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最新更新日:2025/07/03 |
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自主・自律![]() 『詳解国語辞典』(旺文社)で「当番」と「奉仕」を引いてみた。 「当番」は,交替であたるように割りあてられた仕事の,番にあたること。また,その人のこと。 「奉仕」は,国家,社会,他人などのために,損得を考えないで働くこと。 よく聞く言葉に,「○○君もやってないから,ぼくもやらない。」,「他の人がいいかげんなのに,わたしだけやっても……。」と。何かの活動を損得だけの基準で考えていたら,何もせずにその恩恵だけを受けることだろう。しかし,よく考えてみると,損得勘定だけで,ものを見る人たちは,だれもがいいかげんな活動をしていく中で,自分を取り巻く状況が恩恵どころか,ますます悲惨な状況になっていくことに気がつかないのである。 自主的な活動,自律的な活動といった自分で自分を管理し活動すること,それができない限り,どこか別の力によって,制限された,束縛された結果を生むのである。そして,罰則などといった,何か恐ろしいものに転化していくのである。 何事も楽しいもの,気持ちの良いものにするかしないかは,自分たちの自主,自律の活動かどうかである。自らが,前に出て積極的に出ていくとき,制限されている,束縛されているという思いは払拭されるのである。自らが前に積極的に出ないとき,何かをやらされているような,つまらない思いが心を過るのである。これは学習にもいえることである。何かやいやい言われてやっているような学習はおもしろくないし,身にもつかないのと同じである。 これも王道![]() このゲルの不思議を発見し,解明した,今はもう亡くなられた田中豊一博士の話を読んだことがある。ゲルの液体の濃度を変えると,温度を変えると,電気的な刺激を与えると,ちょっとしたことではあるが,いろいろと試みる面白さが,多くの発見や思わぬ発見につながるという。 こうした研究に取り組む田中博士の姿勢は,いいデータが出なくて,研究が行き詰ったとき,わくわくするという。なぜなら,常識では割り切れない興味ある現象にぶつかっている可能性が大きいのだから,と。行き詰って,なおわくわくする,そんな気持ちになれることが,研究者の研究者たる所以であろう。 行き詰るとき,落ち込むか,それとも,田中博士のようにわくわくして,新しい道を切り開くかのどちらかであろう。田中博士は,関連がないいくつかの事実を前に,ボーと考える時間を大切にするという。論理の跳躍はモヤモヤから生まれるという。 わたしたちの勉強は田中博士のようではない。しかし,大切なことを教えてくれている。何かにぶちあたったとき,どのような方法をとるだろうか。いろいろ推理したり,調べるという人もいるだろう,誰かに尋ねるという人もいるだろう,ほっておくという人もいるだろう。しかし,時には何日もかけて一つ問題を解くという気持ちになることも大切なことのように思える。解けた喜びを味わうことが勉強への,学問への一歩であると,数学者の広中平祐さんは言っている。苦労を重ねてつくりだしたものの喜びは,その苦労の分だけ大きな喜びとなる。そのためには,苦労をして自分で生み出す仕事をしなければならない。ねばりである。これも王道である。 てんやわんや![]() 今朝も,朝から保護者の連絡を取り次ぎ,インフルエンザの対応をするだけでも,精一杯なのに,文書処理や教職員への指示や諸々の対応をしなければならず,教頭のありがたさが身に染みてわかった。教務主任や学年主任,その他多くの教職員支えられて,無事,軌道にのった。本当にありがたい限りである。と同時に,自分の教頭時代を省みて,はずかしさを覚えた。 ところで,「てんやわんや」は,大勢の人が各々勝手にふるまい,混乱すること,である。「てんでん」+「わや」の合成語であるという説が有力視されている。「てんでん」は,「てんで(ん)ばらばら」という語があるように,「各自」「各々」であり,「わや」は,「そらわややな」というように,「無茶苦茶」である。やはり,そのような状態を統率する教頭というは偉大な存在である。 さて,獅子文六の小説に『てんやわんや』がある。戦後の自由で,活気ある雰囲気を醸し出した作品で,当時の流行語にもなった。 お願い![]() 感染者に近づかないと書きましたが,感染は飛沫感染と接触感染ですので,十分その点に注意してください。新聞などでは,感染した人を別室で治るまで隔離したことで,家族には感染しなかったという事例も報告されていました。いろいろなことがあちこちで見ることができます。注意して見ていただくことも大切かと思います。 ところで,新型インフルザと季節性のインフルエンザとの違いはなかなか難しいようです。一般に,38度以上の発熱と咳や急性呼吸器症状を伴う場合,感染の可能性があるといわれていますので,医師に相談してください。 いろいろ書き出せば切りがありません。本日プリントも配布しておりますので,どうぞ,お子たちの様子を見ていただき,適切な処置をとっていただきますよう,よろしくお願いします。 蝸牛![]() 式典では,門川市長から,世界を担う人が育つことを期待される旨の話があったが,まさに大村はま先生同様,「未来の子どものために」に対して,行政としての仕事をやり遂げ,あとの中身については,現場の教職員へというバトンタッチを行ったように思えた。 式典の前に,茂山一門の祝いの狂言が行われた。茂山茂君が狂言並びに演目の「附子」「蝸牛」についての説明をしていた。茂山茂君といったのも,前の学校の生徒だからだ。当時,上から読んでも,下から読んでもと思っていたことがある。あれほど堂々とした様子で狂言について話せるとは想像もしていなかった。やはり名門はそのように育つものだなと感心した。何度か道端で会ったこともあるが,狂言についての彼は別人のように,生き生きとしていた。 ところで,「附子」は,皆さんもご存じであろう。小学校の国語にもあったが,今は「柿山伏」が載っている。また,「蝸牛」は,長寿の祝いとして,主人から命を受け,太郎冠者がカタツムリを取りに行く話だが,カタツムリを知らないために山伏をカタツムリと勘違いをする話である。 その「蝸牛」といえば,日本の民俗学の草分け,柳田國男を思い出す。方言は文化的中心地から同心円状に分布する場合、内側から外側へ順次変化したと推定するという考え方で,それを方言周圏論といい,『蝸牛考』で,その節を提唱した。 京都では,カタツムリの呼称を新しいものから並べると,デデムシ(でんでんむし),マイマイ,カタツムリ,ツブリ,ナメクジと古くなる。中部や四国ではマイマイ,関東や四国ではカタツムリ,東北や九州ではツブリ,東北も北部や九州の西部ではナメクジと呼んでいる。新しい呼称が京都に残り,順番に遠くに存在するという,放射線状に時系列とともに波のように伝わる様子が見てとれる。以前の教科書にも,何故,京都の古い呼称が九州や正反対の東北で見つかるのかという話が載っていた。 民俗学者である柳田國男にしても宮本常一にしても,フィールドワークが学問の基本であった。総合的な学習の時間なども,地域を見つめたり,体験を含めたりと,フィールドワークを取り入れた活動の有用性のために入ってきたものでもある。 磨く![]() 新採から5年目までの先生方にお出でいただいて,学習会をしている。昨晩がその日であった。昨晩は,道徳指導のポイントについて学習した。わたしは,教科で採用されたからには,教科で印象に残る教師になって欲しいと願っている。そのために自分自身は何をしなければならないかを常に追い求めなければならない。今回は,道徳であったが,これは,担任を持てば必ず必修となる。この道徳によって,自分のクラス経営ができるのである。これまた,第二の教科であるといっても過言でない。これを使いこなすことで,自分の理想とする学級が実現するかと思えば,教科指導とともにわくわくするものである。楽しいクラス,わくわくするクラスという環境を整えずに,学習効果を望むことはありえない。教科指導と道徳指導は,車でいう前輪であり,その道徳指導と特別活動は,後輪である。そして,車は動くのである。運転するのはもちろん担任である。だから教員免許状が必要な意味があるように思う。 わたしももう若くはない。今だに教材研究をする。それが一番楽しいからである。アイデアだけは,人には負けない。それがうまくいくかどうかはわからない。しかし,大村はま先生がいわれるわくわくするということは,わたし自身でいえば,教材研究することであり,それをしたいという思いがなくなれば,もうお終いだと思っている。若い先生方を前に,教材研究の大切さを身をもって示していきたい。でも,これは学習会であるゆえ,その後は各自の勉強である。 大村はま先生は,「モデリング」という言葉もよく使われた。生徒が司会をしていて,途中で詰まってしまう。にっちもさっちも動かない。その司会方法を傍らで説明するのではなく,教師自身が司会を引き続き進めていくのである。つまり,モデルを示すことである。これがモデリングである。教師自身がモデルとなるのである。モデルとなるためには,教師自身が身をもって示さなければならない。うんちくだけの教師では,モデルにならない。生徒に勉強せよと,堂々と言える教師であって欲しい。 薬物乱用防止教室がありました
今日6限、体育館で薬物乱用防止教室が行われました。講師の先生として京都市教育委員会の大北康史指導主事をお招きし、中学生など、若者にまで危険が迫るようになっている薬物の怖さについて、スライドなどを見ながら学習しました。3年生の生徒たちも積極的に発言したり、一生懸命取り組めた様子でした。
![]() ![]() 北![]() わたしの住んでいる一乗寺から宝ヶ池の高架橋を超え,花園橋を右に折れると,八瀬・大原に続く。市内から見ると,この方面は北にあたる。 八瀬には,かま風呂がある。壬申の乱で,大海人皇子(天武天皇)が天智天皇の御子大友皇子軍に追われ,矢が背にささり,かま風呂で治したと伝えられている。この矢が背にささったこと,つまり,矢背が八瀬になったともいわれている。 この八瀬から大原に向かうと,真山がけ観音がある。平治の乱で源義朝が子頼朝を従えて,北国へ落ちて行くとき,比叡山の僧兵に襲われる。その時,鏃(やじり)で線彫りにした観音に助けられ,落ち延びたという。 大原に入ると花尻ノ森がある。そこには,惟高(これたか)親王の墓がある。親王も藤原氏に政治的に敗北し逃れたのである。 そして,平家物語の寂光院は,言わずと知れた建礼門院の隠棲したところである。これもまた,源氏に追われて,この地で過ごしたのである。 このように歴史に彩られた「北」への道は,日本人の琴線に触れる道でもある。花園橋を越えて,高野川沿いの風景を見るとき,そんな人々を思い出して欲しい。 王道![]() 生徒たち,とりわけ3年生にとっては,「私はこうして○○高校に合格した」「これぞ究極の成績アップの方法」「×○式,寝ながら学べる英語」等々が気になるところだろう。 「HOW TO」ものの共通点は,その道の権威,第一人者が書いていないということ。また,読み手,購入者は,手っ取り早く,手間をかけずに,といったように苦労をせずに,結果を求めていることである。そして,売手のセールスポイントは,「今まで,〜というような無駄をしていませんでしたか?」である。ここには,「効率」を超えた,他人の成果をあてにした「努力しないで」ということにつながっていく。 アメリカ映画に,「億万長者と結婚する方法」や「努力しないで出世する方法」などといった映画があったが,これらはすべて喜劇である。 そろそろテストが返ってくるが,「楽をして,結果を出したい」と誰しも思うだろう。しかし,昔,O社の「赤尾の豆単」という,わたしの年代の人ならよくご存じの本があったが,その本に,「学問に王道なし」と書かれたしおりが入っていたのを,妙に,今も思い出す。 勉強は,地道にやり続けるしかない。高き頂きも,足元を見つめ,一歩一歩と積み重ねていくしかない。時間がかかろうと,歩み続けている限り,必ず頂上にたどり着く。早くなくとも,休まず歩み続けること。これが次のステップに必ずつながるものである。 顔![]() 今年は,9日,金曜日の午後からの取り付けとなった。業者の方と2年生の先生方を中心に,他の教職員も手伝っての作業であった。休み時間など,生徒たちも興味をもって眺めていた。良かったと思うことは,明るい間,つまり,生徒が見られる時間帯に作業が行われたことだ。4時間ほどかかったが,自分たちの作品ではあるものの,地域の方や教職員の手を経て取り付けられるところを見せられたことである。百聞は一見にしかずというように,その苦労を知らしめることも大切である。 昨今は,できる限り裏のことは見せまいとする傾向がある。親の苦労は見せればいい,教職員の苦労も見せればいい。それを見てマイナスにはならない。社会はいろいろな人の下支えで成り立っているのである。校門を飾る顔ではあるが,ここに至る経過を,とりわけ制作した2年生は知っている。毎日見ることによって,岡崎中学校への思いも高まっていくだろう。 この壁画が変わることは,3年生の時代から下級生への時代へと移り変わっていく一つの象徴のように思える。3年生の「dream drive(夢を自分たちで運んで行こう)」は降ろされ,いよいよ一人ひとりが卒業に向かっての現実のスタートが切られたといってよい。3階の窓から,この作業を見ていた3年生になんとなく寂しげな様子が漂っているかのように見えた。 |
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