京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/06/28
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学校教育目標「心豊かに、自ら学び 自ら考える子」の育成

校長室から 夏休み号

校長室より・・・・・夏休みだからこそできること

 いよいよ夏休みが始まります。7月25日(土)〜8月24日(月)まで,ちょうど1ヶ月です。この時間を,どのように過ごすのか・・・。それは一人一人にゆだねられています。
 
 ある算数の問題から「夏休みだからこそできること」を考えてみたいと思います。
「よし子さんは1000円もっておつかいに行きました。お店で1個100円のリンゴ4つと1個50円のみかんを5つ買いました。よし子さんはおつりをいくらもらったでしょう。」

 さて,答えは,・・・1000−(100×4+50×5)=350 答え 350円
となるはずです。
 算数科では上のように正解を得ることができます。しかし,抽象的な数字の1000ではなくて,具体的な1000円というお金を頭に浮かべて考えると,果たしてどうでしょうか。 
 1000円札だったのか,500円玉1枚と100円玉5枚をもってよし子さんは買い物をしたのか。それとも10円玉が混ざっていたのか。よし子さんがもっていた1000円が,100円玉ばかりであったとしたならば,きっとレジで700円出したはずです。そうするとおつりは,50円です。また,10円玉ももっていたとしたら・・・。その時に出す金額も変わってきます。問題には1000円札をもって買い物に行ったとは書いていないので,具体的に考えるといろいろな回答が想像されます。
(これは私の考えた問題で,実際には,このような不手際のある問題は少ないでしょう。)
 このように具体的にレジに立ったよし子さんを想像して,1000円のお金をいろんな形で考えてみると,いろんな1000円の在り方がわかります。
 ここで言いたかったのは,物事の見つめ方や捉え方,考え方や想像の仕方は,いろいろとあるということです。
 普段の学習はとても大切ですが,夏休みだからこそ自分の頭でしっかり考えて,具体的に体を動かして得られる体験をたくさんしてほしいものです。肌で感じ,自分が「なぜ?」と疑問に感じたとことを深く考えて探究してみることは,とても意味のあることだと思います。
 自由研究の宿題も,インターネットで調べていくとたくさんの知識を一時に得られますが,実際自分が体験して,足で稼いで調べるとすごく時間はかかります。けれど,その分「わかった!」と思える「驚き」や「発見」もきっと違ってくると思います・・。
例えば,頭上を通り過ぎる「雲」を眺めて原っぱに一人で寝そべってみる。そこで20分もじっと見ていると,本当に「雲」が動いていく様子や変化していく様子が感じられて結構楽しいものです。そのようにゆったりとした時間も,この機会を除くとなかなかもてません。
 是非,自分の足で歩いて,自分の体で感じる体験を子どもたちと共にしていただけたらと願っております。お忙しいご家庭が多いと思いますが,夏休みだからこそできる体験をして,子どもたちが成長してくれることを願っております。一人一人にゆだねられた夏休みを,是非有意義な1ヶ月にしていってください。

校長室から 7月号

校長室より・・・・・子どもの心と大切にしたいこと

 私の教員生活30数年を振り返ってみると,実にいろんなことがありました。長かったようであり,あっという間にすんでしまったような気もします。「光陰矢のごとし」とは,本当にその通りだと思います。また,経済の仕組みの中で生きる私たちは,すべてお金に換算する観念が結構まかり通っています。「時は金なり」です。お金があれば,多くのものを手に入れることができます。マイホーム,ブランド品や高級車,海外旅行等。しかし,この教育という仕事は,「時は金なり」では換算できないものがあります。特に,「道徳の時間」に学習することは,子どもたちの将来に大切な規範意識を醸成したり,自己の生き方を点検したりできる大切な時間です。週一回ですが,この「道徳の時間」を大切にしたいものです。

道徳資料(小鳥のうた)より
 あるとき,森が焼けた。一か所から火の手が上がって森をつつんだ。木々は叫び声をあげて炎と化していく。火の勢いは次第に強くなり火を消し止めようと懸命に手を尽くす。しかし,火の勢いは全く変わらぬ。いや,変わらないどころか,一層激しさを増して勢いづいてしまうのだった。力及ばぬと知った虎や獅子たちは,ついにあきらめてしまう。そして,自分を守るために岩陰に隠れて,荒れ狂う炎を傍観していた。
「僕たちの森がもえている・・・。だけどどうすることもできやしない。消火することなどとても無理だ・・・・。」
 するとどこからともなく,小さな小鳥が火の方に向かって飛んでゆくのがみえた。翼の上に乗せたわずかな水滴を火の中に落とす。そう,小鳥は消火しようとしているのだ。
 しばらく見ていると,小鳥は遠い沼の方と火炎渦巻く森の間を幾度も幾度も往復して,翼の上に乗せた水滴の水を落としているのだ。巨大な炎に対して,わずかな水滴とは・・・,あまりにも無謀。
 虎や獅子は,その小鳥の行動を呆れるように見ていた。そして腹立たしげに叫んだ。
「やめよ。やめよ。そんなことをやって何になるのだ。この俺たちにして全く歯が立たないのだ。お前がどんなに努力をしても,森の火を消すことができるわけがないじゃないか。」
しかし,小鳥は一瞬の羽ばたきをとめることなくこう応えた。
「ありがとう。じぶんの力のほどはわかっているつもりです。けれども,どうすることもできません。今住んでいる森が焼けていくのです。私たちの家が崩れていくのです。できる,できないではなく,私はやらないでいられないのです。水を注がずにはいられないのです。」
 
 子どもたちに聞いたら何と答えるでしょうか。「自分の限界を知って不可能なことから身を引く獣たちこそ賢く,身の程をわきまえぬ小鳥をおろかに感じるでしょうか。」
しかし,子どもたちの反応からは,小鳥の羽ばたきのうたに共感する思いが出てきます。
道徳の時間の授業で,昔も今もずっと使われている資料「泣いた赤鬼」や「二羽の小鳥」「橋の上のオオカミ」「花さき山」などが存在するのは,子どもの心に響くものは変わらないことの表れと思います。子どもたちの心にある「真心」は,時代が変わっても変わらない。
池田東小学校に来させていただいてうれしかったことは,「子どもたちが素直で元気。」というところです。校門での朝の登校指導中もみまもり隊の方やPTAの役員の方々と子ども達が交わす言葉を通してそれを感じます。今の子どもは,大人の行動や心の動きに意外と敏感です。だから,私達も少年・少女時代のことを振り返って,そこでどんな出来事と出会い,どんな心がその時動いたのか,自分の幼い時のことを振り返り見つめることも意外と大切なのではないかと思います。大人のだれもが,一度は少年・少女時代を通り越してきた,いわば「ベテランの子ども」なのですから。今の子どもの心を理解するヒントになると思います。 
子どもたちは未来そのものです。どの子の中にも「よさ」や可能性がある。だから,それを引き出す小学校教育の役割はとても大切と思います。確かに目に見える狭義の「学力」をつけていくことは,未来を拓くためにもとても大切です。しかし,その土台である子どもの夢や願いを育てる「心を育てること」は,簡単に見えて結構難しいことです。
「時はいのちなりと心せよ。」と,自分自身にも言い聞かせたいと思います。お金に換算できないものを育むことができるこの仕事に出会えたことを本当にうれしく思います。
校長先生とはなかなかしゃべりづらいと思われている方も多いと思いますが,遠慮せずに気楽にお話ししてください。保護者や地域の方々の願いを受けとめて,子どもを育む要になるが私の役目ですから。まだまだその責任は,十分はたせていませんが・・・・。本心で出会える関わりをたくさんつくっていきたいと,未熟ながらそんなことを思っています。

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