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最新更新日:2025/06/25 |
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京都橘大学 プライマリケア実習
今日は、蒸し暑く梅雨らしい天気です。
今日は、京都橘大学の看護学部2回生の学生さん5名が、プライマリケア実習に来られました。朝学活から終学活までそれぞれがクラスに入り、授業の様子や休憩時間の様子、昼食時の様子など生徒のさまざまな活動を見学されました。また、放課後は部活動も見学されました。5時間目には、カンファレンスがあり、学生さんから感想や質問が出されました。その中で、「中学卒業から5年しかたっていないのに、授業の進め方が大きく様変わりしていてびっくりした」「授業中はおとなしい生徒が、休憩時間は友達と大きな声でしゃっべていて、その変化に驚いた」「保健室の利用状況や養護の先生の仕事内容をくわしく知りたい」などが印象に残りました。わずか1日の実習でしたが、今日の経験を今後に活かしていってもらいたいと思います。 来週10日(水)に実習2回目があり、また新たに5名の学生さんを迎えます。 ![]() おおきに![]() 蝸牛とは,いわゆるカタツムリで,デデムシ(近畿)→マイマイ(中部・中国)→カタツムリ(関東・四国)→ツブリ(東北・九州)→ナメクジ(東北北部・九州西部)の順で分布している。最も新しい言い方がデデムシで最も古い言い方がナメクジである。もともと京都ではナメクジと呼んでいたが,ツブリ,カタツムリ,マイマイと言い,デデムシが一番新しい言い方として残っている。このように,おそらく,「おおきに」も関西で使われていたものが伝わっていったと考えられるだろう。「おおきに」が九州でどのように部分しているのかを方言地図で調べれば推測がつくだろう。 さて,その「おおきに」であるが,使い方はちょっと違うだろう。京都では「おおきにありがとう」という言葉の「ありがとう」を省略したもので,明治以降に広まった。その「おおきに」の意味は,サンキュウとノーサンキュウとが同居しており,あの夏目漱石も失敗したのである。 漱石はよく京都にも逗留したのだが,御池大橋西詰め南側にある漱石句碑がある。句碑には, 木屋町に宿をとりて川向うの御多佳さんに 春の川を 隔てゝ 男女哉 漱石 と刻まれている。 この多佳とは,磯田多佳といって,祇園新橋で「大友(だいとも)」という店を構えていて,多くの文人との親交があった。その一人に漱石もいた。その漱石が,多佳に北野の天神さんへ行こうと誘ったが,その時の多佳の返事が「おおきに」であった。先にも書いたが,ノーサンキュウで使ったが,漱石は了解してくれたものと取ったため,待てど暮らせど多佳は来なかったという。本来,多佳が「おおきに,ほんまによろしおすか」と言えば,「ほんとうにお伴させてもらっていいのですか,迷惑ではないですか」となり,行ったであろうに,「ほんまによろしおすか」という言葉は,多佳からはでなかったのである。 広がり![]() 具体例を出すということは,子どもたちに分かりやすく伝える効果的な方法である。分煙といえども煙が行き渡る例を,プールでコースを決めておしっこをする例を使って説明したことは分かりやすかったし,子どもも納得できたと思う。ただ,尿が体の老廃物ゆえに汚いものという思いの中で使われた例であり,他にも健康を測るバロメーターとして,また違った側面も多々あるということ知って使わなければならない。つまり,こうした例を出す時,そのものが持つ性質の一部分を取り出してのことで,全てを表しているものではないということ,すなわち,ものごとには表と裏があり,四方八方から見る大切さを,常に子どもたちには何事につけ,言い続ける必要性はあるだろう。 それはさておき,たばこを吸うようになったきっかけはなんだろうかと考えると,多くは,大人が吸っている姿がカッコ良くてとか,どんな味がするのかといった興味本位からと言う人が多いように思う。誰しも吸い出したころはうまいな,心休まるとかいったことはなかったはずであろう。この年頃は,外から影響を受けやすいことからも,こうしたたばこについて考えるきっかけとなること学ぶことは大切なことだ。ただ,中学生も高校生も法的に違反であり,ダメなものはダメであるということはしっかりとまずは伝えなければならないことだけは,強く書き添えておく。 それにしても,たばこの害について,海外での例ばかりで一体日本ではどうしてこうしたCMやキャンペーン的なものが挙げられないのだろうかとか,パッケージの落差とかいろいろな疑問を感じた。さらに,たばこを吸う人とそうでない人の味覚の差が生じる原因は何なのだろうかとか,子どもたちの中にもこうした数々の疑問を持った生徒はいただろうと想像する。また,実際家族でたばこを吸う人がいるならば,協力してもらって検証してみる生徒もいるかも知れない。こうした疑問を逃さず,追究することが探究活動である。日々生活している中でいろいろな疑問が湧いてくるだろう。その時,どうして,なぜといった心を大切に進めて欲しい。このことが学習を進めるということである。 最後に感想を書いたようだが,多くは家族の喫煙に対して気づかう思いを書く生徒が多く見られた。昨晩,家庭でどのような話が出ただろうかとふと思った。 1年生 防煙教室
今日から7月に入りました。7月は、「文月(ふみつき、ふづき)」ともいいます。7月7日は七夕、星に願いをこめるために短冊に願い事を書きます。このことに関係しているという説もあります。
夏休みまで、3週間。1期の締めくくりをしっかりしてほしいです。そして1期を振り返って何ができたか、また何ができなかったかをまとめて夏休みに入っていってください。 今日の3・4時間目に1年生の「防煙教室」が行われました。講師の先生に来てもらってタバコに含まれる有害物質について、タバコを取り巻く日本と外国の状況について、受動喫煙の危険性についてなど体験コーナーも設置していただき、生徒も興味深く学習に取り組んでいました。 ![]() ![]() ![]() 拠り所![]() 28日には,大宅社会福祉協議会による,大宅小学校で七夕飾りの催しが行われた。2年生の子どもたちも参加して行われたが,ここ大宅地域は,こうした地域の方々を含めての取組として,昔ながらの風習が大切にされている。大層だが,教育基本法の第二条の五「伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに,他国を尊重し,国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」にも合致する。そんな地域に私たちが住んでいることをまずは知らなければならないだろう。また,今日から祇園祭も始まる。1日の切符入から31日の疫神社の夏越祭までの1か月間行われる。日本三大祭の一つである。 さて,最近,こうした地域での取組が減りつつある。というより,地域行事への参加という点での人々の関心が低くなりつつあるといえるのかもしれない。ところで,現在,ボーダレスの時代だといわれている。このことの意味は,地域や国の垣根が低くなることであるが,一方,自分の生まれ育った地域,国を意識することは,自分の在り方というか,考え方の拠り所となる基盤ともいえ,ボーダレスになればなるほど,大切な点であると思う。ボーダレスとは,言い換えれば,いつでも,どこにでも簡単に行けるようになったということで,その広がりは,それだけ多くの人々とも接する機会が広がるゆえに,自分自身の在り方もしっかりとした揺るがぬものを持たなければならないということになる。その一つがこうした身近な文化だと思う。 私の若いころと比べると,現代の若者たちは,ツールとしての英語の使用ははるかに上昇しているが,ボーダレスとなった現在,海外の若者と何をしなければならないかというと,文化の異なる人に,自分と相異なる思いの人に,自分の考えをしっかりと説明し,伝えるということが最も必要なことである。その時,自分の国の文化や習慣,自分の育った環境を知らなければ,その説明もおぼつかないことは明らかである。 ツールとしての英語を使うことはもちろん,その背景にある,自分を取り巻く世界,その勉強もなくては世界に通用しないのである。今日から今年の半分が始まる,どうか思い新たに半年間に向かって欲しい。 |
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