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最新更新日:2025/07/03 |
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区切り![]() わたし自身の高等学校の検査の前日は眠れなかったことを思い出す。布団の中に入ってはみたものの,寝付けなかった。試験科目の理科で,生物の分類が出たことをなぜか覚えている。そこには,ペンギンの絵が載っていた。そして,試験は9教科であった。もう40年も昔の話である。 明日一番大切なことは,一科目ごとに切り替えることだ。国語から始まるが,集中して取り組むとともに,終わればそのことを一切忘れて次の教科にスイッチすることだ。いつまでも済んだことを引きずらないことこそが一番大切なことだ。そして,ただただ解答欄を間違えないようにすること。 今まで,君たちもしんどくて辛くてという思いできたと思うが,それ以上に家族の方々や周りの人たちは,君たちを見守ってこられたはずである。自分一人でということはないはずだ。試験が終わった時でもいい,卒業式のあとでもいい,一つの区切りとして,感謝を表して欲しい。そのことが次の段階へ進む条件である。これは,なにも3年生だけではない。1年生も2年生も一つの区切りが終わる。その区切りごとに周りの人たちへの思いを伝えて欲しい。家族はもちろん,親戚の方々に,先生方にと,毎日顔を合わせているのにという思いもあるかもしれないし,そうした思いから,また大変恥ずかしいかもしれないが,その一つ一つの中に人と人とのつながりがあるからだ。そして,その感謝を表すことは,言葉には表れないが,これからもよろしくという思いまでもが入ってくるのである。大切にしてほしい。もう新しい4月はそこだ。 わたし自身のこと![]() この歳になっても国語のことと道徳のことが気になってしょうがない。自分ならという思いで,国語と道徳のことを考えている。いい授業がしたいという思いをずっと持って今まで来たが,いい授業ができたことがない。わたしの考えるいい授業とは,生徒たちが分かったという思いで,笑顔あふれる授業のことである。今日こそはと思いながら,いつも打ちのめされて帰ってきた。今でもいい授業したい気持ちでいっぱいである。でも今は,その思いを岡崎中学校の先生方に託しているというのが実際である。 来年度,文部科学省の道徳の指定を受けている。よくいろいろな指定を受けていたので,教職員の皆さんには申し訳ないという思いと,これらを受けることで,それぞれが勉強をして,岡崎中学校で学んだことを次の学校で広めて欲しいという願いがある。とりわけ,道徳教育は,指導の要であると考える。教科指導と道徳指導ができて教師であると思う。教師としての両輪である。来年度の指定は,ごくごくオーソドックスな考え方の学級指導の方法を学んで欲しいという願いでやるものである。やるからには,しんどくてもやってよかったという思いになるものでなくてはならないと考える。 わたし自身のことで恐縮だが,新採校では,生徒と一緒にという思いで10年間を過ごした。夜10時,11時まで家庭訪問をしていたことを思い出す。足で稼げと言われ続けていた。次の学校では,教科指導や道徳指導がなかなかできなくて,どうしたらいいかと悩んだことがいっぱいあった。必死で勉強をした。すると自分自身の学校生活が楽しくなってきた。軸が定まると,何を言われても動じなくなってきた。指導に対しての過信や独りよがりはいけないが,常にどうしたら生徒たちによく分かる授業ができるだろうかという思い持ち,そして,生徒に学力を付けるという教師本来の姿で勝負しなければならないことを忘れてはいけないという思いを強く持った。そして,今の学校が3校目である。40歳であったが,5年間,大変楽しい学校生活を送らせてもらった。でも,自分自身で満足をした授業は未だ行えていない。そのこと自体が心の中に今も巣食っている。 桃の節句![]() ところで,『おくのほそ道』の冒頭「月日は百代の……」の最後のところに,主人が替わった芭蕉庵の様子が記されている。「……住める方は人に譲り,杉風(さんぷう)が別墅(べっしょ)に移るに, 草の戸も住み替はる代ぞひなの家 表八句を庵の柱に掛けおく。」とある。これは,これから旅に出る芭蕉が自分の家を出て,他人に譲った庵の様子である。「草の戸」はあばら家で,「ひなの家」はお雛様をかざる家と小さな子どもがいる家となる。「みすぼらしい芭蕉庵も住む人が替わると,お雛様をかざるような子どももいる賑やかな家になったな。」といった意味くらいだろう。旧暦ゆえ,およそ一か月遅れである。 その雛人形は,平安朝では,紙雛で,人形を撫でて災厄を払って,川や海に流す流し雛であった。これは,『源氏物語』にも書かれている。下鴨神社でも流し雛が行われる。今も神社などで,大祓いなどに用いられる形代(かたしろ)として残っている。もともとは立ち雛で,それが座り雛,近世に入ると,段飾りへと変わっていく。なお,京都を中心とする関西では,お内裏様を向かって右に飾り,関東のそれとは違っている。 宮中では,この日,節句の行事として,清涼殿の南庭で,鶏合(とりあわせ)といって,鶏を闘わせていた。今の闘鶏である。これは,唐の玄宗帝が乙酉(きののとり)の生まれで,祖先供養の清明節におこなわれていたものである。また,宮中では,曲水の宴も執り行われていた。 準備![]() さて,その土日は,バンクーバー冬季五輪の女子フィギュアばかりが取り上げられていた。NHKスペシャルで浅田真央選手とキム・ヨナ選手の密着取材の番組をしていた。14歳からのライバルであったが,キム選手は浅田選手のようなトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を飛ぶことはできないということで,飛べるジャンプを確実にし,表現力を高めること,そして,加点に徹底的にこだわることで,自分の演技を高めていったという。そして,選曲でも,あっと驚くような選曲で勝負に出たとも言っていた。こちらは,浅田選手への徹底的なこだわりで,オリンピックに準備万端の用意で臨んでいたように思えた。奇しくも男子フィギュアの銀メダルのエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)、金メダルのエバン・ライサチェク(アメリカ)も女子フィギュアと同じような展開だったなと感じた。 ところで,キム選手のように出来る,出来ないを,おのれ自身で考え,さっと切替え,できることをしっかりと固めることは,この金曜日に迫った公立高等学校の選抜にも活かせるように思う。じたばたしてももうそこである。不足分はともかく,今ある自分の確実にできるものを落とさないことが大切である。今日から4日間,直前の勉強方法を組み立てて,頑張って欲しい。準備を怠らず,しっかりと進めて欲しい。栄冠は自分自身でつかまなければならない。 |
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