京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2025/07/03
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◎学校教育理念:すべての子どもの学習機会と進路の保障 ◎学校教育目標:「自ら考え学ぶ力」と「自ら律する力」を高め、確かな学力・豊かな心・健やかな体を備えた生徒の育成

背景

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 昨日,新聞が祇園祭の山鉾が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に追加登録されたことを伝えた。以前に,国の重要無形民俗文化財にも指定されている。動く美術館という異名があるほどの素晴らしい山鉾32基が世界のひのき舞台に登場したのである。
 教育基本法改正により,伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできた我が国の郷土を愛するとともに,他国を尊重し,国際社会の平和と発展に寄与することという部分にも一致する。
 わたしたちは地元京都に住んでいる。しかし,どれだけ祇園祭のことを知っているだろうか。生徒たちは,17日の山鉾巡行前後だけのように思っているが,実は,7月1日の切符入から31日の夏越祓までの1か月間行われる。鱧祭,屏風祭とも呼ばれ,くじ取らず,神輿洗い,あばれ観音,辻回し,後祭等々いろいろなことが思い浮かぶ。
 こんなこともある。鉾町では,祇園祭が始まると,「ギオンマツリドスナー」という挨拶が交わされる。それに対して,鉾町以外の人は「ソウドスナー」と応えるが,鉾町の人は「アツオスナー」と応える。「祇園祭ですね」と言われて「そうですね」というのは,当然の返答である。「暑いですね」では話がかみ合わない。しかし,祇園祭は疫病退散の神事であり,暑くなければならない。鉾町の人々の暑くなって欲しいとの願いであるのかもしれない。そして,何より大事なのは,この返答により,鉾町の仲間か,そうでないかを見分けるのである。それによって,これからの話の内容が変わるのである。仲間かどうかを知って,話題を変えるということは,ある意味,文化である。そして,巡行を見るところはズバリどこかと尋ねられれば,即座に山鉾が帰る最後の新町通か室町通であると言い切る。狭い通りぎりぎりに,一文字瓦の街並みを進む姿こそが圧巻である。京都ならではの文化である。いろいろなものには背景があり,それをひっくるめての登録でなければ意味がない。ニューヨークのウォールストリートに山鉾巡行は似合うだろうか。奇抜さも一度はいいかもしれないが。
 わたしたち一人一人は,独立した人間である。しかし,その背景には,家族や親せき,友だちや地域の人々,それに教職員やボランティアの方々,いろんな人があって自分があるということを常に忘れずにいて欲しい。

着実に

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 10月に入った。ちょうど折り返しである。いよいよ3年生は進路実現に向けて,また,1,2年生にとっても落ち着いて学習に取り組む時期がやってきた。
 新井白石の逸話に「一粒の米」がある。幼少の頃,父が白石に戒めのために示した話である。米びつ(お米を入れておく箱)から,1日一粒ずつの米を抜き取っても減ったとは分からないし,また,一粒入れたとしても増えたかどうかは分からない。しかし,1年,2年と続けていくと,その増減が分かってくる。学問も同じで,一日勉強したからといって,利口になるものでもないし,一日怠けてからといって,愚かになるものでもない。しかし,1年,2年と続いていけば,必ず変わってくるという話である。
 勤勉という言葉に対して,努力という言葉に対して,最近は,それらを尊ぶ風潮がどこかに置き忘れられたかのようになってきているが,数日前にも書いた長嶋選手や王選手の陰の努力のように,日々こつこつとすすめることの大切さを体で体得して欲しい。「千里の道も一歩から」を実感する時がきた。
 あとの半年,ちょっとの時間を大切に自分の取り組める簡単な取組を行って欲しい。例えば,家に帰る時刻を6時とする。お母さんが夕食の支度まで,まだ30分あるとしよう。手洗い,うがいをして,服を着かえて15分,あと10分間くらいで,英語の単語を5つ覚える,漢字を5つ覚えるというものでよい。ノートに昨晩のうちに明日覚える単語や漢字を5つ書いておく。それを毎日,毎日繰り返す。それもノートでないとダメである。量が分かるようにしなければならないから。きっと半年後,よくやったなと,自分で感心するだろう。そんな経験を中学校の間に持ってもらいたい。小さなことの積み重ねの大きさを実感として味わって欲しい。

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 音楽室前の3階廊下から,北東の方角に目をやると,如意ヶ岳,それに比叡山が見通せる。比叡山の麓に住んでいるせいか,どこへ行っても気になり見てしまう。しかし,どこから見てもこれほど違う顔をもった山はない。岡崎中学校からは,丸みを帯びた,お椀をひっくり返したように見え,なぜか親しみがわく。
 新幹線でよく富士山を見るが,いつも思うことだが,富士山のような整然とした山を毎日見ていたらさぞ飽きるだろうなと。やはり京都には比叡山だと思う。そして,『伊勢物語』の九段「東下り」では,「……その山は,ここにたとへば,比叡の山を二十ばかり重ねあげたらむほどして(その山は、都でたとえるならば、比叡山を二十ばかり積み重ねたような高さで)……」と書かれていることをふと思い出した。でも実際は,富士山の3776メートルに対して,比叡山は848メートルであり,おおよそ4.5倍である。最古の物語,『竹取物語』にも出てくる日本を代表する富士山に対して,都を代表する比叡山,その二十倍とは,さぞ都の人も驚いたろうと想像するし,神々しい山なら,当然なのかとも思ってしまう。
 今は何もかも数字で片付けてしまう。数字で割り切れない世界もあるのにと思って,ぼんやりと比叡山を見ていると,歌声が聞こえてきた。

横綱相撲

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 連休に『NHKスペシャル「長嶋と王50年目の告白」』を見た。元読売巨人軍の長嶋選手と王選手の秘話である。天才と呼ばれた長嶋,努力の人と呼ばれた王,両選手はつくられたイメージのために,どれほどの努力がその裏にあったかが語られていた。
 長嶋選手が試合後,家に帰って,夜の10時から1時までの3時間,毎日素振りをしていたという。初めて球場へこられるファンのことを思うと,やはりヒットを打たなければならない。すると自然と練習しなければならないという。王選手も,荒川コーチについて素振りの練習を始めるが,自分としては,やらねばという思いは実際2割くらいであったと語っていた。しかし,ホームランバッターとして君臨してからは,ファンを裏切ることができず,練習練習の日々であったという。偉大だといわれる人は,偉大というイメージを維持するためにも,より一層の精進しかないのである。だれもが努力のあとに得ることのできるものが栄冠なのである。そして,その維持のためにまた努力が重なるのである。
 ふと一昨日終わった相撲を思い出した。他のスポーツが頂点を目指し,勝ち進んでいくのに対して,相撲は,優勝を目指し,そして,横綱に昇進する。その横綱は,品格とそれにふさわしい相撲を取らなければならない。つまり,横綱相撲を維持していくことが大切なのである。すると,入試というものが頭をよぎった。入試は単にその学校に通るためだけにあるのではない。高校なら3年間続けなければならない。つまり,入ってからも続けられる学力と忍耐が必要なのである。単に入ってしまえばという見方の先にある卒業をも見越した,横綱相撲を取り続けられる力を持ち合わせなければならない。これは,単に入試だけでもない。人生の節目,節目を考えながら,頑張り続ける努力がそれに通じる。

聞き方

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 25日の金曜日,地元のNPO法人おもいやりネットワーク岡崎の主催の「岡崎人権のつどい」に出かけた。これは京都市の「学びとふれあい」の事業の一環として行われているものである。内容は,「疑惑は晴れようとも」と題して,松本サリン事件の河野義行さんの講演であった。
 ここで,簡単に河野義行さんのことを紹介すると,1994年6月「松本サリン事件」に遭遇され,第一通報者でありながら,自宅付近からサリンが発生していたため,長野県警の家宅捜査や事情聴取を受けられ,マスコミから容疑者扱いで大きく取り上げられたという苦い経験の末,その後,1995年に「地下鉄サリン事件」が発生により,オウム真理教による事件関与が明らかになり,無実が証明されたという経験の持ち主の方である。
 わたしの話の聞き方は,あまりメモを取らず,大事だと思われる単語や表現を書き,講演ののち,覚えていることを中心にまとめるというふうにしている。わたしの頭に残ったものは,「現実から逃げない」「事実を見つめる」「自分の仕事に専念する」「普段どおり」というものであった。
 「現実から逃げない」「事実を見つめる」は,河野さん自身の事件に対する対処法であった。淡々と起こった事実だけが本当のことで,それ以上でも以下でもないという視点だ。「知らないことは知らない」「やってないことはやってない」「わからないことはわからない」,勝手に憶測しないということを淡々と訴えられた。「自分の仕事に専念する」は,河野さんの主治医の姿勢だ。犯人であろうがなかろうが,医者の仕事は,目の前に横たわる患者のために,ただただひたすら治療に専念することであるという考えかたである。そして,「普段どおり」は,3人の子どもたちが通っていた学校の在り方である。何があろうと子どもたちには関係がなく,子どもたちの通っている学校の生徒たちも教職員も普段どおりに接し通した結果,子どもたちの心の居場所であったということである。そして,最後に河野さん自身が昨年亡くなられた妻が生きて頑張っていてくれたこと,そして,自分を100%信じてくれた一人の友人のいたことが心の支えとなったことでまとめとされた。
 このことはどれをとっても,わたしたちが子どもたちを育てる視点である。話を聞くということは,読書とともに,自分の中でもやもやとした思いでいることを払しょくさせてくれたり,自分の思いをまとめてくれたり,自分とは違った人の経験ではあるものの,自分の思いと共感する部分で納得させてくれたりするものであると思う。他の先生方も行っておられたが,たぶん共通する部分と違った部分を強調される部分があると思う。人というものは違ってあたりまえであるし,だからこそおもしろいのである。そこには,人それぞれの生きてきた人生や生活があるからである。

よぎる

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 朝,学校の周りを歩いていると,南西角の民家の石垣にオシロイバナが咲いていた。以前,校庭のあちこちにオシロイバナが咲いていたのを思い出し,最近は見かけなくなったなと思い,あちこち歩き回った。あった。体育館の南側,体育倉庫の東にひっそりと咲いていた。この花,夕方ごろから咲き出すことから,英国では,Four o’clockと呼ぶ。オシロイバナの命名は,花が咲き終わるとできる黒い種を潰すと,中から白い粉が出てき,それをお白粉(おしろい)代わりに遊んだことからついた。生徒たちに名前を知っているかどうかを尋ねたが,知らなかった。
 わたしは,パラシュートをつくった覚えがある。がくをつけたまま花をとり,そのがくをゆっくり引き,雌しべが花の下の部分に引っ掛かるまで引き下げ,がくを取り去ると子房が下についたパラシュートとなる。
 こうした草花遊びを保護者の方々はされただろうか。オシロイバナを見ながら,幼かったころがいろいろとよみがえってきた。近所に妙覚寺というお寺があって,土塀の崩れかけたところに,この花が咲いていた。すると,今度はそのお寺の西に公園があって,野球をしていて,近所の家のガラスを割ったことを思い出した。そして,体調を壊して寝ていた母親が謝りに行ってくれた。次から次へとそのころのことが思い出された。オシロイバナに幼いころの思い出が隠されていた。今の生徒たちに,ささやかでいいから,岡崎中学校での思い出につながる,そんな何かを持っていてくれているだろうかと,ふと心をよぎった。

ジワジワ度

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 1限目に岡崎フェスタのまとめを行った。5日間の休みがあったが,団結した心のまましっかりとした態度で臨めたことが何よりも嬉しい。集団活動で仲間意識を高めたことを,これからの後半でのまとまりとしてのクラス,学年とともに個々人の活動につなげていくのである。とりわけ,3年生の進路に向かっての取組の中では大切である。一緒に取り組み,頑張った仲間がそれぞれの進路に向かう中で,自分だけではない,一人ひとりの支えとして生きてくる。よくボクシングでは,ボディーブローがあとで効いてくるといわれるが,まさにこの取組が最後のまとまりとして,よい意味で,ジワジワ効いてくるのである。
 ところで,わたしはよく指標ということばを使う。行ったことへの評価をみるリトマス紙の意味であるが,わたしたちは,この指標を何にするかということを以て,いろいろな活動を行わなければならないと考える。その第一は,楽しいクラスづくりである。しかし,それは評価規準であって,基準ではない。その基準づくりが具体性を伴う,担任の考えである。この岡崎フェスタでどの程度,クラス,学年づくりがすすんだかを確認しながら,各先生方も自分のクラスを見定めている。どれだけのジワジワ度かはクラスによって違うが,それを見ながら,舵取りをするクラス担任が,本当にうらやましい限りである。

つなぐ

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 岡崎フェスタ3日目,体育祭が聖火ゆらめく,青天の下,開催された。なんといっても圧巻は,午後の各学年の全員リレーである。クラス全員で,バトンをつないでいくことの意義は,単に代表選手の出るリレーとは全く違う。歯車に例えることに良し悪しはあるかもしれないが,各クラスの一人ひとりは,一つでも欠ければ回らないのである。一人ひとりがクラスを代表する選手なのである。担任も一人の選手なのである。誰が欠けても歯車にはならない。
 ところで,わたしのモットーは楽しいクラスづくりである。何をするにもまずは居場所が楽しくなければ始まらないと考える。その根幹は,一人ひとりが必要とされるクラスなのである。まさに全員リレーは一人ひとりが必要とされるものである。もちろん,病気で抜けることもあるし,何らかのアクシデントで抜けることもある。しかし,クラスの皆が,その人のことを忘れないで,その人の穴埋めができるクラスなのである。逆に見ると,病気で休む人も,何らかのアクシデントで抜ける人も,安心して休める,抜けられるクラスであることが大切なのである。こうした意味から,今年の全員リレーは,3年生を頂点として,本当に素晴らしく,見ごたえのあるリレーであった。すがすがしい思いで,閉会式を迎えられたことが何より嬉しい。
 5連休のあと,岡崎フェスタによって勝ち得たパワーが,新しい岡崎中学校に生まれ変わっていくことに期待している。

行動する

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 文化祭2日目,舞台発表の日である。驚いたのは,吹奏楽部の発表である。年々進化し続けているように感じる。あまり音楽のことはわからないが,新しいレパートリーにも積極的に取り組み,新しいステージの場での活動による発表が,なにより進化させるものだと思う。行動する吹奏楽部を感じた。そうそう,11月8日(日)の午後1時から,四条烏丸のシルクホールで,「平成21年度麻薬・覚せい剤乱用防止運動京都大会」にも,演奏することが決まっているので,よろしくお願いします。
 生徒会からでは,キャップ回収の取組についての報告と依頼があった。キャップを回収することで,世界の子どもたちにワクチンを供給するという取組である。ビデオインタビューの中で,回収されている業者の松本さんが,行動することがボランティアであると言われていたのが心に残った。このことでいえば,まずは回収するである。生徒会の設定した取組も具体的でいい。1人10個という目標,クリアーしやすい個数を設定し,みんなに呼びかけたことだ。夏休み前からの取組で,もう6000個弱も集まっていると聞いて,目標1万個も夢でないところまで来ていると思うが,最初はモチベーションも高まるが,だんだん落ちていくのが普通だ。とするならば,生徒たちのどのようなアドバイスをしながら,1万個に到達させるかである。決めた限りは到達させることが大切である。経済活動ではないが,国内で飽和状態になってきたならば,外に目を向けるように,校内活動を維持しつつ,校下3小学校を巻き込むとか,地域の人々に訴えかけるとか,次の一手が大切である。活動には,常に反省と進化が必要である。
 また,こうした活動に対して,他にどんな活動があるのか等々,生徒たち一人ひとりがなんらかの関心を持てているのかどうかということだ。なにも動き回ることだけが活動ではない。他の取組をインターネット調べることも活動である。心の中にボランティア精神の芽を育てることが大切である。そして,何よりもボランティア活動は,地道な活動と少しの心がけである。


大好評、ホールに響く合唱コンクール

いよいよ岡崎フェスタが始まりました。テーマは「友情」、初日は岡崎中初となる京都会館での合唱コンクールからです。本格的なホールでの合唱ということで来ていただいた方々から「よかった」と大好評でした。一気に岡崎フェスタの緊張感と興奮が高まった感じです。午後は学校に戻って展示鑑賞でした。まだまだ文化祭2日目、体育祭と岡崎フェスタは続きます。
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