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最新更新日:2025/07/03 |
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情報![]() ところで,台風というと,『枕草子』の186段「野分のまたの日こそ」を思い出す。「野分」は野の草を吹き分けて通る秋の強い風のことで,今でいう台風を指す。 「野分のまたの日こそ」(『日本古典文学全集11・枕草子』小学館)では,「野分のまたの日こそ,いみじうあはれにおぼゆれ(野分の吹いた翌日こそ,大変しみじみとした感じがする)」といって,あとにその内容が書かれている。翌日の様子を災害をもたらす台風という見方ではなく,趣のあるものとしてとらえている。『源氏物語』にも「野分」(28帖)がある。ここでは,「風見舞い」として,台風通過後に親しい人への安否確認に出かけていたことがうかがえる。 今は被害のことが中心となっているが,一面といえば単なる一面かもしれないが,自然とともにある人間の視点でとらえていることが新鮮に見えた。 上代,暴風をアカラシマカゼといっていた。アカラシマは「あからさま」で,「物事が急に起こるさま。にわかなさま。」からにわかに吹く風の意味を表している。ところで,台風の語源は,中国語の「大風」,アラビア語の「tufan」,英語の「typhoon」等々,諸説様々である。 学校では,昨日,生徒が帰ったあと,手分けをして18号に備えた。今は数々の情報があり,いろいろなことに備える体制がしっかりとれるが,それらの情報をもとに,各学校でやらなければならないことはそれぞれ違う。情報とともに,自校の姿をしっかりと認識しておかなければ,情報に踊らされるだけである。
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