最新更新日:2024/04/01 | |
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京都市立工業学校 志望者数が増加
大正10年(1921年)工業教育に対する意識の高まりにより京都市立工業学校が設立され、総合的な工業学校として再編成されてからは、志望者もにわかに増加の兆しが見え始めました。こうした中、各科とも入学試験が行われるようになり、国語、数学、英語のほか面接が試験科目として課せられました。とくに工業化学、電気、機械の新設各科は年とともに志望者が増え、競争率も高かったようです。この頃の工業化学科の卒業生の回顧録では「志望者数が100名を少し上回ったと思うがこのうちから約50名が入学を許可された」と記されています。
(洛陽工高百年史より引用) 京都市立工業学校 工業学校時代の課程
染織学校から再編成された京都市立工業学校は、工業学校規定によって設立された甲種工業学校であると同時に、徒弟学校規定による乙種学科も併せ持つ工業技術者の養成機関として誕生しました。
本校の色染、機織、機械、電気、工業化学の5学科は甲種の課程で当初の修業年限は3年と定められ、分教場の木工、金工、玩具の3学科は乙種の課程で同じく3年でした。このうち甲種の課程は2年間の予科が設けられ、また必要に応じて別科、速成科を設けることができるようになりました。尋常小学校の卒業生は予科から、高等小学校卒業生は本科に入学していたようですが、大正10年(1921年)4月からは、本科、予科の呼称が廃止され5年制の工業学校になりました。 |
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