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最新更新日:2025/07/07 |
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事始め![]() コトとは,季節の変わり目にあたって,祝事をする日のことで,節日(せちにち)のことである。ゆえに,事始めとは,お正月に神を家に迎える祭りのことで,一年の最初の事を始める日,つまり,お正月の準備を始める日の初日になるゆえに命名されたものである。 いろいろな風習や習慣などは,徐々になくなっていき,特別なものとして残っているようだが,本当はどこの家でも行われていたものが多い。ちなみどこの学校では,3年生は,進路を決定する面談が始まる。事始めとともに,進路が始まり,いよいよ本格的に受験シーズンの幕開けとなる。今までも準備はしてきたと思うが,この時季,志望校の決定とそれに向けての追い込みが始まり,これが学校の事始めとなる。 WA(わ)![]() 今回は,「もっと大きなWA(わ)をつくろうよ!!」をテーマに行われた。全校種の壁新聞は,各校PTAがどのように取り組まれているのかがわかり,自校の活動を進める上で,非常に参考になる。また,ステージでは,各校種のPTAや学校からの発表,また,子どもたちが楽しめる実演コーナーや模擬店と親子で楽しめる一日であった。圧巻は,実行委員による携帯電話の危険性を考えるオリジナル劇で,その意気込みが伝わってきた。 みんながまとまって,一つのことを成し遂げることに意義があるように思う。みんなでつくり上げていくことで,まとまりができる。各校が新聞をつくることは大変である。しかし,これをつくるために,各校のPTAがまとまらなければならない。また,実行委員会も企画を進めることで,また,まとまらなければならない。ブースを運営するためにも,模擬店を出すにもまとまらなければならない。こうしたそれぞれのまとまりがWAであり,フェスティバル当日,また,一つとなって大きなまとまりをつくるのである。十分テーマは達成されたように思う。 こうしたフェスティバルのあとには,祭のあととか宴のあとという言葉を思い起こし,何か寂しさを思い浮かべるが,このWAは,各校に返され,最後のPTA活動,そして,来期のそれにつなげていかなければならないという新たな思いにさせられた。 知ること![]() 昨日,全学年で,エイズ予防教育の学習を行った。1年生は「エイズを正しく理解する」,2・3年生は「エイズと共に生きるために」という主題であった。先週から,先生方は,この学習のために,何度も学年会を開くなど,準備をしてきた。 どの学年も生徒たちの発達段階に応じた提示で行っていたが,こうした学習の第一は,なんといっても事実を知るということが一番である。エイズはHIVに感染することによっておこるものであるが,HIVに感染したからといって,すぐにエイズを発症するわけでもなく,その間にいろいろな治療も受けられるようになっている。今や不治の病から,感染症の一つと考えられている。また,HIVの感染経路もほぼ明らかになっており,正しい知識と理解が最も大切なことである。とともに,誰もが感染し得るものであるということを知らなければならない。こうしたことを,子どもの目線に立って,わかりやすく理解させ,そして,感染予防のために何をなすべきかを教え,考えさせなければならない。 誰も感染し得るということは,誰もがしっかりとした学習を積まなければならないということである。昨日の新聞では,新型インフルエンザに関心が移って,HIVの検査を受ける人が減少している中,京都市の取組として,第1・3土曜日の検査に簡易検査を導入したことで,即日結果がわかり,他地域での検査人口が減っている中,逆に増えているという記事が載っていた。こうした自治体の努力も必要だが,やはり,その前段階として,教育の中で,正しい知識と理解,そして,予防をどのように子どもたちに徹底させていくかということだ。日本はまだまだ増加傾向にある。待ったなしである。 目線![]() このことは,同じ目線に立つことの大切さを教えてくれている。そして,わたしたちが最も気をつけなければならない点,つまり,同じ視点を忘れ,上から目線で子どもに接することである。わたしたちとっては,指導する立場であるゆえに,簡単なことであっても,子どもにとっては大変難しいと感じる子どももいるはずである。にもかかわらず,こんな簡単なことがわからないのか,何が難しいのか,といった言葉で発せられることが多々あるように思うが,どうだろうか。どの子どもにも理解できるように教えることが,わたしたちの仕事であり,責任である。そのためには,真摯にどうすれば,子どもたちがわかってくれるかを考えながら,教材研究に励むことである。 忘れかけていたことを,生徒会の子どもたちに教えられたというか,気付かされた交流会であった。 工夫![]() 百聞は一見にしかず,というように直接来てもらって,学校を知ってもらうということはいいことである。入ったところの掲示板の飾りも目につくし,いろんな工夫をしてくれている。人が来るということは,それなりのおもてなしをしなければならず,こうしたらどうか,ああしたらどうか等々工夫することが大切である。それは相手にも伝わることである。 わたしたちは,どうしても踏襲ということをしがちであるが,昨年のことを見ていることもあるだろうし,あまり変えるのもという思いもあろう。また,ある意味楽である。しかし,何を伝えたいかということを真摯に考えれば,ここを変えようと出てくるはずである。例え,変えるところがなくても,何か意図的に変えなければならないと思う。なぜなら,変えることで,違う部分も変わらざるを得ないからである。新しい生徒会の一つ目の仕事である小中交流会である。この生徒会ならではの部分がどんなところに出てくるのかを楽しみにしている。 日あたる方![]() 落穂拾い日あたる方へあゆみ行く 蕪村「蕪村句集」 季語は,落ち穂拾いで,秋である。秋といっても,晩秋である。この句を生徒ともに学習したとき,生徒は,東から西に向かうか,西から東に向かうかでもめた。もちろん,落穂拾いであるから,収穫したあとに落ちこぼれている稲・麦などの穂である。夕方ゆえに寒くなっていくために,太陽の方向に向かっていくといった意見が多く出た。落穂拾いとう視点が欠落して,寒さ,日といったイメージが先行したものである。だんだん暗くなっていくため,光は東にのびていくのである。西は暗いのである。日を背に受けて,ちょっと斜めくらいになりながら,手を伸ばして落穂を拾いう姿である。自分の体の影にならないようにである。 単純なようで,なかなか難しいものである。今の子どもたちにすれば,ちょっとした自然の瞬間を見るということもなかなかないのかもしれない。しかし,今朝,ほんのちょっとした瞬間であるが,体育館の合間から差し込む日の光に,この俳句を思い出した。俳句や短歌は覚えるものである。覚えることで,ふとした瞬間に,そのシーンではないかと思う時が来る。その一瞬に,ああそうだったのかという思いが楽しい。何か言えば,○とか×とかで決めてしまいがちな生徒たちに,こうした楽しみを味わえるような人になってくれればと思う。と同時に,わたしたちもこうした瞬間を楽しめるようにならねば,生徒たちも伝えられないだろう。バタバタと一日一日が去っていくことが大変さみしい。 啓発![]() 人権講話は,「いじめ」について,当番校であるわたしがおこなった。そのポイントだけ示すと,いじめとは,いじめられた者がいじめと思えば,いじめであるという認識を持つこと。いじめには,悪戯的いじめと犯罪的いじめがあり,犯罪的いじめに対しては,毅然とした態度で臨むこと。そして,悪戯的いじめに対しては,やはり,学級づくりなどを中心に,楽しい学級,学年,学校となるような取組が必要であることを話した。そして,子どもたちがやるべきことは,本を読んだりして,想像力を働かせることが大切であることと世の中には知らない世界が多くあること,そして,そこには,多様な考え方や思いが存在することを知ることが必要であり,また,保護者には,自分の弱さを子どもに示すことで,共感的な関係を築くこと,そして,学校は,些細なことでも情報を保護者に開示し,それにより,今度は保護者からの情報を得るという,情報公開から情報交換へと進めることの大切さと,学校としては,楽しい授業づくりも,大事にしなければならないことを話した。 人権を考える授業としては,相手の立場に立たせることとして,ディベートが効果的であると思う。また,NIEの取組など,新聞を活用するなどして,ものごとにはいろいろな見方があることを知ることやロールプレイングにより,相手の立場を経験させることなどを挙げた。岡崎中学校で,いじめ,嫌がらせのビデオなどを制作したのは,まさに,このロールプレイングに通じる取組であったように思う。 そして,わたし自身の人権についてのキーワードとして,「怒り」と「理性」を挙げた。喜怒哀楽とあるが,いろいろな不正義に対して,人として怒りを持っているだろうかということ,しかし,その怒りを押さえるためにも,そして,その怒りを持つためにも理性が必要だということ,つまり,理性は,人権に対する学習をどれだけやったかの証なのであるという思いを述べた。 情報![]() カウンセリング協議会理事長の安川雅史氏の話であった。 講演会では,大人が携帯の発達に対してついていけていないこと,大人が携帯へのルールもなしで持たせていることなど,数々の具体例を挙げながらの話であった。 ケータイやネットについては,日進月歩である。わたしたちがあまり知らない上に日進月歩,わたしたち自身がしっかりとそのことを認識しなければならない。ケータイやネットに対する思いはさておいて,とにかく関心をもってというより,もとうとしなければならないように思う。そういった意味で,こうした研修を保護者とともに学習できることは,この上ないことである。学校も知らなければならないことだが,保護者も知らなければならことである。保護者とともにあるということは,行政の一部である学校としては,情報公開をしなければならないことは当然であるが,学校側だけの公開だけでは不足である。学校と保護者とが情報交換をしなければならない。ささいなことでもいいので,何かあれば学校はすぐに保護者に連絡し,とにかく情報を示すことである。もちろん,保護者からの情報もしっかりと受け止め,交換していくという,こうしたクールなやり取りを重ねていくことが,相互信頼を育むものなのである。双方の情報が滞ってしまうことで,一番の被害を受けるのは子どもたちであるということを,学校も保護者もしっかりと認識しなければならない。 阿吽![]() 顔見世といえば,まねきである。勘亭流と呼ばれる文字は,江戸時代,江戸の書家,岡崎屋勘六(号 勘亭)という人が考案したもので,特徴として,文字の隙間が詰まっている。それは,客席が詰まるように,つまり,満席であるようにとの願いであり,文字を内へ内へと曲げて書くのも,大入りを願ってのことである。 顔見世興行は,17世紀の中頃から始まった。歌舞伎を行う各座の役者は,旧暦の11月から翌年の10月までの1年契約であったため,旧暦の11月に各座の新しい顔ぶれで,舞台の口上を述べることを「顔見世」といったことによる。いわゆるお披露目でもある。南座の前には北座というものもあり,あちこちに芝居を興行する座があった。 歌舞伎は,傾くという意味のカブクという言葉に由来する。このカブクは,勝手な振る舞いをする,奇抜な身なりをすることで,16世紀のころは,流行の先端を行く人並みはずれた風俗のことをさした。 師走の風物詩と言われる顔見世であるが,いよいよ今年も押し迫った思いにさせるものである。心焦る季節であるが,落ち着いて勉学に励んでほしい。ただ,師走の風物詩ということで,12月1日からと思いきや,初日は11月30日である。 共に![]() 生徒会長より,今後1年間のスローガンが報告された。『「岡中バトン」〜あいさつでつなぐ心の絆(わ)〜』がそれである。みんなの輪,つまり,絆を深めるために,まずあいさつを積極的にしていこうとい意味の説明,そして,具体的には,朝の校門でのあいさつ運動の展開をはじめ,家族や友だち,教職員,学校に来られる方々に心の絆を広げようと,呼びかけた。 このスローガンに至るまでに,生徒会では,岡崎中学校のよい点,改善すべき事柄などが話し合われた。わたしのところまで,話し合われた結果のプリントが配布されていた。何をスローガンにするかは,具体的な行動にかかわる話であるが,それよりも,生徒会のみんなが,岡崎中学校の現状を考えことができたことが大事なことである。いろいろな思いがあるが,それらを共有することで,どの方向でいこうかということの足並みがそろい,そして,みんなが納得し,共に行動できるのである。 こうしたことをさせる上で,わたしたちがしなければならないことは,教職員総体として,岡崎中学校の現状をどうとらえ,どうしたらいいかという現状の共通認識である。そのことがいつもわたしが言うモデリングであり,それが,指導案でいう生徒観,つまり,岡崎観につながっていくのである。本校の教育目標は,「共に生き 共に学び 共に考え そして 未来を拓く」である。そして,学級づくりをテーマとして,頑張っている。 |
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