京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2025/07/03
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◎学校教育理念:すべての子どもの学習機会と進路の保障 ◎学校教育目標:「自ら考え学ぶ力」と「自ら律する力」を高め、確かな学力・豊かな心・健やかな体を備えた生徒の育成

折れ反れ

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 以前,ある旧家のお宅に伺ったとき,娘さんが出てこられて,取り次いでくださった。あとで,娘さんのお母さんが,「折れ反れもできませんで……」と言われた。折れるで頭を下げ,反るで頭を上げるということを表す。この二つの動作で,挨拶を表しているのである。これは,京都独特の言い回しで,「挨拶もできませんで……」と直接表現を避けた,いわゆる婉曲表現である。挨拶が本当にできないという意味ではなく,謙遜した言い方なのである。なぜ,このような婉曲表現にするかというと,この言い方だと,娘を育てた親が悪いのではなく,娘自身を,直接非難しているわけでもなく,どこか得体のしれないもののせいにしているのである。
 「京の茶漬け」とい言葉も聞いたことがあるだろう。落語にもあるのだが,客が帰る間際になって,当家の主人が「お茶漬けでもどうどす」と言うのである。当家では本当にお茶漬けを用意しているわけでもなく,客の方も,それを断らなければならない,という京ならではのルールを破り,その申し出を受け入れ,当家の者があたふたとする話で,口先ばかりの京都人をひねくった落語である。
 これなども,よくよく考えてみると,自分がそのようにご飯をよばれるにふさわしい仲であるかどうかということ,つまり,その人との仲を鑑みることと,お互い貸し借りをつくらない,近代的個人主義的な考え方をもっているのが,京都人であるという見方もできよう。
 今では,こうした京言葉の深い意味合いも失われてきている。でも,教室での授業前後の「折れ反れ」ができないのは,しっかりと指導してもらわなければ困る。
 ところで,京言葉といっても,京都方言とは言わない。これは,今だに京都が都であるからだという意味である。中心であるという自負が刻まれた言葉だからである。

阻む

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 昨日,運営委員会で,12月の行事予定が出た。いよいよ今年も終わりである。そして,3年生などは,最後の追い込みになってくる。また,定期考査4も迫っている。
 入試や定期考査が近づいてくると,「ああ,なぜもっと勉強しなかったのか」などという言葉をよく耳にする。よほど才能に恵まれている人は別にして,勉強に近道はない。それにしても,才能に恵まれている人たちも,それなりの勉強はしているものである。
 ところで,勉強ということであるが,これは何も知識を磨くためのものではない。勉強とは,性格を訓練するためのものでもあると思う。ここでいう勉強とは,学校で,あるいは先生について,または,独習という意味での勉強である。
 勉強とは,何かを覚え,頭をよくするというものではない。これと教養を身に付けるとか,何かを習得するとかは別問題である。それは,自分自身を高めるためのものであるからだ。さすれば,勉強は,怠惰や退屈,イライラといった自分の野放しの性格をコントロールできるようになるための訓練である。そして,次の段階として,自分を高める段階に入っていくものだと思う。
 勉強は確かに辛いものである。それは,何か自分がやらされているように思うからでもあろう。そして,それは,自分の性格を鍛えるということで,とてもしんどさを伴うものである。気分の乗らないときに机に向かったり,本を読んだりすることは,辛いときにも,しんどいときにもといった自分との葛藤なのである。そのような思いの中で,それを取り組む過程が大切なのである。
 それを阻むものが,自尊心というものである。自分を高く評価したいと思うもの,それが勉強を阻むものである。間違うくらいなら,やらないほうがましだ,といった考え方などがそれである。勉強はやったほうがいいとわかっていても,なかなかやれない。また,やらない人の多くは,時間がないからだともいうが,それも嘘である。その人たちはただ臆病なだけであると思う。

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 本の整理をしていたら,俵万智の『サラダ記念日』が出てきた。奥付を見ると,初版は,1987年5月8日,わたしのは,同年8月3日で,65版である。3か月でこの版の重なりである。改めて驚いた。
 こんな歌がある。
 捨てるかもしれぬ写真を何枚も真面目に撮っている九十九里
「捨てるかもしれぬ」に対して「真面目に」の対比が面白い。しかも,「まじめに」じゃなく「真面目に」である。漢字の硬さというか,ひらがなではない「真面目」一徹が感じられる。彼氏と九十九里浜で写真を撮っているのだろうか。しかし,このときの気持ちとして,「真面目に」,真剣に撮っているわたしと,いつか別れることになって,「捨てるかもしれぬ」という不安を抱えながらの真剣さ,心の揺れを感じる。しかも,その「何枚も」に今の愛情の大きさが感じられる。こんなことが欄外のメモとして残っていた。しかし,読みかえしてみると,何枚もということで,幸せであるが,何か不安である今に,その愛情を大きいものとしたい,不安を打ち消したいわたしがいるのかもしれない,という思いも過った。
 よく,歌の指導をしていると,生徒たちはよく,そんなものつくった人に聞かなわからないと言う。本当の真意はそうかもしれない。しかし,作品としての歌は,できたあとには,歌人の手を離れるのである。つまり,あとは,つくり手以上の解釈となってもいいのである。そこが文学の楽しさなのである。リアリズムを超えてロマンチシズムが韻文にはあることが韻文たる所以である。そして,この歌集にしても30年も昔のものである。若いころの思いと今とのギャップがあるはずだ。その解釈の違いが人生の齢かもしれない。そのこともまた楽しい。
 歌は記憶すべきであると思う。というのも,記憶した歌を思い出すとき,ふと以前の思いとは違った,またずっともやもやした思いでいたものが,何かを経験したり,見たりしたことで,視界がパッと広がり,ハッと思わせてくれるたり,気付かせてくれることがあるのが楽しいからである。

授業の命

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 先週の6日の金曜日,左京支部の授業研修会が行われた。この会は,保護者の皆様には,プリントでお願いしたように、教員の授業力向上を図り,生徒に確かな学力を付け,生徒の持つよさや可能性を伸ばすことを目的に行われるものである。
 岡崎中学校では,今年度は保健体育の授業を行った。保健体育の先生方には,遅くまで,これに伴う指導案等を書いてもらった。上にも書いたように,生徒の確かな学力,生徒の持つよさや可能性を伸ばす目的のためには,生徒の実態を知ることが何より大事なことである。その実態分析ができてはじめて,指導案づくりができるのである。
 わたしは国語であるので,国語でお話しするが,現行の学習指導要領の国語科では,「国語への関心・意欲・態度」「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」[言語事項]の五観点で国語の力を見取っている。一般には,この五観点は,国語の力としてどれも大事ではあるが,内容領域の「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」の領域を一つ決め,「国語への関心・意欲・態度」・内容領域一観点・[言語事項]の三観点で見取ることになっている。
 例えば「書くこと」の指導を行うときでも,読むこともあり,話すことや聞くこともあるが,あえて書くことに焦点をあてて見取るのである。だから,生徒の実態といっても,国語がよくできるとか,苦手であるとかではなく,「書くこと」の実態分析をしなければならない。単元目標及び本時の指導目標を意識して,「書くこと」における課題を挙げ,その課題克服のために,どのように生徒に迫るかが授業なのである。
 本校の先生方には,年3回の校内授業研修とこの支部研修で,この生徒の実態分析を徹底してお願いし,授業に臨んでもらっている。生徒の課題を克服する授業こそ,真の授業なのである。そして,何より,本校でその実力をつけ,異動したとき,本校でつけた力を他校で波及してもらえることを常に願っている。わたしは,どこでも,だれにでも,こうした研修が行われる場所では,教科で採用された限り,教科で印象に残る教師になってくれと言っている。教科指導で勝負できる教師こそ,本当の教師だからである。

真摯に

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 昨日,四条烏丸にある産業会館8階のシルクホールで行われた「平成21年度麻薬・覚せい剤乱用防止運動京都大会」に出かけた。吹奏楽部が出演するからである。
 現在,といってもこの10年余り,第三次覚せい剤乱用期といわれ,覚せい剤事犯による検挙者が,高い水準で推移しており,その終息の兆しが見えない状態である。とりわけ,府内でも,高校生が逮捕されたり,先月も大学生が捕まったりと,若者の間での広がりが急増している。身近な友だちが使用していたり,薬物自体も身近な所にあるゆえ,手軽な存在として感じてしまう学生が多いからかとも思われる。本校でも,先月3年生を対象に「薬物乱用防止教室」を行ったが,第一は,正しい知識をしっかりと身につけることである。正しい知識を身につけること,つまり,その恐ろしさを知ることは,きっぱりと断る勇気も持つ基盤となる。さらには,そうした薬物の存在する危険な場所や場面についても考えが及ぶようになる。そして,何より,友だちとして,本当の存在を示せるかどうかである。そのためには,身を滅ぼす薬物に対して,真摯にいろいろな角度から考えられるかであり,こうした考えをもとに,行動する輪を広げていかなければならない。
 ところで,吹奏楽部であるが,本当に力を付けてきた。ホールの構造からか,むっくりした音で,素晴らしい演奏であった。「崖の上のポニョ」「見上げてごらん夜の星を」「明日があるさ」「Let’s swing」,そして,アンコールは,「Choo Choo TRAIN」であった。会場では,観客席からの手拍子や二人の掛け合いの進行に笑いが起こるなど,楽しいステージではあったが,なかなか堂々としたものであった。
 この出演には,夏に行われた左京区民ふれあい祭りに出たことがきっかけであったが,一つ一つのステージを丁寧にしっかりとこなしていくからこそ,そのあとに続くのである。そして,出演のためには,また,真摯に練習を積まなければならない。生徒たちは,こうしたことの繰り返しにより力を付けていくものであり,舞台に立つことで成長していくものだと確信した。顧問と共に,こうした舞台を提供してくださった関係各位に対して感謝するとともに,岡崎中学校を代表して,本校の素晴らしさを伝えてくれた部員にも拍手を送りたい。

左京支部授業研究会

今日午後からは、左京区の中学校の先生方全員で各教科の会場校に別れ、授業研究が行われています。先生方も、生徒たちに負けじと、真剣に勉強中です……。
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理屈なく

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 昨日の午前中,七条警察署の署長から連絡が入った。本校の教職員が動けなくて,困っておられたお年寄りを助けたということのお礼の電話であった。本人いわく,警察官と両脇を抱え,お家まで連れ帰ったということだ。当たり前のことをしたまでだと言ってしまえば,身も蓋もない。当たり前のことがなかなかできない世の中で,こうもいとも簡単に当たり前のことをしたことに,誇りを持ちたい。自然と体が動く,それが身についた人間性である。
 わたしが給食の空箱を返却に行ったとき,生徒もよく,開けたげよかといって,配膳室の戸を開けてくれる。ほんとに嬉しい限りである。どうしたらこうした生徒たちが増えていくのだろうかと考えたとき,それは,お年寄りを助けた教職員ではないが,自然と体が動くことだと思う。こうしなさい,ああしなさいという指示ではだめだ。教職員自らが動くことだ。理屈ではなく,体が動くことが必要である。自然と身についたものは,そうせざるを得ないのである。心の底からの思いが,その動きにつながるほど,心強いものはない。
 身をもって示すことが教職員の姿勢だと思う。朝校門に立っていて,挨拶を交わすが,なかなか挨拶が交わせない生徒もいる。おはようと挨拶をしなければならないことは誰しも分かっているはずだ。挨拶など不要だなどと思う生徒は,ほぼいないだろう。ならどうするかといえば,こちらから挨拶をし続けることだと思う。根負けせずにし続けることだと思う。教育とは,一日や二日で結果ができるものではない。根負けしないことだ。以前にも書いたことだが,くどくど説明することではなく,モデルを示すこと,つまり,モデリングなのである。そんな教職員が増えていくことが信頼を寄せられる学校の一つの姿であろうと思う。

共にある

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 昨日,京都市は「インフルエンザ流行発生警報」を出し,大きな流行が発生する危険性が高いと判断しました。一人ひとりがその予防に努めることが大切です。その第一は,手洗いとうがいです。手洗いは石鹸で,手の甲から指の間,親指,手の平,指先,手首としっかり20〜30秒ほど洗い,清潔なタオル等で水を十分に拭き取ってください。学校にも消毒用のアルコールが設置されていますが,アルコールの場合も,手洗いと同じ要領で十分に擦り込んでください。うがいもできるだけ喉をあけて,しっかりとしてください。また,十分に栄養をとり,規則正しい生活を心がけ,よく睡眠をとることです。また,飛沫感染も大きなポイントとなっていますので,咳,くしゃみなどもハンカチなどで押さえるなどの対策も必要です。そして,何よりお子たちの様子をよく見ていただき,適切な処置をとっていただきますよう,よろしくお願いします。
 インフルエンザの影響で延びていた生徒会の選挙が今日行われる。いつも思うことだが,もちろん候補者は,政策を訴えているのだから,そういった政策を実行していく責任があることは確かである。しかし,選ぶ側の責任もあることを忘れずにいて欲しい。とりわけ政策を支持して,投票をするわけだから,選んだ人は,その政策実行を手助けしていかなければならないと思う。選ばれた生徒会役員だけでできるわけでもなし,それらの生徒会役員を先頭に,皆が力を合わせることが,この岡崎中学校をよくすることなのである。共にあることが大切なのである。
 わたしは,大それたことを考えなくてもいいと思っている。なにか特別なことをすることが選挙公約のように思われているが,日常のことでもいいので,続けていける何かをすることがまずは必要だと思う。例えば,今の図書委員会は毎日,昼休み図書室を開けてくれたことが素晴らしいことだと思っている。文化・報道委員会では,今までと違って,昼休みに,試合にかけるキャプテンの抱負を流したり,お昼の放送でも,インフルエンザの注意を入れたりと,今までとはちょっと違った取組をしてくれたことで,ずっと幅のある活動になってきたように思う。
 できることを確実に,そして,いつも言っていることだが,今までの取組と一つ何かを変えればいいと思う。あれもこれもいらない。というのも,一つ変えるということは,玉突きが始まるからである。結果として,いろいろなことが動くのである。今日,昼から,立会演説会と投票が行われる。

和の大会

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 昨日,第35回日本PTA近畿ブロック研究大会和歌山大会へ出かけた。久しぶりの和歌山であった。『「和(なごみ)」〜つれもていこら!子どもの幸せのために〜』が大会スローガンであった。
 参加した分科会は特別分科会で,いわゆる地域コミュニティづくりの話であった。PTAからPCAであるという話を興味深く聞いた。Cはコミュニティということである。先生方に代わってCであるコミュニティが入ることの意義などを,和歌山県教委が行っている「きのくに共有コミュニティ」の取組を例に出しながらの話であった。そして,現況のPTAのTが管理職など一部のTだけであることが課題であるという話でもあった。また,この課題の発展系でもないが,発表者の中から,学級PTAづくりが大切であるという話が出された。もともとわたしは,学級づくりを基盤においた学校づくりが根底だと考えている。子どもの居場所として,身近な学級は最も大切な場所で,この居場所が心許せる所であることで,子どもたちは落ち着き,次の段階としての学習に身が入るのである。それを学級PTAづくりという話が出て,なるほどという思いになった。担任が計画的にしっかり学級づくりをすることは最も大事なことであるが,そのことを保護者も理解し,手を取り合っての学級を支える土台づくりをしようというのである。一人ぼっちの子どもつくらない,一人ぼっちの先生をつくらない,一人ぼっちの保護者をつくらないということであろう。さまざまな課題をかかえるPTAであるが,その基盤づくりを学級に求め,身近な場面での保護者の活動を広げていこうと考えることは,ボトムアップのPTAづくりの発想のように思えた。
 それぞれ学校の抱える課題は違うが,こういう会に出ると,思いもよらない,新しい発想なども飛び出し,はっと気づかされることがある。ただ,フロアーから,いろいろな取組があってもなかなか伝わってこないもどかしさというか知らされないことへの不満も出ていた。自分の学校なら,と置き換えながら,点検をすることが必要である。明日からどうこうということはないが,ちょっと元気をもらえた会であった。

また形式美

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 昨日,元春日小学校(上京区丸太町通河原町北西角)で,京都市産業観光局計量検査所主催の第42回計量の図画・作文展の表彰式が行われた。この作文の部の講評に出かけた。11月1日は,計量の日なのである。ちなみに,平成5年のこの日に計量法が改正されたことにちなんだものである。
 先々週の土曜日,地元小学校の運動会のときにも感じたことだが,表彰される側が,すなわち小学生のことであるが,賞状を受け取る形式が見事だった。形として,しっかり身についている。運動会のときは,優勝旗の返還だったが,その形式美も見事であった。
 さて,その作文の講評であったが,これまた形式美が問題である。ポイント挙げると,
・作文では題名を書いて,一応その内容を書くが,題名は仮である。作文を書き上げた のちに,内容を考えながら,題名を考え直すこと。
・段落の話は以前したが,空白美が必要である。山形が美しいと思うが,段落を空ける ためには,何字までに収めなければならない。すると,言葉遣いを考えたり,内容を 考えたりと,結果として書きたい内容の表現を練ることになる。原稿用紙の空白美を 忘れないこと。
・書いた作文は清書することが必要である。自分の作品である。作品はきっちりと下手 な字でもいいが,マス目一マス一マスに丁寧に書かなければならない。清書もせずに 提出すること自体,おかしいことであるが,そんな作文が多くある。きっちりと清書 すること。
 小学生の作文を見たが,本当にしっかりと形式を揃えているものが多い。それと比べると,中学生のそれ,とりわけ清書の欠落したものが多い。小中連携とよく言われるが,中学校は小学校がしっかりと指導している部分を認めることから始めなければならないように思う。小中の風土の違い,文化の違いとよく耳にする。当然である。違いをどうこう言ってもしかたがない。その前にちょっと待て,相手を尊重するというか,認めることからすべが始まることを,まずは考えなければならないように思えた。

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