京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/05/31
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『自由』『自律』『友愛』

起点

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 きょうは,中学校では終了式,小学校では卒業式である。10時からの卒業式に向けて,わたしと教頭,指導教諭の3名が校下3小学校に出かけた。
 先立っての終了式は,3年生の抜けた2学年だけであったが,ピシッと締まった式となった。新入生を迎える4月が楽しみである。先生方のおかげである。先生方が仲がよいとはこのような状態なのだと実感した。
 卒業式の先は,錦林小学校である。小学校の儀式はまたしっかりと指導されていて,本当に気持ちがよい。卒業証書を受け取る指導から,細かい点まで行き届いている。6年生からすれば,一区切りの式であるが,わたしからすれば,未来の岡中生を受け取りに行く,引き継ぎ式のように思える。今の1・2年生に,この卒業生が加わることを想像すれと,大変ワクワクした嬉しい気持ちになってくる。先の終了式では,新入生を迎えるために,自分たちが一つ学年が上がる。そのために何をすることが学年が上がる自分になれるのかを一つだけでいいから進めて欲しいと伝え,それが春休みの課題であると話した。一人一人が今の自分から進む。そのこと自体はわずかであっても,集団としてそれを見たとき,本当に大きな前進となる。楽しみな岡崎中学校になる。
 終了式と卒業式とがドッキングした大変な午前中であったが,なにか心浮き浮きする日となった。来年度に向けての体制づくりは,この1週間が勝負である。春の日差しの中で,いよいよ新しい岡崎中学校が始まる。

休み中のこと

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 いよいよ明日が終了式である。長い学年の最後の日である。そして,4月4日までの春季休業となる。君たちが新しい学年となるように,学校も新しい体制をつくる準備が始まる。
 さて,春休みというのは,夏や冬の休みと違う。なぜなら,その休みが終わると,学年が違うからである。だから,おそらく君たち自身の気合も違うだろう。飛行機でいえば,4月からの新学期を迎えるにあたっての,離陸の時間が春休みである。そこで,君たちは何をしなければならないかといえば,離陸できる準備をしなければならない。離陸の準備とは,これから先の1年間の見通しである。まあそんなに変わるわけはないので,その一例を示す。
 それは,毎日,毎日続けてやることをつくって欲しい。家庭で,毎日,毎日読書する。漢字ドリルをやる。単語を10個ずつ覚える。問題集を1ページやる。何でもいいから,学習に関する取組を毎日続けて欲しい。そんなに長い時間でなくてもいい。積み上げるしんどさの克服,やった量の多さに着目等々,続けることの大切を感じて欲しい。例えば,問題集なら,買ってきたらすぐに土日を除いて日付を1ページごとに書き込んでしまう。すると,いつにその問題集が完了するかがわかる。目安のわかる方法を考えながら進めるのである。そして,土日は,できなかったところの補充に充てる。
 教え子で,3年生の1年間,社会の教科書を毎日読み続けた生徒がいた。卒業まで,最初,ページ数は少なかったが,だんだん量も増え,何か小説でも読むように読んでいた。1冊の教科書を何度読み返しただろうか。嫌いだった社会の受験対策であった。何ページにどんな写真が載っているかまでわかるくらいだった。今でも会えば,そのことを話す。一つの方法であったと思う。何かを言うより,一歩踏み出すことが大切である。
 いろいろな気合いが入る今だからこそ考えられるし,スタートだからこそやりやすいだろう。とにかくスタートに向けて今である。

来年度に向けて

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 昨日,今日と2年,1年の球技大会が開かれている。自分たちの運営でしっかりと取り組んでいる。学年最後の総仕上げの場である。
 球技大会は学年づくりと学級づくりが相まった取組である。ゆえにまずは,3年間で生徒たちの運営力をどのように考えているかである。つまり,教師の運営をいかに少なくして,生徒たちに委ねていくかである。そのためには目指すべき姿を具体的に考えなければならない。1年生では,ここまでやらせよう,2年生では,……,そして,3年生では,……となる。それは単に球技大会だけではない。校外学習では,修学旅行では,体育大会ではとなってくる。その学年の総仕上げが,この年度末の球技大会となる。
 教育は意図的,計画的にということがよくいわれるが,そのモデルづくりとして,はっきりしているのが,こうした運営である。目に見えて効果もあり,やりがいがある。教師がやった方が早いかもしれない。生徒がやれば時間がかかり指導も大変かもしれないが,こうした積み上げこそが,来年度に控えている学級づくりの基盤になるものである。あらゆる機会を通じて,学級づくりにつながる方策は何だろうかと考えることが必要である。
 来年度に向けて,学校として,学年として,学級としてそれぞれの立場で,「学級づくり」を合言葉として,行動することで,きっと今年以上の学校になっていくだろうと期待している。

休みを前に

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 朝から公立高等学校の入学選抜の発表で慌ただしい。例年のごとく,悲喜こもごもで,いろいろな思いが交錯する。わたしですらそうなのだから,3学年の先生や担任の先生は況やであろう。とにかく,3年間行き続けて欲しい。ただただそれを願うだけである。卒業することのために,今日があるという思いを持って欲しい。
 さて,春季休業がそこである。卒業,入学,進級と新たな気持ちで臨む季節である。その季節に合わせるかのように携帯の所持率が伸びる。中P連では,今年度の取組の柱として,携帯の問題を大きく取り上げた。すべての大人の大きな関心が大切である。
 この間,TVを見ていると,「ネトゲ」が大きく取り上げられていた。ネトゲとは,ネットゲームのことである。ゲームという架空空間に合わせて,一日を過ごす40歳の男性の紹介であった。人と接することが苦手で,ネトゲの中でのやり取りで人とのつながりを求めているようであった。父親の急死により,十数年ぶりの母親再会により,その心配することで生活が変わっていったが,やはり,そこには人との接点があった。そのことを考えると,教育の持つ意味,人との関わりをいかに進めるかである。これに尽きるように思う。集団の中で,人との接点で,人は育つものである。そのことをしっかりと教育は見つめなければならない。学力だけなら,コンピュータが指導すればよい。母親がロボットでは,赤ん坊は育たない。血が通う育ちこそが今最も大切なのである。担任が考えること,学年が考えること,学校が考えること,そして,保護者が考えること,そして,地域の大人が考えること,とすべての大人が考えなければならないことなのである。

岡崎の地

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 以前,岡崎の地域について,生徒に六勝寺(りくしょうじ)の中の一つ法勝寺の塔の話をした。東寺の塔が54.8mで現在の日本の塔の中で一番高い塔なのであるが,この法勝寺の塔は,81,0mもあったという。しかも五重の塔ではなく,八角九重塔であった。その基礎が京都市動物園から見つかった。
 法勝寺は,1077年に白河天皇が建立した寺で,東大寺の大仏殿に次ぐ大きさであったと言われている。塔は巨大建築ゆえ,避雷針もなく,何度も落雷に合い,再建されたが、1342年に焼失したのを最後に,そのまま衰退してしまったという。基壇部は戦後まで残っていたが,進駐軍によって取り除かれて,正確な位置がわからなくなっていたという。
 今は,そんな巨大建物がなかったかのような静かなたたずまいの中にあるが,いつも言うことだが,岡崎は,日本の中心地である。その後も東山文化を生み,京都の近代化を進め,文化ゾーンとなり,そんな中でわたしたちが生活していることを知って欲しい。この地域のことを知ること自体が,世界に通じる文化を知ることになると思う。

卒業の日

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 今日は卒業式である。穏やかな当日を迎えられたことが何よりである。多くの生徒の笑顔が見られたことが大変嬉しいし,たった1日のこの日のために,外の日があるように思える。1年で一番良き日である。
 この卒業生は,稲冨校長からバトンを受けた最初の入学生であった。ちょうど3年前である。ゆえに,心を込めて入学式の式辞を書いたのを覚えている。この時の式辞と卒業式の式辞とをセットで考えられたのが嬉しかった。来年もセットで式辞ができるなと内心嬉しく思っている。
 入学式の時,二つのお願いをした。一つは,一人一人の違いを受け入れてくださいということと,もう一つは読書生活を進めてくださいという二点であった。一人一人の違いを受け入れるということは,相手を知ろうとすることであり,相手を知ろうとすると,相手のことをいろいろと推し量る想像力が必要となってくる。そこで,読書という活字を追うことで,いろいろと具体化していく力,つまり、想像力を養って欲しいという意味を含んで,お願いをした。
 本当にあっという間の3年間であった。校長として,1年生の山の家から修学旅行まで,一緒に行動できた3年間であるゆえ,今までとは違った思いのある3年生であった。直接担任ではないが,さりとて,全くの部外者でもなく,特別な3年間であった。人間っていうのは変なもので,卒業生は何とも思っていないのに,わたしだけが思い入れがあるといっても,大変迷惑だろう。かといって何をしたということも直接ないし,でも,すごくその思いは違うのである。この立場で3年間一緒であったというだけであるが。全てが終わって,担任とは違った空虚さを覚えた。でも,まだ1・2年生もいる。この生徒たちも1年間,2年間,この立場で一緒である。もう4月はそこである。

卒業式前日

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 いよいよ卒業式前日である。朝から送る会,そして,式の予行と慌ただしい午前であった。教頭がポイント,ポイントを示しながら,明日の式に向けての流れを示してくれた。生徒もきっちりとした態度で取り組めていた。午後からは,式場の準備等である。
 1・2年生は,明日の卒業式の準備に際して,気持ちを込めて,滞りなくやって欲しい。いつも言うことだが,1・2年生は送られる3年生として考えてみるとよい。どのように自分たちが送られたいかである。そのことがわかれば,自ずと何をしなければならないかが分かってくるだろう。どんな卒業式になるのがいいかも分かってくるだろう。
 わたしたち教職員は何度も同じサイクルの中で過ごしてきている。しかし,明日卒業する生徒は,中学の卒業式は明日しかないのである。二度と中学の卒業式をすることはないのである。ゆえに63回卒業証書授与式なのである。回数が大事なのである。62回でもないし,64回でもない、63回なのである。だから,教職員も怠りなく気持ちを込めて明日の準備にかかって欲しい。
 ところで,よく良い学校,悪い学校などという言葉を耳にする。何が良くて,何が悪いのかはわからないが,よくテレビなどを見ていると,保険の宣伝などで,お客様満足度という言葉を聞く。この部分が大切なように思う。卒業する生徒たちがどのように感じて卒業していくのかである。また,その保護者がどのような思いでおられるかである。そこのところが,実質的な学校への評価であると考える。同窓会などに行くと,思いもよらないことを言う生徒がいて,驚かされることがある。そんなとこまで見ていたのか,そんな思いでいたのかと思うようなことがよくある。自分の至らなさを痛感することがしばしばある。しかし,そう感じたり,そう思ったりしたその子の気持ちは,もはや消し去ることはできないのである。いろいろな思い渦巻く中で,わたしたちは生きているのである。謙虚に耳を傾け,風通しのよい学校にしていくことが,学校運営には大切なことだと思う。

金融教育

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 昨日,1・3年生は校外に出ていた。2年生は金融教育のまとめの会を行った。2年間であったが,日本銀行の金融広報委員会と教育委員会に,こうした機会を与えていただいたことを感謝したい。その模様は,NHKとKBSのニュースでも流れた。
 2年目ということで,公開授業ということになった。冬季休業の課題として,金融に関わる川柳と4コマ漫画をつくるということだった。それぞれ最優秀賞各部門1作品,優秀賞各部門4作品,学校長特別賞各部門1作品ずつが発表された。そののち,2年の学年主任が,欲しい物と必要なものということを通して,修学旅行のこずかいを考えさせる展開であった。コンビニの例やチャレンジに行ったところでのバイト料,さらには携帯の料金という身近な例をもとに,分かりやすい話であった。
 金融教育は,大きくいえば,消費者教育である。健全な金銭感覚の育成や基礎的な金融の知識を得ることは,今や大切なことである。1年生のときには,ライフプランナーの先生にお教えいただいて,ファイナンスパーク学習につなげた。親がどのようにして子どもたちを育てているかを,子どもたちなりに知ることは意義あることだと考える。どちらかといえば,子どもとお金に関しては,親としてもなかなか一歩踏み出せないものであったが,時代は変わったといえよう。親の苦労を知ることは,子どもとしても大切ことである。それを知った上で,子どもは子どもなりにいろいろなことを考えればよいと思う。
 金融ということを切り口に2年間いろいろと学習を積み重ねてきた。研究指定を受けなければ楽であると考えるかもしれないが,受けることで,自分なりに考えなければならない。その部分が子どもたちに返る部分である。やはり最後は教材研究なのである。2学年の先生方には苦労をかけたが,その分,子どもたちは楽しかったと思っているだろう。喜ぶ子どもたちの笑顔こそ,われわれの糧である。

心のリレー

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 昨日,3年生は教室清掃を行った。男子で行ったが,女子は,体育館の長椅子の整備を中心に,自分たちの式会場の整備を行った。教室では,椅子や机の名前をはがしたりして,新入生へとつなぐ準備であった。
 3年生の使っていたものは次の新入生へと受け継がれる。新しいものは綺麗でいいと思う反面,そこには歴史がない。3年生の使っていたものは,いくばくかの傷もあるだろう。それは歴史である。使っていた人の思いが込められている。岡崎中学校にいた証である。その証を新入生が受け継ぐということがいい。新入生は,どんな先輩が使っていたのだろうかと想像するだろう。卒業生は,自分の使っていた机や椅子は,誰が使っているのだろうかと思う。そこに,一つの共有の心が生まれる。いつもいつも考えることではないが,何かしらふとした時に,そういった思いは生まれるものだ。何か不思議なつながりであるように思う。物にも心がある。愛着をもって卒業生は使っていただろう。岡崎中学校の生徒しか分からないが,りっぱな歴史をつくっているように思う。
 物を大切にすることは,自分を大切にすることだと思う。この世に自分に関係したものが消滅することは寂しいものである。自分がなくなるような気にもなる。使っていけばいくほど,その思いは強くなるだろう。この新入生が3年後に次の新入生につなげるために,自分の机や椅子を心を込めて使って欲しいと思う。机や椅子ではあるものの,そのものに息吹を吹き込むのは,その人自身である。それもまた個別ではあるものの,岡崎中学校の歴史である。大切にしてほしい。新しい物,新しい物と波が押し寄せてくる現代において,物を大切に扱うことを,毎日使う机や椅子で教えることはいいことだと思う。共有物の大切さを教えるいい教材のように思う。心のリレーをして欲しいと願う。

次につながる

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 5日,公立高等学校の選抜も終わり,大きな山を越した。しかし,まだまだいろいろと配慮すべきことがある。今日を含めて5日間であるが,この5日間が今までのクラスづくりの成否が試されるものである。
 さて,先週から1・2年生は3年生を送る会の練習を行っている。毎年のことであるが,やはり精一杯送れば,3年生になったとき,精一杯送られたいと思うようになるだろう。そう考えると,ポイントは2年生にあるように思う。2年生は1年生の手本にならねばならないし,また,来年送られる側に立つからでもある。そして,この会が終われば,卒業式である。その意味でも,卒業式に続く,大切な流れをつくるものでもあるように思う。
 卒業式は,学校行事の中で一番大切な行事というか,儀式である。本校のような規模では,全員が参加できるのがいい。3年生が卒業していく姿を,在校生が見て,自分たちも新たな思いを持つものである。規模が大きくて,代表だけの卒業式になれば,そうはいかないだろう。送る会で自分たちの立ち位置を考え,その上に立って,卒業式を行い,在校生一人一人が3年生を送ることで,あとに残る生徒の改まった気持ち,学年が一つ上がるという自覚もまた進むものである。式が終われば,翌日から2年生は,実質3年生なのである。1年生は2年生なのである。そこから,今度は後輩を迎える気持ちの高鳴りが始まる。そう考えると,今週ほど,重要な週はない。あらゆるものが次につながる大切な週であるように思う。

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