京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2025/06/11
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緑あふれる 山なみを 仰げば希望 明ける空 若き翼は たくましく 明日の世界を 羽ばたかん ああ栄光の 大宅中学校 遙かな歴史 息吹く丘 学べば未来 つづく道 若き知性は 限りなく 明日の文化を 育くまん ああ伝統の 大宅中学校 せせらぎ集う 岩屋川 競えば高く すむ瀬音 若き心は 美しく 明日の平和を 培かわん ああ悠久の 大宅中学校

協同

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 昨日,午後から,大宅の小中の教員とPTAの合同のパトロールを行った。地域を6コースに分けてである。雲行きの怪しい天候の中始まったパトロールも,途中から西日の差す,厳しい暑さの中でのものとなった。
 PTAの方々の参加は,教員を上回るもので,多くの方々と話ができた。地域の地蔵盆に出くわすなど,地域もなかなか回り切れない中で,こうした催しは地域理解につながるよい経験となった。実際に足で回って,地域の様子を知ることは,何にも増して大切で,これ以上のものはない。
 さて,大宅地域は一小一中であり,小学校でのことが大宅中学校と大いに関係があることとして見ることができる。通常ならば,一つの中学校には,複数の小学校が存在し,中学校としても小中一貫教育を進めるものの,細かいことまでは分からないが,ここでは,いたって分かりやすくなっている。
 さて,その小中一貫教育であるが,今日の午後から,合同研修会を行う。規範意識の醸成をテーマに,橘大学を会場に,西嶋嘉彦先生(大阪府立修徳学院前院長)をお迎えしての「家庭での規範意識を育てるために」と題しての講演と道徳教育における規範意識について交流する。
 とりわけ,規範意識の醸成は最も大きな課題である。規範意識は,学校だけで育つものではない,家庭と学校,そして,地域が同じ方向性を向いて進めなければならない。そのためには,いつも言っていることだが,大人モデルが大切である。まずは大人が率先垂範しなければならないし,そうした大人が手本を示すことで,大人の自覚も一層進み,堂々としたものになっていくものだと思う。
 地域力の高い大宅地域,さらには一小一中という条件の揃った中で,その強みを生かして,規範意識の醸成を進めなければならない。夏季休業最後の日にふさわしい研修を進め,小中ともに来週からの教職員の協同としなければならない。

小中合同パトロール

今日も暑い1日です。暑い暑いと言って気がつけば、猛暑日が半月くらい続いているようです。

今日は、午後から小中合同パトロールを行いました。小中の教員とPTAの方々とが6つのコースに分かれてパトロールしました。出会った生徒や児童に声かけをしました。

夏休みも終わりに近づきました。来週から2期が始まります。早寝早起きをして、体調を整えて元気よく登校してください。
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思い浮かべる

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 今日,午前中は普通救命講習を行った。山科消防署や地元の消防団の方を講師としての講習となった。私自身は久しぶりの講習であった。心肺蘇生法から始まり,AED,異物除去法,そして,止血法と一順の流れを,実践を通しておこなった。
 以前とは大きく変わらないが,変わった点は,心停止の予防という項目が挙がっていた。
急性心筋梗塞や脳卒中の初期症状に気づいて,心停止に至る前に医療機関での治療を開始するという点で,普段からの自分の体に関してのケアーを徹底するものだと認識した。また,止血法も直接圧迫として,出血部分に直接ガーゼやハンカチなどを当て,その上から強く両手で圧迫するという方法であり,以前のように心臓に近い部分をきつく縛る方法ではなかった。
 いろいろと救命方法も変わる中,このような最新の講習を行うことは,子どもを預かる学校では,最も大切されなくてはならないことであり,先生方もグループごとに,大きな声を掛け合ったり,点検の方法を示したりしながら,汗だくの講習であった。
 先にも書いたが,心停止の予防という新たな視点一つとっても,子どもたちの状況把握は春の測定などを通して,学校全体で確認していることだが,しかし,こうした講習を受けることで,再度,子どもの状況を思い出し,確認し直す機会を与えてくれているようにも思う。一つ一つの具体の講習を通して,例えば,A君なら,このぐらいの力で胸骨圧迫をしなければならないだろうなと頭に思い浮かべたり,Bさんなら,C君なら……,と一人一人の子どもを浮かべることとなるだろうと思う。それが担任であるし,学年の先生方なのであろうと思う。
 一つの講習ではあるが,そのことだけを学ぶのではなく,そこから日頃の子どもへの自分の思いに結び付けられるか,こうした夏季休業の終了の研修で思い起こすことも,2期に向けての準備であろうと思う。すべて私たちの行う行為は,子どもと結び付いていなければならないものである。
 今日,京都市消防局からいただいたテキスト「普通救命講習」の冊子を手元に置きながら,時々は開けることで,今日の講習を思い出していこうと思う。

しっかり見つめる

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 昨日の新聞に文部科学省の「薬物に対する意識等調査」のたばこに関する部分が取り上げられていた。なるほどと思うことがあった。
 この調査は,過去3回行われている調査で,目的は,児童生徒の薬物等に対する意識等を調査し,今後の喫煙,飲酒,薬物乱用防止教育に関する施策の参考とするものである。各都道府県,小中高校それぞれ4校ずつで,調査事項としては,児童生徒の酒,たばこ,薬物に対する意識等と学校の薬物乱用防止に関する指導実施状況である。詳しくは,文部科学省のホームページを参考にしていただきたい。
 さて,高校3年生のたばこへの意識であるが,「将来喫煙する」と考える生徒が9%で,2000年の調査以来,初めて1割を割ったということだ。担当者のコメントとして,喫煙の害の理解と周囲の喫煙者の減少によるものとみているようだ。学校でも行ったが,防煙教室での指導を受ければ,その理解は進むだろうと思うし,喫煙できる場所の制限や値段の高騰からみても,喫煙者が減っているのは当然であろう。適切な指導と社会全体の機運,これらが相まっての結果であるといえる。
 たばこを吸うきっかけを尋ねれば,かっこよさと多くの人が答えるだろう。現に何人かに聞いても,かっこから吸い始めたと答える。最初は何もうまくなかった,むせるだけであったとか。そのかっこいいと答えた生徒も5%になったという。また,家族に喫煙者がいる家庭は50%で,これも前回,前々回より減ってきている。たばこを吸う人にとっては,随分厳しい,肩身の狭い世の中になってきたものである。
 ところで,いじめや体罰の問題も,昨年度から大きな社会問題となってきたので,適切な指導と社会全体の機運が相まって,多くの人々の関心も高いが,数年後には,煙草のような健康問題ではないので,その機運も徐々に低くなってくることが予想される。そういった予測を子どもを指導する私たちは真摯に考え,その発信に努めなければならない。あれもこれもと本当に目まぐるしく変わる世の中ではあるが,変えてはならないものは何かをしっかりと見つめる目を今一度しっかりと持たなければならない。もうそこに2期が始まる。

学校評価アンケートの結果

夏休み前に保護者の皆様にご協力いただき実施しました「学校評価アンケート」の結果がまとまりました。右下の配布文書の欄に各学年ごとにアップしましたのでご覧ください。

今後は、学校でも結果を分析して、教育活動に活かしていきます。

図書館整備

今日も暑い1日です。このあたりで、ひと雨ほしいです。

昨日から図書館の整備を始めました。いわゆる「ビフォア アフター」です。昨日は、書架から本を一旦出して、分類表にしたがって別の教室に並べました。多くの生徒が手伝ってくれました。

そして、今日は図書館をより使いやすくするために書架の配置替えを行いました。その後、別の教室に移動させておいた本を書架に入れる作業をしました。図書館の印象が大きく変わったように感じます。今日も多くの生徒が手伝ってくれました。ありがとう。
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なによりも国語

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 これは,司馬遼太郎のエッセイ,対談集『十六の話』の14番目の話である。ちなみに,小学校の教科書にも掲載された「二十一世紀に生きる君たちへ」は16番目の話として載っている。
 さて,この話の最後に「学校の現場は,国語建設の現場でもある。/この文章に、結論はない。筆者としては現場の先生方に,祈るような気持ちでいるだけである。」と結んでいるところが気になって,時々読み返しているという具合である。
 概略としては,言語の持つ意義,とりわけ国語(日本語)についての部分は引用するが,「国語(日本語)は,日本文化二千年の所産であるだけでなく,将来,子供たちが生きてゆくための唯一の生活材であり,精神材であり,また人間そのものを伸びさせるための成長材でもある。」とある。そして,国語力の育成には,家庭と学校,そして,読書と交友であり,その養う基本として,いかなる場合でも「文章語にして語れ」と言っている。
 国語を生活材,精神材,成長材としてとらえていく視点は,義務教育で子どもの育成に関わるところからいえば,きっちりとした生活材としての役割を担った言語活動を行っているかである。そして,精神材,成長材としてつなげていくためにも,きっちりとした言語指導,つまり,ここでいう「文章語にして語れ」という,きっちりとした文,文章を意識させることで,語る内容を深めるということにつながっていくことだと思っている。よく言われる単語で生活することを許してはいないかということであろう。お茶,お金,腹減ったなども,今の自分の体の状態を説明して,お茶を要求することであり,使用目的を明らかにして,お金を要求することで,自分の思いや考えを深めることになっていき,より一層の国語力が備わると考えられるからであろう。そして,司馬遼太郎もその視点としての重要度の順として,家庭と学校を,読書と交友をという順で挙げているのだと思う。青少年の健全育成のための社会総がかり取り組み,などというフレーズをよく使うが,この健全育成の中に,きっちりとした言語活動を営むことも含めなければならいだろう。家庭も単語生活を許してはいけないし,学校もそうであるし,社会全体としてもそうである。
 しっかりとした国語の育成が,精神材,成長材となるとするならば,青少年の健全育成の基盤としての生活材としての国語の存在を今一度しっかりと認識しなければならないと考える。時折,こうして読み返しては,私たちの生活そのもののを支える国語を顧みるのである。

休み明けまで

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 学校閉鎖期間が終わり,各学年ともに後半の補習も始まり,いよいよ始業に向けて動き出した。あと1週間である。ここまで大きな事故も聞いていない。気持ちの良い閉鎖明けとなった。
 生徒たちは,準備の1週間となるだろう。もちろん,今までにない猛暑の中,ちょっと動くこともままならない。どうして過ごすかということ自体が問題なのであるから。とはいっても,始業までの間,生活を学校モードに切り替えなければならない。一つ一つをクリアーしていくのが,今週なのである。学校モードとしての切り替えをチェックしなければならない。   
さて,切替えモードも個人的なこと,宿題や起床,就寝といったことは2日もあればそんなに大したことはないが,机に向かうということに関しては,なかなかそうはいかないだろう。そういう意味で,朝の2〜3時間の補習は,勉強モードへの切り替えとしては大変有効なように思う。机に向かうということ自体,だらだらとした夏休みではないということを,体を使ってきっぱりとさせる意味があるように思う。机に向かうということは,大変な活動であるが,小学校からずっと培ってきた積み重ねもあり,そのモードに早くなれなければならないだろう。
 ところで,今最も心配していることは,以前にも書いたが,スマートフォンなどの依存傾向に陥っていないかである。そして,あのスマートフォンやコンピュータから出る青色の光「ブルーライト」の人体への影響である。大量に浴びることでの目への心配とともに,睡眠のリズムを崩し,体内時計を壊してしまうということである。とりわけ,睡眠しなければならない夜に,この光を浴びることで,昼夜が逆転してしまわないかということである。夏休みなど,こうした傾向が強まる期間であり,そのことでの影響の生徒もいるだろうなということである。
 また,ネット生活の最大の関心事は,ネットによる友人とのつながりであり,そのこと以外の人との接点が疎かにされているという現実である。しかし,顔と顔とを合わせてはじめてわかる人間の機微,このことを経験することが,この休み明けの時期でもあると考えると,ピンチがチャンスにもなる時期でもあるようにも思う。

きびしい残暑

先週は、学校閉鎖日でした。今日から業務を再開しています。それにしてもきびしい残暑が続きます。予報によれば、今日も37度になるようで高温注意報も発令されています。熱中症には十分注意をしてください。

校門前の水田の稲も稲穂が実りだしています。きびしい残暑の中でも季節は、確実に秋に向かっています。

全学年の補充学習と部活動も再開されました。吹奏楽部は、マーチングの練習に汗を流していました。
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怒りと理性

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 昨日,中人権の研究集会が総合教育センターで行われた。主題『「個が輝く人権教育の想像」〜すべての生徒に同和問題をはじめとするあらゆる人権問題解決への実践的態度を培う〜』であった。
 パネルディスカッションは,『「一人ひとりの生徒を徹底的に大切にする教育」をどう具現化するか』と題して,教育企画監,中人権会長,中堅,若手教諭のパネリストで構成されたものであった。それぞれの立場で,具体的なケース設定のもとでの事例を考えるものであった。人権の指導ではなく,生徒指導としての話であるなどという意見などもフロアーから出される中,教育企画監のキーワードとしての「つながる」ことと学力を付けることという教育の基本を考えることを視点として述べられたことが,心に残った。人権をあらゆることの基本と考えるならば,教育でそれにあたることはと問われると,学力というキーワードが出てくるという、その説明立てに納得をした。
 さて,人権問題を人権学習で指導すること,このことを以て人権の指導であると捉える話もあったが,今それをとやかくいうつもりもないが,とりわけ注意しなければならないことに,学習である限り,ねらいを持って子どもたちに指導を行わなければならないということだ。中途半端では終われないというこちらの覚悟である。人権の指導は,今日の学習は,理解が浅かったなどでは済まない指導であるということだ。そのために,生徒の実態分析を中心に,各校では,指導する担任を中心に,何度も学年会などが行われているものと思っている。それだけ心しなければならない指導である。
 ところで,私の挙げる人権についてのキーワードは,「怒り」と「理性」である。いろいろと社会でおこる不正議に対して,まずは人としての怒りを持っているか,その上で,その怒りを抑えるためにも,そして,その怒りをさらに持つためにも理性が必要なのであると思う。理性は,人権に対するその人の指標のように感じる。
 子どもたちには,そうしたこととともに,挨拶,謝意や謝罪の言葉がしかりと言えること,つまり体に染みついた,理屈でなく行動として進められることこそ,人権の基盤づくりとして大切なことであるように思う。

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学校行事
8/26 2期 始業集会
3年生 合唱コンクール講習会(13:30〜16:00)
文化祭取組開始(9月17日まで)
8/30 1年 科学センター学習
8/31 大宅土曜塾(10:00〜12:00)
京都市立大宅中学校
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京都市山科区大宅山田113
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