() ![]() 本心![]() さて,今は19日・20日の文化祭に向けての取組を進めている。大宅での文化祭は初めてで,楽しみが先行している。とりわけ合唱コンクールが素晴らしいと聞いている。 ところで,あちこちから合唱練習が聞こえてくる。どの学校にいても,歌声が聞こえるのは,学校という思いにさせられる時季である。その合唱コンクール,なかなかうまく練習が進まないことで,パートリーダーが悪戦苦闘したり,指揮者がみんなに呼びかけをしたりと,様々な様子が日々繰り広げられる。こうした思いの中で曲をつくり上げていくことで,まとまりというものが出てくるように思う。クラスを信じ,ひとつ心になって取組む作業である。それゆえに,意義があるように思う。 速さを競い合うとか,1番に到着するとかといったように,目に見えた結果判断が合唱コンクールではできない。自分たちのクラスが1番だったなと思っていても,意外な結果となることも多々ある。ややもすれば,もやもやが付いて回るのがこのコンクールである。 ということで,19日の東部文化会館での発表は,コンクールではあるものの,その評価は途中経過であるように思っている。その後の学級のまとまりかどうかで決まるように思う。つまり,この過程を通して,学級がひとつ心になるかどうかということである。まとまりとなるような練習をしたかどうかなのである。さらに言うならば,まとまりとなった練習の成果は,この学年が終わり,クラスが解散する時に,誰とはなく,このクラスで歌った歌を歌おうという雰囲気になるクラスであったかである。例え最優秀に輝いたクラスであったとしても,最後に歌いたくないような思いの生徒がいるクラスは,本当の最優秀のクラスではないのである。19日の結果はどうであれ,この練習の日々を心に,コンクール後も歌い続けていくクラスであるかどうかが,この2週間で決まっていくように思う。3月のクラス最後の日に,合唱コンクールの歌を歌って別れられるクラスに最優秀賞を授与したいし,どのクラスも,最終的には最優秀クラスであって欲しいと願っている。それが合唱コンクールの本心である。 9月・10月行事予定
今朝は、蒸し暑い朝を迎えました。午後からは急な激しい雨が心配されます。
9月と10月の月間行事予定を右側の「行事予定」の「月間行事予定」の欄にアップしました。ご覧ください。 志の仲間![]() 8支部の代表の生徒が,それぞれの支部の交流会の持ち方,そして,課題等を出し合ったのち,3つの分科会,「地域との積極的な関わり方」「環境美化への意識向上」「社会や学校のルール順守」で話合いを行い,スローガン「見直す,実行する,継続する〜自分が行動しないで誰がする〜」をその趣旨とともに,各中学校へ発信した。 各校の取組を知ることは,自校の取組を振り返るとき,大変参考になる。生徒会の代表にとって,この場は全市の発表の場であったが,この前の支部での交流会がとても大事なというか,有意義な場であったろうと想像する。隣の学校が何をしているかを知ることは,ひょっとすれば地域ということを考えれば,同じような課題や悩みを抱え,それに向かおうとしている共通項であるかもしれないし,また,時によっては,共同で一緒になって同じ課題で取組を進められるかもしれないからだ。とにかく,周りを知ることは,自分たちに直結する大切なことである。 また,これから3年生から2年生へと生徒会が移っていくときに,3年生が2年生に伝えるべきことをまとめる際にも,こうした会で話し合ったことが生きてくる。そして,一生懸命に自校のことを考えている仲間が会することは,本音の語り合いもあっただろうし,何より自分たちだけでない,多くの苦労を知っている仲間がいることは,目には見えないが,その背景としての力強さのような思いも感じているものと思う。 各校の生徒会が活性化することは,学校が活性化することにつながる大切な要素である。大宅中学校の学校改善計画ではないが,学校をよくしようとするとき,まずは自分たちができることは何か,ここまではやるが,ここは他の協力が必要だとか,ここは,こんな力が必要なので地域の方々にお願いしたいとかといったところまで,きっちりと考えることが大切である。そのためには,きちんきちんと自分たちの役割をしっかりと担っていくことによって,自主・自律といった力が生まれ,そこから,また違った一歩進んだものの見方ができるようになっていくものと思う。来年度,全市のまた,一回り大きくなった生徒会サミットを期待する。そのためにも生徒会活動,半歩でも進められるようにと願っている。 授業の様子 2年女子体育
今日は、少し蒸し暑いです。台風が近づいている影響でしょうか。
校内をまわっているとグランドから大きな歓声が聞こえてきました。見に行ってみると2年生女子の体育の授業でした。ソフトボールの代わりにドッジボールを使って野球?をしていました。攻守にわかれて仲間同士で声をかけあい、特にバッターには大きな声援が飛んでいました。中には、一塁に走らず三塁へ走り出しそうな生徒もいて、何かほほえましかったです。慣れてくれば好プレーも見られると思います。 ![]() 文化祭・合唱コンクールに向けて
今日も空気が乾燥して、カラッとした天気です。一時の蒸し暑さからは、解放されました。
9月19日(木)・20日(金)の文化祭・合唱コンクールに向けて取組が始まりました。今年の文化祭のテーマは、「団結。」です。クラスがまず団結して、次は学年が団結して、最後は学校全体が団結して文化祭を成功させてください。そして一人一人がどこかの場面で輝いてください。期待しています。 写真は、合唱コンクールに向けてパート練習をしている様子です。 ![]() ![]() 素養![]() ところで,全国学力・学習状況調査の問題は,学習指導要領をもととしているので,大きく見ると,我々の日々の指導を振り返るということと,このような問題を意識した指導がなされているかということになる。私は国語科の教員であるので,国語という視点で見てみると,国語科の現在の問題意識を喚起するものや日常の学校生活の中で,応用できる要素を含んだ問題が出されるなど,なかなかの工夫がなされている。ということは,国語科以外の先生方もこの問題を見ることで,大きな参考というか,自教科に生かせるというか,生かす工夫や学級の時間等にもつかえるもので,返却を契機に,再度全体で確認することの意義がある。 さて,新聞では,どうしても上がった,下がったといった点数に視点をおいた書きぶりになるのはしょうがないことであるが,私たちが心しなければならないことは,やはり自校の生徒の結果分析である。どういった点で成果が表れ,どういった点が弱くといったことと,それを意識した指導を展開してきたのか,どこに指導の工夫があって,どこに指導のまずさがあったのかという点を分析し,学校全体で共有することである。もちろん点数にこだわることも大事であるが,そこだけで終わってしまえば,改善が示されないまま,良かったな,悪かったなの世界に陥ってしまうからである。 それでは,これからどういうことをしていけばいいかということであるが,学校での共有とともに,やはり,子どもたちには読書生活,さらには新聞なども含めて,社会人としての素養を進める方策,そこにはきっちりとした日本語指導も入るが,相手意識をもったいろいろな活動,手紙やはがきを書く意義から書き方,メールでのやり取りの工夫など,少し考えれば,いろいろなアイディアが浮かんでくる。説明の文章を皆に話す時の文章にかえる指導や広告などが見ながら,訴える図の書き表し方等々,自分の教科で社会人としての素養を考えてみることは重要なことだと思う。それは,いわゆる言語活動の充実や生きる力の育成にもつながるものである。生きて働く日本語を意識することだと思うし,また,そんなことを考えると,楽しい授業になるはずである。授業が楽しくなくては,身に付くものも付かないというものだ。 たくほう第7号
今朝も涼しく過ごしやすかったです。昼間は、気温が上がりますが空気が乾燥してカラッとした暑さになるそうです。
たくほう(学校だより)第7号を右下の配布文書の欄にアップしました。ご覧ください。 向き合う![]() その中で,4000安打のためには,8000回以上(凡打で)の悔しい思いをしたことと,その悔しさに向き合ってきたことが誇れることだというのもイチローらしさの表れである。 失敗を糧にとよく言われる。しかし,それは並み大抵のことではない。なぜなら,へこんでいる自分がいるからである。時間が解決をしてくれることもあるだろう,誰かからの慰めや叱咤激励もあるかもしれないが,それは自分以外の周りからのもので,なんら自分の内からのものではない。その自分がどうであるかである。でも強くないのが人間,同時にある意味自分自身を暗示にかけるようなマインドコントロールも必要だと思う。 私の場合,いつも思うことは,誰も悪くしようと思ってした訳ではないし,たまたまそうなったんだと,自分自身にそう言い聞かせている。で,どうしようかとはたと考えるようにしている。けれども,失敗をすれば,それはそれで慎重になり,心して物事にあたるために,周囲までも丁寧に見つめる目も生まれてくる。とするならば,いろいろと凸凹があるのも自分のためにはいいのかもしれない。それもまた暗示であろうか。とするならば,やはり気持ちの持ちようであるかもしれない。 その失敗に関しては,今はダメだが,いつかはよくなると,あきらめてしまわずに努力できるか,失敗から学ぼうとすることで,失敗という言葉を消し去るのか,何かを学び取ろうとすることで,意味のない失敗はないと考えるのか,やはりどう失敗と向き合うかである。失敗をしない人はいないのだから,その努力をどう積むかである。 さて,イチローであるが,打とうが打てまいが,毎日,試合終了後,自分の道具をきっちりと磨くなどの後始末をきっちりとし,また,体の方のケアーも怠らないという。毎日,毎日を真摯に野球に向き合う姿こそ,プロ意識であり,そこにかける思いが「あきらめぬ自分」を貫いているのだと思う。 関心![]() スタートに際して,1期を土台として,2期は実りの時期である。どれだけそれぞれが力を付けるかであるが,これはどの学年の生徒も同じである。ただ,3年生は進路選択という目の前のことを考えると,1年生や2年生とは少し事情は違うだろう。この期の終わりには,具体的な進路を決め,それに邁進しなければならない。とりわけ,公立高等学校の選抜制度が変わることで,大きな不安があるだろうが,それは大宅中学校の3年生だけの問題ではない。とにかく力を付けることに力を注ぐことだ。今はそれ以外ない。 さて,この間ニュースを見ていると,某私立大学に2015年に農学部ができるということを伝えていた。驚いたのは,35年ぶりの認可であるという。そんなに長く人間の食というものに関して,大学が動かなかったのか,もちろんこまごまとして学部内の変更はあったが。そのことが不思議でならなかった。生活の土台である農業に新しい光が差してくるように思えた。こうした大学の新設などは,高校の新設とは違って,もっと大きな方向性を示してくれているように思う。新聞には,隅の方に,少しばかりのスペースが割かれるだけだが,大きな意味を持っている。また,そうした新設の学部はもちろん,新しく加わる学部変更などは,進路選択に対しての指針でもある。10年ほど先を見据えたものではあるが,間違いなく社会の要請にこたえるものだと推測できる。 キャリア教育として,進路見据えた学習を進めることは大切ではあるが,眼前のことばかりに目をとらわれず,中,長期的な視野も大切にしなければならないだろう。そう考えると,今,日本が置かれている問題は,今後問題となることは何だろうか,などといったよりグローバルな世界的な視点で以て,ものごとを包括的に見る力を備えなければならない。 ことは大きな話になっていくが,今はそんな時代なのである。そんなことに関心を持つことは,大きな選択肢を与えてくれるものと思う。全て関心事である。まだ中学生だから,高校生だからは通用しない。あらゆる関心から物事が見えてくるように思う。 |
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