京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/05/31
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『自由』『自律』『友愛』

最後の日まで

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 今日で学校も終わり,1月3日まで閉鎖となる。最後の一日である。にもかかわらず,吹奏楽部の掃除が行われている。毎週月曜日の朝,吹奏楽部は,職員室前の廊下や階段など,清掃活動をしてくれている。ずっと続いている活動である。
 25日の「志」でも書き,全校集会でも言ったが,「相手のためを思う気持ち」を持って,自分の目標を重ねていくことが大切である。吹奏楽部は,音楽を通して,いろいろなところで活動を行っている。まさに「相手のためを思う気持ち」であるが,これは,直接,音楽を通してという手段であるが,清掃活動は,また別である。違う面での活動であるが,共通することは,「相手のためを思う気持ち」である。
 直接でなく,間接的にではあるが,相手のことを考えることは,音楽でのその部分を補完する役割があると思う。自分があるということは,相手があるということである。常に,自分の本来的な部分でなくても相手意識を持つことは,その相手意識の幅を広げるものである。ギリギリの相手意識は,ぎりぎりのゆとりのない意識でしかない。音楽を通しての部分は,よくよく考えれば,それ以前の相手があって,そして,音楽という部分に収斂されていくように思う。最後の日まで,この気持ちを忘れない吹奏楽部だからこそ,今の素晴らしく,魅了する音を奏でてくれているようにも感じる。

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 いよいよ後期前半の終業である。大きなこともなく,この日を迎えられたことが何より嬉しい。
 生徒たちも細かなことをいえば切りがないが,概ねしっかりと学校生活を送れている。ただ,半歩でも進めるために全体で高めなければならいことは,いわゆる道徳でいう公徳心だと思う。とりわけ,挨拶から始まり,ありがとう,すみません,といった言葉が素直に出せるかである。このことは,人間関係の基本である。人は生きている限り,自分だけ生きることはできない。また,人は人との関係によって,自分を知るのである。そのことを思えば,やはり,人間関係を重視した教育を再度構築しなければならない。それが本校が狙う,学級づくりなのである。集団と個の関係をどのように築いていくかである。昨日紹介した「沈黙」とい本も,ある意味そのことが語られている。
 最近,「坂の上の雲」で,司馬遼太郎がブームになっている。わたしは,小説を2作品しか読んでいないが,彼を語るキーワードに「志」がある。「目標」ではなく,「志」なのである。「志」には,「1.・ある方向を目ざす気持ち。心に思い決めた目的や目標。・心の持ち方。信念。志操。2.相手のためを思う気持ち。厚意。」の意味がある。これを見ればわかるだろうが,単なる目標ではなく,その上に「相手のためを思う気持ち」がなければならないのである。自分の人生ではあるが,その中には人のための人生でもあることを知らしめなければならない。親に対してもそうである。兄弟に対しても。友だちに対しても。相手意識を考えながら,こうした集団を広げていくのもわれわれの努めでもあると強く思う。

沈黙

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 図書委員会から,お薦めの一冊を書いて欲しいと言われたので,いろいろ考えた末,ファラディーの「ロウソクの科学」を薦めた。しかし,いくつか候補も出していたので,また,休み前でもあるので,本について書くことにする。それにしても,図書委員会もいろいろと新しい企画を出してくれて,楽しみである。
 お薦めの本は,村上春樹の『レキシントンの幽霊』(文春文庫)の中の「沈黙」である。これは,35ページほどであるから,30分もあれば読める。村上春樹は,日本ではノーベル文学賞に一番近い作家である。そして,生まれは京都の伏見である。
 さて,この「沈黙」は,全国学校図書館協議会から集団テキストとして出版された,書き下ろしである。本の中身を書いてしまえば,面白くなくなるので,書かないが,大沢さんが僕に過去の出来事を語るという形式は,あの2年生の「少年の日の思い出」を彷彿させる。テキストという性格上,教訓めいた内容にならざるを得なかったのかもしれないが,一人ひとりが考えなければならないことのように思える。ちょっと1年生には難しいかもしれませんが,難しいものも読み通すということも,大切だ。
 まだまだいろいろなお薦めの本はあるが,本の楽しみは,自らが選んで,買うことで,読み通そうという思いも生まれてくるものでもあるように思う。人に与えられても,なかなかすんなりとは読もうと思えないものでもあるから,自分で選んで,楽しい読書生活を送ってもらえればと思う。わたしも休み中に読んで,また,話ができるようにしたいと思っている。

万年青

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 万年青と書いて,「おもと」と読む。大辞林を引くと,「ユリ科の多年草。山地に自生し、肥厚した地下茎から多数の濃緑色の葉を出す。葉は長さ30〜50センチで、厚くつやがある。春、短い茎を出して淡黄色の小花を穂状に密集してつけ、実は丸く赤色、まれに黄色。園芸品」とある。学校にも一株,鉢植えがある。
 京都では,正月にこの万年青を愛でるのである。万年青の葉は厚く,年中、緑鮮やかであることから,転居したときに,まずは,万年青を植えたり,鉢植えを部屋に置いたりしてから入るという習わしがある。変わることのない青い葉からは,変わることのない幸せを,また,初夏に咲く淡黄色の花のあとは青い実となり,それが秋には珠玉の実となる。そのことから家運隆盛の象徴として,人々は見つめるのである。そして,元旦に万年青を愛でることで,無事に正月を迎えられた喜びに感謝するのである。京都では,江戸時代に爆発的なブームになったという。万葉集にも歌われ,芥川龍之介の作品名は忘れたが,出てくる。
 学校のそれは,育て方がまずかったのか,ちょっと弱り気味である。ほっておいてもという思いがあったが,やはり心して育てなければ,育たないようである。子どもと一緒である。

おおきに

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 19日の夕刊に,漱石の未発表の書簡が見つかり,「漱石全集(岩波書店)」に掲載された書簡集の内容の前後がわかり,流れが通じるものであったという内容が載った。
 記事の中に,磯田多佳とい祇園の女将が出てくる。漱石のお気に入りであった。新橋で「大友(だいとも)」という店を構え,谷崎や吉井勇とも親交があった。その多佳の養子で,日本画家の磯田又一郎という方が南禅寺に住んでおられた。都をどりのポスターなどでも有名な画家で,その孫を岡崎で担任していた関係で,興味を持って読んでいた。
 ところで,「おおきに」という京ことばがある。これは,「おおきにありがとう」の「ありがとう」を略したもので,明治以降に広まった。ありがとうの気持ちを強く押し出すことばで,さしずめ,現在なら「たいへん」くらいであろうか。
 漱石は,ある日,北野天満宮に多佳を誘うが,それに対して多佳は「おおきに」と返した。漱石は,OKととらえ,喜んだが,待てども待てども,多佳は来なかったという。「おおきに」には,サンキューとノーサンキューとの意味が同居しており,漱石は遠まわしに断られたのである。サンキューの意味に使うときには,そのあとに,「ホンマニ,ヨロシオスカ」というようなことばで,後押しがある。京ことばの難しさである。

必要

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 3年の学級通信を見ていたら,「have toなこと!?」と題してあった。わたしは国語だが,浅い英語の知識を振り絞って,書いてみようと思う。英語は苦手なので,和製英語で申し訳ないが,必要という言葉の「need」と「want」についてである。
 「ニーズ(日本語でニードとは言わないので)」は,空間的に見ると,外部の状況を判断して割り出した必要性。時間的に見ると,過去から現在にかけて人間が経験したことや得たことを基準にして割り出した必要性。
 「ウォント」は,自分の内部から出てくる必要性。現在と未来に時間軸をとった上での必要性。つまり,欲望,自分のなかの欠乏を内包した必要性ということになる。
 だから,「ニーズ」は,人間の理性の上に立った判断から生まれた必要に対して,「ウォント」は,今の自分の中から生まれてくる,何かいたたまれないような,何とかしたく思うような必要ということができよう。
 「ニーズ」という点かいえば,今の自分の成績がこんなのだから,あそこの高校にしようかというふうに,いろいろな情報から「ニーズ」を割り出して進路を決めるときに使うが,さて,そうしたら,「ウォント」は,今必要ないかといえば,そうではない。高校を決めるとき,ある種の「ニーズ」によるところの判断は大切かもしれないが,ある面では,「ウォント」にきりかわらないかぎり,どこかで挫折するのではないだろうかと危惧する。というのは,やはり,ぼくは将来,こんな職業に就きたいんだ,わたしは将来,こんな勉強をしたいんだ,といった「ウォント」をもった意志力がなければ,自分の人生を生き抜いていくことはできないからだである。
 自分の内なる欲望こそ,飛躍の原動力であり,そこには「ニーズ」ではなく,「ウォント」がとても必要になってくると思うからである。わたしの気持からいえば,「ニーズ」に必要性を感じながらも,いつまでも「ウォント」の必要性を持ち続けて欲しいというのが,偽らざる願いである。それは,目の前の進路だけではないからである。

健康管理

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 昨日,学校保健委員会を開催した。学校保健委員会は,学校医、校眼科医,校耳鼻咽喉科医,校歯科医,校薬剤師の学校の保健関係をお願いしている先生方と,PTAの保健委員さん,そして,学校側の三者が集まって,定期健康診断から見えてくることや喫緊の課題などを指導助言いただいたり,質問したりしながら,生徒の健康管理について話し合う会である。先生方には大変熱心に指導していただいて,大変ありがたい。
 生徒たちの健康診断からは,それほど気になることは出ていなかったが,2年生の男子にやせ傾向にある率が高いという結果が出ていた。また,歯科健診では,どの学年も15%から20%の間に要治療者がおり,休み中などに治療をお願いしたい。また,眼科の方からは,コンタクトレンズのソフトについて,気を付けるようにとの助言があった。ハードは,目の異常がすぐに分かるが,ソフトはその感覚がなく,危険性が高いので,定期的に受診されるなどの注意を喚起された。そして,話題はインフルエンザの対策になり,定期的な窓の開放と手洗い,うがいをしっかりするようにとご指導いただいた。と同時に,栄養と睡眠をしっかりととって,規則正しい生活習慣の必要性を強調された。
 本校では,10月末の2年生から始まり,今,1年生が山を越した状態である。3年生は,まだ大きな状況はないが,なにしろこれからが大切になってくるので,一人ひとりが本当に健康管理に気を付けて欲しい。普段健康に暮らしていれば,なんら自分には関係ないことと思いがちだが,集団では,自分のことともに,周りのことも考えることが大切である。いつも言うことだが,これも想像力である。先を見通す力があって,今どうしなければならないかということだ。

内面

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 来年,文部科学省指定の道徳の発表がある。先生方には,日夜,その発表に向けての取組を行ってもらっている。研究主題は「学級経営に根ざした道徳教育のあり方」である。今日も,3時間目,2年生のクラスをおじゃました。
 道徳は,ああだ,こうだとごたくを並べることではない。わたしたち教師というものは,習性からかどうかは知らないが,何か教えなければならないという思いでいる人が多い。教科指導ならいざ知らず,道徳でも教えなければならいこともあるかもしれないが,基本的には,今ある自分の心の思いを,周りの人たちの話を聞きながら,塗り替えていく作業なのである。だから,みんなが同じ日に,同じ水準に達しなくてもかまわない。今の自分の思いが道徳をすることで,何か変わればいいし,別に変わらなくて,今の自分の思いの確認になってもかまわない。ゆえに,一番大事なことは,意見交流が活発におこなわれることだけである。生徒にしゃべらすことだけでいい。そして,その意見を受けて自分の意見を述べることだ。ゆえに,教師がどれだけ,しゃべらずに,淡々と出てくる意見の仕分けをするかである。それを発表当日にみなさんに見てもらえればと願っている。ただ,大事なことは,担任が学級の状態を真摯に考えることである。学級の状態で考えさせなければならない内容を持ってこなければならないからだ。
 ということで,いつも言うばかりのわたしとしても心苦しく思い,1月15日に左京支部研修の道徳を買って出た。まだ,何をどのようには考えていない。

事始め

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 もうすでに過ぎてしまったが,13日は,事始めであった。いつもニュースや新聞では,祇園の花街の様子が流れるが,新年を迎える準備を始める日なのである。この日は,西陣や室町などでも,祇園同様に,お世話になった家に鏡餅を持参して,「押し詰まりまして,オコトウサンドス」とあいさつを交わす。北野神社の大福梅(おおふくうめ)も,この日から授与されるなど,正月を迎える準備がいろいろなところで始まるのである。
 コトとは,季節の変わり目にあたって,祝事をする日のことで,節日(せちにち)のことである。ゆえに,事始めとは,お正月に神を家に迎える祭りのことで,一年の最初の事を始める日,つまり,お正月の準備を始める日の初日になるゆえに命名されたものである。
 いろいろな風習や習慣などは,徐々になくなっていき,特別なものとして残っているようだが,本当はどこの家でも行われていたものが多い。ちなみどこの学校では,3年生は,進路を決定する面談が始まる。事始めとともに,進路が始まり,いよいよ本格的に受験シーズンの幕開けとなる。今までも準備はしてきたと思うが,この時季,志望校の決定とそれに向けての追い込みが始まり,これが学校の事始めとなる。

WA(わ)

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 土曜日,宝ヶ池の国立京都国際会館でPTAフェスティバルが行われた。PTA連絡協議会と教育委員会との両者でつくる実行委員会が主催で,今回で12回目である。参加の校園は,市立の幼稚園,小中学校,高等学校,そして,総合支援学校まで286校,おおよそ22,000人の参加であった。
 今回は,「もっと大きなWA(わ)をつくろうよ!!」をテーマに行われた。全校種の壁新聞は,各校PTAがどのように取り組まれているのかがわかり,自校の活動を進める上で,非常に参考になる。また,ステージでは,各校種のPTAや学校からの発表,また,子どもたちが楽しめる実演コーナーや模擬店と親子で楽しめる一日であった。圧巻は,実行委員による携帯電話の危険性を考えるオリジナル劇で,その意気込みが伝わってきた。
 みんながまとまって,一つのことを成し遂げることに意義があるように思う。みんなでつくり上げていくことで,まとまりができる。各校が新聞をつくることは大変である。しかし,これをつくるために,各校のPTAがまとまらなければならない。また,実行委員会も企画を進めることで,また,まとまらなければならない。ブースを運営するためにも,模擬店を出すにもまとまらなければならない。こうしたそれぞれのまとまりがWAであり,フェスティバル当日,また,一つとなって大きなまとまりをつくるのである。十分テーマは達成されたように思う。
 こうしたフェスティバルのあとには,祭のあととか宴のあとという言葉を思い起こし,何か寂しさを思い浮かべるが,このWAは,各校に返され,最後のPTA活動,そして,来期のそれにつなげていかなければならないという新たな思いにさせられた。

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