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最新更新日:2025/07/28 |
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左京支部授業研究会
今日午後からは、左京区の中学校の先生方全員で各教科の会場校に別れ、授業研究が行われています。先生方も、生徒たちに負けじと、真剣に勉強中です……。
![]() ![]() ![]() 理屈なく![]() わたしが給食の空箱を返却に行ったとき,生徒もよく,開けたげよかといって,配膳室の戸を開けてくれる。ほんとに嬉しい限りである。どうしたらこうした生徒たちが増えていくのだろうかと考えたとき,それは,お年寄りを助けた教職員ではないが,自然と体が動くことだと思う。こうしなさい,ああしなさいという指示ではだめだ。教職員自らが動くことだ。理屈ではなく,体が動くことが必要である。自然と身についたものは,そうせざるを得ないのである。心の底からの思いが,その動きにつながるほど,心強いものはない。 身をもって示すことが教職員の姿勢だと思う。朝校門に立っていて,挨拶を交わすが,なかなか挨拶が交わせない生徒もいる。おはようと挨拶をしなければならないことは誰しも分かっているはずだ。挨拶など不要だなどと思う生徒は,ほぼいないだろう。ならどうするかといえば,こちらから挨拶をし続けることだと思う。根負けせずにし続けることだと思う。教育とは,一日や二日で結果ができるものではない。根負けしないことだ。以前にも書いたことだが,くどくど説明することではなく,モデルを示すこと,つまり,モデリングなのである。そんな教職員が増えていくことが信頼を寄せられる学校の一つの姿であろうと思う。 共にある![]() インフルエンザの影響で延びていた生徒会の選挙が今日行われる。いつも思うことだが,もちろん候補者は,政策を訴えているのだから,そういった政策を実行していく責任があることは確かである。しかし,選ぶ側の責任もあることを忘れずにいて欲しい。とりわけ政策を支持して,投票をするわけだから,選んだ人は,その政策実行を手助けしていかなければならないと思う。選ばれた生徒会役員だけでできるわけでもなし,それらの生徒会役員を先頭に,皆が力を合わせることが,この岡崎中学校をよくすることなのである。共にあることが大切なのである。 わたしは,大それたことを考えなくてもいいと思っている。なにか特別なことをすることが選挙公約のように思われているが,日常のことでもいいので,続けていける何かをすることがまずは必要だと思う。例えば,今の図書委員会は毎日,昼休み図書室を開けてくれたことが素晴らしいことだと思っている。文化・報道委員会では,今までと違って,昼休みに,試合にかけるキャプテンの抱負を流したり,お昼の放送でも,インフルエンザの注意を入れたりと,今までとはちょっと違った取組をしてくれたことで,ずっと幅のある活動になってきたように思う。 できることを確実に,そして,いつも言っていることだが,今までの取組と一つ何かを変えればいいと思う。あれもこれもいらない。というのも,一つ変えるということは,玉突きが始まるからである。結果として,いろいろなことが動くのである。今日,昼から,立会演説会と投票が行われる。 和の大会![]() 参加した分科会は特別分科会で,いわゆる地域コミュニティづくりの話であった。PTAからPCAであるという話を興味深く聞いた。Cはコミュニティということである。先生方に代わってCであるコミュニティが入ることの意義などを,和歌山県教委が行っている「きのくに共有コミュニティ」の取組を例に出しながらの話であった。そして,現況のPTAのTが管理職など一部のTだけであることが課題であるという話でもあった。また,この課題の発展系でもないが,発表者の中から,学級PTAづくりが大切であるという話が出された。もともとわたしは,学級づくりを基盤においた学校づくりが根底だと考えている。子どもの居場所として,身近な学級は最も大切な場所で,この居場所が心許せる所であることで,子どもたちは落ち着き,次の段階としての学習に身が入るのである。それを学級PTAづくりという話が出て,なるほどという思いになった。担任が計画的にしっかり学級づくりをすることは最も大事なことであるが,そのことを保護者も理解し,手を取り合っての学級を支える土台づくりをしようというのである。一人ぼっちの子どもつくらない,一人ぼっちの先生をつくらない,一人ぼっちの保護者をつくらないということであろう。さまざまな課題をかかえるPTAであるが,その基盤づくりを学級に求め,身近な場面での保護者の活動を広げていこうと考えることは,ボトムアップのPTAづくりの発想のように思えた。 それぞれ学校の抱える課題は違うが,こういう会に出ると,思いもよらない,新しい発想なども飛び出し,はっと気づかされることがある。ただ,フロアーから,いろいろな取組があってもなかなか伝わってこないもどかしさというか知らされないことへの不満も出ていた。自分の学校なら,と置き換えながら,点検をすることが必要である。明日からどうこうということはないが,ちょっと元気をもらえた会であった。 また形式美![]() 先々週の土曜日,地元小学校の運動会のときにも感じたことだが,表彰される側が,すなわち小学生のことであるが,賞状を受け取る形式が見事だった。形として,しっかり身についている。運動会のときは,優勝旗の返還だったが,その形式美も見事であった。 さて,その作文の講評であったが,これまた形式美が問題である。ポイント挙げると, ・作文では題名を書いて,一応その内容を書くが,題名は仮である。作文を書き上げた のちに,内容を考えながら,題名を考え直すこと。 ・段落の話は以前したが,空白美が必要である。山形が美しいと思うが,段落を空ける ためには,何字までに収めなければならない。すると,言葉遣いを考えたり,内容を 考えたりと,結果として書きたい内容の表現を練ることになる。原稿用紙の空白美を 忘れないこと。 ・書いた作文は清書することが必要である。自分の作品である。作品はきっちりと下手 な字でもいいが,マス目一マス一マスに丁寧に書かなければならない。清書もせずに 提出すること自体,おかしいことであるが,そんな作文が多くある。きっちりと清書 すること。 小学生の作文を見たが,本当にしっかりと形式を揃えているものが多い。それと比べると,中学生のそれ,とりわけ清書の欠落したものが多い。小中連携とよく言われるが,中学校は小学校がしっかりと指導している部分を認めることから始めなければならないように思う。小中の風土の違い,文化の違いとよく耳にする。当然である。違いをどうこう言ってもしかたがない。その前にちょっと待て,相手を尊重するというか,認めることからすべが始まることを,まずは考えなければならないように思えた。 |
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