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最新更新日:2025/07/03 |
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価値体系の組替え![]() 本校の道徳の視点として,内面化ということを重視して考えている。道徳を行うことによって,今ある自分の内面を塗り替えていくことであるという考え方である。友だちの多様な意見の交流等によって,自分の内面を変えていく作業なのである。つまり,人間は,自分の内なる価値体系をもとに,具体的な場面における判断を下しながら,自分の取るべき行為を選択しているのである。その価値体系は,新たな経験により,組み替えられえていくもので,より高い価値体系への組替えが道徳を行う意義であると考えている。すなわち,社会的規範や道徳的価値が,自分の心の内面に育ち、外から与えられたものではなく,他人がするからでもなく,損得勘定からでもなく,自分の心中で,必要性を感じる気持ちになることが,内面化をめざす道徳なのである。昨日書いたJR高円寺駅での青年は,その気持ちがまさに行動化になった話なのである。 だから,国母選手自身も様々な意見を聞きながら,自分の内面化を進めているものと思う。また,それらの意見を聞いているわたし自身も,今までの自分とは違った価値判断を塗り替えていくのである。この内面化は,いつまでということのない,どこまでということない,人間生きている限り永遠に塗り替えられていくものなのである。ところで,司馬遼太郎が歴史小説を書くとき,客観的な事実,資料を多く集め,それらをつなぎ合わせることであると述べている。国母選手を考えるとき,語ろうとするとき,客観的な事実,資料を多く集めて考え,語ることが大切なように思う。あるいは,服装の件についてという限定も必要かもしれない。そこだけがすべてではないし,そこだけで見てしまうことは,本筋を見誤ることにもなりかねないからである。 染み付く![]() 例としては,老人にバスの席を譲る話で,人権学習を行うことで,やはりしなければならないという気持ちというか,勇気付けられることで,その気を再度起こさせられるということを書いたが,まさにそのものズバリであったように思う。助けた青年は,無我夢中であって,危険であるとか怖いとかいうことは全然思いもしなかったが,ただ列車の迫りくる音で,初めてその怖さを覚えたと言っていた。線路内で落ちた人を見て,早く助けなければという行動になったということだ。そこには考える余地などなかった。ただただ助けなければという思いだけが先行したのである。理屈でなく行動が起こるということ自体,体に染みついた人権感覚なのである。本当のものである。もしも……はないが,あの場面で女性が亡くなっていたら,この青年の前途はどうなっただろうと考えてみると,本当によかったなと心から思うばかりである。人って捨てたものじゃないと思えることに接するとき,本当に勇気が湧いてくる。 ふと,昔,教科書に載っていた吉野弘の「夕焼け」という詩と田宮虎彦の『沖縄の手記から』を思い出した。詩は,老人に席を譲る話であるが,最後の方で,やさしい心の持ち主ゆえに,他人のつらさを自分のつらさのように感じ,席を譲れなかったしんどさとして,やさしい心に責められながら,美しい夕焼けも見ることもなく,どこまでゆけるだろう,と吉野弘は娘を思いやるのである。『沖縄の手記から』は,沖縄戦で,負傷兵を見捨てることができずに壕にとどまる看護婦当間キヨの生き方の話である。一度静かに味わって欲しい。 快挙の裏に![]() 長島選手は,「勝ちたい。そのためにスケートをやっている。」と。加藤選手は,レース終了後,サングラスを外し,タイム計時を見つめて,一瞬顔をしかめて,頭を抱えたという。両選手ともに挫折から這い上がっての表彰台となったが,その前に,同じ所属でのライバル同志であったという結果もよい意味での功を奏したと言えよう。 選手を支えた会社も素晴らしい。目立たないがスケート部を支え続けた。宣伝にもあまりならないが,廃部にすれば,日本のスケートを支えることができなくなるという思い。そして,会社の技術を用いてのコーナーワークを生かすための靴の製作。そして,ユニフォームの会社は,現地にミシンを持ち込んでの,選手のちょっとした要望にも応えての調整,さらには,郷土の人たちや会社の人たち等々,多くの人々の支援があってのメダルである。氷山の一角と言う言葉があるが,選手は水面に出た部分で,水面下の隠れた部分がなければ,一角はないのである。 わたしたちも同じである。いろんな人の関わりの中で育てられ,いろんな人の支えの中にあって,今があるのである。人との関係なくして,人は存在し得ないのである。選手を支える,応援する会社や人があって,選手は安心して練習に励めるのである。そのためか,ある陸上選手は,練習をさせていただく,と言い切った。また,わたしたちは,こうした活躍する選手から,大きな感動や力をいただくのである。これもある種の関係で結ばれているように感じる。 授業の背景![]() 本校の5年目の国語科教員は大変よくやっている。教科指導を活かして終学活の取組を行うなど,なかなかのアイデアマンであると同時にその粘り強さには感心する。今回は投げ込み教材で,韻文指導を行った。子どもをうまく動かし,活動のある授業であったと聞いている。そう言ってしまえば,身も蓋も無いようだが,本人曰く,前半,焦点化生徒は沈黙していたが,後半俄然頑張り出し,みんなを引っ張るような発言をしたと言っていた。おそらく彼の場合,教科指導とともに,担任,並びに諸々の取組における普段の指導の賜物であったろうと思う。子ども心に,そういう気持ちにさせるものなのである。そのために,普段から子どもにどう接しているかである。そのことを抜きに,指導はあり得ない。すべてがつながっているのである。怒ることも必要であろう。厳しい指導も必要であろう。しかし,普段にしっかりと子どもの人権を意識した取組を行わずして,怒っても,厳しい指導をしても空回りするだけである。そのことに気づいていない教師は多くいる。事が起きた時,口をつぐむ生徒は多いだろう。何も話してくれないと嘆く教師は,それだけの関係であるということを自覚しなければならない。口をつぐんでも,その子どもとしっかりと向き合っている教師には,ゆっくりでも,心を開けていくものである。心豊かな教師を目指さなければならない。すべては,教師次第なのである。そのことが分からない教師は,教師失格である。 そのことも踏まえて,来年の文部科学省の発表「学級経営に根ざした道徳指導の在り方」がある。 人権学習![]() なぜ,人権学習を行うかというと,資料にも書いてあったが,ハードのバリアフリーはいくらでも進むが,心のバリアフリーをどう進めるかということである。一つはこうした学習を行うことで,やらねばという気持ちを起こすことである。例えば,バスなどに乗っていて,席を老人に譲らなければと思う人は多くいるだろう。でもなかなかしにくいというか,そのタイミングが難しい。やってしまえばどうといったことでもないが,むずむずしているうちに,その機を逸してしまうのである。でもこうした学習を行うことで,やはりしなければならないという気持ちというか,勇気付けられることで,その気を再度起こさせられるのである。もう一つは,学習することで,自分の理性を再度確認することにもつながる。人間には,人をさげすんだり,侮蔑したりする気持ちがどこかにある。逆に言えば,自分が優位に立ちたちという気持ちかもしれない。人とは違うんだという気持ちかもしれない。しかし,学習することで,人間のそういった気持ちをたしなめるというか,自分の忘れかけた人間性を思い起こさせてくれる。ここが大切なのである。この積み重ねによって,人間の本性というか,そういった気持ちを抑えられていくような気がする。ゆえに,定期的にこうした学習を積むことは必要なのである。今までの自分の気持ちを再度確認し,新しい自分をつくっていくことになるからであると考える。 人権学習は,学習である限り,ねらいを持って子どもたちに指導しなければならない。その指導の成果を,今度は道徳という視点で,どの程度まで子どもたちの心に達しているかを見ていかなければならないと考えている。来年の道徳の発表の一つの挑戦がそこにある。 聖窓![]() さて,学校の前を渡り,丸太町通を西に進むと,ローソンがあるが,その手前に「聖窓」の家がある。生徒たちの通学路である。昔の外灯であり,西鶴の話にも出てくる。この聖窓のある家は,香川景樹の父,香川景柄(かげもと)が建てた梅月堂という岡崎山荘なのである。丸太町通の岡崎道の西北に小沢蘆庵(ろあん)宅跡という石碑があるが,蘆庵は,景柄の梅月荘が建つ以前に住んでいて,この荘ができたことを歌にしている。その詞書には,「景柄が此の岡ざきに山居すと聞きていいやる」とあり,「君もこの山住みすとかいざともにのがれこし世のうさをかたらん」(『六帖詠藻』)と送っている。寛政12年(1800年)の話である。岡崎の地が山住みすといわれるような,世の中から離れた地であったことがわかる。真っ暗な中で,外灯として役割を担った「聖窓」は,さぞ明るい光を放っただろうなと思われる。そうした夜に,蘆庵や景柄がうさを語っていた場所が,岡中の向かい側であると思うだけで,ワクワクしてくる。 その北の今戒光明寺,地域の人は黒谷さんと呼ぶが,一の谷の合戦で平敦盛の首をとった熊谷直実が法然上人を尋ね,出家するに際して,鎧を掛けた松が残っている。平家物語の世界である。これも岡中の向かいの話である。 こうして見回すと,歴史の真っただ中にいるのだなと思う。ある老舗の和菓子屋さんのご主人と話していた時,先の戦いでという話になったが,どうも話がかみ合わない,わたしは第二次世界大戦を思い出していたが,その方は,応仁の乱であった。 先週のこと![]() さて,先週の4日,木曜日であるが,校長会事務局で会議があった。稲冨先生の席が寂しく空いていた。歴代校長会長の写真の並ぶ中,複雑な思いであった。会議が終わったあと,よく「昼飯行こうか」と誘ってくださった。ある時など,ちょっとそこまで乗せてくれと言われて,白梅町まで行った。ありがとうと言って降りられたが,その訳は,銀行までバイクで行きながら,バイクを置いて帰って来られたからであった。稲冨先生らしいなと思いながら帰った。 5日の金曜日,夕方遅くに,昔の保護者の方が来られた。稲冨先生からおはがきをいただいたということで,持参された。消印を見ると,12月31日であった。それから以降のことを思うと,何か心にジーンとくるものがあった。その方は,あのような時期におはがきを書いていただいたことが……,と一言おっしゃった。何かやり切れない様子であった。はがきの中身まではと思うが,病気になって,人の優しさや広さに感謝できるようになったのも,病気になったおかげでうれしく思っているといった内容が記されていた。稲冨先生の真意が伝わってよかったなとただただ思うばかりであった。そして,心に掛けていただけるだけで喜んでおられますよ,と一言付け加えるだけが精一杯だった。よく岡中に来られては,校長室で,いつも「○○さんはどうしたはる?」と,それぞれ心に思われる方のお名前を出しながら,よく尋ねられた。そして,そのときのいろいろな思い出などを話された。改めて心優しい先生だったなと思うと同時に,今も保護者の心の中に生きておられることをうれしく思う。 同窓会![]() 当時,育成学級の担任は初めてで,戸惑うばかりであった。わたしは元来一つのことを継続して進めることを大切にしてきたので,何か学校全体にアピールできることはないかと思い,生徒たちの広報誌づくりと,体力づくりということで,放課後の時間走を毎日毎日行った。200メートルのグランドを10周である。最初は10周を走り切ることから,時間設定を行っての走りに変えた。雨の日は階段の上り下りである。修学旅行では,朝一番にみんなと一緒に走った。おかげで,校内のマラソン大会では,21キロ程走るのだが,10位以内に入る生徒もいた。毎日毎日グランドを走ることで,そのことが当たり前になり,学年はもちろん,他学年の多くの生徒からも声がかかるようになった。とにかく,全校にアピールすることでその存在感を示すことが大切である。今もその学校では続いているように聞いている。 当時,担任していた生徒は6名であった。男女3名ずつで,生徒一人ひとりの個性が色濃く出たが,皆で助け合いながら,いろいろなことを進めていった。以後の自分の学級を考える上で,大きな力となった。とりわけ,同じ学年に育成学級がある場合,その学級との関わりを強く意識した学級づくりを行うことの大切さが持てるようになったのは,そのときのおかげである。 6名で卒業したが,卒業した秋に一人の女子生徒は亡くなった。足に障害があったが,そのことをもろともせずに走ったりもしていた。それぞれ6名でカバーしながらのクラスづくりだった。32年の教師生活の中で,キラッと光る3年間だった。 教育という営み![]() わたしも家に帰ってから,ベートーヴェンの第5シンフォニーのCDを持ち出し,聞き返してみた。フルトヴェングラー2枚にワルター,カラヤン,クライバーの5枚である。カラヤンやクライバーのスピード感溢れる演奏に対して,フルトヴェングラーやワルターのそれは,堂々としたテンポで,運命の扉を開けるにふさわしい荘厳さであった。ステレオ録音やモノラル録音に囚われることなく,音楽の魂を響かせるものが迫った。わたしの持っている運命では,フルトヴェングラーのベルリンフィルとのそれが大変心に響いたものとなった。 比べるということは,子ども達にとっても大変具体的で分かりよいものである。どちらが自分の感性に近いか,どちらがより素晴らしいか,客観的でないかも知れないが,自分なりの思いを持つことが大事なことだと思う。こうした繰り返しを進める中で,自分の中の基準が定まってくるものである。それがある意味自信につながっていくのである。教育は,いかに子ども達にどのような部分でもいい,どのようなことでもいい,自信を付けさせるかである。その営みをわたしたち教職員が行うことなのであるということを,心して考えなければならないことだと思う。 生活習慣![]() 保健衛生委員会からの呼びかけや保健室から,食事や睡眠,心と体のつながりなど,生活をする上でのポイントとなるプリントを発行し,呼びかけている。また,正しい脈拍測定の方法等も身につくように指導を行っている。昨日は,それぞれ学年の取組として,1年生は薬の害について,学校薬剤師会会長の原田敬子先生から,2年生は栄養について,体育健康教育室指導主事の小山ひとみ先生から,それぞれお話を伺った。3年生は,アルコールと健康について,アルコールパッチテスト行った。 1年生は,正しい目薬のさし方や薬の構造,また,薬の宣伝に使われている人が年配の方である意味など,わたしも関心させられるような話で,興味深く聞いていた。2年生は,中学生として食生活,とりわけ早寝早起きと朝ごはんの重要性について話された。3年生は,アルコールに対して体質を知るために,それぞれ各自がテストを行ったが,単にアルコールに強いか弱いかだけでなく,強い者でも過信せずにすることが大切であるなど,担任が指導を行った。 なかなかこうした週間を取ることは難しいが,生徒にとっては,生活を支える大事な取組である。本校保健室は,「すずらん」という広報誌を出して,保健衛生上のいろいろな事柄を生徒に伝えているが,集中的に行うことで,より一層の効果があるように思う。いろいろな取組があるが,本校では,大事にしている取組の一つである。 |
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