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最新更新日:2025/06/11 |
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緑のカーテン その後
先週にまとまった雨があり、ゴーヤはすくすく育っています。立派な緑のカーテンになる日も近そうです。花も咲き始めています。
明日からいよいよ期末テストが始まります。準備をしっかりして、体調を整えてテストに臨んでください。満足いく結果が残せることを願っています。 ![]() ![]() 期末テスト![]() 前にも言ったが,中間テストでの方法をそのままやっていては進歩がないといったが,部活動のないテスト週間の過ごし方はどうだっただろうか。陸上競技大会の中止等で,混乱した先週ではあったが,やるべきことは何があっても進めなければならない。それはそれとしての話である。 2年生においては,これが終わっても学習確認プログラムに向けての取組がある。京都市の中学生は皆同じように頑張っている。自分一人ではない。いつも言っていることだが,大宅スタンダードではなく,京都市スタンダードであり,全国,世界の中学生をスタンダードとしなくてはならない。 テストの受け方の一つとして,まずは全体を見通し,優しい問題というか,自分のよく理解している問題はどれかということを見定めて始める。また,全体を見回して,どの問題は何分,この問題は何分とおおよその見当を付けてやる方法もある。何も1番から順にやる必要もないし,何処から進めるかをみることも大切である。とにかくテストへの向かい方はその都度いろいろな方法でやってみるべきである。そして,自分の受け方を身につけるのである。 何度も言うようだが,明日は6時起床である。前にも言ったが,起床後,3時間に頭が働きだすからである。最悪は,ぎりぎりまで寝ていて,あわてて朝食も取らずに出かけることである。万全の体制で臨むために,学校では,今日の終学活で,机の移動とともに,中を整理し,きっちりと並べることで,明日への心構えとなるだろう。家では,今日の間に持ち物などの明日の準備をしておくことが必要である。体調を整え,試験日に臨むことが何より大切である。明日から3日間,みなさんの健闘を祈っている。 水泳授業が始まる
今日から、体育で水泳授業が始まりました。水温が少し低かったですが、プールから生徒の歓声が聞こえていました。
体調をしっかり整えて、水泳授業に参加するようにしてください。 ![]() ![]() 大宅土曜塾
6月22日(土)は、大宅土曜塾(3年生)が行われました。期末テストが6月26日(水)から始まることもあって、3年生28名が参加しました。それぞれの教室では、自分で問題を解いたり、ノートまとめをする姿が見受けられました。また、担当の先生に質問する生徒もいました。
今後も定期的に土曜塾を開きますので多くの生徒の参加を待っています。 ![]() ![]() ![]() 背景![]() 浮世絵師歌川広重の描いた三保松原と富士山は有名であるが,実際の駿河湾から松原を見ながら望む富士山は,松原が富士に連なっていくようで,美しい眺めである。また,この松原では,あの羽衣伝説の一つの場所としても有名である。丹後の宮津の天橋立も羽衣伝説があるが,あれは笠松公園から股のぞきから見る天橋立が天にかかる浮橋のようなことろからの羽衣伝説になったものと思われるが,この三保松原の背景を富士山と見立てての羽衣伝説であるように思う。 このように,富士山単体でどうのこうのと見るより,25の構成資産を含んでの富士山世界遺産登録という流れである。その構成資産に45キロ離れた三保松原も含めてということになったのである。 このようにあらゆるものにはその背景というものがある。それ自身が単体で成り立つものではないということである。以前,祇園祭が無形文化遺産に登録されたことがあったが,ニューヨークのウォールストリートに,ベルリンのブランデンブルグ門に山鉾巡行があってもそれは祇園祭ではない。あの1か月間の様々な行事,鉾町に住む人々の営み,そして,ハイライトである巡行の街並み等々があっての祇園祭の無形文化遺産登録なのである。 これらは遺産登録の話であったが,私たち一人一人に目を向けてみると,私たちはそれぞれ独立した人間である。しかし,その背景には,家族や兄弟姉妹がいて,親せき,それに友だちや地域の人々,教職員をはじめとして,ボランティアの方々,いろいろな人々があって自分がいるということである。あなた方の一挙手一投足にいろいろな思いを持つ多くの人々がいるんだということを常に忘れずにいなければならない。 切り替える![]() 変なもので,記録会が中止となると,その冊子も,記録の貼り出された掲示板も大変むなしく感じられたのは,私だけだったのだろうか。この計画に携わってきた体育科の先生方をはじめ,直接この会に関わってこられた,また,生徒たちの笑顔を見たいと張り切ってこられた先生方全員もたぶんそんな思いを感じられていることだろうと想像する。もちろん生徒たちは言うまでもないし,保護者や地域の方々もそうだろうと思う。 気持ちが萎えるということは多々あることだし,思い通りいかないことも多々あるだろう。その時,どうして自分の気持ちを昇華させていくことができるかである。昇華という言葉がここではそぐわないかも知れないが,自分自身でどう打ち勝っていくかである。そんなことを考えるいい機会かもしれない。と同時に,世の中にはこうした自然現象をはじめ,我々自身にはどうしようもないことも多くあるということだ。このように考えること自体が,気持ちを他にそらして打ち勝つ人間の知恵なのかもしれないと,これを書きながらふと思った。 来週の水曜日から期末テストに入る。とりわけ3年生にとっては最後の陸上競技記録会がなくなり,大きな穴があいたように思える中,次の期末テストも違った意味で大きなウエイトを占めてくる。気持ちを切り替えて,しっかりと頑張って欲しい。 ところで,先ほどの照る照る坊主についてだが、この風習は中国から入ってきたもので,箒を持たせていた。それは,雨雲を掃かせすためであったという。江戸時代の風俗習慣などを記した,いわゆる百科事典のような『嬉遊笑覧』には,晴れると目を入れ,お神酒を供えて,川に流すという風習があったという。 陸上競技記録会 中止
本日の陸上競技記録会は、雨天のため中止とします。残念です。通常通り、8:25の登校になります。また、給食はありませんのでお弁当の用意をお願いいたします。
放課後学習会
今日は、梅雨空で雨の1日です。梅雨に入ってもほとんど雨が降らず、水不足が心配されていますが、恵みの雨になりそうです。
1期末テストが、来週の6月26日(水)から始まります。昨日からテスト1週間前になり、部活動が停止になっています。放課後は、学習会が各学年で行われています。自分で問題に取り組んだり、わからない所を友達や先生に質問しています。「勉強の仕方がわからない」という声をよく聞きますが、自分に合った学習方法を見つけることが大切です。いろいろな学習方法を試してみて、一番よい方法を探し出してください。 明日は、昨日から延期なった陸上競技記録会を太陽が丘陸上競技場で予定しています。天候が心配されますが、実施できることを願っています。 ・集合 7:45 ・出発 8:00 ・6:30現在で、実施するのか中止するのかを判断して、ホームページ・メール配信・テレフォンサービス(574-0555)・新奈良街道沿いの掲示でお知らせします。 ![]() ![]() ![]() 授業![]() ところで,授業を組み立てる一番は,生徒の実態である。その実態こそがしっかりと見取れているならば,あとはすんなりと進むだろう。それだけ,生徒の実態分析は難しいのである。というより,常にその実態分析を行い,それに資する資料取りをしようとしているかである。それが,いわゆる教師の仕事である。医者が診察した結果を書くカルテと同じとまではいわないが,そのようなものをきっちりと日々に準備しているかである。定期テストでも,採点し終わったあとの分析をしているかである。それなしで,点数だけを付けただけで返却していないだろうか。宝の山をみすみす見逃していいないだろうかということである。その実態ゆえに,誰を見ながら授業を進めるかが決まってくるのである。 さて,実際の教材研究は,発問とその解であるが,発問も自分が言うように書くのである。漠然とこんなことを尋ねるではダメである。問いを練るということが大切で,なぜなら,その問いに付いて,生徒から質問を受けたり,補足をしなければならないことであれば,問いがこなれていないということだからである。こなれるとは「熟れる」と書くが,問い自体が熟していないということなのだ。と同時に,その問いに対する解,それも間違いの解を一杯書き出すことである。いろいろな生徒のつまずきを書きだすことが大切なのである。その時,先ほどの生徒の実態,そこで間違いそうな生徒が想定されるということになるからである。 言うは易し,行うは難しというのが授業である。生徒の分かったという笑顔を求めて,先生方も、実習生も授業を進めてもらえればと思う。 「吾輩」の猫の死![]() 国語の帯授業では,教科書に入る前に,新聞の記事やコラムを読んで,その問いにこたえていく形式でやっている。素晴らしい取組である。生徒たちは,配られたプリントをしっかりと読み,考えている。たった10分ぐらいのものではあるが,その積み重ねが,きっと大きく成長を促すことだろうと思う。なぜなら,自分の意見をまとめる作業をおおよそ週4回,習字の時間もあるが、35週の標準時数と考えても140編もの記事に自分の考えをぶつけるのである。すると,家に帰って新聞を読んでも,大事なところを考える習慣というか,癖になってしまうからである。習慣こそ,毎日の積み重ねの賜物である。 何を根拠にそう考えたか,思ったかという,単に正答のないものに対して考え抜く力は,これから生きていく中で最も大切な事柄である。その訓練をこうした授業の中で進めることは,大事な視点である。分厚くなった教科書を横に,このことをやる勇気が大切である。 よく教科書を教える,教科書で教えるとどちらだと言われるが,もちろん教書で教えるである。教科書は用いなければならないが,万能ではない。適宜生徒にあったものを入れて,より効果のある授業を進めることは肝要なことである。それは担当している教師の専門性である。 今日の「漱石 弟子へ素顔の手紙 『吾輩』の猫の死 伝える」では,二番目に,次のような問いがあった。ここにでは「三四郎」のモデルとなった独文学者の小宮豊隆とのやりとりである。 「漱石は,猫が死んだことを伝える書簡に『三四郎の執筆で忙しく,お参りには来なくてもいい』と書きました。どういう気持ちで書き送ったと思いますか。」である。これは書簡であるので,その問いに「書いた」ではなく「書き送った」と,しっかりとした問いづくりをしているのも素晴らしい。言葉に敏感であらねばならない。 生徒たちもいろいろと書いていたが,さて,私ならと思いそのまとめる根拠を考えてみた。 小宮豊隆と漱石との関係が記されている。最初の部分で「三四郎」のモデルであり,あとの部分では,漱石を父親のように慕っていたことも考慮しなければならないだろう。 ということで, ・三四郎のモデルが実際来ることでの,執筆への影響はどうだろうか。 ・「お参りには来なくてもいい」と「お参りに来なくていい」との違いはどうだろう か。 ・猫の死に対して,えざわざお参りには来なくてもいいという書簡までも送る本音とは どんなものだろうか。さらに考えるなら,来なくていいものなら,伝えるだろうか。 といった視点であるように思う。これらをまとめてみるといいかな。 |
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