京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/01
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洛陽工業高等学校は、平成29年度末をもって閉校し、 創立132年の歴史と伝統を京都工学院高等学校へ引き継ぎます。

本校の歴史 染織学校の移転・新築の経緯

 明治40年(1907年)前後の京都市染織学校は、教職員14〜15名、生徒数114名〜150名でした。校舎もバラック建てに等しく、運動場もテニスコート1面が取れないほど狭かったそうです。ボール投げをしてもすぐにボールが塀を超えて道路に飛び出すためスポーツは禁止されていました。
 そのような折、当時の文部省視学官が明治41年(1908年)視察に訪れ、校舎初め学校設備があまりに粗末であることに驚嘆。京都の染織学校は全国の模範でなければならないにもかかわらず、他府県の学校設備よりも整備されていないとの報告がなされました。
 これを受けて文部省から実業学校としての施設整備が不十分であるとの勧告があり染織学校の移転新築が緊急課題として持ち上がりました。
(洛陽工高百年史より引用)

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本校の歴史 染織学校の草創期

 京都市染織学校の釜座校舎(1895〜1911)時代には午前中の授業は普通教科、午後の時間は実習にあてられていました。開校当時から明治30年代の前半は、教師10人、生徒数は約100人あまりだったそうです。工業学校としての性格上、普通教科よりも実習に重点がおかれていました。明治31年(1898年)11月制定の「京都染織学校校則」によると、本科の教科のうち読書、作文、習字、数学、英語の5教科については生徒の学力によって省略、その時間は実習に充てられたとあります。
 普通教科の中には、すでに外国語に英語が取り入れられていました。外国語が正式に教科に加えられるようになるのは「工業学校規定」が施行された明治33年(1900年)からで、京都市染織学校は他の同種の学校に比べて独自の教育が展開されていたことがわかります。
(洛陽工高百年史より引用)

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本校の歴史 京都市立染織学校の様子

 京都市立染織学校の釜座校舎の建築は、明治27年11月1日の開校と同時に開始され、翌年の3月に竣工、紅屋の跡地にあった京都染工講習所時代の校舎から新校舎への移転は明治28年(1895年)4月4日に行われました。新校舎落成式は同年12月1日に実施、第一回卒業証書の授与式も行われ、このときの卒業生は色染科2名だったそうです。
 校舎は教室114坪、事務所96坪、機械室24坪、分析室6坪、物置7坪で極めて小規模なもので雨漏りが激しく、ガラスも破れてほとんどあばら屋のようだったと記録されています。設備も整わず生徒数も少ない徒弟学校で、草創期の染織学校はこのような状態から出発しました。
(洛陽工高百年史より引用)

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