25日の金曜日,地元のNPO法人おもいやりネットワーク岡崎の主催の「岡崎人権のつどい」に出かけた。これは京都市の「学びとふれあい」の事業の一環として行われているものである。内容は,「疑惑は晴れようとも」と題して,松本サリン事件の河野義行さんの講演であった。
ここで,簡単に河野義行さんのことを紹介すると,1994年6月「松本サリン事件」に遭遇され,第一通報者でありながら,自宅付近からサリンが発生していたため,長野県警の家宅捜査や事情聴取を受けられ,マスコミから容疑者扱いで大きく取り上げられたという苦い経験の末,その後,1995年に「地下鉄サリン事件」が発生により,オウム真理教による事件関与が明らかになり,無実が証明されたという経験の持ち主の方である。
わたしの話の聞き方は,あまりメモを取らず,大事だと思われる単語や表現を書き,講演ののち,覚えていることを中心にまとめるというふうにしている。わたしの頭に残ったものは,「現実から逃げない」「事実を見つめる」「自分の仕事に専念する」「普段どおり」というものであった。
「現実から逃げない」「事実を見つめる」は,河野さん自身の事件に対する対処法であった。淡々と起こった事実だけが本当のことで,それ以上でも以下でもないという視点だ。「知らないことは知らない」「やってないことはやってない」「わからないことはわからない」,勝手に憶測しないということを淡々と訴えられた。「自分の仕事に専念する」は,河野さんの主治医の姿勢だ。犯人であろうがなかろうが,医者の仕事は,目の前に横たわる患者のために,ただただひたすら治療に専念することであるという考えかたである。そして,「普段どおり」は,3人の子どもたちが通っていた学校の在り方である。何があろうと子どもたちには関係がなく,子どもたちの通っている学校の生徒たちも教職員も普段どおりに接し通した結果,子どもたちの心の居場所であったということである。そして,最後に河野さん自身が昨年亡くなられた妻が生きて頑張っていてくれたこと,そして,自分を100%信じてくれた一人の友人のいたことが心の支えとなったことでまとめとされた。
このことはどれをとっても,わたしたちが子どもたちを育てる視点である。話を聞くということは,読書とともに,自分の中でもやもやとした思いでいることを払しょくさせてくれたり,自分の思いをまとめてくれたり,自分とは違った人の経験ではあるものの,自分の思いと共感する部分で納得させてくれたりするものであると思う。他の先生方も行っておられたが,たぶん共通する部分と違った部分を強調される部分があると思う。人というものは違ってあたりまえであるし,だからこそおもしろいのである。そこには,人それぞれの生きてきた人生や生活があるからである。