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最新更新日:2024/06/28 |
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校長室から〜10月号〜
校長室より・・・・・環境にやさしい「小さな雨乞い師になる」
「環境によいことをしていますか?」という広告をよくかけます。それは,「消費は美徳」と言っていた高度経済成長期にはまったく見られなかった広告です。しかし今は,「エコ」を大切にした生活や地球にやさしい生活をできることから一人一人がしていくことは,京都議定書(COP3)にも掲げられている誰しも必要とされるライフスタイルです。しかし,新聞紙上をにぎわしているドイツの有名な自動車会社のディーゼルエンジン排気ガス規制改ざん問題などを見ていると,まだまだ一人一人自分の問題にはなってはいないようです。 ここで聞いていただきたいお話があります。 今から140年ほど前に生まれたユング(1875〜1961)という心理学者が語ったかつて中国に存在した「雨乞い師」のお話です。 <お話の概略> 昔,中国の膠州では,何ヶ月も雨が降らず日照りとなって困っていました。村人はいろんなことをためしてみましたが,まったく天候は変わらず,どうしようもありませんでした。 そこで,一人の優れた雨乞い師が呼ばれました。ようやくやってきた雨乞い師は,この地に入るとすぐに「どこか一軒小さな家を貸してくれ」と頼んで,その家の中に閉じこもってしまいました。 ところが,三日目を過ぎたある時,あれほど雲一つなかった空が一転して,空がかき曇り,信じがたいことに雪が降ったのです。雪の降る季節ではなかったのに,それも大量の雪です。町中は,雨乞い師のうわさでもちきりでした。そこでこの雨乞い師に尋ねました。 「どうやって,雪を降らせたのか教えていただけますか。」 「どうやって雪を降らせたのか。」と村人に聞かれた雨乞い師は答えました。 「私は,雪を降らしたりはしていません。私には関係ありません。」 「では,この三日間何をしていたのですか。」と再度尋ねました。 「それならすぐ答えられます。この土地に来て,私自身がタオ(道)から外れてしまおうとする自分を感じたので,自分をタオ(道)に戻そうとして祈っていたのです。」 (渡辺学著:「ユングにおける心と体験世界」春秋社より) 雨乞い師が,ただ自分をタオ(道)に合わせて,自分の心の中心軸のずれを直しただけで,その場に必要な変化を呼び込んでしまう。道に通じる心をもった生き方をすると秩序だった関わりができ,道にかなってくる。すると,天が味方したように,あれほどきつかった日照りが収まってしまう。とても信じられないような不思議なお話です。 しかし,この話は私が幼い時に聞いた祖母の話と通じるところがあるのです。 祖母は幼い私に,「誰がみてなくても,よいことをしたら,おてんとうさまがみてくださっているよ。」「うそをついて人をだませても,自分の心はうそをついていることを知っている。」と口癖のように言っていました。今から思えば,未熟な幼い私に,正直に人としての道を生きなさいと諭してくれたのです。亡くなるころ祖母は,私の墓参りには来なくてもよいから,「おほほ,あはは。」と笑いあえるような家族の生活をつくってくれたらそれが一番の墓参り(供養)と言っていました。 私は,その時は何気なく聞いていましたが,今頃の年になって祖母が言っていたことがわかるような気がします。 冒頭に述べた排気ガス規制の改ざん問題にも「その場さえ何とかつくろえば。」という思いがあったのかもしれません。「心の中は見えないから,自分の思っていることは誰にもわからない。何をしたって結果さえよければつじつまが合う。」「利益さえ上げれば。」 こんな気持ちは少なからず誰の心にもあるものです。「生き馬の目を抜く生き方」とか,「正直者は馬鹿をみる」「嘘も方便」ということわざもあります。 しかし,先に述べた雨乞い師には,「道(タオ)にそむいた生き方はしたくない。」という信念がありました。だから,道から外れそうな自分を見つめて必死で祈ったのです。それが,結果的に天と共振したというお話です。こんなことが安易に起こるとは考えられませんが。 中国の膠州の雨乞い師のような真剣な生き方はできなくても,自分なりに心に正直に人として責任のある生き方がしたいという思いも同時に私たちの中にあるものです。 今,起こっている地球温暖化をはじめとした環境問題や中東の避難民が平和を求めて国境を越えて押し寄せている東欧の状況を見ていると,未来の困難は少なからず予想されます。 そんな中で,子ども達の未来が,幸せ多い世界になりますようにと願わずにはおれません。 しかし,同時にこれからの未来を切り開いていってくれるのも今の子ども達です。 この子ども達が育つベースを少なくとも,日照りでかわききった潤いのない大地(世の中)にはしたくありません。一人一人が小さな雨乞い師となって,目の前の子ども達に「思いやりの雨(シャワー)」を降らせられたら大地も潤うと思います。たとえ小さくてもよいから世界の片隅からできることをしていきながら一歩ずつ・・・。 それが本当の意味で「子ども達の良き環境となる環境にやさしい生き方」かもしれません。 |
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