先週の土曜日,仲秋の名月であった。いわゆるお月見である。大覚寺の大沢の池では,竜頭船を浮かべて月見をしたり,下鴨神社では,平安貴族舞,舞楽,管弦,琴などが奉納されたり,上賀茂神社,平野神社等各所でいろいろな催しが行われていた。で,一番の月見の名所はと尋ねられれば,わたしは間髪入れず,広沢の池の観音島から見る月見であると返答するだろう。
ところで,芭蕉の有名な「名月や池をめぐりて夜もすがら」(「孤松」)という句がある。其角ら数名の門人らと芭蕉庵で,月見をした折の作といわれる。「夜もすがら」は一晩中という意味から,時の経つのも忘れ,我を忘れてという意味である。「名月に誘われて,月影の宿る池の周りを,我を忘れて,いつまでも歩き続けている」という意味であろう。よくよく味わってみると,芭蕉は直接月を見ていないのである。池に映る月を眺めてさまよっていたのである。芭蕉には,こんな句もある。琵琶湖の湖上を眺めて詠んだもので,「名月や海にむかへば七小町」(「初蝉」)である。「七小町」は,絶世の美女と言われた小野小町の華やかな恋愛から始まり,老いて死に至る七度の変転の一生のことをいう。月光に照らされた湖上の波が七変化する美景を美女の代表としての小町に掛けたもので,ここでも,湖上の月の光である。
大覚寺の辺りは,平安時代から貴族の別荘があり,山越のさざれ石山の西のふもとの道を「千代ノ古道」と呼ぶが,この道を貴族たちは通り,天皇もまた行幸したのである。大沢の池では,貴族や天皇は,おそらく芭蕉同様,水に映る月を眺めて遊んだのであろうと思われる。その大覚寺の東に,広沢の池がある。観音島に立って,そこで月の出を待つと,月と音戸山との微妙な関係で,水面に三筋に分かれて光が現れ,それが二筋になり,そして,一筋とつながって,観音島の千手観音にかがやいてくるのである。この光景を目にしたときの感動は今でも覚えている。しかし,よくよく考えてみてもわかるだろうが,丸い月を直接見ていても何の変哲もないものである。水面に映る月の光の変化を月見とするほうがよほどロマンチックではないだろうか。
日本人は昔から直接物の見るのではなく,御簾を通して人やものを見たり,風の音を通して季節を感じたり,つまり,心の目を通して見てきたのである。『源氏物語』を読んでいても,何畳の部屋とも書いてないが,その大きさや窓の向きやいろいろな様子が思い浮かんでくる。リアリズムというよりロマンチシズムであった。伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできた我が国の郷土を愛するという教育基本法も,現代的なリアリズム的に読むより,思いを推し量るロマンチシズム的に読むことが必要である。つまり,この教育こそ,わたしがいつも言う想像力を養う教育なのである。