京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/06/14
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学校教育目標「心豊かに、自ら学び 自ら考える子」の育成

校長室から 3月号

校長室より 「仕事で大切にしたいこと」を考える〜「三人の石工」のお話〜

経済活動の中で生きる私たちは,労働をお金に換算する観念が結構まかり通っています。お金があれば,多くのものを手に入れることができます。マイホーム,ブランド品や高級車,海外旅行等。確かに物質的に豊かになれます。
多くのものが何不自由なく与えられ,その日生きるために自分の時間を費やし,仕事で苦労することを知らない子どもたちにとって,働くことは自分の将来の遠いところにあることと思いがちです。
先日,5年生の担任と私とで道徳の授業をしました。
「働くことにどのような価値を見出すのか。」決して楽でない仕事でも,そこに目的と意義を見出したとき,働くことが喜びになること。また,自分の願いを強く心にもって,こつこつと努力することにより自分の夢を可能にすることもできうるということを,子どもに気付いてほしい。
そんな願いをもって行った授業の話を紹介させていただきます。

活用した資料(出典:[DISCOVERY])
「三人の石工」
 昔,人々が信仰の世界に生きていた中世のこと。
 イタリアを旅していた一人の男が,ある建物の建設現場のあまりの広大さに足を止めた。
そこでは大勢の石工たちが忙しく働いていた。そのなかでごく若い三人の石工が旅人の目に止まった。彼らの仕事ぶりが見事に思えたからだった。
 すると旅人はその三人にこんな風に声をかけた。
「あなた方はなにをしているんですか」と。
  三人の若い石工たちは少しも手を休めることなく答えた。
A「おいら,一日三リラで働いているんだよ」と一人。
B[見ての通りさ。石を積んでいるんだ」と一人。
C「あんたには見えないかも知れないけど,美しい教会堂をつくっているんだ」と一人。
 旅人は彼らの言葉がおもしろかった。仕事の後を追っては話しかけ,石工たちも口々に石の積み方から,石の見分け方などを話してくれた。静かな日,たおやかな時間が流れていた。
 それから,三十年の歳月が経ったある日----。時は多くのものの姿を変えていった。あるものは亡び,あるものは消え去り,またあるものは花を咲かせた。
 旅人は再び,あの時,教会堂が建てられていた街を訪れていた。そしてあの三人の現在を知ったのである。
一人は,あれからしばらくしてわずかな手間賃にいや気がさして石工をやめた。そのあ
と,行方知れずになってしまったという。
一人は,腕のいい,がんこな石工として今も親方に信頼されて働いているという。
そしてもう一人のその後は…。
ちょうどその時,あの教会堂の近くでさらに荘厳な教会堂が建設中だった。最後の一人は,その教会堂の設計・施工を任される棟梁・建築家となっていたのである。
 旅人が「あなた方はなにをしているんですか。」と,声をかけた時に,三人の石工はどう考えて石を積む仕事をしていたのでしょうか。
Aは,お金のために働いている。・・・・・自分の労働をお金に換算して考えています。
Bは,与えられた仕事に忠実に,目の前の仕事を現実のものと捉えて打ち込んでいます。
Cは,自分の仕事は石工であるが,すばらしい教会をつくっているのだという喜びとやりがいをもって働いています。また,目の前のことだけでなく教会堂を訪れる人のことを心に描いて仕事をしていると思えます。
 「教会堂が出来れば,この場で多くの人々との出会いを見ることができる。今,私はその教会堂をつくっている。」こんな思いをもっているのです。
 しかし,決してCだけが素晴らしいわけではありません。Aのようにお金も絶対必要だし,Bのように,目の前の現実に目を向けるだけで精いっぱいの時も人生にはあります。 むしろ,目の前のことをしっかりやることは,とても大切なことです。
 子どもたちの反応はどうだったでしょうか?
「Aは,お金のことを考えている。Bは,目の前のことを考えている。Cは未来のことを考えている。」と答えた子がいました。
 また,ある子は,「三人の石工の将来は,心で思い願っていたことの違いが,三十年後の未来をつくっていった。」と発言しました。
 子どもたちの発想には,驚くばかりです。何よりも心で思い描き願っていることが,未来の自分に影響を与えるということを考えている子がいることに驚きました。
 仕事をすることは,報酬のお金だけには換算できないものがあります。その仕事を通して誇りや喜びを感じたり,やりがいをもって取り組んだりできれば,仕事に充実感も感じられて人生も豊かになってきます。自分のやりたいことを思いっきりやろうとすることも必要であるし,それが社会に役立てばなお一層の生きがいになるでしょう。

 さて,今年度も残すところあと3週間となりました。6年生は,いよいよ卒業です。
残された日々を本当に大切に過ごしてほしいと思います。そして,池田東小学校で育ったことに誇りをもって卒業していってほしいです。
 これからも心に思い描いた子どもたち一人一人の夢や願いが少しでも実現できるよう,「確かな学力」と「豊かな心」と「健やかな体」を,保護者の皆様や地域の皆様とともに,育んでまいりたいと思います。どうかよろしくお願い申し上げます。

校長室より 2月号

校長室より・・・・・母と子のかかわりが変わるきっかけ
 「母と子」は,本当は深く結びついているはずなのに,ねじれるとほぐすのは難しい。そのことについて,自分自身の体験を皆様にお伝えしようと思います。ちょっと昔の話ですが,中学生の時の私と母親との会話から始めたいと思います。
 母は私に「孝は(普通の少年と比べて)変わっている子や。」「2人の妹と比べてみても,やっぱり変わっている。」とよく言っていました。
「どこが変わっているのや。」という私に
母は,「それは,常識がないからや。」と返してきます。
 私の方も売り言葉に買い言葉で,「常識がない・・。誰が常識つくったん。常識よりも,もっと大切なものがあるのとちがうの。」と言って母に反発します。
 その私に,「そらきた。そこが変わっているところや。」と言って返してきます。
 そんな根も葉もない一言に私は反発して思春期を送っていました。心の中はさびしく母親となかなか心の交流が持ちにくい少年時代を送ってきました。
 私の家は西陣織物の関係の仕事をしていて,父も母も仕事が忙しく,子どもの夕食の世話は祖母が切り盛りしていました。確かに母の言うことを聞かず,よく喧嘩をしていました。心底納得しないと動かない性格でした。
 そんな二人の関係が,私が大学生の時に,友達をよく我が家に連れてきたことから変わってきました。大学のクラスには下宿生が多く,友達から「お前の家の手料理を食べさせてくれよ。」と言ってせがまれたり,自分から我が家に連れて来たりもしました。母は,一生懸命に手料理をつくってくれました。
 弾んだ会話が終わり私の友達が帰った後で,母から私の友人についての話が始まります。
「あの子は話し方もスマートだし,きっと出世する。」とか,またあるときは,「お前も変わっているけど,あの子も変わっている。」などと友人のことを評価します。そんな日が続きましたが,嫌がらず忙しい中,手料理をつくってくれました。母も,若い人たちと話をするのは結構楽しそうでした。
 そんな中で,母も自分が描いていた若者像が変化してきて,「若者にもいろんな子がいるのだ。」ということが納得できたようでした。そうすると私をみる目も徐々に変化してきて,「変わっている」という範疇から「いろいろいる中の一人」という具合に変わってきます。
 すると今度は,私が母をみる目も変化してきました。「母は家族のことを思い考えている人」ということがやっと理解できました。当たり前のことに気付くのが遅いくらいでした。
 恥ずかしい話を書きましたが,今では大晦日の日に,兄弟家族全員が集まって食事をすることができるようになりました。
 相手の見方が変わるそのきっかけをつくること。一度ねじれたかかわりでも,時間をかけて願いを深めればもっと今以上に結び合える。ちょっぴり心を裸にする勇気がいりますが。
 だから,現実から逃げずに,きっと未来の「あるべき姿」を信じて,わが子と関わってください。私のように大学生になってから初めて「母親は家族のことを考えている人」と気付く晩生(おくて)の人間もいるのですから・・・。きっと結び合う時はやってきます。

校長室から〜1月号〜

校長室より・・・・・風車は向かい風で廻る ―忍耐(にんたい)有済(ゆうさい)―
 「新年あけまして おめでとうございます。」
 皆様は,どのようなお正月を過ごされたでしょうか?
 きっと,家族や親戚で集いあいながら,さまざまな出会いの時をもたれたことと思います。家族と初詣に行って,帰りの屋台で風車を買ってもらい,寒風に向かって走って,風を切る音を聞きながら風車を廻して楽しんだ幼い日のことが,昨日のことのように思い出されます。
 「風車は向かい風で廻る。」これは当たり前のことですが,人生の中で逆風(向かい風)を浴びながら歩むのはつらいことです。順風漫歩の方が逆風よりよいと思うのは,私だけでしょうか。しかし,難しい障害や苦境に立たされるときが,誰の人生にも少なからずおとずれます。逆風の時は,試練が一度に押し寄せ,思い通りに事が進まず,心も体も苦しくなり,「忍耐」のいることが多くなります。
 「忍耐」を国語辞書で引くと,「つらさ・苦しさ・怒りをじっと我慢すること,耐え忍ぶこと」と書かれています。しかし,この字は日本でつくられた熟語で,中国では四文字の熟語として使われていたのをご存じでしょうか。それは,「忍耐」の後ろに「有済」が付き,「忍耐有済」(書経いう書物に掲載された言葉)という四文字だったそうです。
「耐えて忍べば為(爲)す有り」(何事も努力すれば成し遂げられる)というのが本来の意味であり,それが前半部分だけが使われ「忍耐」という熟語になったと言われています。
 じっと我慢し耐え忍ぶことは誰だっていやなことです。しかし,この四字熟語は,「そうすることによって願いが成就する。」と言っているので,何か救われた気がします。私もお世話になった先輩教師から長年勤めた学校を離任する時に「忍耐有済」の色紙をいただいたことがあります。その先輩は,未熟な私に「耐えて忍べば為す有りだから,つらいことがあっても頑張れよ。」と,いう意味を込めてお別れにくださったのだと思います。
かつて,私は10年後の自分に書いた手紙である「10年後の自分への未来(夢)地図」というものに取り組んだことがあります。何気なく書いていたものを10年ぶりに見直して実に驚いたことがあります。その中で「実現していること」が実際にあったのです。もちろん実現していないものや,途上のもの(夢)もあります。また志半ばであきらめてしまったこともあります。
 そこで気づいたことがあります。10年前に願ったことで成就しているものは,私が切実にやりたいと願い,非常にエネルギーをかけて努力したことです。当たり前のことかもしれませんが,「私が心で強く願ったこと」は知らず知らずのうちに「辛くても頑張り通せたこと。」だと気づいたのです。
 「忍耐有済」(耐えて忍べば為す有り)
 この言葉を信じて,志高く夢に向かって歩んでいきたいと思います。今年も,子どもたちが健やかに成長できる学校を目指して,教職員一同,一生懸命に頑張りたいと思います。
「初心を大切に」今年一年,どうかよろしくお願い申し上げます。

校長室から 冬休み号

 早いもので,今年も残すところあと1週間余りとなりました。私も池田東小学校へ来させていただいて早9ヶ月が過ぎました。その間,子ども達や保護者の皆様,多くの地域の方々と出会いました。出会いを振り返り,池田東小学校に来させていただいて,本当に良かったと思っています。
 さて今回は,2つで1つのもの探し,「1+1=2」というのは普通ですが,「1+1=1」ということもありますよ,というお話をします。
 それにはどのようなものがあるのでしょうか?
 例えば,「カギとカギ穴」。カギ穴にぴったりカギを差し込むことができたら,大きな扉や宝箱も開くことができます。また,逆にカギをかけると大切なものを守ることができます。どちらか片方では,持てる力を発揮することができません。まさしく,1(カギ)+1(カギ穴)で1つの機能を発揮します。「1+1=1」です。
 ほかにどのようなものがあるのでしょうか?
「ボルトとナット」,「ビオラの弦と弓」…。ボルトとナットは1つに結ばれることによって,ビルや橋,船や建物など,大きなものと大きなものをつなげていくことができます。ビオラやバイオリンに代表される弦楽器は,本体についた弦を弓で弾くことにより,美しい音色で音楽を奏でることができます。
 これら2つの結びつきによって,素晴らしい力を発揮したり,全く新たなものが生まれたりすることができるのです。
 また,このようなケースもあります。
C+О₂=CО₂「炭素+酸素=二酸化炭素」(はいた息に含まれる気体で無色)
S+О₂=SО₂「硫黄+酸素=二酸化硫黄」(火山ガス等の臭いのある気体で有毒)
2H₂+О₂=2H₂О「水素+酸素=水」(身近な液体で,生活に欠かせないもの)
Si+О₂=SiО₂「ケイ素+酸素=石英」(鉱物の一種。ガラスの材料で白色)
 これらは2つで1つになる結びつきを表したものです。ここにあげたものには,すべて「酸素」が含まれています。けれども,「酸素」と結びつくものによって性質も形も違うものが生まれてきます。その中には人間にとって有益なものも生まれれば,有害なものも生まれてきます。同じ「酸素」でもそれに関わるものによって全く違ったものが,その結果としてできてきます。
「私たちの心」と「出来事」との間にも,これと同じような関係があるように思います。出来事と出会う私の心の捉え方や受け止め方,関わり方が変わってくることによって,生み出されるその結果も変わってくるように思います。
 今年いただいた出会いの数々を思い出しながら,自分の心のありようや関わり方を点検していきたいと思います。皆様には,本当にお世話になり,ありがとうございました。来年もよろしくお願い申し上げます。

校長室から 12月

 「夢や願い」を実現すること。これは人生の中で誰もが願ってやまないことだと思います。「このような仕事につきたい」「このような人生を送りたい」「あの人のようになりたい」等・・・。ささやかな夢から大きな夢まで,人はさまざまな夢を心に描いて生きています。 
 しかし,自分が描いた「夢や願い」を本当に人生の中で実現している人は,決して多くはいないでしょう。幼い頃や多感な青年時代に描いた「夢や願い」も,困難な現実や厳しい試練に出会う中で潰えてしまう。また,日々の要請に応えることにのみに追いまくられ,汲々としている中でいつの間にかあきらめてしまう・・・。これはよくあるお話です。
 では,「夢や願い」を実現するために,何が大切なのでしょうか。もって生まれた能力や才能? 運や出会い?・・・はたしてそれだけでしょうか。
 ここで,一つの実験のお話をしたいと思います。その実験は,一つのトマトの苗からどれくらいのトマトができるのか。生命のもっている可能性を最大限に引き出す実験を生命科学者の野澤重雄博士(1913〜2001)が行った実験です。野澤博士は,特別な水耕栽培装置を使って,一つの生命の中にどれだけの力が眠っているのかを,トマトの苗でその秘密を調べる実験をしました。
 ふつうは,一株のトマトには数十個の実しかなりません。しかし,生命力が最大限に発揮されるように,成長を妨げるもの(土の中のばい菌など)をできる限り取り除いてトマトの苗を育てたところ,なんと一つの苗から約13000個ものトマトの実がなったのです。それは,もはやトマトの木という方が正しいでしょう。このトマトはハイポニカトマトと呼ばれています。もちろん普通の温室ではなく特別な水耕栽培が可能な実験室で行われた結果です。爆発的なマジカルパワー(不思議な力)が生命の中には眠っていることを野澤博士の実験は教えてくれています。
 さて,この爆発的なマジカルパワーが眠っているのはトマトだけではないように思います。一人一人の子どもたちの中にも,トマトに匹敵するような一人一人のかけがえのない可能性が眠っているのではないでしょうか。
 子どもたち一人一人の中にかけがえのない可能性が眠っていることを教えられたことがあります。先日11月19日(木)に山科川土手沿いの周回コースを使って,伏見東支部の10小学校20チームで競う山科川駅伝(大文字駅伝支部予選会)が行われました。ご存知の方も多いとは思いますが,この大会の上位2校に大文字駅伝大会の参加資格が得られる大会です。
 この大会では,スタートからフィニッシュまで子ども達が一生懸命タスキをつないで走る姿を見ることができます。今年も本当に全力を出し切って走っていました。池田東小学校のAチームは,その中で3位を争いながら,抜きつ抜かれつの大接戦をしました。大健
闘の4位でした。Bチームも何校かのAチームも抜いて,ゴールインしました。最後に走るタイムトライアルでも層の厚さを感じさせる優秀な成績でゴールインしました。
 一生懸命頑張る姿に,応援している保護者の方や地域の方も「子ども達から元気をいただきました。」とおっしゃっていました。本当に感動的な駅伝大会でした。
 一生懸命頑張るだけでなく「最後まであきらめない心」が,毎日の練習で一人一人の中に培われてきていることがわかります。一人一人の可能性は本当に素晴らしいものと思います。大会終了後に選手20名が集まった中で一人一人の感想を聞いていると,「ここには来ていないけど,仲間のみんながいたからここまで頑張れた。」と言った選手の声も聴けました。   
 特別なことをして優勝を勝ち取るのでなく,5・6年の仲間全員と雨の日も体育館で練習して成し遂げた成果でした。
 この世の中は,決して人間の成長にとってプラスのものばかりがあるわけではありません。ハイポニカの爆発的なマジカルパワーがこの中で,常に発揮できるわけではなく,夢を実現しようとする強い磁石のような心が初めから備わっている人もいないでしょう。
 しかし,子どもたちの頑張る姿を見る中で,冒頭に書いた「夢や願い」を実現するためには,「一生懸命頑張り,決してあきらめないこと」「ピンチに負けない強い心を育てること」「仲間の大切さ」「日々一歩一歩の努力」「お互いを思いやること」「感謝の気持ち」などが大切なことを教えてくれます。そして何よりもコツコツ続ける「時間の大切さ」を思います。
 「いのちは一つかけがえのないもの」一人一人の夢や願いが花開くことを願っております。
 一粒のトマトの種が持つ秘密,大切に育てていきたいですね。


校長室から〜11月〜

校長室より・・・・・認め合い励まし合う関係をつくろう
 10月17日(土)の「運動会」では,たくさんの保護者や地域の皆様に参観していただき,本当にありがとうございました。子どもたちも一生懸命に頑張っていました。その姿を見て,たくさんの声援を送っていただきました。参観に来られていた方から,子どもたちが一生懸命に組体操をやっている姿を見て感動され,「池田東小学校だからできるのですね。」と言ってくださり,子どもたちの頑張りに心からの共感と励ましをいただきました。また,学年の演技や競技で一生懸命に頑張る子どもたちの姿が見られ,「こちらの方が逆に励まされ元気をいただきました。ありがとうございました。」「来てよかったです。」そんなお声もいただきました。
 でも,子どもたちにとって一番うれしいことは,勝つことだけではなく,自分のことをよく知る身近な人に褒めてもらえることでしょう。とくに,家族の人から頑張りを認め,褒めてもらえることです。つい,自分と喜びを分かち合える人に思わず話しかけて,「一等を取ったよ。」「この競技で勝ったよ。」とか誰かを呼んでしまう。その気持ちにたとえ自慢する気持ちがあったとしても,それがよいとか悪いとかは別のことです。小さな子どもにとっては,自分が頑張ったことを誰かに(とくに家族や親に)喜んでもらうのは何よりうれしいものです。自分にとってうれしいことがあった時に,「そう,よかった・・・」と心から祝福してくれる人があれば,喜びが倍になるというのは,本当のことだと思います。
 逆に,競技に負けたり失敗したりして,がっくりとしているときに,「くよくよするなよ・・」「悔しくてもじっと我慢している君を陰で応援しているよ・・」と励ましてくれる人があれば,そのつらさも半分になるでしょう。失敗して落ち込んだ時や不幸のどん底にいるときに黙って手を握ってくれる人がいてくれるだけで,その苦しみや痛みは軽減されるものです。このように,人と人とが認め合ったり励まし合ったりできることは,人間の成長にとってとても大切なことです。では,運動会のことから少し広い社会に目を移してみましょう。
 近年では規範意識の低さがよく問題にされることがあります。この規範意識の低さは,若者や子どもたちだけにみられることではないように思えます。繁華街や駅へ行っても,列に並ばない人は,よく見かけます。列車を降りようとする人よりも先に乗り込む人。その姿からは,お年寄りや小さい子どもたちを優先する雰囲気は,なかなか感じられません。それらの背景には,効率や利便性を優先するゆとりがない社会,自尊感情の無さによるもの,自己中心的な考え方等があります。またそれは,「どうせ頑張っても仕方がない。」「結果は初めからわかっている。」「しんどいことはやらない。」等の虚無的な考えとつながっているようにも思います。また,個人差や考え方の多様化で,規範意識は抽象的になりすぎて統一性が無くなってきています。
 そこには「お互いのことを思いやる姿」や「励ましあい認め合う姿」は見あたりません。その姿は,所属する集団の意識にも影響を与え,自分や相手だけでなく,見ている周りの人たちにも,影響を与えることがあります。
 このような社会の風潮に風穴をあけるためには,お互いが認め合い励まし合える関係をつくることが大切と思います。そのことは異質な人同士の人間関係では,なかなか難しいことですが,まず家族の中から,身近な人間関係からこの関係をつくっていきたいものです。
 その輪を広げていくことが大切だと思います。そして,その輪の中で「良いものには良い」と前向きにいえる人に子どもたちが育っていってほしいと思います。そのような関係をつくることで,社会や地域,学校が良くなり,コミュニティーの一員としての自分の役割と責任にも気付いていくものです。そして本当の意味での規範意識は,その中で自然と醸成されてくるものだと思います。(今回4年生で「運動会と前向きな心」をテーマに,担任とともに私も道徳授業をいたしました。) 
 運動会で培った子どもたちの前向きな心を,これからも一歩一歩,皆様とともに育ててまいりたいと思います。ご声援,本当にありがとうございました。

校長室から〜10月号〜

校長室より・・・・・環境にやさしい「小さな雨乞い師になる」

 「環境によいことをしていますか?」という広告をよくかけます。それは,「消費は美徳」と言っていた高度経済成長期にはまったく見られなかった広告です。しかし今は,「エコ」を大切にした生活や地球にやさしい生活をできることから一人一人がしていくことは,京都議定書(COP3)にも掲げられている誰しも必要とされるライフスタイルです。しかし,新聞紙上をにぎわしているドイツの有名な自動車会社のディーゼルエンジン排気ガス規制改ざん問題などを見ていると,まだまだ一人一人自分の問題にはなってはいないようです。
 ここで聞いていただきたいお話があります。
 今から140年ほど前に生まれたユング(1875〜1961)という心理学者が語ったかつて中国に存在した「雨乞い師」のお話です。

 <お話の概略>             
 昔,中国の膠州では,何ヶ月も雨が降らず日照りとなって困っていました。村人はいろんなことをためしてみましたが,まったく天候は変わらず,どうしようもありませんでした。
 そこで,一人の優れた雨乞い師が呼ばれました。ようやくやってきた雨乞い師は,この地に入るとすぐに「どこか一軒小さな家を貸してくれ」と頼んで,その家の中に閉じこもってしまいました。
 ところが,三日目を過ぎたある時,あれほど雲一つなかった空が一転して,空がかき曇り,信じがたいことに雪が降ったのです。雪の降る季節ではなかったのに,それも大量の雪です。町中は,雨乞い師のうわさでもちきりでした。そこでこの雨乞い師に尋ねました。
「どうやって,雪を降らせたのか教えていただけますか。」
「どうやって雪を降らせたのか。」と村人に聞かれた雨乞い師は答えました。
「私は,雪を降らしたりはしていません。私には関係ありません。」
「では,この三日間何をしていたのですか。」と再度尋ねました。
「それならすぐ答えられます。この土地に来て,私自身がタオ(道)から外れてしまおうとする自分を感じたので,自分をタオ(道)に戻そうとして祈っていたのです。」
   (渡辺学著:「ユングにおける心と体験世界」春秋社より)

 雨乞い師が,ただ自分をタオ(道)に合わせて,自分の心の中心軸のずれを直しただけで,その場に必要な変化を呼び込んでしまう。道に通じる心をもった生き方をすると秩序だった関わりができ,道にかなってくる。すると,天が味方したように,あれほどきつかった日照りが収まってしまう。とても信じられないような不思議なお話です。
 しかし,この話は私が幼い時に聞いた祖母の話と通じるところがあるのです。
祖母は幼い私に,「誰がみてなくても,よいことをしたら,おてんとうさまがみてくださっているよ。」「うそをついて人をだませても,自分の心はうそをついていることを知っている。」と口癖のように言っていました。今から思えば,未熟な幼い私に,正直に人としての道を生きなさいと諭してくれたのです。亡くなるころ祖母は,私の墓参りには来なくてもよいから,「おほほ,あはは。」と笑いあえるような家族の生活をつくってくれたらそれが一番の墓参り(供養)と言っていました。
 私は,その時は何気なく聞いていましたが,今頃の年になって祖母が言っていたことがわかるような気がします。
 冒頭に述べた排気ガス規制の改ざん問題にも「その場さえ何とかつくろえば。」という思いがあったのかもしれません。「心の中は見えないから,自分の思っていることは誰にもわからない。何をしたって結果さえよければつじつまが合う。」「利益さえ上げれば。」
 こんな気持ちは少なからず誰の心にもあるものです。「生き馬の目を抜く生き方」とか,「正直者は馬鹿をみる」「嘘も方便」ということわざもあります。
 しかし,先に述べた雨乞い師には,「道(タオ)にそむいた生き方はしたくない。」という信念がありました。だから,道から外れそうな自分を見つめて必死で祈ったのです。それが,結果的に天と共振したというお話です。こんなことが安易に起こるとは考えられませんが。
 中国の膠州の雨乞い師のような真剣な生き方はできなくても,自分なりに心に正直に人として責任のある生き方がしたいという思いも同時に私たちの中にあるものです。
 今,起こっている地球温暖化をはじめとした環境問題や中東の避難民が平和を求めて国境を越えて押し寄せている東欧の状況を見ていると,未来の困難は少なからず予想されます。 
 そんな中で,子ども達の未来が,幸せ多い世界になりますようにと願わずにはおれません。
 しかし,同時にこれからの未来を切り開いていってくれるのも今の子ども達です。
この子ども達が育つベースを少なくとも,日照りでかわききった潤いのない大地(世の中)にはしたくありません。一人一人が小さな雨乞い師となって,目の前の子ども達に「思いやりの雨(シャワー)」を降らせられたら大地も潤うと思います。たとえ小さくてもよいから世界の片隅からできることをしていきながら一歩ずつ・・・。
それが本当の意味で「子ども達の良き環境となる環境にやさしい生き方」かもしれません。

校長室から 9月

 校長室より・・・・・「勉強しないで困る」という前に?
 「子どもが勉強しなくて困る。」というのは,多くのお家の方の悩みです。勉強しないと後になって子どもが困るのではないか。将来取り返しのつかない損失を被るのではないか。そういう思いから心配が募る方も多いでしょう。また,「夏休みになり学校の学習がないと,まったく勉強しない。」この一か月の夏休みの間にもそのようなお気持ちを持たれた方も多くおられることと思います。
「勉強」と一口にいっても小学校に入る前,小学校,中学校,高校と,そして大学や専門学校等,それぞれの時期でする学習や意味も全く変わってきます。たとえば,小学校に入る以前の学習は,体全体を通して学ぶ豊かな感性や生命に対する畏敬の念などの存在感覚を育てることが,おそらくこの時期の大切な「勉強」となるでしょう。だからこの時期に全身を使って遊ぶことや自然と触れ合って山野を駆け回ることなども大切な成長の歩みにほかなりません。小学校に入ると机に座って学習するスタイルの「勉強」が主体となってきます。「算数」「国語」「社会」「理科」など教科に分かれた学習を積み上げていくことになります。
 そこで,「子どもが勉強しなくて困る」という前に,子どもが学習するための「よき環境」に自分がなってみてはいかがでしょうか。夕食をかたづけた後のテーブルの上でもよいので,自分も読書をしたり趣味の本を読んだり・・。自分の関心のあることや些細なことでもよいので,「自分なりの目標をもって」やってみることをお勧めします。美術や文学など,興味のあることを調べ研究してみることもよいと思います。喜びと共にお家の人が「勉強」すればするほど小さい子どもは,きっと一緒になって勉強したがることと思います。小さい子どもは家族と一緒に何かをするのが結構好きなものです。それは単なるものまねではありません。家族の後ろ姿を見て,写し取っているのだと思います。成長してある程度「自分」をつくってしまっている高学年の子どもの場合では,直接の影響は顕著に現れないかもしれません。
 でも,それも決して影響がないのではありません。親の生きている後ろ姿や人間のかかわりを見て,自分の将来の生き方に気付かないうちに影響をうけているものです。
 機械文明の前進と社会環境の変化は,家庭生活にも大きな変化をもたらしてきました。家事の多くの部分は自動化されて,ここ50年の間にも比較にならないほど便利になりました。食事一つとってもそうです。食品も,たくさんの種類が出回り,でき合いのものから様々な食材まで本当にたくさん出回っています。では,家事に追われないで暇ができたから,今まで述べてきたことがすぐできるかというとそうではありません。その分家計を助けるために両親とも働きの家庭が多くあるのが現状で忙しいご家庭が多いように思います。
 そんな中で無理な注文かもしれませんが,まず私たち「周りの大人がよき環境となっていくこと。」に挑戦してみませんか。子どもたちに,「早く勉強しなさい。」という前に・・・・。子育ては非効率的で面倒で見返りが少なく時間がかかるものという見方が多くあります。しかし,それは創造的でとっても偉大な事業です。なぜなら日本や世界の未来は,今の子どもたちの活躍にかかっているのですから。まさしく「子どもは未来そのもの」です。物は大量生産できても人間はそのようにはいきません。子どもは手間暇かけてしかなかなか育たないものです。一歩一歩共にがんばりましょう。
 今回はちょっとまじめな話を書きましたが,「チェンジ・マイセルフ」から……。

校長室から 夏休み号

校長室より・・・・・夏休みだからこそできること

 いよいよ夏休みが始まります。7月25日(土)〜8月24日(月)まで,ちょうど1ヶ月です。この時間を,どのように過ごすのか・・・。それは一人一人にゆだねられています。
 
 ある算数の問題から「夏休みだからこそできること」を考えてみたいと思います。
「よし子さんは1000円もっておつかいに行きました。お店で1個100円のリンゴ4つと1個50円のみかんを5つ買いました。よし子さんはおつりをいくらもらったでしょう。」

 さて,答えは,・・・1000−(100×4+50×5)=350 答え 350円
となるはずです。
 算数科では上のように正解を得ることができます。しかし,抽象的な数字の1000ではなくて,具体的な1000円というお金を頭に浮かべて考えると,果たしてどうでしょうか。 
 1000円札だったのか,500円玉1枚と100円玉5枚をもってよし子さんは買い物をしたのか。それとも10円玉が混ざっていたのか。よし子さんがもっていた1000円が,100円玉ばかりであったとしたならば,きっとレジで700円出したはずです。そうするとおつりは,50円です。また,10円玉ももっていたとしたら・・・。その時に出す金額も変わってきます。問題には1000円札をもって買い物に行ったとは書いていないので,具体的に考えるといろいろな回答が想像されます。
(これは私の考えた問題で,実際には,このような不手際のある問題は少ないでしょう。)
 このように具体的にレジに立ったよし子さんを想像して,1000円のお金をいろんな形で考えてみると,いろんな1000円の在り方がわかります。
 ここで言いたかったのは,物事の見つめ方や捉え方,考え方や想像の仕方は,いろいろとあるということです。
 普段の学習はとても大切ですが,夏休みだからこそ自分の頭でしっかり考えて,具体的に体を動かして得られる体験をたくさんしてほしいものです。肌で感じ,自分が「なぜ?」と疑問に感じたとことを深く考えて探究してみることは,とても意味のあることだと思います。
 自由研究の宿題も,インターネットで調べていくとたくさんの知識を一時に得られますが,実際自分が体験して,足で稼いで調べるとすごく時間はかかります。けれど,その分「わかった!」と思える「驚き」や「発見」もきっと違ってくると思います・・。
例えば,頭上を通り過ぎる「雲」を眺めて原っぱに一人で寝そべってみる。そこで20分もじっと見ていると,本当に「雲」が動いていく様子や変化していく様子が感じられて結構楽しいものです。そのようにゆったりとした時間も,この機会を除くとなかなかもてません。
 是非,自分の足で歩いて,自分の体で感じる体験を子どもたちと共にしていただけたらと願っております。お忙しいご家庭が多いと思いますが,夏休みだからこそできる体験をして,子どもたちが成長してくれることを願っております。一人一人にゆだねられた夏休みを,是非有意義な1ヶ月にしていってください。

校長室から 7月号

校長室より・・・・・子どもの心と大切にしたいこと

 私の教員生活30数年を振り返ってみると,実にいろんなことがありました。長かったようであり,あっという間にすんでしまったような気もします。「光陰矢のごとし」とは,本当にその通りだと思います。また,経済の仕組みの中で生きる私たちは,すべてお金に換算する観念が結構まかり通っています。「時は金なり」です。お金があれば,多くのものを手に入れることができます。マイホーム,ブランド品や高級車,海外旅行等。しかし,この教育という仕事は,「時は金なり」では換算できないものがあります。特に,「道徳の時間」に学習することは,子どもたちの将来に大切な規範意識を醸成したり,自己の生き方を点検したりできる大切な時間です。週一回ですが,この「道徳の時間」を大切にしたいものです。

道徳資料(小鳥のうた)より
 あるとき,森が焼けた。一か所から火の手が上がって森をつつんだ。木々は叫び声をあげて炎と化していく。火の勢いは次第に強くなり火を消し止めようと懸命に手を尽くす。しかし,火の勢いは全く変わらぬ。いや,変わらないどころか,一層激しさを増して勢いづいてしまうのだった。力及ばぬと知った虎や獅子たちは,ついにあきらめてしまう。そして,自分を守るために岩陰に隠れて,荒れ狂う炎を傍観していた。
「僕たちの森がもえている・・・。だけどどうすることもできやしない。消火することなどとても無理だ・・・・。」
 するとどこからともなく,小さな小鳥が火の方に向かって飛んでゆくのがみえた。翼の上に乗せたわずかな水滴を火の中に落とす。そう,小鳥は消火しようとしているのだ。
 しばらく見ていると,小鳥は遠い沼の方と火炎渦巻く森の間を幾度も幾度も往復して,翼の上に乗せた水滴の水を落としているのだ。巨大な炎に対して,わずかな水滴とは・・・,あまりにも無謀。
 虎や獅子は,その小鳥の行動を呆れるように見ていた。そして腹立たしげに叫んだ。
「やめよ。やめよ。そんなことをやって何になるのだ。この俺たちにして全く歯が立たないのだ。お前がどんなに努力をしても,森の火を消すことができるわけがないじゃないか。」
しかし,小鳥は一瞬の羽ばたきをとめることなくこう応えた。
「ありがとう。じぶんの力のほどはわかっているつもりです。けれども,どうすることもできません。今住んでいる森が焼けていくのです。私たちの家が崩れていくのです。できる,できないではなく,私はやらないでいられないのです。水を注がずにはいられないのです。」
 
 子どもたちに聞いたら何と答えるでしょうか。「自分の限界を知って不可能なことから身を引く獣たちこそ賢く,身の程をわきまえぬ小鳥をおろかに感じるでしょうか。」
しかし,子どもたちの反応からは,小鳥の羽ばたきのうたに共感する思いが出てきます。
道徳の時間の授業で,昔も今もずっと使われている資料「泣いた赤鬼」や「二羽の小鳥」「橋の上のオオカミ」「花さき山」などが存在するのは,子どもの心に響くものは変わらないことの表れと思います。子どもたちの心にある「真心」は,時代が変わっても変わらない。
池田東小学校に来させていただいてうれしかったことは,「子どもたちが素直で元気。」というところです。校門での朝の登校指導中もみまもり隊の方やPTAの役員の方々と子ども達が交わす言葉を通してそれを感じます。今の子どもは,大人の行動や心の動きに意外と敏感です。だから,私達も少年・少女時代のことを振り返って,そこでどんな出来事と出会い,どんな心がその時動いたのか,自分の幼い時のことを振り返り見つめることも意外と大切なのではないかと思います。大人のだれもが,一度は少年・少女時代を通り越してきた,いわば「ベテランの子ども」なのですから。今の子どもの心を理解するヒントになると思います。 
子どもたちは未来そのものです。どの子の中にも「よさ」や可能性がある。だから,それを引き出す小学校教育の役割はとても大切と思います。確かに目に見える狭義の「学力」をつけていくことは,未来を拓くためにもとても大切です。しかし,その土台である子どもの夢や願いを育てる「心を育てること」は,簡単に見えて結構難しいことです。
「時はいのちなりと心せよ。」と,自分自身にも言い聞かせたいと思います。お金に換算できないものを育むことができるこの仕事に出会えたことを本当にうれしく思います。
校長先生とはなかなかしゃべりづらいと思われている方も多いと思いますが,遠慮せずに気楽にお話ししてください。保護者や地域の方々の願いを受けとめて,子どもを育む要になるが私の役目ですから。まだまだその責任は,十分はたせていませんが・・・・。本心で出会える関わりをたくさんつくっていきたいと,未熟ながらそんなことを思っています。

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