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最新更新日:2025/07/10 |
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ヒロシマ・ナガサキから学ぶこと・・・![]() ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『1945年8月6日8時15分、私たちの故郷は、一発の原子爆弾により灰じんに帰しました。 ・・・(略)・・・ 「広島が無くなっていた。何もかも無くなっていた。道も無い。辺り一面焼け野原。悲しいことに一目で遠くまで見える。市電の線路であろう道に焼け落ちた電線を目安に歩いた。市電の道は熱かった。人々の死があちこちにあった。」(当時20歳の女性が見た街) 「辺り一面は、無数の屍が重なり、声にならない呻き声の中、息のない母親のお乳を吸い続ける幼児、死んだ赤子を抱き締め,うつろな顔の母親など、正に生き地獄だった。」(当時13歳の少年の体験) 「7歳だった弟は、被爆直後に全身火傷で亡くなり、ひと月後には、父と母、そして13歳の弟と11歳の妹が亡くなりました。唯一生き残った当時3歳の弟も、その後、癌で亡くなりました。」(当時16歳の少女)』 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 原爆は人々から人間として最も大切にしているものを奪いました。親を,子を,きょうだいを,愛する人たちを・・・,自分の最も大切な人を奪われた人の悲しみは一体どのようなものだったのでしょうか?家庭や,生活,また人生までも奪われ破壊された人たちの苦痛のほどはどうだったのでしょうか?この間に新聞やテレビ等で特集が組まれています。この機会にお家の方と,戦争や平和について一緒に考えてみてはどうでしょうか? 戦争や被爆の体験をされた方々も高齢になっておられます。被爆された方々の平均年齢は78歳を超えたということでした。文字通り命懸けで,今その思いを語り継いでいただいています。 また,「平和宣言」は,東日本大震災の原発事故により,今も苦しい生活を強いられている方々にもこう呼びかけています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『前向きに生きようとする被災者の皆さんの姿は、67年前のあの日を経験したヒロシマの人々と重なります。皆さん、必ず訪れる明日への希望を信じてください。私たちの心は、皆さんと共にあります。』 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「平和宣言」のあと,広島市の小学校6年生の2人が「平和の誓い」を世界に向けて発表しました。感動的な内容でしたので,最後の一文を紹介します。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・(略)・・・ 『つらい出来事を、同じように体験することはできないけれど、わたしたちは、想像することによって、共感することができます。 悲しい過去を変えることはできないけれど、わたしたちは、未来をつくるための夢と希望をもつことができます。 平和はわたしたちでつくるものです。身近なところに、できることがあります。違いを認め合い、相手の立場になって考えることも平和です。思いを伝え合い、力を合わせ支え合うことも平和です。わたしたちは、平和をつくり続けます。仲間とともに、行動していくことを誓います。』 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「今,私たちに出来ること」そして「これからしていかなければならないこと」を,この「平和の誓い」のことばから教えたもらえた気がしました。 ちょっといい話―83―
部活動の公式戦やコンクールも、昨日の吹奏楽部の銀賞受賞で一旦は落ち着きを取り戻しました。あとは相撲部の近畿大会と全国大会での朗報を待つのみです。
さて今日は、思いやりの“心のバトン”が、電車の中で引き継がれていくという「ちょっといい話」です。そんな人と人との心の触れ合いが、どんどんと広がっていくことを切に望みます(「心温まるいい話」より)。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 通勤で電車を利用しないけど、私用でたまに電車を利用したときは、周囲に老人が立っていると、席を譲るようにしている。 一昨年の花見の帰り、すっかり寝入った三歳の息子を抱っこして電車に乗りました。歩き疲れたのと、それまで子供を抱っこしていたのとで、電車に乗った時点で疲労の極致。すし詰めではないが、空いている座席は見当たらない。電車に乗るまでは家内と交互に抱っこしていたが、車内で抱きかえると迷惑になるかなと言うぐらいには混雑している。 下車する駅に着くまでの三十分は抱き続けか、かなりの地獄だなと息子を抱えたまま悲痛な顔になると、目の前に座っていた老人が立ち上がり 「座りなさい。ほら、ここ、ここ」と席を譲ってくれた。 「いえいえ、平気です。そんなわけにはいきません」と、やせ我慢しようとしたら、 「覚えていないんだね。あんた、以前、私に席を譲ってくれたじゃないか」と・・・。 「助かります」と、家内に子供を抱かせて座らせた。 情けは人のためならずと、ちょっと涙が出そうになった。お爺さん、ありがとうね。 吹奏楽コンクール 結果速報! 銀賞!!![]() 第49回 京都府吹奏楽コンクール(中学校の部A)2![]() ![]() ![]() 次はいよいよ「定期演奏会」です。9月1日(土)、東部文化会館で行います。3年生の引退式も兼ねています。更なる感動の演奏会になることを期待しています。 本日は本当にお疲れ様でした。春日丘中学校の代表として、立派な演奏でした。胸を張って帰ってきてください。 第49回 京都府吹奏楽コンクール(中学校の部A)1![]() ![]() ![]() 出演順は、14番目です。毎年行われている京都会館から、改修工事の関係で今年度はコンサートホールが会場になりました。 13時45分、スポットがあたりいよいよ演奏の開始です。みんなの心臓の音が聞こえてきそうなくらい、緊張感に満ちたスタートでした。約15分間2曲の演奏でしたが、感動で胸が震えました。 明日、京都府吹奏楽コンクール本番です!!
今年の夏は猛暑が続いていますが、そんな暑い中、毎日朝から夕方まで暑さに負けずに猛練習をしてきました。そして満を持して、明日コンクール本番を迎えます。ここまできたら、あとは心を1つに音を「奏」でるだけです。3年生の人たちにとっては、最後のコンクールです。3年間の集大成となるよう、精一杯の演奏をしてきてください。
・場 所:京都市コンサートホール ・日 時:8月2日(木) 午後1時45分〜 ・曲 目:課題曲3「じゅげむ」 選択曲 「ペルセウス〜大空を翔る英雄の戦い〜」 ![]() ![]() ちょっといい話―82―
まずは先日の京都新聞に掲載されていた投書を紹介します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『乱暴な言葉にびっくり』 先日,小学生下校時の「見守り活動」で,黄色の旗を持ち安全誘導をしていたとき,中学の制服を着たかわいい女の子が2人乗りの自転車でやってきた。すると,信号が赤なのに信号無視で道路を横断してしまったのである。急ぐ用事があったのかもしれないが,ルールは守らなければいけない。 私はとっさに「信号を守らなあかんよ」と声をかけたが,女の子たちは「うるさい,おっさん,死ね!」と言って,急いで逃げるように走り去った。私はあまりにも乱暴な言葉にビックリするとともに,あぜんとした。私が子供だったころには考えられない言葉で,本当に嘆かわしいことである。常日頃,美しい言葉を使っている子供が,急に汚い言葉を使うとは思えない。 今,いじめの問題がクローズアップされているが,言葉の暴力で他人を傷つけることのないように・・・。そして「他人の不幸の上に自分の幸福を築かないように」という,相手を思いやる美しい心で人生を歩んでいただきたい,と強く願う。(山科区73歳男性) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 見守り隊のおじいさんが,どんな思いで声をかけてくださったのか・・・。中学生の女の子2人の返した言葉に,怒りを通り越して哀しみを感じます。あらためて,言葉の持つ暴力性に怖さを感じます。美しい言葉は,心をも美しく磨いてくれます。そんなふうに,言葉を使っていきたいものです。 次に,もう1つの投書(「心に響くいい話」より)を紹介します。この投書を読むと,自分の命がいかにたくさんの方々に支えられ,生かされているのかということに気づかされます。まさに「感謝」「感謝」「感謝」のはずなのですが・・・!!前述の投書の2人の中学生が「声をかけてくれてありがとう!」と返していれば・・・。人と人とのつながりを,まずは感謝の意を込めて、もっと豊かにステキに築いていきたいものです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『毎日、朝早くから夕方に通学の子供達を安全に誘導する黄色い腕章をして黄色い旗に黄色い帽子のおじいさん。子供たちの安全を笑顔で守っていたおじいちゃん。いつからだろう来られなくなったのは…。 ある時、たずねてみたんです、町内の方に。お亡くなりになられたそうです。お葬式には何百人もの小学生や卒業生が参列しました。みんな泣いていたそうです、ほんとうにたくさんの子供が泣いていた。 このおじいさんにも悲しい出来事があったそうで…。昔、この交差点で小学校に通っていた娘さんを事故で亡くされたのです。それ以来ずっとここに立っていたそうです。私はまったく知りませんでした。いつも笑顔で子供たちをかわいがり、子供たちに慕われていたおじいさんに、そんな過去があったなんて。おじいさん30年間ごくろうさまでした。私は忘れません。 でも先日ここで小学生の事故がありました。30年間通学途中の事故は一度もなかったのに …。きっと天国で亡くなった娘さんと悲しんでいると思います。』 |
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