最新更新日:2024/09/11 | |
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校長室から 夏休み号
いよいよ夏休みが始まります。約1ヶ月の時間を,どのように過ごすのか・・・。それは一人一人にゆだねられています。
普段の学習はとても大切ですが,夏休みだからこそ自分の頭でしっかり考えて,具体的に体を動かして得られる体験をしてほしいものです。 自由研究の宿題も,インターネットで調べていくとたくさんの知識が一時に得られます。 しかし,実際自分が体験して足で稼いで一歩一歩調べると,すごく時間はかかるけれども,その分「わかった!」と思える「驚き」や「発見」もきっと違ってくると思います・・・。是非,自分の足で歩いて,自分の体で感じる体験を,子どもたちと共にしていただけたらと思っております。 例えば,頭上を通り過ぎる「雲」を眺めて原っぱに一人で寝そべってみる。そこで20分間じっと空を眺めていると,本当に「雲」が動いていく様子や変化していく様子が感じられて楽しいものです。そのようにゆったりとした時間もこの機会を除くとなかなかもてません。このような時間を過ごすことも大切なことと思います。 また,学校でも水泳学習やサマースクール,部活動等があります。是非参加して,苦手なことにも挑戦していってください。 お忙しいご家庭が多いとは思いますが,夏休みだからこそできる体験をして,子どもたちが成長してくれることを願っております。 そして,一人一人にゆだねられた夏休みを,是非有意義な1ヶ月にしていってください。 校長室より〜7月号〜
校長室から
「感動できる子」「感謝できる子」 に ◆期待する子ども像 ・・・・・・池田東小学校では4つの「カン」と呼んでいます。 「感動できる子」「感謝できる子」「時間を大切にできる子」「関係を大切にできる子」 この4つの「カン」のうち,前の2つ「感動」「感謝」は,教えることはなかなか難しいことです。例えば,教師が音楽の授業の中で,美しいクラッシック音楽を聞かせて,「感動しましたか?」と聞いても,どの子も同じように「感動」するものではありません。 また,家で「こんなに周りの人にやってもらったのだから,感謝しないといけないよ。」とわが子に言っても,すぐに親の言うことを理解して「感謝」できるものではありません。これら「感動」や「感謝」は人間の持つ素朴で自然な感情ですが,周りの人から言われたからと言って,すぐに身につくものではありません。 では,どうすれば「感動」や「感謝」ができる子に育てられるのか? とても悩んでしまいます。 「感動」について,かつてこんな体験がありました。そこからお話したいと思います。 私の大学生のころのお話です。 大学に入学してすぐの頃,音楽的なものには全く無縁な私でしたが,ひょんなことから,全くやってみたこともない「男声合唱団」に入団して合唱をすることになったのです。 入団して,けっこうハードな練習が毎日のように続きました。全体練習が終わってからも,パートリーダー(トップテナー・セカンドテナー・バリトン・ベースの4つのパートに分かれています。)に呼び出され,特訓に次ぐ特訓を受けて,いやになる程練習させられました。そして,何か月も発声練習と男性合唱組曲の練習を積んで,やっと先輩と肩を並べて歌うことができるようになったのです。 入団して8か月近くたった12月,合唱団の定期演奏会に出演することになったのです。定期演奏会で1回生が立つステージは,多田武彦作曲の「雪明りの道」という男声合唱組曲でした。やがて,本番の日を迎えました。京都会館第1ホール(当時)で,70名ほどのメンバーとステージに立ち,「雪明りの道」を歌い終わって緞帳が降りた時に,不思議なことが起きたのです。それは,ステージが終わって緞帳が降りた途端に,それまで一緒に歌っていた4回生の先輩たちが嗚咽をおさえながら泣きだしたのです。中には立っていられなくて,ひざを丸めて泣きくずれている姿もあったのです。 当時の私には,何が起こったのか理解できませんでした。やがて,冷静に戻ってわかったことは,4回生の先輩たちは歌い終わって,喜びと感動が心の内から湧き上がり泣いているのでした。しかし,私は合唱曲を歌うことで先輩のように,感動することはできませんでした。歌い終わった満足感はあったけれども・・・。きっと,卒業を控えて,最後のステージに臨んで,歌い終わった感慨もひとしおだったのかもしれません。 ところが,練習を積んで3年目,私にも似たような体験が起こったのです。ある男声合唱組曲の練習中のことです。その中で4つのパートが順番に歌いだす場面があり,歌声を聴きながら,私も歌い出したときに,突然,自分の心の中から突き上げてくるものがありました。それを言葉で言うと,「歌うことってとっても楽しい。」もっと言えば,「今,生きているのだ。」という喜びがマグマのように湧き上がってきたのです。それは,突然やってきました。心の奥底から,喜びがあふれ,曲を歌う最中に「感動」が訪れたのです。その時のことは,今もすごく鮮明に覚えていて,忘れることができません。 「感動」は,見えないですが,人間の心の奥深くにあるものです。 しかし,鍛錬することにより音楽性も磨かれていくように,引き出されてくるものでもあります。 私も3年かけて初めて美しい音楽の曲を歌って,心が揺さぶられ感動することができたのです。それから,男性合唱の猛練習が苦痛でなくなり,むしろ楽しみに代わっていったのです。自分では気づかなかったけどこんな私の心にも美しい音楽に響く心が眠っていたのです。 「感謝」も同じことが言えると思います。人に「やってもらえて当たり前」と思っていたら,感謝することはできません。「自分はできる」「自分さえよければそれでよい。」という気持ちでは,おそらく「感謝」は起きないと思います。「人と人とのつながりを実感して,互いに生かされている。」という謙虚な気持ちが育たないと「感謝」することは難しいように思うのです。「当たり前のことがすごく大切」と思えた時,周りの人の温かさや人のありがたみがわかるようになり,自然に,「感謝」の気持ちが芽生えてくるのだと思います。人は誰も一人で生きていくことはできません。多くの助力によって誰もが共に人生を歩んでいるのです。 「感動」「感謝」できる心は,どの子の心にも眠っている「輝くダイヤモンド」のようなものであり,たとえ,今は原石のような状態であっても,少しずつ磨かれて引き出されてくるものだと思います。 子どものうちに眠る「輝くダイヤモンド」の原石が,少しずつ磨かれるためにも,忙しい毎日ですが,わだかまりやこだわりから離れて,私たち大人が,日々の生活の中で「感動」「感謝」できる心を,少しずつ大切に育てていければと思います。 校長室より 6月号
校長室より・・・・・ついに日本へ 「鑑真」の志に学ぶ
5月22日の日曜参観には,多くの保護者の皆様に参観していただき,本当にありがとうございました。子ども達の学習の様子を見ていただけたでしょうか。 6月は,プールでの学習が始まります。「水慣れ・水遊び」や「水泳」の学習を,安全対策に万全を期し,進めてまいりたいと思います。 さて,今回の「校長室より」は,6年生の社会科の授業のお話です。 日本の歴史を学ぶ6年生社会科の教材に,中国の僧「鑑真」のお話が載っています。 <鑑真の来日> 聖武天皇は,中国へ使者を派遣し,鑑真に弟子の中から日本へ渡ってくれる僧を推薦してほしいとたのみました。日本への航海が危険なことを知っている弟子たちは,引き受けようとはしませんでした。それを知った鑑真は,自分が弟子を連れて日本に渡る決心をしましたが,何回も失敗しました。それでも,鑑真は日本への渡航をあきらめず,6回目についに成功しました。こうした苦労がもとになって,両目の視力を失うことになったといわれていますが,鑑真は仏教だけでなく,薬草の知識を広めるなど,日本でも大いに活やくしました。 教科書(東京書籍)6年社会科上 P37より 6年生の担任と共に,この「鑑真」の授業に,私も参加させていただきました。 社会の教科書ではたったこれだけの文章ですので,さらにわかりやすいように,道徳資料集「夢いっぱい」の中にある「鑑真和上」を補助資料として使いました。そこには鑑真が,日本への渡航を志してから成功するまで10年の歳月を費やしたことが載っています。 授業後の子ども達の感想を聞くと「鑑真は両目の視力を失うまでして,日本へ来たのがすごい。」とか「昔の人が,いのちがけで中国まで行って中国の文化を学んだことに驚いた。」などの感想が出てきました。その中でも,子ども達の心を一番打つのは「鑑真の志」のすごさです。 鑑真が日本へ渡航を決めたのには,以下のような出来事があったのです。 日本から唐(1300年くらい昔の中国の国名)にやっとのことで渡った二人の僧「栄叡(ようえい)・普照(ふしょう)」が,日本に仏教の戒律を正式に伝えてくれるりっぱな僧の派遣を,鑑真に頼みます。それに応えるため,鑑真のもとに招集された弟子たちを前にして,鑑真が弟子たちに言います。 「日本から来た僧の願いに応えて,だれか日本へ渡る者はいないか。仏法を広めるために。」 しかし,渡航の危険を知っている弟子たちは黙ったままです。「日本への渡航という非常に危険を冒す挑戦をするより,ここで仏法を学んだ方がよい。」とある弟子が話します。 それを聞いた鑑真は「その危険を冒してまでこの二人の僧はここに来ているではないか。」と返します。しばらく沈黙が続いた後,「皆がいかないなら私が日本へ赴こう。」と,鑑真は語り,自ら渡航への決意を述べます。渡航をためらった弟子たちは,安心安全なこの場所で,師匠である「鑑真」から仏法を学びたかったのでしょう。自分のお寺もあったことでしょう。また,大切な人々との関わりもあったはずです。だから,渡航をためらうのは,当然のことだと思います。 しかし,鑑真の大切にしていたものは弟子たちと違っていました。仏法の伝承と衆生済度のために,いのちをかけてやって来た日本の僧の願いに真心で応える。それが,鑑真の思いであり,高い「志」へと繋がるものであったのです。 子ども達は,上手に言葉で表すことはできなくても,鑑真という一人の人間の「志」のすごさを感じたようです。 一度決めたことは,絶対に最後までやりとおす。何度失敗しても,たとえ視力を失っても,最後まであきらめない姿。私自身も,この姿にとっても感動しました。 歴史学習を通して,単に知識を覚えることだけでなく,その時代に生きた人間の生き方や姿を,自分自身の姿に当てはめながら考えてくれたらと願っています。 何度失敗しても決してあきらめなかった鑑真の生き方,一度自分が決めたことは最後までやり通す鑑真の強い志にならって,最後までやり通す強い意志をもって,様々なことに取り組んでくれたらと思います。 校長室から〜5月号〜校長室から〜4月号〜
校長室から〜どうぞよろしくお願いいたします〜
校庭の桜も咲き誇り,春爛漫の季節となりました。校長の吉川(よしかわ)孝(たかし)です。今年度,6名の教職員を迎えて出発いたします。どうかよろしくお願い申し上げます。 さて,池田東小学校の「学校教育目標」,「期待する子ども像」,「めざす子どもの姿」を,以下のようにしました。 ◆学校教育目標 「心豊かに,自ら学び 自ら考える子」の育成〜よりよい自分を求めつづける子どもたち〜 ◆期待する子ども像 ・・・・ (4つの「カン」でそろえています) 「感動できる子」「感謝できる子」「時間を大切にできる子」「関係を大切にできる子」 ◆めざす子どもの姿 ・いのちを大切にして,よりよい自分を求めつづける子 ・しっかり話を聴き,しっかり話せる子 ・整理整頓ができ,自律的で健康な生活がおくれる子 ・時と場所,場合(TPO)に応じた挨拶や話し方ができる子 ・社会(学校)のきまりを考え,守れる子 ・生活面や学習面において,自らをふり返る子 ・粘り強く取り組み,困った時にどうすればよいかを考え,実践できる子 目標をもち,それを達成する過程で,「自らを問う」(自問する)力をはぐくみたいと考えています。特に,「何をしたからうまくいったのか」「何ができていなかったのか」「今,どうしたらよいのか」など,自分で自分の心や行為を見つめ,振り返る力を身に付けて欲しいと考えています。 成長の過程では,うまくいかないことも当然あります。そのようなとき,どうすればよいかをしっかり考え,問題解決に向けて頑張る子になって欲しいと思っています。 たった一つの自分のいのちを使って,自分の人生を大切に生きる子に育ってほしいと願っています。 学校では,教育活動を通して,目標をもつことの大切さ,自分を振り返ることの大切さを実感できる取組をしていきたいと考えています。ご家庭でも,会話を通して,目標を決めたり,自分のしたことを振り返ったりする機会をつくっていただければ幸いです。 教職員一同,力を合わせて子ども達のために頑張っていきたいと思います。どうか,池田東小学校の大応援団として,ご支援,ご協力をお願い申し上げます。 |
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