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最新更新日:2025/07/11 |
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万年青![]() 京都では,正月にこの万年青を愛でるのである。万年青の葉は厚く,年中、緑鮮やかであることから,転居したときに,まずは,万年青を植えたり,鉢植えを部屋に置いたりしてから入るという習わしがある。変わることのない青い葉からは,変わることのない幸せを,また,初夏に咲く淡黄色の花のあとは青い実となり,それが秋には珠玉の実となる。そのことから家運隆盛の象徴として,人々は見つめるのである。そして,元旦に万年青を愛でることで,無事に正月を迎えられた喜びに感謝するのである。京都では,江戸時代に爆発的なブームになったという。万葉集にも歌われ,芥川龍之介の作品名は忘れたが,出てくる。 学校のそれは,育て方がまずかったのか,ちょっと弱り気味である。ほっておいてもという思いがあったが,やはり心して育てなければ,育たないようである。子どもと一緒である。 おおきに![]() 記事の中に,磯田多佳とい祇園の女将が出てくる。漱石のお気に入りであった。新橋で「大友(だいとも)」という店を構え,谷崎や吉井勇とも親交があった。その多佳の養子で,日本画家の磯田又一郎という方が南禅寺に住んでおられた。都をどりのポスターなどでも有名な画家で,その孫を岡崎で担任していた関係で,興味を持って読んでいた。 ところで,「おおきに」という京ことばがある。これは,「おおきにありがとう」の「ありがとう」を略したもので,明治以降に広まった。ありがとうの気持ちを強く押し出すことばで,さしずめ,現在なら「たいへん」くらいであろうか。 漱石は,ある日,北野天満宮に多佳を誘うが,それに対して多佳は「おおきに」と返した。漱石は,OKととらえ,喜んだが,待てども待てども,多佳は来なかったという。「おおきに」には,サンキューとノーサンキューとの意味が同居しており,漱石は遠まわしに断られたのである。サンキューの意味に使うときには,そのあとに,「ホンマニ,ヨロシオスカ」というようなことばで,後押しがある。京ことばの難しさである。 必要![]() 「ニーズ(日本語でニードとは言わないので)」は,空間的に見ると,外部の状況を判断して割り出した必要性。時間的に見ると,過去から現在にかけて人間が経験したことや得たことを基準にして割り出した必要性。 「ウォント」は,自分の内部から出てくる必要性。現在と未来に時間軸をとった上での必要性。つまり,欲望,自分のなかの欠乏を内包した必要性ということになる。 だから,「ニーズ」は,人間の理性の上に立った判断から生まれた必要に対して,「ウォント」は,今の自分の中から生まれてくる,何かいたたまれないような,何とかしたく思うような必要ということができよう。 「ニーズ」という点かいえば,今の自分の成績がこんなのだから,あそこの高校にしようかというふうに,いろいろな情報から「ニーズ」を割り出して進路を決めるときに使うが,さて,そうしたら,「ウォント」は,今必要ないかといえば,そうではない。高校を決めるとき,ある種の「ニーズ」によるところの判断は大切かもしれないが,ある面では,「ウォント」にきりかわらないかぎり,どこかで挫折するのではないだろうかと危惧する。というのは,やはり,ぼくは将来,こんな職業に就きたいんだ,わたしは将来,こんな勉強をしたいんだ,といった「ウォント」をもった意志力がなければ,自分の人生を生き抜いていくことはできないからだである。 自分の内なる欲望こそ,飛躍の原動力であり,そこには「ニーズ」ではなく,「ウォント」がとても必要になってくると思うからである。わたしの気持からいえば,「ニーズ」に必要性を感じながらも,いつまでも「ウォント」の必要性を持ち続けて欲しいというのが,偽らざる願いである。それは,目の前の進路だけではないからである。 健康管理![]() 生徒たちの健康診断からは,それほど気になることは出ていなかったが,2年生の男子にやせ傾向にある率が高いという結果が出ていた。また,歯科健診では,どの学年も15%から20%の間に要治療者がおり,休み中などに治療をお願いしたい。また,眼科の方からは,コンタクトレンズのソフトについて,気を付けるようにとの助言があった。ハードは,目の異常がすぐに分かるが,ソフトはその感覚がなく,危険性が高いので,定期的に受診されるなどの注意を喚起された。そして,話題はインフルエンザの対策になり,定期的な窓の開放と手洗い,うがいをしっかりするようにとご指導いただいた。と同時に,栄養と睡眠をしっかりととって,規則正しい生活習慣の必要性を強調された。 本校では,10月末の2年生から始まり,今,1年生が山を越した状態である。3年生は,まだ大きな状況はないが,なにしろこれからが大切になってくるので,一人ひとりが本当に健康管理に気を付けて欲しい。普段健康に暮らしていれば,なんら自分には関係ないことと思いがちだが,集団では,自分のことともに,周りのことも考えることが大切である。いつも言うことだが,これも想像力である。先を見通す力があって,今どうしなければならないかということだ。 内面![]() 道徳は,ああだ,こうだとごたくを並べることではない。わたしたち教師というものは,習性からかどうかは知らないが,何か教えなければならないという思いでいる人が多い。教科指導ならいざ知らず,道徳でも教えなければならいこともあるかもしれないが,基本的には,今ある自分の心の思いを,周りの人たちの話を聞きながら,塗り替えていく作業なのである。だから,みんなが同じ日に,同じ水準に達しなくてもかまわない。今の自分の思いが道徳をすることで,何か変わればいいし,別に変わらなくて,今の自分の思いの確認になってもかまわない。ゆえに,一番大事なことは,意見交流が活発におこなわれることだけである。生徒にしゃべらすことだけでいい。そして,その意見を受けて自分の意見を述べることだ。ゆえに,教師がどれだけ,しゃべらずに,淡々と出てくる意見の仕分けをするかである。それを発表当日にみなさんに見てもらえればと願っている。ただ,大事なことは,担任が学級の状態を真摯に考えることである。学級の状態で考えさせなければならない内容を持ってこなければならないからだ。 ということで,いつも言うばかりのわたしとしても心苦しく思い,1月15日に左京支部研修の道徳を買って出た。まだ,何をどのようには考えていない。 事始め![]() コトとは,季節の変わり目にあたって,祝事をする日のことで,節日(せちにち)のことである。ゆえに,事始めとは,お正月に神を家に迎える祭りのことで,一年の最初の事を始める日,つまり,お正月の準備を始める日の初日になるゆえに命名されたものである。 いろいろな風習や習慣などは,徐々になくなっていき,特別なものとして残っているようだが,本当はどこの家でも行われていたものが多い。ちなみどこの学校では,3年生は,進路を決定する面談が始まる。事始めとともに,進路が始まり,いよいよ本格的に受験シーズンの幕開けとなる。今までも準備はしてきたと思うが,この時季,志望校の決定とそれに向けての追い込みが始まり,これが学校の事始めとなる。 WA(わ)![]() 今回は,「もっと大きなWA(わ)をつくろうよ!!」をテーマに行われた。全校種の壁新聞は,各校PTAがどのように取り組まれているのかがわかり,自校の活動を進める上で,非常に参考になる。また,ステージでは,各校種のPTAや学校からの発表,また,子どもたちが楽しめる実演コーナーや模擬店と親子で楽しめる一日であった。圧巻は,実行委員による携帯電話の危険性を考えるオリジナル劇で,その意気込みが伝わってきた。 みんながまとまって,一つのことを成し遂げることに意義があるように思う。みんなでつくり上げていくことで,まとまりができる。各校が新聞をつくることは大変である。しかし,これをつくるために,各校のPTAがまとまらなければならない。また,実行委員会も企画を進めることで,また,まとまらなければならない。ブースを運営するためにも,模擬店を出すにもまとまらなければならない。こうしたそれぞれのまとまりがWAであり,フェスティバル当日,また,一つとなって大きなまとまりをつくるのである。十分テーマは達成されたように思う。 こうしたフェスティバルのあとには,祭のあととか宴のあとという言葉を思い起こし,何か寂しさを思い浮かべるが,このWAは,各校に返され,最後のPTA活動,そして,来期のそれにつなげていかなければならないという新たな思いにさせられた。 知ること![]() 昨日,全学年で,エイズ予防教育の学習を行った。1年生は「エイズを正しく理解する」,2・3年生は「エイズと共に生きるために」という主題であった。先週から,先生方は,この学習のために,何度も学年会を開くなど,準備をしてきた。 どの学年も生徒たちの発達段階に応じた提示で行っていたが,こうした学習の第一は,なんといっても事実を知るということが一番である。エイズはHIVに感染することによっておこるものであるが,HIVに感染したからといって,すぐにエイズを発症するわけでもなく,その間にいろいろな治療も受けられるようになっている。今や不治の病から,感染症の一つと考えられている。また,HIVの感染経路もほぼ明らかになっており,正しい知識と理解が最も大切なことである。とともに,誰もが感染し得るものであるということを知らなければならない。こうしたことを,子どもの目線に立って,わかりやすく理解させ,そして,感染予防のために何をなすべきかを教え,考えさせなければならない。 誰も感染し得るということは,誰もがしっかりとした学習を積まなければならないということである。昨日の新聞では,新型インフルエンザに関心が移って,HIVの検査を受ける人が減少している中,京都市の取組として,第1・3土曜日の検査に簡易検査を導入したことで,即日結果がわかり,他地域での検査人口が減っている中,逆に増えているという記事が載っていた。こうした自治体の努力も必要だが,やはり,その前段階として,教育の中で,正しい知識と理解,そして,予防をどのように子どもたちに徹底させていくかということだ。日本はまだまだ増加傾向にある。待ったなしである。 目線![]() このことは,同じ目線に立つことの大切さを教えてくれている。そして,わたしたちが最も気をつけなければならない点,つまり,同じ視点を忘れ,上から目線で子どもに接することである。わたしたちとっては,指導する立場であるゆえに,簡単なことであっても,子どもにとっては大変難しいと感じる子どももいるはずである。にもかかわらず,こんな簡単なことがわからないのか,何が難しいのか,といった言葉で発せられることが多々あるように思うが,どうだろうか。どの子どもにも理解できるように教えることが,わたしたちの仕事であり,責任である。そのためには,真摯にどうすれば,子どもたちがわかってくれるかを考えながら,教材研究に励むことである。 忘れかけていたことを,生徒会の子どもたちに教えられたというか,気付かされた交流会であった。 工夫![]() 百聞は一見にしかず,というように直接来てもらって,学校を知ってもらうということはいいことである。入ったところの掲示板の飾りも目につくし,いろんな工夫をしてくれている。人が来るということは,それなりのおもてなしをしなければならず,こうしたらどうか,ああしたらどうか等々工夫することが大切である。それは相手にも伝わることである。 わたしたちは,どうしても踏襲ということをしがちであるが,昨年のことを見ていることもあるだろうし,あまり変えるのもという思いもあろう。また,ある意味楽である。しかし,何を伝えたいかということを真摯に考えれば,ここを変えようと出てくるはずである。例え,変えるところがなくても,何か意図的に変えなければならないと思う。なぜなら,変えることで,違う部分も変わらざるを得ないからである。新しい生徒会の一つ目の仕事である小中交流会である。この生徒会ならではの部分がどんなところに出てくるのかを楽しみにしている。 |
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