京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2025/06/11
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緑あふれる 山なみを 仰げば希望 明ける空 若き翼は たくましく 明日の世界を 羽ばたかん ああ栄光の 大宅中学校 遙かな歴史 息吹く丘 学べば未来 つづく道 若き知性は 限りなく 明日の文化を 育くまん ああ伝統の 大宅中学校 せせらぎ集う 岩屋川 競えば高く すむ瀬音 若き心は 美しく 明日の平和を 培かわん ああ悠久の 大宅中学校

1期終了、夏休みへ

今日は、少し風がさわやかです。最高気温も32度と1時の暑さに比べれば過ごしやすかったです。ちなみに最高気温32度は、沖縄の那覇の最高気温と同じです。

さて、今日で1期が終了しました。夏休みに入ります。計画をしっかり立て、有意義な夏休みにしてください。そして、2期が始まる8月26日(月)には全員が元気に登校してくれることを願っています。

校門前の水田の稲も株が太くなり順調に生育しています。また、中庭のゴーヤも実ができ始めて、立派な緑のカーテンになりました。
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区切りとして

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 明日から夏季休業に入る。1期は8月25日までだが,一つの区切りとして,大宅中学校の教職員や保護者の方々,そして地元の皆様方に支えられて,今日までたどり着いたというのが実感である。ありがとうございます。前校長の衛藤校長からバトンを渡された大宅中学校だが,ここの良さは,なんといっても環境が素晴らしい。
 朝,校門に立って挨拶をしていると,ここは小高い丘陵地であり,現在では,名神高速道路をはじめ,眼前を遮るものは多いが,その昔,大宅廃寺跡として,この地に立つ時、なぜか自分が奈良の甘樫の丘に立っているような錯覚を覚えることがある。ここは豪族大宅氏の氏寺など諸説があるが,そんな歴史の中に自分が立ち,白鳳期を想像するだけでわくわくしてくる。平安時代よりもまだ以前,ここで豪族たちが何を思い,何をして暮らしていたかと考えるだけでも何とも言えない思いにさせられる。初夏の夜,校長室の東窓を開けていると,ひんやりとした涼やかな風とともに,昔の人の精を感じる。こんな思いにたつ学校は初めてである。その前の学校は与謝野鉄幹の生まれたお寺跡にあったが,これほど歴史ロマンを感じさせる場所ではなかった。
 さて,校長が変わると学校が変わるとなどとよく言われるが,なるほどと思うことと,違うと感じることがある。校長が変わるという視点からいえば,気づきの視点が違うということだろうと思う。衛藤校長は私の目から見ると,おおらかな校長であり,そんなに動くことはなかったと思うが,私は細かいことまで言い,先生方にいろいろなことを言ったと思う。だから,なんら方向性は変わらないが,校長の見る視点によって,話す内容は変わり,変化があったように感じるだけだと思っている。
 1期のことについては,来年度を見据えて,この4か月間のこととの総括は今の間にしておこうと思っている。どこをどう変えていこうかということは今しておかなければ,それはまた変わらずの前例主義になってしまうからだ。それにしても大宅の先生方は衛藤校長と同様,おおらかな思いで子どもたちを教育している。細かいことより,大きな視点で育成を進めている。こうした良さと,しかし,細やかなことも含めながら,新たな視点を付け加えられればと思っている。
 保護者の皆様方にも学校評価をお願いしていた。いろいろな思いを総括されていると思うが,その点をしっかりと受け止めながら,夏季休業中にも2期の方向性も含めて考えていこうと思う。1期の間,本当にありがとうございました。

たくほう(学校だより)第6号

祇園祭の山鉾巡行も終わり、いよいよ夏休みが近づいてきました。有意義な夏休みになりようしっかり計画を立ててください。

さて、たくほう(学校だより)第6号を右下の配布文書の欄にアップしました。ご覧ください。

集団として

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 4時間目,第2学年が集会を持っていた。1期終了に当たり,2年のクラスや学年の様子,さらには,今後の合唱コンクールに向けてのことなどを生徒代表が話をし,みんなに訴えかけていた。聞く側の生徒もしっかりとした態度であった。
 こうした集会的なものがなくなってきている。昔は毎週のように全校集会があった。その当時はそれはそれで大変だったろうと思うが,大変懐かしい。私は集会は学校生活においては大切な要素だと思っている。こうした学年集会で,生徒,教員全体でその方向性を共有し,そのもとで,それを受けての担任の学級経営につながっていくからである。しかも,生徒たちがみんなに訴えることは,みんなの聞く耳にも影響するものである。また,内容面だけでなく,集団で聞く姿勢の確立を目指すために大切なことだとも思っている。集団で集まった時,時として烏合の衆のようになってしまうが,じつは,そうした訓練がなされていないからでもあると思う。集まれば静かにしなさい,挙句の果ては黙れなどという言葉まで飛び交うこともある。
 ところで,私の理想は月1回の全校集会と残りの3週は各学年の学年集会で1月が構成されていることだ。全校集会は,多くの先生方が時宜に合った,得意な話をされればいいと思っている。以前の学校でも行っていたが,今はある中学校の校長先生だが,その先生が,自分の中学生の頃の泥沼のグラウンドの整備の話をされていたが,聞いていて面白く,楽しくて笑いが漏れていた。生徒たちも目を輝かせて聞いていた姿を今も思い出す。
 集団訓練の場としての学年集会は意義あることだと思う。その上に,自治活動的な要素も入るし,何より,生徒たちがいろいろな場面で主役となって学年が進んでいければと思う。そのためには,先生方の計画など多くのご苦労をかけるが,その分また楽しさも出てくるものだと思っている。
 学校は本来学力を生徒たちにつけることが第一義である。しかし,楽しい学年,面白い学級でなくて,どうして学習がはかどるだろうか。その学力の基盤となる学年,学級が,生徒たちと教員の間でしっかりとつくられることこそ大切なことだし,大事にして欲しい。

今一度

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 名古屋のいじめ自殺が大きく取り上げられている。いじめを巡る言葉というか,発言が大きく取り上げられている。我々自身が,「死ね」「うざい」「きもい」「殺すぞ」などという言葉にどれだけ敏感であるかということを今一度,振り返ることが必要である。そういった言葉が聞かれたら,一人一人がその場で必ず一言声を出すなど,学校も保護者も地域も皆が一致しなければならない。敏感であることこそ,我々が共通の土俵としなければならない。
 いじめはいじめられた者がいじめを受けたと認識すればいじめが存在したことになる。そのいじめには犯罪的いじめと悪戯的いじめがある。犯罪的いじめに対しては毅然とした態度で臨むことが必要であるし,悪戯的いじめに対しては,学年づくりや学級づくりなど,温かみのある雰囲気づくりが必要である。
 ところで,私はいつも読書の推進をお願いしているが,それは想像力を働かせることにつながるからだ。それとともに知らない世界を教えてくれるし,そして,何よりもいろいろな事柄に対して,多様な見方や考え方,思いを示してくれるからだ。それは道徳の指導の中でも,友だちどうしの多様な意見交換を通して,自分の内面を育てていくことも,そうしたことにつながっていく。また,以前いた岡崎中学校では,生徒会がいじめ嫌がらせに対して,数年に渡り,ビデオ制作を行っていた。いわゆるロールプレイングである。いじめる側,いじめられる側を演じることで,その気持ちを経験するのである。相手の立場に立たせる取組により,内面の育成につながっていたように思う。
 そして,保護者の方には,自分のいじめなどの経験や思いを共感的に子どもたちに示していただくことも必要なことだと思う。そして,学校と保護者がどんな些細なことも情報を共有しているのだということを示すことも大切なことだと思う。とにかく手を結んで子どもたちを見守る必要性がある。
 そして何よりも,学校でも人権に関して,いろいろな取組を日々行っているが,その指標として,「怒り」と「理性」を挙げなければならない。不正義に対しての人としての怒りを我々自身が持ち,子どもたちにもその視点での思いを持たせられているだろうか。さらに,その怒りに対して,それを押させるためにも,また,その怒りを増幅させるためにも理性が必要だということ,そのことが人権にどれだけ真摯に取り組んでいるか証であると考えられなければならない。

未来の中学生のために

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 12日の金曜日,第1回目の大宅小学校での読み聞かせがあった。その前に小中の生徒会と児童会の交流会も行われた。中学校での生徒会についての説明があった。私は国語科であるので,話すときに大切なことは相手意識であるということを、常々言ってきた。誰に対して話をするのか,誰をねらって書くのかといった点である。そのことでいえば、生徒会長は単に質問を聞くのではなく,児童会を進める上で難しいことはなんですか,というような尋ね方をするなど,小学生が尋ねやすいような工夫をしていたことがよかった。
 相手意識は本当に大切なことで,通常,原稿を書き,難しいところを,どう言い換えればいいのかを考えるのだが,そこがなかなか難しい。しかし,誰を対象にするのかといったことをしっかりと考えられるようになると,それは相手をおもんぱかる意識につながることとなるだろう。そこが大切なのである。
 さて,読み聞かせであるが,前にもいったが,大宅の伝統といっていい。今の中学生も小学生の頃に,先輩の読み聞かせを聞いていたので,有志の生徒も多く参加してくれたものと思っている。山科図書館の宮崎館長からも,しっかりした取組となっていることにおほめをいただいた。
 こうした生徒会と児童会の交流も含め,素晴らしい伝統が大宅小中の間であるのだが,この伝統をより発展させるためにしなければならないことは,前年通りという悪癖である。私はいつも言うことだが,どこか一つを見直せば,必ずや玉突きが起こり,大きくは変わらないが,変わっていくのである。そのことを以て,ぼくは改革ととらえればいいと考えている。大きな変化ばかりが変革ではない。少しの変化だが,大事に進めていくことで,誤りなく,着実に進化していくからである。もちろん大ナタを振るわなければならないこともあるが……。
 それにしても,図書委員から1年生から3年生の有志も含めて大勢が未来の大宅中学生のために取り組んでいてくれることは,小中連携の実質的な賜物であると思う。各クラスへの本のプレゼントもしゃれている。生徒会と児童会の交流とともに,こうした広がりをさらに根付かせてくれることを願っている。

3年生 英語の授業

3年生英語の授業の様子です。教科書に「Fare Trade Chocolate」という単元があります。単元の内容は、以下の通りです。
「先進国の企業はチョコレートを生産する発展途上国の労働者の賃金を切り下げ、チョコレートを安く生産し利潤をあげている。そこで市場価格より高いチョコレートを販売し、その差額を発展途上国の人々に還元しようとする動きがある。例えば、学校に行けない子どもたちを学校に行かせるなどである。発展途上国の人々の生活を向上させそして生活を豊かにしていこうとするものである。」
授業では、「スワヒリ語」で「水」「毒」「農薬」と書かれたラベルが貼られたペットボトルから「水」を見分けることは困難であり、文字が読めることの大切さを生徒に考えてもらいました。学校に行けて、字が読めるようになることで発展途上国の人々の生活は一歩前進するのではないだろうかということを生徒に訴えかけました。
先進国が発展途上国をうまく利用している現実(いわゆる「南北問題」)と解決する手だてとしての「Fare Trade Chocolate」の販売、文字を読めることの大切さ、発展途上国の人々の生活を豊かにしていくための取組などさまざまな視点から考えさせる授業でした。
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夏季選手権大会 熱戦が続く

7月13日(土)から夏季選手権大会が始まり、熱戦が続いています。結果をお知らせします。
(野球)
 大宅 2−3 洛星 2点を先取しましたが、悔しい逆転負けでした。

(サッカー)
 大宅 0−8 嵯峨 本校は2年生主体でしたが、上級生相手に善戦しました。

(男子バスケットボール)
 大宅 20−80 山科 上位進出を目指しましたが、相手の気迫が上回りました。

(女子バスケットボール)
 大宅 20−62 西賀茂 懸命にボールを追いかけましたが、敗退しました。
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小学校読み聞かせ

今日の放課後、大宅小学校へ図書委員会と有志の生徒が読み聞かせに出かけました。対象は、小学校1年生・2年生です。本校図書委員会の伝統行事で、小学生も楽しみにしてくれています。練習の成果が出た読み聞かせだったようで、小学生は真剣に聞き入ってくれました。
次回は、12月を予定しています。
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暑おすな

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 今朝,校門で生徒たちと挨拶をしていると,ある生徒が3日間の休み中2回祇園祭にいくということを話していた。連休が終わるともう宵山なんだと思いながら聞いていた。
 今年は梅雨明けも例年になく早く,猛暑日が続いている。祇園祭は,八坂神社の祭礼で,疫病退散を祈願した祇園御霊会が始まりである。疫病ゆえに暑くないと祇園祭ではないということである。
 鉾町では,祇園祭になるとこんな挨拶が交わされる。「祇園祭どすな(祇園祭ですね)」と言われると,そこに住む町内の人は「暑おすな」といい,そこに住んでいない人は,「そうどすな」とこたえる。この会話は何を表しているかというと,声をかけた相手がこの祇園祭を行う町内の人かどうかを見分ける符丁のような役割を表しているのである。符丁とは,山と言えば川と応じるように,仲間だとわかる印のようなものである。だから,普通の人なら,祇園祭ですねと言われれば,当然,そうですね,祇園祭ですねとこたえる。こうして,身内か身内でないかをはっきりさせることで,その挨拶以降の話の内容が変わってくる。つまり,仲間内の話かそうでないかの話につながっていくのである。
 ところで,祇園祭といえば,宵山や山鉾巡行ばかりがクローズアップされるが,毎日のように何かが行われている。この7月,新聞のどこかには祇園祭の記事は必ず載っている。そんな1か月に渡る壮大な祭なのである。もし行く人があれば,室町や新町の町並みに沿って歩くと,その風情を味わってもらえるだろう。宵山の遅めになるが,南観音山の町内では,暴れ観音といって,ご神体の観音様を白い布で巻き,御輿に縛り付けて,町内を3往復し,町内の北と南の端で激しく揺らす儀式がある。もう25年ほど前に見たきりだが,こうした町内ごとに小さな儀式が行われるのを見るのも楽しみである。また,商家では,家々に伝わる屏風を格子を外して公開することから,屏風祭といわれてなかなかの風情である。さらに,この時季,京都では鱧を食べるので,祇園祭を鱧祭ともいう。
 鱧の語源は,古くは蛇のことを「ハミ」といったが,そのハミに似ていることから出たとも言われている。八坂神社は素戔嗚尊(すさおうのみこと)を祭っているが,この素戔嗚尊は,八岐(やまた)の大蛇(おろち)を退治した伝説で有名である。その大蛇が「ハミ」なのである。いろいろ書けば,書き切れないのが祇園祭である。祇園祭は「暑おすな」に象徴されるように,本来暑くなければならない祭なのである。


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学校行事
7/19 1期終業集会
7/22 夏季休業(8月23日(金)まで)
7/23 文化委員会 「YOSAKOIソーラン」練習(11:00〜12:30)
7/25 文化委員会 「YOSAKOIソーラン」練習(11:00〜12:30)
京都市立大宅中学校
〒607-8175
京都市山科区大宅山田113
TEL:075-573-3067
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