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最新更新日:2025/06/18 |
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京都橘大学 プライマリケア実習
今日は、蒸し暑く梅雨らしい天気です。
今日は、京都橘大学の看護学部2回生の学生さん5名が、プライマリケア実習に来られました。朝学活から終学活までそれぞれがクラスに入り、授業の様子や休憩時間の様子、昼食時の様子など生徒のさまざまな活動を見学されました。また、放課後は部活動も見学されました。5時間目には、カンファレンスがあり、学生さんから感想や質問が出されました。その中で、「中学卒業から5年しかたっていないのに、授業の進め方が大きく様変わりしていてびっくりした」「授業中はおとなしい生徒が、休憩時間は友達と大きな声でしゃっべていて、その変化に驚いた」「保健室の利用状況や養護の先生の仕事内容をくわしく知りたい」などが印象に残りました。わずか1日の実習でしたが、今日の経験を今後に活かしていってもらいたいと思います。 来週10日(水)に実習2回目があり、また新たに5名の学生さんを迎えます。 ![]() おおきに![]() 蝸牛とは,いわゆるカタツムリで,デデムシ(近畿)→マイマイ(中部・中国)→カタツムリ(関東・四国)→ツブリ(東北・九州)→ナメクジ(東北北部・九州西部)の順で分布している。最も新しい言い方がデデムシで最も古い言い方がナメクジである。もともと京都ではナメクジと呼んでいたが,ツブリ,カタツムリ,マイマイと言い,デデムシが一番新しい言い方として残っている。このように,おそらく,「おおきに」も関西で使われていたものが伝わっていったと考えられるだろう。「おおきに」が九州でどのように部分しているのかを方言地図で調べれば推測がつくだろう。 さて,その「おおきに」であるが,使い方はちょっと違うだろう。京都では「おおきにありがとう」という言葉の「ありがとう」を省略したもので,明治以降に広まった。その「おおきに」の意味は,サンキュウとノーサンキュウとが同居しており,あの夏目漱石も失敗したのである。 漱石はよく京都にも逗留したのだが,御池大橋西詰め南側にある漱石句碑がある。句碑には, 木屋町に宿をとりて川向うの御多佳さんに 春の川を 隔てゝ 男女哉 漱石 と刻まれている。 この多佳とは,磯田多佳といって,祇園新橋で「大友(だいとも)」という店を構えていて,多くの文人との親交があった。その一人に漱石もいた。その漱石が,多佳に北野の天神さんへ行こうと誘ったが,その時の多佳の返事が「おおきに」であった。先にも書いたが,ノーサンキュウで使ったが,漱石は了解してくれたものと取ったため,待てど暮らせど多佳は来なかったという。本来,多佳が「おおきに,ほんまによろしおすか」と言えば,「ほんとうにお伴させてもらっていいのですか,迷惑ではないですか」となり,行ったであろうに,「ほんまによろしおすか」という言葉は,多佳からはでなかったのである。 広がり![]() 具体例を出すということは,子どもたちに分かりやすく伝える効果的な方法である。分煙といえども煙が行き渡る例を,プールでコースを決めておしっこをする例を使って説明したことは分かりやすかったし,子どもも納得できたと思う。ただ,尿が体の老廃物ゆえに汚いものという思いの中で使われた例であり,他にも健康を測るバロメーターとして,また違った側面も多々あるということ知って使わなければならない。つまり,こうした例を出す時,そのものが持つ性質の一部分を取り出してのことで,全てを表しているものではないということ,すなわち,ものごとには表と裏があり,四方八方から見る大切さを,常に子どもたちには何事につけ,言い続ける必要性はあるだろう。 それはさておき,たばこを吸うようになったきっかけはなんだろうかと考えると,多くは,大人が吸っている姿がカッコ良くてとか,どんな味がするのかといった興味本位からと言う人が多いように思う。誰しも吸い出したころはうまいな,心休まるとかいったことはなかったはずであろう。この年頃は,外から影響を受けやすいことからも,こうしたたばこについて考えるきっかけとなること学ぶことは大切なことだ。ただ,中学生も高校生も法的に違反であり,ダメなものはダメであるということはしっかりとまずは伝えなければならないことだけは,強く書き添えておく。 それにしても,たばこの害について,海外での例ばかりで一体日本ではどうしてこうしたCMやキャンペーン的なものが挙げられないのだろうかとか,パッケージの落差とかいろいろな疑問を感じた。さらに,たばこを吸う人とそうでない人の味覚の差が生じる原因は何なのだろうかとか,子どもたちの中にもこうした数々の疑問を持った生徒はいただろうと想像する。また,実際家族でたばこを吸う人がいるならば,協力してもらって検証してみる生徒もいるかも知れない。こうした疑問を逃さず,追究することが探究活動である。日々生活している中でいろいろな疑問が湧いてくるだろう。その時,どうして,なぜといった心を大切に進めて欲しい。このことが学習を進めるということである。 最後に感想を書いたようだが,多くは家族の喫煙に対して気づかう思いを書く生徒が多く見られた。昨晩,家庭でどのような話が出ただろうかとふと思った。 1年生 防煙教室
今日から7月に入りました。7月は、「文月(ふみつき、ふづき)」ともいいます。7月7日は七夕、星に願いをこめるために短冊に願い事を書きます。このことに関係しているという説もあります。
夏休みまで、3週間。1期の締めくくりをしっかりしてほしいです。そして1期を振り返って何ができたか、また何ができなかったかをまとめて夏休みに入っていってください。 今日の3・4時間目に1年生の「防煙教室」が行われました。講師の先生に来てもらってタバコに含まれる有害物質について、タバコを取り巻く日本と外国の状況について、受動喫煙の危険性についてなど体験コーナーも設置していただき、生徒も興味深く学習に取り組んでいました。 ![]() ![]() ![]() 拠り所![]() 28日には,大宅社会福祉協議会による,大宅小学校で七夕飾りの催しが行われた。2年生の子どもたちも参加して行われたが,ここ大宅地域は,こうした地域の方々を含めての取組として,昔ながらの風習が大切にされている。大層だが,教育基本法の第二条の五「伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに,他国を尊重し,国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」にも合致する。そんな地域に私たちが住んでいることをまずは知らなければならないだろう。また,今日から祇園祭も始まる。1日の切符入から31日の疫神社の夏越祭までの1か月間行われる。日本三大祭の一つである。 さて,最近,こうした地域での取組が減りつつある。というより,地域行事への参加という点での人々の関心が低くなりつつあるといえるのかもしれない。ところで,現在,ボーダレスの時代だといわれている。このことの意味は,地域や国の垣根が低くなることであるが,一方,自分の生まれ育った地域,国を意識することは,自分の在り方というか,考え方の拠り所となる基盤ともいえ,ボーダレスになればなるほど,大切な点であると思う。ボーダレスとは,言い換えれば,いつでも,どこにでも簡単に行けるようになったということで,その広がりは,それだけ多くの人々とも接する機会が広がるゆえに,自分自身の在り方もしっかりとした揺るがぬものを持たなければならないということになる。その一つがこうした身近な文化だと思う。 私の若いころと比べると,現代の若者たちは,ツールとしての英語の使用ははるかに上昇しているが,ボーダレスとなった現在,海外の若者と何をしなければならないかというと,文化の異なる人に,自分と相異なる思いの人に,自分の考えをしっかりと説明し,伝えるということが最も必要なことである。その時,自分の国の文化や習慣,自分の育った環境を知らなければ,その説明もおぼつかないことは明らかである。 ツールとしての英語を使うことはもちろん,その背景にある,自分を取り巻く世界,その勉強もなくては世界に通用しないのである。今日から今年の半分が始まる,どうか思い新たに半年間に向かって欲しい。 PTA広報委員会
今夜、PTA広報委員会が開かれました。7月に発行される広報紙「おおやけ」の最終校正をしておられました。「おおやけ」は、7月上旬に発行の予定です。どんな紙面になるか楽しみです。
![]() 自立![]() とりわけ選抜制度の変わるこの3年生にとっては,分かっていたこととは思うが,昨年度までの3年生とは状況が違う。我々もまだはっきりしない部分もあり,この点はどうなるのだろうと思う以上に,生徒や保護者ならばもっと不安なのも当然であり,この不安を一緒に解消していくのが学校である。ゆえに,丁寧にをモットーにしなければならない。 ところで,いつも言っていることだが,中学生は大人になるための準備期間である。では,大人になるとはどんなことなのだろうかと考えてみる。いろいろな考え方や思いがあるだろう。自立することだ,人に迷惑をかけないことだ,自分で食べていくことだ等々,それぞれが言い出すだろう。どれも間違いでないし,どれも正しい。ゆえに,一人一人が大人になるとはどうなることだとイメージを持ち,それに向かうことが大切だと思う。 私はそのことをどう考えるかというと,とりわけ専門家になることだと思っている。いわゆる職業的自立も含めてである。いろいろな道に入り,その道をさらに求めていくことだと思っている。どの道の専門家になるかを,それぞれが考えるために,キャリア教育なども含めての学習もある。今からはっきりしなくてもいいし,途中で変わることもあるだろう。しかし,その時点,その時点で決めたことに対して,真摯に向き合っていくことが一番大切である。 では,保護者が一番考えなければならないことは何かというと,私は過干渉にならないことだと思う。別な言い方をすると,可愛がり過ぎない,子離れをするということだと言いたい。教師にとっては何十年たっても生徒であるが,そこは自立した大人としての生徒として接していくように,親も,いつまでたっても我が子ではあるが,いつか自立した大人になるために,それに向かいつつある子であるという視点で見守らなければならない。例えば,植物を育てていくとき,水をやりすぎても根腐りはするし,日光に当て過ぎても枯れるなど,余りにも可愛がりすぎてもうまく育たないように,子どもも同じだと思う。後ろから,そっと見守ることこそが必要なことだと思う。 さて,明日,明後日と10時から,岡崎のみやこめっせで,京都市・乙訓地域公立高等学校合同説明会が開催される。学校ごとの個別ブースでの説明会となるので,各校のオープンキャンパスの前哨戦とまではいかないが,どの学校に具体的に参加しようと考える参考になるだろうと思う。案内プリントはもうすでに配布済みである。 本当に誰のために![]() 記名で,選択肢は4択で,「そう思う」「だいたいそう思う」「余り思わない」「思わない」とあった。プラスの方向性かマイナスの方向性かで見られる。そんな風に生徒たちは思っているんだなとはかり知れる。それよりも自由記述欄なしとあったのが気にかかった。この欄は,良くも悪くも書きたいと思う人の強い意志を表すところだからである。激励もあるし,改善を求めることもあるし,質問もある。アンケートを受け取る立場としては,この欄に多く記述されることのほうが楽しみである。本来,この手のアンケートは授業を受け持っている教師が,自分の尋ねたい点を考えて,各自がつくるものである。そのことで本当の意味での授業改善に生かせるからである。私も以前,自分なりに尋ねたい点のアンケートをつくって尋ねていた。ゆっくり書いてもらおうと,家で書いてくるように言ったこともある。すると,その自由記述欄に親からの記述もあったことがある。そこまで熱心にやられるならと,返事を返したこともあった。 先生方は,少しでもいい授業をしたいと必死である。私もわかったという生徒たちの笑顔を楽しみに授業をしてきたが,なかなかそううまくはいかなかった。ほんとうに難しいものである。それが生身の人間を教える授業というか教育というものである。一喜一憂せずに,アンケートはアンケートとして,授業力向上を目指せばいいのである。 私の授業でいえば,帯授業をおこなってきたが,もう40近い生徒であるが,そのころは韻文ノートといって,小さめのノートに,毎週短歌や俳句,詩を視写させ,その1週間に,そこから見える様々なことを書かせていた。そして週の最初に,みなでその韻文についての解釈や思いをぶつけ合った。私自身もそのノートを持ち,何か気付けば,それに書いていた。自分自身も一緒の学習をしていたのである。ものを見つめる目線はどうだろうか,なぜこんなやさしい漢字なのに,平仮名表記をしているのだろうかなどなど,思いつく視点や,考えや思いを一杯書いていた。絵で描写する生徒もいた。生徒などは,ふと思い出せば,もう終わった韻文でも,再度日付を書いて,書きこむ生徒もいた。ノートを見るのも楽しかった。でも,もっと嬉しかったのは,大人になった生徒が,あの俳句の意味をこんな風に感じた,こんな意味だったんじゃないかなと言われたことである。 期末テスト2日目
雨があがり、日射しがもどってきました。暑くなりそうな気配です。
今日は、期末テスト2日目。1限 社会、2限 美術、3限 音楽と続きます。最後まであきらめずに解答していってください。 ![]() ![]() ![]() 期末テスト1日目終了
今日は、朝から強い雨が降っています。梅雨らしい空模様です。
今日から期末テストが始まりました。準備をしっかりしてテストを受けたと思いますが、手応えはありましたか。 生徒が帰った校舎内は、ひっそりしています。生徒がいない校舎内を歩いていると、学校の主人公は生徒だと改めて感じます。 教職員は、午後から大宅小学校へ授業参観へ出かけています。 なお、明日の期末テストの時間割は、次の通りです。 1限 社会 2限 美術 3限 音楽 ![]() ![]() ![]() |
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